第29話 ニコラス・アルバラード 《sideミシェル》

 ――十八年前の夏。


 ニコラス・アルバラード、四十九歳―――。


 子供は時に残酷な事をする。それは分かっているが、カマキリを捕まえてきて繁殖させ、嬉々として手ですり潰すのはどうか? モルモットを箱に閉じ込め、同様に繁殖させ、蹴り殺すのはどうか? ニコラスはその答えを持っていないし、間違っているのは分かっているが、矯正できるような気もしない。


 モルモットや虫たちの血と身体で、真っ白な画用紙に絵を描いている姿をよく見る。時には蝶々などを手製の罠で捕まえてきては羽根を毟りとり、押し花の要領で裏庭の木々に貼り付けてもいた。残った蝶の胴体もプラスチックのバケツの中ですり潰して絵の具にしていたし、モルモットに至ってはせがむから買ってやった。その用途がまさか血肉を粘土代わりに使うとは思っても見なかったのだ。その様はまるで中世の呪われた黒魔術を実践しているかのようだった。


 ニコラスはその日、アルマが止まらない咳と高熱を出したため、病院へ連れていった。インフルエンザだった。結局その日と二、三日は最低でも仕事を休むことになってしまった。


 不安だったが数少ない、ふたりしかいない従業員のうちの、ひとり、ティム・プライスに店を任せて見ることにした。もうひとりは、ご老体すぎて頭の方が怪しい。


 これは苦肉の策だ。本当に。


 ティムには窃盗の前科がある。マリファナを吸い、上機嫌で見知らぬ家屋に侵入し、その住人の目の前で車の鍵を盗もうとして捕まっている。なんともマヌケなこの男は、子供の頃は真面目でいい子だった。昔から近所に住んでいて、うちの芝刈りをたまに頼むぐらいの付き合いだった。刑務所からジャクソン・ヴィルに戻ってきてからは、どこも雇ってくれないとバーでボヤいている所を拾い上げた。知っている限りでは薬をちょろまかして自分で使ったり、人に売りつけたりはしていない。もしかしたら気付いてないだけかもしれないが、他に人材がいないのだ。背に腹は変えられない。


 アルマや店の事が心配で痛む胃に、コップに注いだ牛乳で薬を流し込む。もう一杯白濁色の液体を並々と注いでいると、どこかから猫の声が聴こえた気がした。


 アルマは二階で大汗をかきながら眠っているし、裏庭ではミシェルがお気に入りの人形を使っておままごとをしている最中だ。


 大方どこぞの猫が戯れで来て、ミシェルの元へ行き、猫なで声をあげて撫でて貰おうとするような場面を想像する。ニコラスは片手に牛乳の入ったコップを持ち、裏口を開けた。


 そこには、ピンクのサマードレスを身につけ、五歳になったミシェルが背中を向けて地面にしゃがみこんでいた。時々、肩越しに猫の尻尾が風に揺れる国旗のように見え隠れしている。猫を撫でているのだろう。モルモットの子供を潰す遊びを止めさせた時は、頬を膨らませ不満そうに怒っていたが、結果としてあれで良かったのだ。動物を、生き物を可愛がる事ができるなら……何かを愛する事ができるなら、年齢とともにこの子の精神がまともになってきている証拠なのだろうとニコラスは考えていた。そうなって欲しいと願ってさえいた。


 手のひらにひんやりとした牛乳を持ってミシェルに近づいていくと、心無しか髪の毛が黒くなっている気がした。太陽の光の加減のせいかもしれないが、思わず声をかけることを躊躇ったニコラスは遠巻きに正面へと回り込んだ。


 ミシェルは猫のちぎれた尻尾を握り、手足と尻尾を失った猫の腹の上で、血の滴る足を人形代わりにおままごとをしていた。既に猫は息絶えていた。そして、固唾を飲んで見ているニコラスに気付いた。


「父さん! 見て! これが父さんで、こっちの尻尾が母さんよ! それでね! それでね! これが子供たち!」


 日に焼けた幼い顔を見せて、悪魔の所業の中あどけなく笑った。前面だけ真っ赤に染まったピンクのサマードレスが、天からの光を浴びて、てらてらと赤い輝きを放っていた。


 ニコラスの手から滑り落ちた白い液体が、血溜まりに混じって溶け込んでいく。


 もうひとりのエルザは正常ではない。そう、異常だった。それでも愛している娘には違いない。


 ニコラスはエルザを抱きしめた。どうすればいいか分からなかった。ただ、恐怖に引きつっている顔を見せたくなかった。愛しているが、怖かった。



 ***



 ――現在。


「それぐらいの頃からなんだ。日中お前が起きている時はミシェルが生活をし、お前が眠っている時はエルザが表面化するようになった。初めの頃は大喜びしていたアルマと一緒に、寝ずにお前たちと代わる代わる遊んでやっていたよ。まさに代わる代わるな」


 ニコラスは弱々しく笑った。咳を三回して、もう一度呼吸器の世話になってから言った。


「もう……分かっただろう? エルザは、お前の“妹”は、お前の中にいる。わたしたちはふたりとも愛しているんだ。どちらかなんて選べない。お前たちのためなら、どんな事でも出来た。……実際どんな事でもやったさ」


 ニコラスは苦虫を噛み潰したような顔をした。どこか深い後悔の念を飲み込んだように見える。


「わたしたちは毎日交代で眠り、世話をした。エルザは身体能力、中でも握力が異常に強くなっていった。そう、五歳の女の子が素手で猫の手足を引きちぎるぐらいにな。鍵のかかったドアノブなど、エルザが握っただけで潰れていたよ。そして、エルザが残酷な事が好きなんだと認めるのに時間がかかった。そりゃそうだ。誰が我が子の異常性を認めたがる?」


 ミシェルがルークの方を恐る恐る見上げる。ルークはどこか怒っているような鋭い目でニコラスを見つめていて、ニコラス自身はミシェルたちに目もくれず続けた。


「エルザは少しづつ異常な行動をとるようになり、夜中に逃げ出すようになっていった。興味があることには貪欲なんだ、あの子は。それでも、運がいい時、機嫌がいい時はすぐ近くをウロウロしているだけだが、ある時から、森の狩人のように動物を捕まえては引きちぎった身体の部品で工作をするようになっていった。普通の子が使うのは紙切れや壊れたおもちゃの部品、それに人形などだが、あの子はで工作をするのが好きなんだ」


 ミシェルは口元に手を当てて、震える唇を覆った。引きつったその目には大粒の涙が浮かんでいて、すでに出来ている頬の川へと流れこんだ。


「それならば……と、初めの頃は、捨て犬や捨て猫を“道具”として与えていたが、そのうち、犬、猫でも満足しなくなったのか……」


 娘に残酷な事実を伝え、傷つけているニコラスは言葉を切り、その場から逃げたい衝動に胸を圧迫される。込み上げるものを飲み込み、代わりに窓の外に目線を逃がしてやった。その肩は小刻みに震えている。


 壁に背をつけているルークが後を引き取り、事情を知っているかのように躊躇いがちに言った。


「ある……“事件”が起きたんだ。君も知っている話しだ。“血染め花のマリー事件”。彼女は夜中に逃げだした先で“人間”を……殺していたんだ」


 ミシェルは目を大きく剥き出し、ルークを見つめた。胃がひっくり返ったかと思えるほどの胃酸がミシェルの喉元をせり上がっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る