5話 - Ⅱ

 かつてルーゲンのメインストリートとされていた場所。

 廃れたガッレリアのような印象を受ける通りを、黒斗たちは全力疾走していた。

 背後から押し寄せるのは、おびただしい数の魔獣の群れ。


「はっ!はあっ!――くそっ!どうなってんだ!」


 観光客でも誘致できそうな物静かな廃墟は、けれど一瞬にして地獄絵図に変わった。

 狼のような容姿を有する魔獣は、【ファウグ】という名前だそうだが、そんなことは今の黒斗にとって、どうでも良すぎる情報だった。

 背中に伝わる足音の振動が、自分のすぐそばまで〝死〟が近づいているのだと教えてくれる。


〝判断を躊躇うな!速度を落とすな!あの大群に呑まれたら一瞬で殺されるぞ!〟


 暗示の如く自身に言い聞かせ、無我夢中で黒斗は走り続ける。

 そうでもしないと、体の自由を奪おうとする恐怖に負けてしまいそうだから。

 息切れが激しさを増す。

 酸素の需要と供給が嚙み合ってないのだ。

 肺と心臓の負荷を度外視し、黒斗は吸ったり吐いたりをひたすら繰り返す。

 喉は灼熱を起こし、それでも彼は酸素を求める。


「はあっ!はぁっ!――なにっ!?」


 突如、側面の壁がぶち破られた。

 現れた魔獣は人型で、図体はRPGに登場するような『オーガ』や『サイクロプス』に似ているというのに、顔面だけは『能面の女面』みたいで、非常に気味が悪い。

 リーリンはそれを見るや否や、黒斗に向かって大声で叫んだ。


「気を付けてください!あれは【ゼイラ】と呼ばれる危険魔獣の一種です!――くっ!」

「リーリンさん!?」


 おそらく、物陰に忍び込んでいたであろうファウグの伏兵たちが、次々にリーリンへと襲い掛かかる。

 さらに、後ろからの追撃部隊も加わり、彼女は一切身動きが取れない状態となってしまい、その隙に他のファウグが黒斗の命を喰らいに飛びかかろうとする。


「っ!!させるかあ!!」


 彼女は即座に火炎系魔術で応戦を開始し、掌から炎弾を発射する。

 黒斗を襲う寸前だったファウグは、一瞬のうちに灰と化した。

 彼女はそのまま両拳に炎を纏わせ、自身を取り囲む敵に対応する。

 焼け焦げた死骸が、生々しい血と油の臭いを伴って辺りに散乱していく。

 それでも湧き続けるファウグ。数は……一体何十匹いるというのだ。

 いくらリーリンでも、あれでは――


「私はここを何とかします!クロトさんはゼイラを!」

「っ、でも!」

「私は大丈夫です!急いで!」


 命のやり取りをしている時の人間というのは、本当に真剣で正直で、気持ちが、ずしん、と重くのしかかる。

 黒斗は助けたい気持ちを必死で堪えるため、奥歯の力を捻じ込めた。


「分かりました!」


 お互い大きく頷き合い、黒斗は前を向いた。

 ゼイラと呼ばれる魔獣は、その巨体を活かし、彼らの行く手を見事に阻んでくれている。


『女面』が不気味な笑みを浮かべながら、黒斗を見ていた。

 突如、ゼイラの指先に魔力が集束されると、それは瞬く間に『光の爪』となって、黒斗に襲い掛かる。

 彼はそれを何とか避けるが、戦場が非常に狭いため、いつまでも避けきれる自信はなかった。


 終わりを知らないツンドラシャワー。

 黒斗は一旦距離を置く。すると、ゼイラが急に頭を抱え出した。

 悶え苦しむような動き。

 唐突に放たれる、発狂のような咆哮。

 火柱のように立ち昇るゼイラの魔力。


「っ!? 冗談じゃねえっ! なんだよこの魔力量!」


 女面が黒斗に焦点を固定させる。

 間合いを詰めるゼイラの踏み込み速度は、段違いに上昇していた。

 逆に完全に虚を突かれてしまった黒斗は、瞬き一つでさえもタイムロスになってしまう窮地に立たされた。


「ぐっ!」


 何とか避けたが、ラッシュはさらに加速していく。

 元々スタミナを消費していた状態での戦闘である。黒斗の動きは徐々に鈍り始め、とうとう隙を生んでしまった。


「あっ!ぐぁああ!」


 ゼイラの攻撃が黒斗の右太腿を抉り、流血が宙を舞う。

 リーリンの声が聞こえた気がしたが、今の彼に、それを判別している余裕はない。

 地面を転がり、受け身を取って態勢を立て直す。

 右手で傷を抑えると、痛みが、じわり、と足全体に響き渡る。


「――クロトさん!危ない!」


 反射的に黒斗は顔を上げた。

 大きく振り上げられたゼイラの腕。光の爪は束ねられ、槍のように形状を変えている。

 その行為が絶命という結果に繋がることは、すぐに理解できた。

 止めの一撃が、勢いよく振り下ろされる。


「これを待ってたんだ」


 自信の勝利を確信した黒斗は、思わず笑みをこぼす。

 魔脈に巡るマナを活性化させ、腰に収めているナイフに手を伸ばす。

 勇者の表皮から放たれる黒色の魔力は、禍々しくも猛々しい。


「インビジブル・アクセル!」


『気配遮断』と『瞬間加速』を組み合わせた複合魔術が発動する。

 次の瞬間、黒斗の姿は一瞬にして消えた。

 ほぼ同時に、ゼイラの巨腕が地面に激突する。

 轟音が鳴り響くも、そこに黒斗の死体は見当たらない。

 ゼイラは彼を完全にロストしてしまい、首を右往左往させながら、上体を起こそうとする。が、しかし――

 なぜか、地面にめり込んだ拳が抜けてくれない。

 おまけに、その部分だけ粘土質の土に変化しており、動けば動くほど自由を奪われていく、底なし沼のような状態に変化していた。


「かかったな」


 拘束用設置型魔術、【リガ―トゥル・クレイ】。

 黒斗が仕掛けた、もう一つの魔術である。

 とはいえ、今までの彼に他の術を唱えたような仕草はなかったはずだ。


 実は、魔術の発動方法には【詠唱法】と呼ばれるものと、もう一つ【文唱法】という二種類の手法が存在する。

【詠唱法】とはその名の通り、口頭にて魔術を発動するもので、言い終えた直後に機能するこの手法は、リアルタイムでの戦闘向きと言えよう。

 一方で【文唱法】とは、壁や地面、はたまた大気中に発動条件を満たす単語を刻み込むことで、空間そのものに魔術トラップを設置するための手法だった。


 黒斗は、あの『光の爪』で繰り出される攻撃を完全に躱しつつ、尚且つ反撃に転じることは、ほとんど不可能に近いと、早々に見極めを付けていた。

 しかし、敵の猛攻は収まるどころか、より激しさを増すのみ。

 このままでは、本当に殺されてしまう。

 絶体絶命の危機に瀕した黒斗は、ここで起死回生の策に打って出た。


 わざと大袈裟なリアクションを取り、傷を負うという『演技』をかましたことで、黒斗はゼイラに自分を殺す決定的なチャンスを与えたのだ。

 さらに付け加えておくと、彼は敵の攻撃を回避しながら、魔力に『色素』を加える『魔術』を『文唱法』で『右太腿』に書き込み、実際よりも多くダメージを受けているように見せかけるために、『血の噴出』まで再現するという徹底ぶりを発揮している。


 もしも、あのままツンドラシャワーが続行されていたら、間違いなく黒斗は即死だった。けれど、彼はゼイラが一撃必殺を繰り出すと踏んだ。

 石杖黒斗という人間は、無謀な博打に自分の命をペイするような戦術は考えない。

 故に、ちゃんとした根拠があった。

 ゼイラの攻撃は一見すると、黒斗を追い詰めている絵面に見えただろうが、実は主観で見ると少し違う。


〝あの魔獣は、相当焦っていた〟


 詳しい理由は分からないが、魔力量が爆発的に跳ね上がった後から、焦りが顕著になっていたのだ。

 それこそ、背水の陣に立たされた兵士のように――


 ――現在、ゼイラは腕を引き抜くことに乱心している。

 この好機を逃すわけにはいかない。

 黒斗は廃墟の瓦礫を壁蹴りの要領で駆け登り、超スピードでゼイラの真後ろを取った。

 狙うは一点。その首筋のみ。

 逆手に持たれたナイフには、溢れんばかりの魔力が漂っていた。


「一撃で殺す」


 黒い刃が、ゼイラの首を一閃。黒斗はそのまま地面へと着地する。

 直後、奇声のような喚き声が、物凄い声量を伴って響き渡り、血しぶきの雨が、彼の背中を濡らした。


 膝立ち状態だった黒斗は静かに立ち上がり、そして振り返った。

 上を向いた瞬間、ふと、彼は苦悶に満ちた女面と目が合った。 

 次の瞬間、首はあらぬ方向にもたげ、両断された生首が、ごろり、と地面に落下し、遅れて巨体も膝から崩れていった。


 呆然と立ち尽くす黒斗に、リーリンが駆け寄る。

 彼女の背後には、原型はおそらくファウグだったであろう黒い煤の山々が築かれており、先ほどよりも濃度が高まった死臭がこの場に充満していた。


「クロトさん!大丈夫ですか!」

「あ、はい。そっちは」

「私は大丈夫です!それよりもクロトさんの怪我を治さないと!」

「ケガ?」

「え、だって。さっき――」

「ああ、あれはですね」


 黒斗はリーリンに懇切丁寧に『演技』についての概要を教えてあげた。

 勇者とはいえ、魔術士として見れば黒斗は素人に毛が生えた程度。

 そんな彼に出し抜かれてしまったことが、魔導士である彼女のプライドに触ったのだろう。

 説明を聞き終え、真実を知ってしまったリーリンは、やや立腹した様子である。


「心配して損しました」

「敵を騙すなら、まず味方からってやつですよ」


 苦笑をしてみせるも、黒斗の表情は重い。

 彼は自分のナイフに視線を落とした。

 魔力で覆っていた刃の部分は、新品同様の輝きを有しているが、それ以外の部分は血のりがべったりと付着している。


 鉄の臭いが鼻腔に入り込み、道徳を刺激する。

 凝固した血は赤黒く。

 見れば見るほど〝殺〟に引き込まれそうだった。


(初めての実戦なのに、オレの身体は、意外によく動いちまうんだな……)


 ゼイラの肉を斬る時、黒斗は躊躇しなかった。迷いも無かった。

 人肉を削ぎ落す際の感触の方が、ずっと、えげつない思いをしたからだ。

 それでも……。そう。

 彼は、生まれて初めて、生き物を殺すリアルを体験してしまった。

 だからこそ、黒斗は戸惑いを隠せない――


「クロトさん?」

「え?」

「いえ。その、大丈夫ですか?」

「……あ、ああ、すいません。もう、大丈夫です。正気は保ってますから」

「初めて実戦を経験したんです。平常心を失ったとしても、それは恥ずべきことではありません。あまり、無理をしないでください……」


 ――命を絶つ感触への悲しみが、微塵も湧かないということに。

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