3話 - Ⅴ

「へえ~。あの勇者さま、魔術戦なんて初心者だろうに、意外にやるじゃんか」


 星に選ばれた魔導士の一人、【ザン・ク・トライザ】は、隣にいるリーリンに話しかけたつもりで声を発した。


 ダークブラウンのショートヘアに、同じ色の瞳。

 目線の高さはリーリンと大差なく、人懐っこい顔をしている彼。

 そして何より目立っているのが、その服装である。


 魔導士のはずなのだが、その風貌はさながら狩人のようで、赤茶色のフード付きマントが悪目立ちに拍車を掛けている。


 性格はとにかく陽気で、それは口調や仕草にも現れているのだが、そんな誰とでもすぐに打ち解けるような印象を受ける彼を、なぜかリーリンは完全にシカトしていた。


「…………」

「あれ? ひょっとして無視されてる? 冷たいな~リーリンちゃんは~。同じ『海外組』なんだからさ~。もっと仲良くしようよ~」


 海外組というのはつまり、ユスティティア王国以外から星に召集された魔導士のことで、それは彼女とザンの二人しかいなかった。


 リーリンは無視を決め込んでいたが、その表情からは嫌悪感よりも、むしろ憤慨感の方が色濃く出ている。


 拒絶の意も示すために、ザンから若干離れて、彼女は隣にいるもう一人の魔導士に話しかけた。


「エリーユ君はどう思う?」


 その青年は、物静かな雰囲気を保ったまま、リーリンの問いに応じた。


「そうですね。勇者様の方はかろうじて攻撃を避け続けていましたが、おそらく、そろそろ魔力切れが起きる頃だと思います。せいぜい、あと2、3回の発動が限度。この状況で、彼が逆転できるとは思えませんね。おまけにあの勇者様、攻撃系魔術を一つも教わってないみたいですよ」


「えっ!? そうなの!?」

「さっきエルゲド様が、そんな主旨の説明をメディにしていたので、間違いないかと」


 青年は呆れた視線を、エルゲドに悟られぬように送ってみせた。


 彼の名は、【エリーユ・ファウラー】。

 紺色の髪の毛は、男にしては長く伸びており、綺麗に後ろで結かれている。

 透き通った青い瞳。身長は185ほどもある。


 インテリジェンスな雰囲気に、それに相応しい実力も兼ね備えている彼も、クォンティリアムによって集められた魔導士の一人であった。


 服装はザンとは大違いで、全うな魔導士の格好である。


 純白のロングコートは、襟や袖の部分に金色の刺繍が施されており、王宮に仕える騎士にも思える。


 その近づきがたい気品溢れるエリーユに、馴れ馴れしく話しかける男が一人。


「ふーん。じゃあエリーユ君曰く、あの勇者さまは敗北すると?」

「気安く話しかけないでくれ。〝首裂きザック〟」


 猛烈な拒否反応を言葉に乗せ、しかし表情は変えずに彼は言った。


「酷いな~。その通り名で呼ぶなんて~」

「事実だろうが」

「まあね~」


 ザン・ク・トライザ。――別名『首裂きザック』。


 今から10年近く前のことだ。


 辺境の地では大戦の名残が残っており、紛争などのボヤ騒ぎが後を立たず、彼は当時、傭兵として各地の戦いに参加していた経歴を持っている。


 そんな彼は、いくつもの戦場を駆け抜け、戦いを重ねるうちに、戦闘スタイルが変わっていったという。


 そのスタイルが、なんと相手の首を両断するものであり、夥しい数の生首を築き上げたことで付けられた異名が、いつしか本名よりも有名になってしまった。


 魔導士としての腕は一流だが、なぜそんな人物が〝クォンティリアム〟に抜擢されたのか。周囲の人間よりも、むしろ本人が一番困惑したそうだ。


「戦争状態だったとはいえ、貴様の行動は許せん。とっとと俺の前から消え失せろ」


 殺気が込められたエリーユの目を見て、ザンはふてくされた様子で、鼻から息を吐いた。


「はいはーい。ザックさんは消え失せまーす」


 そう言って背を向け、ザンはエリーユたちから距離を置くために歩き出した。

 が、途中で立ち止まり、彼は振り返ることなく口を開けた。


「でもね、エリーユ。君の見立て、少し間違ってるよ」


 君付けじゃなくなったことと、急に冷ややかな声に変わったことが合わさって、エリーユは反論するのに少し遅れてしまった。


「貴様!どういうこと――っ!?」


 さっきまでいたはずなのに、そこにはザンの姿がなかった。

 無と化したスペースには、風しかなびいていない。

 あの悪目立ちしていた赤茶のマントは、どこを見渡しても見当たらなかった。


「あの一瞬で。どこに消えたんだ――」


 その時、決闘を観戦している人々から歓声が沸き起こった。

 どうやら、あの勇者が反撃の狼煙を上げたらしい。


 エリーユはザンの行方を気にしつつも、彼が去り際に残した言葉の真意も気がかかりになり、戦いの行く末を見届けることにした。



     ◇



〝無力化〟とは……


『標的の性質・習慣・特徴などの情報収集を経て、標的の肉体・精神、および社会的ステータスを、下方修正する行為である』


 ……とはいえ、今回は別にルンゲの身体機能を低下させるわけではないし、黒斗自身それを望んでいるわけでもない。


 ただ、思考のロジックや、結論に至るまでのプロセスなどが、妙に似通っていたから、ついつい口を突いて出てしまっただけのこと。


 そんな黒斗の脳内は、すでに『勝利』の二文字で埋め尽くされていた。


 彼は今まで自分の身の安全を保証していたはずの〝気配遮断〟を解き放ち、堂々とその姿を、ルンゲの前に晒した。


「ほう。潔く正面に現れるとは、中々に度胸がある。が、それはただの蛮勇だ」


 正面に据えた大剣を、ルンゲがゆっくりと動かす。刃先を後ろに向けたこの構えは、まるで居合い切りをする達人のような剣気を放っている。


 この姿勢から繰り出されるのは、間違いなくブーストゲイル。

 まともに喰らえば、命は助かっても、骨折は免れないだろう。


(問題はタイミングだ。上手くやれよ、オレ)


 ルンゲの魔力の揺らぎ。体を纏うオーラの流れ。

 その変化を、細大漏らさず、網膜で捉える。

 微妙な変化は、確実に相手の感情を反映している。

 理屈ではなかった。本能が、体を動かした。


 無心の動きは何よりも疾く。

 黒斗は寸分の狂いもなく、右へのサイドステップを正確に繰り出した。


 ほぼ同時に、ルンゲの魔術も発動する。

 しかし、ルンゲの目の前にいたのは勇者ではなく、地面に突き刺さった岩のみ。

 ここにきて、石杖黒斗の『情報収集能力』が、その真価を発揮する。


(ブーストゲイルはその性質上、急激な方向転換はできない!)


 決して、蛮勇などではなかった。


 黒斗は初めから、そこへ誘い込むために岩の傍に立ち、尚且つ、ルンゲの性格を考慮した上で、彼がブーストゲイルを使いたくなる地形を選択したのだった。


「なっ!?しまっ――」


 巨体は猛スピードで岩盤へと突っ込んで、豪快な音と共に、砂煙を巻き起こした。

 ちょうどその瞬間、ギャラリーたちが大いに盛り上がりを見せていた。

 それをジト目で見る黒斗。


(まったく。現金な連中だぜ……)


 勝負はここからが本番である。

 砂塵が徐々に晴れていく。


 岩から這い出てきたルンゲは、それ相応のダメージを受けている様子であったが、やはり決め手とはなっていなかった。


 唇を切ったらしく、口元からは血が流れている。あれほどの激突なのだから無理もない。というか、その程度の傷で済んでる彼が異常なのだ。


 ――と、言いたいところだが……


「やっぱりな。激突の寸前、ブーストゲイルを逆噴射させて、衝撃を和らげたな」

「ふんっ。まさか気付いていたとはな」


 ブーストゲイルが逆噴射できるパターンも、もちろん黒斗は予想していた。

 しかし、それは彼にとって、あまり嬉しいニュースではない。


 なぜなら、急激な方向転換はできずとも、軌道を変更することが可能だと証明されてしまったからだ。


 逆噴射ができるのなら、他の向きも言わずもがなである。


「次で決める」


 三度、居合い切りの構え。

 おまけに今回のは、とびっきりの魔力を見せつけている。

 それに気圧され、思わず後退りする黒斗。


「さっきの手は食わんぞ、もう油断するつもりはない。仮に岩に誘い込む策があるとしても、途中で向きを変えればいいだけのこと」


 黒斗の頬から、汗が落ちる。

 自身の限界が迫っていることは、嫌でも把握できていた。


(魔力量がほとんど残ってねえ。多分あと二回で、底を突く)


 勝利を掴むためには、好機を逃すわけにはいかない。


 この時、彼はなんとなく、無力化の『最終作業』に必要な集中力と、同質のものを要求されている気がした。


 目標を陥れるためには、まず相手の情報を集積し、それを理解した上で、自分自身の行動限界を認識、及び修正することが重要になってくる。


 それらのデータを最大限に活用し、自分のアリバイ作りと、相手を確実に仕留められる瞬間が完全に合致した時、初めて敵に攻撃できる機会を得られるのだ。


(大事なのは、チャンスを待ち続ける根気と、それを掴み取る集中力)


 この手の作業なら、石杖黒斗の右に出る者はいない。と、本人は自負している。

 それぐらいの自信を持てなければ、〝無力化〟などできるわけがない。


「いくぞ!!」


 隠す素振りもないらしい。ルンゲの魔力の動きを見ていれば、攻撃のタイミングは自ずと把握できた。


 敵との呼吸を合わせてバックステップ。さらに黒斗は視線を左に送り、その方向に逃げた。


「逃がすか!」


 案の定、彼が逃げた方向に、ルンゲも追撃を開始する。


「止めだ!!」


 刃を当てるわけにはいかない。そのためルンゲは、大剣の側面を使って豪快なフルスイングを繰り出した。今度こそ捉えた、と彼は思わず笑みをこぼして前歯を輝かせる。バスタードソードがいよいよ脇腹に触れ、勇者は確実に吹っ飛ばされた――――はずだった。


「分身!?」


 大剣が肉体に触れた直後、勇者の体を成していたものは、なぜか魔力の塵となって、空気と一緒に消えてしまった。

 さらさらと、ルンゲの体を通り抜ける魔力の残骸。


「どこに消えた――まさか!?」


 ルンゲが黒斗の作戦にはめられたと理解した頃には、もうすでに手遅れだった。

 彼の後頭部に、冷ややかな金属が当てられる。

 するすると首筋まで持っていかれ――


「勝負あったな。ルンゲさん」


 武器を展開した石杖黒斗が、ルンゲの頚動脈に刃先をかすめていた。


「危なかったよ。アンタがもう少し早く『作戦』に気付いていたら、オレの負けだった」

「勝者が言い訳をするな」


 悔しそうに、しかし負け惜しみすることはせず、騎士は己の敗北を受け入れた。


「私の完敗だ。……お主を、勇者と認めよう」



 黒斗が最後にやってのけた作戦とはこうだ。

 まず、ルンゲのブーストゲイルのタイミングを見極め、それに合わせて後退する。

 そして次の動作が、非常に重要なポイントとなっていた。

 この時一瞬、彼は視線を左に移した。


 この動作をすれば、ルンゲは高い確率で『奴は右(黒斗から見れば左)に逃げる!』と思い込むに違いないと、黒斗は読んでいたのだ。


 読み通り、ルンゲは彼が視線を動かした方向に、ブーストゲイルを仕掛けた。

 勝敗は、この一瞬で分けられた。


 ブーストゲイルはその性質上、急激な方向転換はできない。


 しかしそれは、方向を変えたいなら、あらかじめ先の地形を見ておきたい、と言い換えることもできる。それが人の心理というものだ。


 黒斗はそれを利用したのだ。


 ミスディレクション。手品師がよく使う、視線誘導テクニックのことである。


 彼はルンゲの視線を、自身の左側の地形に誘導させると、その刹那にファル・ファントムを発動させ、分身を左側に逃げるよう操作すると、その間に並行して気配遮断を実行し、本体は完全にルンゲの視界から姿を消すことに成功。


 偽物に気を取られた上に、気配遮断のダブルパンチ。


 勝機があるとしたら、このたった一回の攻撃だけだと、彼は最初から想定していた。


 よしんば岩の激突で終了していたかもしれないが、やはり、逆噴射の予想が的中してしまったため、ラストチャンスがファーストアタックになってしまった。


 とはいえ、黒斗には確固たる勝算があった。


 確かに術の扱い方や魔操力を見れば、ルンゲが優秀な魔道士であることに疑いの余地はない。が、やはり彼の気質は猪突猛進。


 狐と狸が繰り広げるような読み合い化かし合いの心理戦が不向きであることも、黒斗には分かってしまった。


 具体的な例を挙げるとすれば、ルンゲは黒斗の行う動作や仕草に対するリアクションが、素直すぎたのだ。


 弱々しく振る舞えば攻撃の圧を増し、距離を置けばブーストゲイルで岩ごと粉砕。


 そして極め付けが、こちらが少しでも攻勢に打って出ようものなら『闇属性の分際で生意気な!』とでも言いたげな表情で、怒りを如実にオーラへ反映させる。


 要するにこの時のルンゲには、自分が負ける展開を予想するだけの〝疑う力〟が欠如していたのだ。


 その力を持たない者が、黒斗の立てた作戦を見破るには、どうあっても考える時間が必要になる。


 問題はその僅かに生じた〝思考〟という隙を突いて、黒斗が勝機をものにできるかどうかであったが、結果、彼は気付かれることなくルンゲの背後を奪い、そして〝無力化〟を完遂させた。


 このシナリオを、彼は先ほど岩陰で身を潜めていた、あの超短時間で描ききったのだ。


 最早、この決闘を見ていた誰もが認めざるを得なかった。

 石杖黒斗は紛れもなく、勇者なのだということを。

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