第2話 地獄のクッキング
ある晴れた日。夏の日差しが照りつけ、アスファルトから燃えるような熱波が伝わってくる。
西園寺家では、そんな暑さに負けないくらいの情熱を、密かに燃やす者がいた。
「うーん、どうしよっかな〜」
リビングにて、長女のいちかが料理本を読んでいた。和食や洋風、中華など、様々なジャンルのレシピが載っている。
「これ美味しそー!でもなぁ…あ、これもいいけどなー」
パラパラとページをめくっては、悩んだ挙句諦め、また次のページへ…を繰り返している。とそのとき、
「イチ姉ー、何してるの?」
スマホ片手に次女のれいがやってきた。
「ん?ああ。今日な、私が夕飯作ったろっかなーって思って。いろんなレシピ見てるんだけど…」
「…………え?」
「何がいいと思う?今めっちゃ迷ってて…」
れいは絶句して固まった。だんだんと顔が青ざめていっているように見える。
「…イチ姉が夕飯作るってこと?」
「そうだよ?」
「いや、私が作るから大丈夫だよ…!!」
「れいはいっつもみんなの分作ってくれてるから、私からの感謝ってことで!」
いちかは手を合わせてウインクしたが、れいの顔には焦りと困惑の表情が浮かんでいる。
「いやいや、別にそこまでしなくても…ほら、夕飯ってかなりの量作らなあかんで?」
「気合いで乗り切る」
「ほなみと私でやるから大丈夫…」
「たまには休息も必要だと思いまーす」
れいがいくら否定しようとやる気のようだ。それでも妹は交渉を続ける。
「イチ姉いつも忙しいでしょ?」
「今日はマジで暇。提出するレポートも終わったし」
「やめたほうがいいと思うけどなあ……」
「なーんで?!私に料理する権利ないってこと?!!」
「いや、そうじゃないけど…」
「私もたまには料理したいの!ね?お願い!」
「…………」
れいの完全に気が抜けてしまった。これはもう無理だ、と言わんばかりにうなだれている。
「…せめてご飯と味噌汁、あと野菜炒めは作らせて」
「あーうん。じゃあそれは任せた」
再びレシピ本を漁り始めたいちか。それを見てれいはため息をついて、仕方なくリビングをあとにした。
「ええええええええ??!!!」
驚きの声を上げた口を、即座にれいが塞いだ。本人も慌てて口元に手をやる。
あおい「マジか、イチ姉が夕飯を…」
ゆうと「終わったな」
まな「ねーなんで止めんかったん?」
れい「いや私も必死で言ったんやで?」
いちかが夕飯を作る、と全員に伝えられ、れいの部屋で緊急のきょうだい会議が始まった。
ほなみ「私らが手伝うってこと?」
れい「いや、自力でやりたいって」
かずさ「ますますヤバいな…」
長女の料理ごときで、なぜこんなにも大騒ぎなのかというと…
ゆずき「いっちゃんの料理、めっちゃ不味いからな…」
そう。いちかは究極の料理音痴なのである。彼女がキッチンに立つと、どうしたらそうなった…と突っ込みたくなるくらい、悲惨なモノが出来上がるのだ。さらに恐ろしいことに、本人は全くそれを自覚していない。
かずさ「前に作ってたコーンスープ、確か緑色になってたな…」
さくら「パンケーキも真っ黒だった…」
あおい「しかもイチ姉は美味しいって言ってめっちゃ食べとったし…」
ゆうと「ホンマ味覚どうなっとるんやろな…?」
それは誰にも分からない、都市伝説のような永遠の謎である。
れい「とにかく、みんなでイチ姉をなんとか引き留めないと!」
ほなみ「どうやって?お姉ちゃん、意思は固そうだけど…」
れい「なんでもいいから…勉強教えてーとか、あれ手伝ってーとか。とにかく時間を稼いだ方がいい」
ゆずき「じゃあうち一緒に遊んでって言ってくる!」
まな「まなも行く!」
ゆずきとまなが部屋を飛び出した。トランプやボール、ゲーム機などを大量にかき集めて持っていった。
かずさ「倉庫の片付け手伝ってくれって言おうかな…」
ゆうと「俺も部屋の片付け手伝ってもらおー」
ほなみ「じゃあ私は数学教えてって言う!」
口々にアイデアを出していたその時、ゆずきが部屋に駆け戻ってきた。
ゆずき「なあなあ、いっちゃんがおらへんのやけど?!」
「「「「ええええええええ?!!」」」」
一方その頃。買い物リストを片手に、いちかはスーパーに出かけていた。ずらりと書かれた品物を一つずつ探していく。
「んーと、肉はこれでいっか。あとはキャベツとニンジンと…あれ?ニンジンって使うっけ?」
もう買い物の時点で怪しい。使う材料くらいは分かりそうなものだが、この料理音痴にはそれすら分からないようだ。
そして、無事に?買い物からいちかが帰って来た。
「ただいまー!よし、早速作るぞ…」
と言いかけたそのとき。
「あ、姉ちゃんちょうどいいとこに!ちょっと倉庫の片付け手伝ってほしいんやけど…」
かずさがやってきていちかに頼んだ。
「ん?倉庫?いいよー!ちょっと待ってて」
料理を始めるから断られる、という予想に反したまさかの快諾で呆気にとられるかずさだったが、すぐに「ありがとう」と言って倉庫に向かった。
いちかはかずさと共に倉庫を片付けた。普段倉庫の掃除はあまりしないので、相当モノが溜まっていた。いちかは鼻歌交じりに物を運び出していく。それを見ていたかずさは何気ないフリをして”あの件”について聞いた。
「姉ちゃん、今日の夕飯作るって聞いたけど…」
「ああうん。よく知ってるね」
「ま、まあ…何を作るつもりなん?」
「うーん…ヒミツ!」
「え?」
「せっかくだから内緒にした方がドキドキするでしょ?滅多に作らない私の料理だから」
(料理作るって時点ですでにドキドキするんだが…)
「あ、じゃあヒント!今日は中華料理を作るつもり!」
「中華?姉ちゃん作れるのか…?」
「んー、まあレシピ見ながらだし、なんとかなるでしょ」
(いやいやいやいや!なるわけないだろ!)
「まあまあ、楽しみにしていたまえ〜♪」
なぜか楽観的ないちかに、かずさはため息をつくしかなかった。今晩訪れる悪夢を恐れながら、片付けを再開した。
そして倉庫の片付けが一通り終わった。
「ふえー、疲れた!じゃああとはよろしくー」
「うん、ありがとう…」
いろんな意味で満身創痍なかずさを置いて、いちかは部屋に入っていった。
「んー、まだ時間的には余裕あるなー。何しよう?○mong usでもしようかな…」
その時、ドタドタと足音を立てて誰かが部屋に入ってきた。
「おねーちゃん!!一緒に遊んで!」
「いっちゃーーん!!これやろー!!」
現れたのはゆずきとまなだ。その片手には、いちかの大好きなボードゲームが握られている。
「おー!やったー!やろやろ!」
もちろん姉は大喜び。早速ボードを広げ、3人で遊び始めた。
「よっしゃー!!上がりー♪」
「あーまた負けた…」
「お姉ちゃん強すぎ…」
ゲーム開始から約2時間経過。すでに5週はしているが、圧倒的な強さでいちかが全勝している。とその時、
「…あっ!やばいもうこんな時間?!早く夕飯作らなきゃ!!」
いちかは慌てて立ち上がった。まずい、と妹2人は目を合わせ、いちかにしがみついた。
「えー!もっと遊んでよー!」
「ねえ、もう一回やろ?お願い!もう一回だけ!」
「いやいや、そう言われても…あ、ちょうどいいところに!」
そこへ大量のプリントを持ったゆうとが入ってきた。
「姉ちゃん、ちょっと俺の部屋の片付け手伝っt…」
「無理」
「いやそこをなんとか」
「拒否」
「今暇なんやろ?」
「No」
「めっちゃ散らかってるんよ」
「そんなの自分でなんとか…あ、そうそう。ついでに2人と遊んであげて!」
「え?」
「2人ともこのゲームで一緒に遊びたいんだって。ゆうとはこれ得意でしょ?」
「いや、俺今部屋の片付けしてるんやけd…」
「んじゃよろしく〜♪」
彼女は颯爽と部屋を出て行った。
「…俺遊ぶ必要ないよな?」
「「当たり前やろ!!」」
またも作戦は失敗した。
その後もきょうだいは、姉を止めるべく様々な手を打ったが、どれも効果はまるでなかった。好きなことには全力投球、いちかのスイッチはなかなか切れるものではないのだ。
まな「もう無理…」
ほなみ「早速作り始めたみたい…」
ゆずき「めっちゃ全力で止めたんやけど…」
れい「いや…みんな頑張ったよ」
かずさ「もう現実を受け入れるしかないのか…」
未だかつてないくらいに空気が重い。長女の料理でここまで暗くなることがあるだろうか。
ここで、重大な問題がもう一つ浮上した。
あおい「…なあ、あの料理誰が食べるん?」
恐ろしいことに、彼女は作った料理を必ず誰かに食べさせようとするのだ。本人曰く「頑張って作ったんだからそりゃ食べてほしいでしょ」とのこと。完全に利害は一致していない。
さくら「やっぱりゆう兄じゃない?」
ゆうと「はあ?!!絶対嫌や!!」
ゆうとは顔をしかめた。大抵の場合、満場一致で彼が担当にされている。
あおい「でも今日はまだマシかもしれんで?あの黒焦げパンケーキのときみたいに…」
れい「たしかにあれは当たりだった」
ゆうと「いや当たりとかないやろ!」
れい「いや、ものによっては焦げてるだけで済むから…」
まな「今日は何作っとるんやろ…?」
ゆずき「なんかスパイスの匂いはしたんやけど…」
かずさ「あ、そういや中華を作るとか言ってたな」
「「「中華?!!」」」
ゆうと「あー終わったな…」
すっかり黙り込んでしまった。きょうだい達は心の中で、悲惨な結末を覚悟した。
そして、ついに夕食の時間。(上機嫌な長女を除く)全員が重い足取りで集まってきた。テーブルには既にれいが作った野菜炒め、ご飯、味噌汁が並んでいた。
あおい「…何が出てくるんやろ」
ゆずき「さあね…ヤバいやつなのは間違いない」
こんなにも暗い食卓。なんとも残酷な空気である。それを切り裂くように、いちかの明るい声が響いた。
「みんなー!出来たよー!!」
半分スキップしながら大皿を運んできた。
「じゃじゃーん!今日のご飯は麻婆豆腐でーす!」
どん、と置かれた皿には……至って普通の麻婆豆腐が盛られていた。
まな「…え?これお姉ちゃんが作ったの??」
想像していたものと違い、至極美味しそうな麻婆豆腐が出てきたことに、まなが唖然としていた。
いちか「そりゃもちろん!途中まではレシピ見て作ったよ。味付けはちょっと足したりしたけどね」
かずさ(いやそこだろ問題は…)
ほなみ「でも見た目は美味しそうだね…」
いちか「でしょー?!今までで一番の出来かも!」
自分の料理を褒められて?姉は満面の笑みを浮かべている。
「じゃあ早速食べよー!いただきまーす!」
「「「いただきまーす…」」」
きょうだい達は一斉に野菜炒めに手を伸ばした。ほぼバーゲンセールのような取り合いになっている。一方、長女は自作の麻婆豆腐を山のように取り分ける。そしてそれを、スプーンいっぱいに掬って頬張った。
「んー!美味しい!」
またしても笑顔が浮かんでいる。嬉しそうでよかった、と全員が安堵していたその時、
「せっかくだからみんなも食べなよ」
途端に空気が地獄へと一変した。
「あー…うん、そうやな…」
完全に手が止まってしまったきょうだい。そこでさくらが口を開いた。
「ゆう兄がさっき麻婆豆腐好きって言ってたよ」
「はあーー?!!」
「そうなの?じゃあちょうどいいじゃん!」
「いやいやいや、もう俺お腹いっぱい…」
「嘘だね、普段もっと食べてるし。ほら、どーぞ」
問答無用でゆうとの小皿に盛り付けた。ここまでくるともう断れない。彼は末っ子悪魔への軽い恨みでヤケになり、ついに覚悟を決めた。
「しゃあないなあ………いただきます」
震える手でほんの少量を掬い…食べた。
しばらく沈黙が続く。全員がじっと勇者の顔を見つめる。
そして––––
「う、げ、、まz…美味い……」
明らかに顔を歪めて言った。テーブルの下でこっそりバツ印を作っている。やはり、味は最悪だったようだ。流石にいちかも気づいたのか、少し不満げに言った。
「えー、絶対美味しくないって思ってるでしょー。まあ確かにちょっと塩とカレー粉入れすぎてしょっぱいかもだけど…」
カレー粉、というワードが出てきた瞬間、全員がダメだこりゃ、と落胆した。普通、麻婆豆腐にカレー粉が入っている訳がない。見た目で美味しそうと錯覚した私たちが間違っていたようだ。
悶えるゆうとを横目に、れいが恐る恐る聞いてみた。
れい「イチ姉、ちなみに調味料何入れたん…?」
いちか「ん?えーっとね、塩、コチュジャン、カレー粉、七味、タバスコ、蜂蜜、お酢、チョコ、デスソース…」
ゆずき「デスソース?!」
いちか「うん。だって辛いものって言ったらデスソースでしょ?あ、でもほんのちょっとしか入れてない」
ゆうと「だからこんなに辛いんか…ゴホゴホ」
いちか「あと鶏ガラ、ブラックペッパー、オリゴ糖も入れたかな」
あおい「それで…イチ姉は食べれるん?」
いちか「うん。なんか味の化学反応?起こってて美味しくない?」
あおい(明らかに悪い意味で起きてるやろ)
いちか「しょうがない、残り食べちゃっていい?」
「「「どうぞどうぞ!!」」」
この一連の事件で、西園寺きょうだいは改めていちかの食兵器、そして異常な味覚の恐ろしさを思い知った。そして翌日、想定通りゆうとは体調不良になったのであった。
「今度は何作ろっかな〜♪」
(((もうやめてー!!)))
(END)
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