3話 - Ⅲ

「……うっ……ここ、は……?」


 痛い。体中が痛い。

 あのジジイめ、〝ズキっ〟どころじゃ済まされない、激痛を伴う悪業だったじゃないか。


「ようやくお目覚めかな?」


 諸悪の根源の顔が、薄目から垣間見える。


「こ、の……詐欺師め……!」

「失敬な。ワシは魔導師じゃぞ」


 そう言って、爺さんは視界から消えた。

 何やら陶器が重なる音と、液体を啜る音が聞こえる。


(あの野郎……優雅に茶なんて楽しみやがって……!)


 かろうじて動く首と目を使って、自分の居場所を確認する。

 どうやら、エルゲドの工房からは出ているみたいだ。

 ここは先ほど通った彼の書斎だと思う。


 ソファの上で横になっているオレの真上には、異常な高さを持つ本棚が、異様な威圧感を放っている。


 窓から差し込む光は、容赦なく顔面に直撃しているのに、それに抵抗できないほど、肉体の自由が利かない有様。仕方がないので、瞼を細める。


(気絶、してたのか?)


 作業中の記憶がほとんどない。

 最初にえげつない痛みが襲ってきて、全身が沸騰するような感覚に陥った。

 そういえばあの感覚は、祖父の墓に行った時に感じた鼓動と似ている気もする。


「クロト殿。意識が戻ったということは、魔脈が落ち着いてきたということじゃ。――ふむ。もう大丈夫かもしれんな」


 そう声がすると、椅子の脚が床に擦れる音が響いた。

 足音が近づいてくるので、エルゲドがこちらに来るのが分かった。


「じ、じい……今、度は、いったい……」


「これこれ。無理に動こうとするでない。本来ゆっくり時間をかけて活性化させる魔脈を、力づくで覚醒させた上に、魔術も強引に覚えさせたのじゃ。――どれどれ」


 エルゲドの手が、腹部に触れたのが分かった。と同時に、オレは自分の目を疑った。


 薄緑色がかった霧のような、靄のような。しかしそうではない。

 もっと、異質な〝何か〟が、老師の身体から滲み出ている。


「ワシの魔力が視えるようなら、第一段階は成功じゃ」


 今まで視界に存在しなかったものが、嘘みたいにハッキリと眼に映る。

 魔力と言われるそれは、一気に膨れ上がった。

 エルゲドの手に集約されていく力が、次第にオレの体に流れてくる。


 細胞が疼きだすなんて比喩表現、今まで使ったことがないが、多分そんな感じで間違いない。


 活力が巡る。それに呼応して、身体の自由も復活していく。


「お、おお!なんだこれ!」

「治癒魔術を使わせてもらった。これで動けるようになったじゃろ」


 身体を支配していた痛みからは、嘘みたいに解き放たれている。

 すんなりソファから起き上がり、オレは軽くストレッチをした。

 アキレス腱を伸ばしながら、爺さんに言う。


「なんだよ。そんな便利な術があるなら、最初から使ってくれりゃ良かったのに」

「魔術だって万能ではない。世の理に沿う以上、それ相応の危険も伴う。まあ簡単に言うなら、お主が目覚めてからの方が、より安全だったということじゃ」


「なるほど。まあ、礼は言っとくよ。おかげで動けるようになった」


 体調は良好。いや、それを上回る快調だった。

 未知の体感である魔脈の流れが、オレのテンションをさらに盛り上げる。

 力が漲るとは、正にこのこと。


「さて、クロト殿。これでお主にも魔力が扱えるようになったわけで――むっ!?」


「え?あ、ごめん。よく聞いてなかった。とりあえず、魔力ってのはこう使えばいいんだろ?」


 ぶわっ。と音を立て、勢いよくオレの体から放たれたのは、全身を覆い尽くさんとする、漆黒のオーラ。


 ところどころ、赤紫の線が垣間見えるので、真っ黒というわけではない。

 とりあえず、自分の属性が闇だと言われたが、これを見れば実感せざるを得ない。


「なんとまあ……。まだ何も教えておらんのに、もう魔力を体外放出させるとは……。クロト殿の〝魔操力〟は見事なもんじゃ」


「なんだその、まそうりょく、って?」


「読んで字のごとく、魔力を操る力じゃ。安定した魔技の発動には、必要不可欠な能力じゃな」


「ほうほう。――で、これをこうすれば」


 ふわっ。と煙が拡散して消えていくように、全身を覆っていた魔力は解かれた。


 魔力をだだ漏らしにしている状態を長いこと続けていたら、おそらく肉体への影響もよろしくない。


 そして、その一部始終を見ていた老師は、あっけらかんに捕らわれたまま、しばし呆然としていた。


「魔操速度にも恐れ入ったわい。こりゃあ、教え甲斐がないのう」

「まあまあ、そう言うなよ。魔術のやり方ってのは、まだ教えてもらってないぜ?」

「ああ、まあ、確かに。それもそうじゃが……。なんていうか、張り合いがないわい」


 エルゲドは、残念そうにヒゲを触っている。

 かくいうオレは、自分の魔力を指に集めて、鳥や魚の形に変化させて遊んでいる。

 それを見たエルゲドは、より虚しい表情を取った。


「……もうよい。十分じゃ。魔操技術に関して、ワシから言うことは特にない。それよりも魔術の方じゃ。よいか、ワシがお主に覚えさせた魔術は――」


 直後、何事かと思うような爆音ともに、部屋の扉が乱暴に開かれた。

 その驚きによって、魔力の指遊びは中断された。


「老師ぃ!!!」


 声がした方向に顔を向ける。部屋の入り口付近で、仁王立ちしている男が一人。

 その屈強なさまは、遠目からでも十分に伺い知ることができる。


(あいつは確か、オレを召喚した魔導士の一人だ)


 彼の名は、ルンゲ・ボルコフ。


 何となく、ドイツ人とロシア人が混じったような名前だと、オレは勝手に思っている。


 ローブ姿から、甲冑姿に変更しているものの、あの巨漢とオールバックに仕立てられたブロンドヘアを、見間違うことなどあるまい。


 彼は怒り肩を仰々しく見せびらかしながら、こちらに迫ってくる。

 オレの目の前で立ち止まり、威圧的な態度を惜しむことなく披露している。


「老師!先ほどメディから聞きましたぞ!こやつ、勇者のくせに〝闇〟を内包していると言うではありませぬか!」


「大げさなことを言うでない。とにかく落ち着かんか」

「これが落ち着いていられる話ですか!」


 やれやれ。何を言っても聞く耳を持たんのう。――と、爺さんの顔が訴えていたが、それでも一応、爺さんは諦めずに説得を試みるつもりらしい。


「得意属性が闇というだけの話じゃ。勇者は常に〝光属性〟の使い手などと決めつけるのは、偏見じゃぞ?」


「古来より、光以外の属性を持った勇者がいたことは存じております。ですが!闇というのは寝耳に水です!こやつは信用できませぬ!」


「はあ……。我々が召喚したというのに……。主はそれを根本から覆すと申すか?」

「なっ!?い、いえ。そういうわけでは……」

「やれやれ、困ったもんじゃ。で、お主はここに何の用があって来たのじゃ?」


 エルゲドの言葉に、一瞬たじろいだルンゲ。

 しかし、すぐに調子を取り戻し、再び意気揚々と胸を張る。


「決闘です!!」


 部屋が、静まり返った。


「……は?」


 オレはとうとう、声を発してしまった。

 奴は今、決闘という単語を口にした。まさか爺さんと戦うわけはない。

 となれば――


「このエセ勇者との、一体一の決闘を所望します。彼が真に〝勇者〟であるのかどうか、それで見極めが付くというもの」


「ほほう。そういうことじゃったら」


 オレは少し、嫌な予感がしていた。

 この肌にまとわりつく、妙な寒気は、往々にして悪い出来事の兆候なのだ。

 その証拠に、先程まで心底げんなりしていたジジイの顔には、悪戯な笑みが浮き出ており、意気消沈していたはずの瞳は、悪意の輝きで満ちている。


 ジジイと目が合う。


 つい昨日知り合ったばかりの人間だ。アイコンタクトができるほど、親交が深いわけでもない。それでも、この目の前にいる仙人ヒゲを生やした人物の思考は、容易に想像できてしまった。


「ふむ。いいじゃろう。時刻は今日の正午。場所は『実戦演習場』でどうじゃ?」

「有り難きご配慮。痛み入ります」


 ルンゲは一礼を終えると、苦々しい顔でオレを睨みつけ、捨て台詞を吐いた。


「覚悟しておくことだ。貴様が闇を持つ者である以上、容赦はしない」


 返事をする暇もなく巨躯は踵を返し、そしていかり肩でドカドカと歩いて、わざとらしく鎧の音を軋ませながら、ルンゲは部屋を去っていった。


「おい、ジジイ。ぶっつけ本番で、オレに魔術を使わせる気だな」

「うむ。魔術の鍛錬には実戦がもってこいじゃ!」


 白い歯を剥き出しにして、エルゲドは笑った。


 決闘、もとい魔導『師』のスパルタ教育開始まで、残り三時間を切っていた――

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