3話 - Ⅱ

 朝食後、現在オレはエルゲドの部屋の扉の前にいた。


 輪っかの形をしている真鍮製の取ってを二回打ち付け、荘厳ただようドアに入室の許可を求める。


「エルゲドの爺さん、入っても――」


 いいのか。と続けようとしたが、両開きの扉がいきなり開いた。

 一人でに扉が動くというのは、オレのいた世界じゃ怪奇現象である。

 この世界で生きていく以上、これまで培ってきた常識なんて通用しない。

 未知に遭遇する度に〝当たり前〟を更新し、整理整頓せねばなるまい。


「先が思いやられるぜ」


 とりあえず、ジジイの部屋にお邪魔するとしよう。

 いや、部屋というより図書館といった方が適切かもしれない。

 明らかに人間の手が届かない高さを誇る本棚。

 それもどうせ【魔術】を使って、いとも容易く本を取り出すのだろう。


 ちなみに、オレはこの世界の文字も読めるようにもなっている。


 昨日のうちに、記憶石という不思議な石を使って、【使用頻度が最も高い文字】の知識を得たのだ。


 読み書きもバッチリ。

 コミュニケーションをするだけなら、何の問題もない。


「この本って」


 目線と同じ高さにあった本のタイトルには、マキアルガの大戦と記されている。

 何となく本を開き、パラパラとページをめくる。


「これ、人の私物に勝手に触れるでない」

「!?」


 背後から気配なく接近していたらしい。

 見ればそこには、爺さんがいる。


「ほっほっほ。冗談じゃ。興味があるなら、いつ見てくれても構わんよ」

「驚かすなよ。で、魔術を教えてくれるとか言ってたけど」

「うむ。こちらへ来るがよい」


 エルゲドに案内され、部屋の奥に。突き当たりまで行くと、ドアが一つあって、まるで『スタッフオンリー』といった雰囲気を発している。


「この部屋はワシ専用の工房じゃ」


 先に入ったエルゲドの後に、オレも続く。

 一気に空気が変わる。というか、異質なものへと変化した。


 図書館のような明るい雰囲気から一変。石壁で覆われたその部屋は、蝋燭の仄かな灯りによって、怪しい雰囲気を醸し出している。壁際にある陳列棚には、いくつもの壜が並べられており、生物の体の一部と思しき物体が、ホルマリン漬けのように保存されていた。


 なんというか、この部屋は小学生に見せたくない。

 理屈云々関係なしに、生理的にそう思ってしまう。


「ではクロト殿。その床に描かれている円の中央で、少し待っといてくれ」


 見ればそこには、魔法陣らしき模様がある。

 言われた通りに動き、大人しく待機しておく。


 一方エルゲドはというと、ゴソゴソと机を漁りながら、何かを探しているようだった。


「おい爺さん。いくつか質問していいか?」

「ん?なんじゃ、申してみよ」


「あんたらは自分らを『魔導士』と名乗り、『魔術』を使っている。でもクォンティリアムは、魔力を扱う人間は『魔操者』で、そいつらが使う技は『魔技』だと言っていた。一体何が違うんだ?」


 そういえば、まだ詳しく話しとらんかったな。

 なんて間抜けな声を出しながら、老師は探し物に夢中になっている。


「ジジイ……人の話を……」

「聞いておる。安心せい」


 絶対聞こえていないと思った小声を、齢い60を超えているはずの爺さんは、確と聞き取っていた。


 下手に陰口を叩いてはいけない爺さんだと、オレは痛感した。

 気を取り直して、エルゲドの説明に耳を傾ける。


「戦前から戦中にかけては〝魔力を操れる人間を魔操者〟〝魔力を用いた技を魔技〟と定義付けしておったが、戦争終結後、我々の定義をより細かく分類する必要が生じてのう。現代の魔技は二種類に分けられておるんじゃ――」


【魔術】『この世の理の範疇で行える魔技』

【魔法】『世の理を魔力で塗り替えてしまう魔技』


「――と、なっておる。分かりやすい例を挙げるとすれば、魔術で火を起こす場合は、酸素がなければ発火できん。が、魔法はそんなのお構いなし。ということじゃ」


「なるほど」


 魔術という現象だけでも、充分すぎるほど理から逸脱していたと思っていたが、魔法はさらにその上をいくという。


 いや、上というより、別の理を新たに創るのが魔法ということか。


「しかし、最近は魔技なんて言葉は流行らんのう。年寄り扱いされるわい」


 それに関しては、『もう年寄りじゃないか』と言いたかったが、敢えてノーコメントを貫いた。


 というか、お目当ての物はまだ見つからないのか……。


 相手の顔は、依然として物影に埋まったままで、その表情を窺うことができない。

 仕方がないので、とりあえず会話を続ける。


「その流れだと、魔操者も似たようなもんか」


「然り。魔操者という枠の中に、魔導士と魔術士がおる。魔術士はその名の通り、魔術しか扱えん。魔導士は――まあ、もう分かるじゃろ」


「魔術も魔法も扱えるのが、魔導士ってわけだな」


「そういうことじゃ。ちなみに、師匠の『師』という文字がついておる魔導師と魔術師もおってな。魔技に関する知識や技術を、学問として公に提供できる人間には、その泊がつく。一応、ワシも魔導師じゃ」


 いわゆる、教員免許みたいなもんだろう。

 それにしても、いささか時間が掛かりすぎである。

 いい加減、待ちぼうけにも疲れてきた。


「おお、あったぞ!」


 何やら赤黒い小石を掲げ、エルゲドはようやくオレの正面にやってきた。

 ドヤ顔をしているが、そんな態度されても正直困る。


「今からすることは二つある。まずは、お主の【魔脈】を活性化させ、本人の意思で魔力を操作できるようにする。そして次に、この記憶石を使って簡易魔術を習得させる。以上じゃ」


 文脈からして、魔力回路みたいなものを、この世界では魔脈と呼ぶのだろう。

 いやしかし、そんなことよりも――


「以上じゃ。って、おい! 聞いてる感じだと、なんだか無理矢理なことオレにしようとしてないか!?」


「ふむ。確かに荒行事であることは認める。が、さすが勇者といったところか。お主には持って生まれた素質がある」


 爺さんは、一人でうんうん頷き、準備に取り掛かっている。

 そしてオレは今頃になって、足が床から剥がれなくなっていることに気付いた。


「なっ!? 謀ったな!ジジイ!」


「ん?ああそれか。仕方がないじゃろ。作業に支障が出ないようにするための仕様じゃ。ちっとは我慢せい」


 どれだけ動いても無駄。


 そればかりか、なんだか全身に麻酔でもかけられているかのような、神経が鈍くなる感覚に襲われていた。


「まあまあ。そう不安そうな顔をするでない。少し〝ズキっ〟と痛む程度じゃろう」


「なんだその、注射をする前に〝チクっ〟と痛みますからねー。みたいな言い草は!」


「では、始めるぞ」


 ジジイが怪しい言葉を唱えると、円の模様に光が宿る。

 輝きはどんどん増していき、オレの意識は――


(な!?……っくぁっ!!……こ、の〝ペテン師〟が!……)

「がっ!うぐぁあああああ!!!」


 ――真っ暗闇に落っこちた。

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