ケイ-1

 July/25th/2024 Northern Arizona First Nations Area 20:38


 落ちてきそうな星空、ってこのことなのかな。

 雲一つない荒野の夜空は、いつか見たプラネタリウムを遥かに超える雄大さで、見上げた御幡ケイを圧倒した。水没した廃ビルも電線もない暗黒を、満天の星々が彩っている。ある時〈湖の貴婦人レイディ・オブ・ザ・レイク〉ウルスラは言っていた。「星々はボクらの星辰装甲の、そして〈古く忘れられた統治者オールド・フォーゴトン・ルーラーズ〉たちの力の源なんだ」と。どういう原理なのかと訊ねると「ケイに星辰工学から話してたら、きっと10年くらいかかるから要点だけ。星辰装甲では、絶えず流れ続ける天の河に発動機を突っ込んで、その流れの力を動力や装甲造成に変換して使ってる。そのくらいの理解で充分さ」

 理解に10年かかると言われたのは、果たして誰でもそうなのか、僕の頭が悪いと言いたいのか。ケイはちょっと複雑な気分になった。単にウルスラが説明を面倒くさがってるだけという線も捨てきれない。それにしても。何はなくとも。

「よく助かったよなあ僕ら」ケイは星空を見つめたまま、しみじみと呟いた。「あの高度から落ちて」

 腕時計を確かめると、時刻はUSAの標準時で現在20時38分。ほんの12時間ほど前は、セイレムの魔女の飛箒艇に乗って、ブリタニアへと向かう空の旅の途上にいたのだ。なのに、今は

「おーい御幡君」

 掛け声の主を、ケイは星辰装甲〈夜明けの風ドーンウィンド〉の肩の上から見下ろした。海浜警備隊の制服を着た人物が、携帯ランタンの明かりを背景に、長い影を伸ばしている。海浜警備隊第三管区第三防衛隊、医官の真科田ヨウスケ先生だ。

「お湯が沸いたよ。そろそろ夕食にしよう」

「はい」

 ケイは〈夜明けの風〉の腕から脚部を器用に伝って、アリゾナの大地を踏みしめた。焚火の傍に寄って、真科田医官の差し出したカップと携帯食プロテインバーを受け取る。ココアの温かさと甘さが、疲労と空腹にしみた。日中の暑さも、陽の落ちた今はいくらかマシになっている。ランタンと焚火を頼りに周囲を見渡せば、低木と岩がまばらにあるだけの乾燥した大地が、四方に何処までも続いている。人影はおろか道路も標識も全く見当たらない。視界に人工物は皆無だ。

 果たしてここは何処なのか。現在位置を特定するため、真科田医官は携帯食を齧りながら、コンパスを手に地図と格闘している。

「すみません、先生」任せっきりなのが少し心苦しく、ケイは言った。「僕ももっと勉強しておけば……」

「なあに気にしないでくれ。私も医官とはいえ、海浜警備隊の一員だよ。野外活動の教育も」真科田医官は軽く己が胸を叩いて言ったものの「……受けては、いる」

 言葉が少し尻すぼみになってしまうのは、まあ得意ではないということなのだろう。

 異国の夜空の下で片膝をつく星辰装甲〈夜明けの風〉を見上げながら、ケイは自分なりに現在の状況を整理してみた。飛箒艇から落ちた僕と真科田先生の二人は、北米大陸アリゾナ州の何処かにいる。〈夜明けの風〉に積んでいた非常用キットのお蔭で、数日は生きていける。〈夜明けの風〉さえ完調なら、現在位置を特定してウルスラたちと合流すべく、最寄りの都市を目指せる。けれど、それは叶わない。今いるこの土地、アリゾナ州に相当する領域は……



「この辺りは特に、エーテルリンクを介した通信が恐ろしく不安定になるんだ」やれやれだよ、とでも言うようにウルスラは両手を上げると、艇内ダイニングの椅子の背もたれに寄りかかった。「歴史を鑑みれば理解できなくはないけれど。地霊ゲニウス・ロキとはいえ今の時勢を考えてほしいものだね」

 〈セイレムの魔女による航空輸送株式会社Salem Witch Air Sirvice〉の飛箒艇〈不死鳥の接吻フェネクス・キス〉号から落ちる直前。ケイはウルスラと、そんな話をしていたことを思い出す。

 トウキョウ圏"い区"一般高等学校が夏休みに入った七月も終わりの頃、ケイはブリタニアの〈神秘の種族ミスティックレイス〉ウルスラに誘われて、ブリタニア連合王国への旅の途上にいた。南太平洋の海底に眠る特定神話生物C類最上位起源体、通称〈大いなるクトゥルー〉への対策を、各国の専門家で議論すべく企画された会議、第一回世界防蝕会議シドノスに出席するために。今回ブリタニア首都ロンディニウムで開催が予定されるそれは、立案国のブリタニアの他に、ニホン、欧州連合EUアメリゴ合衆国USAバラタ藩王連合BRUの代表が集まる大きなものとなる。



 7月半ばの金曜日の夜、みはた食堂の厨房で。手渡された世界防蝕会議シドノスへの招待状を読んで、ケイはまず驚き、戸惑った。テレビや新聞の向こうの、別世界の出来事としか思えないことが我が身に降りかかり、これは現実なのかと思わず自分の頬を抓ってしまう。

「いいのかな? そんな重大な国際会議に、僕が行って」

「謙遜は美徳だけど、過ぎるのも考えものだよ。ケイ」食堂のカウンター席でロックグラスを傾けながら、ウルスラはどこか愉し気な視線をケイに送る。「神にも等しい存在をどうにかする。ボクらはそんな前人未踏のことをやろうとしてる。経験者なんか現存してないから、偉そうな高説垂れられるヤツなんか、世界の何処にもいやしない。恐らくこの事について、今、この世で一番現実的な話ができるのはキミ、我が騎士サー・ケイとボクだけだ。ウチの国でも他国でも、あれこれ対策を考えてる連中はいる。けどボクらには、下位とはいえクトゥルーに連なる存在を放逐した揺るぎない実績がある。キミの意見を無下にできる人間、〈神秘の種族ミスティック〉はいないさ」

 我が騎士はもっと自信を持つべきだと思うよ。そう結んで、ウルスラはグラスの氷をカラカラと回した。

 ケイが食堂に目を遣れば、奥の席でアルビオンのキース隊長とカレドヴール隊の面々、鉱工妖精ノッカーのクレイノンが大ジョッキで乾杯している。

 トウキョウ湾に出現したクトゥルーの〈落とし仔〉消失後、海浜警備隊との協力体制の構築云々でニホンに残っていたブリタニア勢は、ちょくちょくみはた食堂に食事に来た。まあウルスラがいるからなんだろう。見た目が幻想文学のドワーフなクレイノンは元より、エルフそのままのフィオナさんも来るので、父のコウなどは「うちの店、いつから冒険者の酒場になったんだろうな」なんて言いながらも、順調に上がる売り上げにホクホク顔だ。伊勢さんたち海浜警備隊第一小隊の人たちも週一くらいで来てくれる。医官の真科田先生も食事に来るようになったのは、ケイにはちょっと意外だったけれど。真科田先生はアフリカ系ニホン人で黒い肌の持ち主なので、みはた食堂のファンタジックな異国情緒感溢れる化に一役買っていた。

 人と〈神秘の種族〉が一緒になって、飲んで食べて騒いでいる。その様を眺めながら、ケイはあの日あの時、自身の胸の内に見出した意志を確かめる。クトゥルーの〈落とし仔〉を、不思議な言葉の持ち主の力を借りて握りつぶしたあの時、決めたのだ。今の世界を生きるものたちを弄ぶ、神々の戯れを終わらせる。そのためにできることはすべてやる、と。

 あれからおおよそ2ヶ月。新トウキョウ湾近海は静かになったものの、世界はいまだ界獣の――特定神話生物の脅威の只中にある。

「そもそも」ウルスラはグラスを置くと、時折見せるひどく大人びた表情でケイを見つめた。「何処かの誰かに、私たちのやることを勝手に決められるなんて、私たちらしくない。そうでしょう? 我が騎士、Sir Cai」

 湖の貴婦人の問いかけに、ケイは思う。与えられた役割を、示された道をゆくだけなんて、確かに僕たちらしくない。僕は今、君と成した選択の途上に在る。だから

そうだね。わがとうときひとYes, my lady.

 ケイの返事に、ウルスラは満足そうに頷きながら焼酎の瓶に手を伸ばした。

「これ以上は飲み過ぎ」先んじて、ケイはさっと瓶を取り上げる。「また仕事に障ってフィオナさんに怒られるよ」

「いいじゃん我が騎士。せっかくブリタニア行き決まったんだしさー、もう一杯だけ。ね!」

 ウルスラは酒に強い。とんでもなく強い。それはケイも知っている。でも同時にひどく酔っぱらう。酔っぱらうついでに、自身でも挙動を把握できない未知の装置を組み立ててしまうくらいに。

「だめ」

「ケチ」むーと眉根を寄せたウルスラは、代わりを要求した。「じゃあプリンとアイスティー。ほどよく冷えたやつ。翅翔妖精ピクシーたちの分も」

 まあそれなら、とケイは隣棟の冷蔵庫に向かった。

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