第36話 問題発生 《sideダイス》
ガツンとした顔の骨を伝った衝撃で、世界が揺れる。鼻っ柱がやや遅れて熱を持ち始めるのを感じる。目が切れかけている電灯みたいにチカチカする。
「なっ……てめえ! いったいなにしやがる! ロブ!」
分署地下の資料を取りに来たダイスは、背後からロブに襲われた。振り返り際の顔面が殴られたのだと遅れて理解する。
ロブ・ハーディングが顔を烈火の如く真っ赤にして、胸ぐらに掴みかかってくる。
「あなたは! なんでもかんでもひとりで抱え込んでればいいと思ってる! それは間違っている! 間違っているんだ!」
言い放ったロブがフットボールよろしくタックルを浴びせてくると、ふたり仲良くデスクを薙ぎ倒しながら倒れ込んだ。咄嗟に蹴りつけてロブを引き剥がす。
「……うっぐ! このっ! ああ、そうさ! 俺は自分さえ良けりゃいいんだよ! お前はウェイドに憧れてこの世界に入ったんだろう! 俺がどうしようが関係ないだろう!」
「関係ならあります! ひとりで……ひとりで捜査なんかするなよ! 僕はあなたの相棒じゃなかったのか! もっと……もっと僕を頼れよ!」
ダイスは立ち上がろうとするが、先程のパンチが思ったより効いている。脚に力が入らない。この草ばかり食ってる羊野郎のどこにこんな力があるのか、不思議でならない。口の中に広がる血の味を、冷たいコンクリート床に吐いた。口の中が切れたのだと分かる。
「僕は、ウェイドさんに憧れて刑事を目指したんじゃない……」
「なに?」
ロブがダイスの目を真っ直ぐと見つめてくる。手を上着のポケットに突っ込んでなにかを放った。パサリと音を立てて床を滑ってくる。ダイスは黄色い捜査資料らしきものに視線を下ろす。舌打ちひとつ。ダイスは上着からタバコを取り出して吸い始め、資料を手に取る。血の味でタバコが不味く感じる。
「……こりゃなんだ?」
「見てください」
ダイスは捜査資料を広げて目を走らせた。
〈二〇一四年、九月十四日〉
五年前、被害者、もしくは行方不明者。……これは“血染め花のマリー”関連か。まずは、ガイスト・ハーディング、それと、ブリジット・ハーディング……ハーディングだと? 心当たる人物にすぐに行きあたる。目の前にいる。
ピンと来たダイスが顔を上げると、ロブはひとつ頷き言った。
「五年前、僕は大学二年生でした。地元のここ、ジャクソン・ヴィルの警察から電話があり、実家の父と母が一週間前から行方不明だと言われました。僕はすぐに帰ると、玄関の前で待っていた刑事ふたりと中に入りました。そこにはおびただしい血の跡があって、呆然とする僕に刑事のひとりが言いました」
ロブはひとつため息を吐く。
「良かったな。血染め花のマリーが葬儀も何もかもやってくれたみたいだ。床板を替えて、壁紙も塗ればあら不思議、すぐに元通りだぞ、とね」
そこまで言われ、ダイスは聞き覚えのある言葉で当時の事を思い出した。
「心無い言葉、両親のあやふやな死に直面した僕は、茫然自失しました。その目の前で刑事のもうひとりが、そいつを殴り飛ばしました。……それが、あなただった。僕は、“あなた”に憧れて刑事になりました」
ダイスは唸り、殴られた怒りも何もかも飲み込んだ。代わりに得たものは疑問の答えだった。ロブが時おり見せる、“血染め花のマリー”への執着。すなわち復讐の炎。
「そうか、お前はあの時の……」
「ええ、あの時の小僧ですよ」
「あいつは……ウェイドは、その頃からおかしくなっていたんだ」
「え?」
「心の病。最愛の息子を病気で亡くしたんだ。それに、刑事なんてやってると鬱病になるんだ。いつ撃たれるか分からない緊張の毎日からな。実際、奴は非番の日に、バーでのただの喧嘩で刺されて死んだ。あれだけ優秀な、表彰されるような刑事でも。俺も、この事件が終われば退職するつもりでいる」
ロブが唾を飲み込む音がここまで聴こえた。
「どっちにしろ、次の事件を解決したら辞めるつもりだったんだ。それが、まさか“亡霊”を追うことになるとは思わなかったがな」
ダイスはタバコをもう一本取り出し、口にくわえると、ロブに一本差し出した。
ロブは断るように手をあげたが、そのままダイスは待った。
「必要になる。味を覚えても損にはならんさ。刑事には心の拠り所が必要になる。もっとも、局長みたいに“叫び声マシーン”でも使ってみる方がいいか?」
「それは――嫌ですね」
そう言って慣れない手つきで、異星の道具を見るように一本手に取った。火をつけ、吸い、当然のようにむせた。
「俺はな……、ロブ」
「ゲホッ……なんです?」
「――いや、なんでもない」
ロブが心の内を見せたことで、ダイスは自分の弱みも見せようとした。妻の死。その心の痛みをから幻を見ていること。それを振り払うための飲酒やタバコが、やめられないのだと言いそうになった。誰かに話したくはあるが、それはこいつじゃない。
ロブとはたしかに絆のようなものが積み上がってきているが、まだそこまで打ち明ける気にはならなかった。
***
丸い視界から、遠く離れた灰色の屋根、白い外壁に囲まれた家の様子を覗き見る。窓の奥を見ようと一番大きな窓枠に的を絞る。
ダイスはこのサンセット・プラザ通りにある、アルバラード家の様子を遠巻きに見ていた。クラウン・ヴィクトリアを少し離れた場所に停め、車内から双眼鏡を用いて注意深く見ている。件の“ルーク・アルバラード”がしょっちゅうニコラス・アルバラードの『ドラッグストア』へと足を運んでいる。
ニコラス・アルバラードは、『セント・ドミニク病院』から実家であるローズマリー・アベニューの家に連れていく所は確認している。どうやら体調がすこぶる悪いらしく、痩せ細り、死人のような顔色で、まるでゾンビのようにルークの肩を借りて家へと入っていった。その後出てきたのは、ルークだけ。
近いうちに棺の中へと納まり、葬儀が終わるとアルマ・アルバラードの隣へと埋められるであろう。それは死後も寄り添い合う夫婦の旅立ちを厳かに送り出すための儀式だ。
だが、そうはいかない。捕まえて罪を償わせる。今はその時ではないし、件のルーク・アルバラードが近頃、妙な動きを見せている。ニコラスはその後で引っ張ればいい。どうせ逃げられそうもない身体だ。
ルーク・アルバラードがローズマリー・アベニューに行くのは世話をするためなのではないか思うし、なんら不思議ではないが、なにかを紙袋に入れて持ち帰っている様子だけは、どうにもきな臭い。『ドラッグストア』はしばらく閉店していて、聴き取りをした従業員であるティム・プライスは、突然ルークが現われてクビを宣告されたと言う。ニコラスと話しはしていないから、不当解雇だと苦言を申し立てる検討をしているところだと言っていた。そちらではそれ以外には怪しい所は見つかっていない。
ロブ・ハーディングは助手席でなにやら緑色のどろどろとしたドリンクを自前の水筒から飲んでいる。欲しいとはこれっぽっちも思わない。
上着の中で携帯電話がブルブルと震えて着信を報せる。
「ジョンか、どうした?」
「ダイス……」
受話器の向こうのジョンはなにやら躊躇っているかのように言い淀んでいる。なにか言い知れぬ嫌な予感がダイスの背筋を通り抜ける。
「おいおい、ジョン、なにかあったのか?」
深いため息が聴こえ、ジョンの低い声が続いた。
「ダイス、落ち着いて聞いてくれ。ウェンディの事なんだ」
ダイスは急かしたくなる気持ちをぐっと堪えて待った。
「ウェンディは、小学校でいじめを受けているらしい、知っていたか? ……なあ、まだそこにいるか?」
ダイスはショックのあまり吸い込んだ息を吐くことなく青ざめている。携帯を持つ手が怒りとショックに震えているのが自身で分かる。
「それは……本当なのか? ジョン」
「こんな事で冗談言うやつはイカれてるんだろうな。残念だが本当だ。アリスが落ち込んでいるウェンディを元気づけようとしていたら打ち明けられたらしい。アリスは歳が近いからな。アリスはそれを聞いてからしばらく様子がおかしかった。妙に俺たちの顔色を伺ったりな。そしてついに抱えきれなくなってメアリに相談し、そして俺に相談してきた。なあ、犯人を追うのは立派だが、もっとほかに大切な事もある事は理解しておくんだ」
「分かった。少し……いや、ちゃんとウェンディと向き合って話してみる」
「それがいい。ウェンディは今、アリスの部屋の片隅で膝を抱えているそうだ」
「すぐ行くよ」
ダイスは電話を切り、眉間に皺を寄せたまま、ロブと目を合わせた。どう言い訳をしてこの場から抜け出そうかと思案するが、まがりなりにも“相棒”なのだ。素直に打ち明けることにした。
「……ロブ、急用ができた。すまないが、ここを頼めるか?」
「ええ、娘さんの事ですか?」
「ああ、そうだ。ちょっと……問題が起きてな」
「どうぞ行ってください。僕はここに潜んで、必ず尻尾を掴んでみせますよ」
ダイスはロブが車から降り、すぐ側の空き家らしき家の木陰に潜むのを見届けると、車の鼻先をジョン・スミスの家があるクレストン・レーンへと向けた。
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