第28話 バニシング・ツイン 《sideミシェル》
ミシェルはルークが運転する車の隣に座っていた。滑っていく景色の中にマグノリアの木が見える。病院への道すがら見えるこの木を、若木の頃からミシェルは知っている。初めは二メートルほどしか無かった木も、今では四メートル程の大きさに成長し、競うように枝を伸ばしている。花が咲くのは夏じゅうで、大ぶりないちごのようなつぼみがたくさん生えてくる。その様子が可愛らしいのだが、十一月なか頃の今は見れない。この木の成長は、すれ違うたびに過ぎ去っていく年月を鑑みれば相当なものだ。
家に閉じ込められていて、ルークからなんとか逃げおおせようとしていたのは過去の事で、今は共にいる。
あの後――ルークに捕まったミシェルは身動きも出来ないまま、ルークの言葉を聞いていた。どうやって逃げるかを考えていたが、ルークが本当に震えていることに気がついたミシェルは力を抜き、誤解だったのだろうかと頭を巡らせる。また、頭がおかしくなり、よくない考えに囚われていたのだろうかと自身に問いかけ続けていた。そのときルークのポケットの携帯電話が、とつぜん着信を知らせた。ルークは電話に出ると、ミシェルを離した。ミシェルは最後の鍵を探り当てていて、逃げることもできたが、電話越しで神妙な面持ちのルークの雰囲気に戸惑い、待った。
携帯電話の相手が知らせたのは急報、父ニコラスの危篤。
それからふたりしてニコラスのいる『セント・ドミニク病院』へと向かっている。車で向かう道中、次にニコラスに発作が起きれば最後になるかもしれないと、悲痛な顔でルークは告げた。
父の病室に着くと、ニコラスは痩せ細りベッドに横たわっていて見る影もない。やつれた顔の窪んだ眼窟には、黄ばんだ目玉がギョロギョロと蠢いて見える。
病院側は今回の面会を許してくれた。おそらく、今生の別れになるだろうからと。今になって思えば、そのために病院へ来てくれと言ってきたのだろうと思う。
ニコラスは弱々しく酸素を取り入れ、命を絞り出すかのように途切れがちにミシェルの名を呼んだ。
ルークから向かうと既に連絡を受けていたニコラスは、話しておくことがあると言い、病室の隅にある木製の椅子にミシェルにそこに座るようにと促した。ルークは壁に背をつけて、腕を胸の前で組んだまま様子を見ていた。
次にニコラスは傍らのテーブルにある、ラッパのようなものが上についたスプレー缶を指さした。それは医療用と書いてあり、横に酸素と書いてある。それを取ってやると、慣れた手つきでゴムで出来たラッパのようなものを口に当てて酸素を吸い上げる。
ひと息ついて落ち着いた様子のニコラスは、昔話を語るように話し始めた。目は天井を見ている様で恐らく何も見ていない。長く遠い過去に飛んでいるのだ。
「お前たちは本来、双子で産まれてくる予定だったんだ」
ミシェルは思わず目を見開き、眉毛だけ折り曲げて、すでに質問に移りたいが腕を組んで我慢することにした。最後になるかもしれないこの語り部が、ようやく話し始めたのだから。
「まだ……アルマの腹の中にいた頃、胎児の時分だ。わたしたちは妊娠の経過観察の為に病院に行ったんだ。あれは妊娠五ヶ月ほどだっただろうか? いや、六ヶ月だったかもしれない。アルマなら正確な日にちが分かるんだろうが、先に逝っちまったからな」
ニコラスは目を泳がせた。ミシェルはその黄色く濁った目を見て、とうとう見えなくなってしまったように感じた。
「産婦人科医のリチャード先生は言ったんだ」
***
――二十三年前
まだニコラスが四十四歳、アルマが四十二歳の頃、その頃はもう半分子供の事は諦めていた。不妊治療も受けたが、その当時の技術ではほとんど効果が現れず、養子を向かい入れる事も視野にアルマと話していた。ところが、そんな折に嬉しい出来事があった。アルマが妊娠したのだ。それも双子だった。嬉しさも倍増だ。
産婦人科の医師、リチャード先生はすでに定年間際だったが、腕のいい先生だった。エコー画像の写真を見ながら、彼は宝くじに当たったように興奮し、声高々に言った。
「これは――大変すばらしい! ……いや、失礼。……申し上げにくいのですが、お腹の中で、とある珍しい現象が起きています。ひとりがもうひとりの胎児を吸収してしまう、いわゆる“バニシング・ツイン”と呼ばれる現象です」
ニコラスは狼狽するアルマの代わりに聞いた。
「それは……いや、もうひとりはどこに? 吸収ということは死んでしまったのか?」
アルマがその言葉に反応して睨んでくるが、ニコラスの握りしめて震える手を見て目を伏せた。リチャード医師は考え込んで言った。
「……残念ながらそうです。存在そのものが消えてしまったという事です。ですが、魂はもうひとりの中にいて生き続けます。それにもうひとりはまだ健康に育っているという事を忘れてはいけません」
アルマは悲愴感に胸を詰まらせた。ニコラスの胸に顔を押し付け、いつの間にか止まっていた呼吸を押し出すように咽び泣いた。
ニコラスはアルマを抱えるように家に戻った。ソファーに腰掛けさせ、嘆くアルマの腹に手を当てて謝った。誰が悪いわけではないが、ニコラスは何度もアルマの腹に手を当てて謝り続けた。
***
――現在。
不意に意識が戻ってきたかのようにニコラスは続きを語る。
「……エルザの――もう名前は考えてあったんだ。そのエルザの身体は、その時にこの世から消えてしまった。お前の中にな」
ミシェルは視線を外し思う。エルザ……? その名は……どこかで――。
ニコラスは当時を思い出し、微かに涙ぐむと、誤魔化すように額を何度も親指で擦りあげる。悲しみが充分引っ込むと、話しを続けることにした。
「アルマとわたしはな、ふたりが産まれてくる事が楽しみでならんかった。特にアルマはそうだったのだろう。だからその事実はわたしらの心を深く抉った。特にアルマは嘆き悲しんでな。ろくに食べ物も喉を通らなくなってしまって、体重が十キロも落ちたんだ。入院させるまでは無理やり食べさせることもあったが、すぐに吐いてしまった。それでもなんとかお前は無事に産まれたんだ。本当に小さかった。それからはアルマも生きる意欲を取り戻してくれたんだ」
ニコラスは血走った目で酸素の入った呼吸器を二度深く吸い、ミシェルの目を見据えて言った。
「ところがお前が四歳の頃、それは起きた」
***
――十九年前、冬。
アルマの記憶。
裁縫が趣味なアルマは、ミシェルのために小さな赤いマフラーを編んでいた。小さな首に巻くための小さな小さなマフラー。ミシェルは床に座ってお絵描きに夢中になっている。たくさんの可愛らしい花を描いていて、大きなスケッチブックには白い花と赤い花でほとんどが埋め尽くされていた。
ピーッとヤカンがけたたましい音で湯が沸いた事を知らせ、アルマは裁縫箱をテーブルに置き、赤い毛糸玉をその上にポンと置いた。
赤い毛糸玉は不安定な形から、ユラユラとその場で揺れながら床に落ちた。長く赤い軌跡を残してミシェルの足元まで引っ張っていった。
足元に転がってきた新しいおもちゃに惹かれるように、ミシェルはクレヨンを置いて、毛糸玉に指を差し入れた。赤い糸を引っ張るとくるくる回った。楽しくなり、高くかざして一緒にくるくると回った。自らを取り巻く赤い糸に魅了されたように回り続け、やがて裁縫箱をひっくり返した。
裁縫箱の中からこぼれ落ちた長い針は、先端を上にして床板に挟まり、毛糸にミノムシのように巻かれたミシェルはその上に倒れ込んだ。
アルマがキッチンから戻った時にはミシェルは蒼白で、目を見開いたまま後頭部から血を流して倒れていた。
***
――再び現在
アルマがその時ほど後悔したことはない、と言っていたと語り、一口水分をとると、沈みゆく夕日の残り火で焼けた雲を見ながら続けた。
「アルマはすぐに救急車を呼んだ。知らせを受けて行った病院で、わたしたちは頭のレントゲンを見せられた。裁縫箱からこぼれ落ちた長い針は、お前のうなじから前頭葉に向かって刺さったんだ。そして、頭に突き刺さった針を抜けば、お前は脳死状態になると告げられた。結局、後頭部から飛び出した部分の針だけを慎重に削り取っただけに留まっている」
“未だにその針は刺さったまま”だともニコラスは告げた。
「それからしばらくして、夜中に誰かと会話をするお前を見つけた。その都度、少しづつ髪の色も変わっていった。今日は薄茶色、今日は銀髪、そして若い頃のアルマに似て黒髪という具合にな。初めは困惑した。ごく稀にあるんだそうな。子供の頃に髪の色が変わるなんてのはな。だが、変わりすぎなんだ。口調も、声も、それだけじゃない。顔立ちや背格好すら変わるお前を見たんだ。わたしは狼狽えた。アルマはすっかり変わった娘を抱きしめ涙を流して言ったんだ」
『ああ……“エルザ”……この子は私たちの“エルザ”よ。帰ってきてくれたのね“エルザ”』
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