第17話 愛の証明 《sideダイス》

 ダイスはひとり、ジャクソン中の花屋を巡る。質問はひとつ。


「やあ、“彼岸花”は置いているかい?」


 この質問に変えてからは、ぐっと仕事するペースが早くなった。というのも、“彼岸花”自体を置いている店舗があまりにも少ないからだ。この花は不吉な印象が多いらしく、あまり人気がないらしいのだ。


 もし、その花を置いているなら、誰に売ったかどうか。


 改装中だった教会も今では使われなくなり、取り壊すことになってしまった。その教会での殺害現場に残されていたもの。この“花”を追って、“血染め花のマリー”にたどり着けるとは思えないが、なにが手がかりとなるかは分からないし、その時々で変わる。殺害現場と思しき場所には血痕が残されているだけ、あったとしても少々の肉片。いったいなにがあればそんなことが起きるのか? まるで肉の解体現場ではないか。遺体はいったいどこへ消えるのか? この“消える遺体”こそが“血染め花のマリー”の最大の特徴でもあり、難点でもある。


 ロブ・ハーディングはひと月もある謹慎期間中、有り余る休みを何をすればいいのかと思案した結果、旅行でもしようとダイスを誘ってきた。


 ダイスはやることがあるし、娘の世話もあるからと断った。


 何件目かの店はカフェテリアとして人気の店で、花屋ではないが、花を売ることもあるのだと聞いたのだ。『テラリウム』と名付けられたここは、ありとあらゆる植物を飾り付けている。大きなガラスに覆われたここは、地上の楽園を模したような店内で、長い黒髪を後ろでひとつに結んで、カウンターでグラスを拭きながら人々が楽しそうに談話している姿を満足そうに見つめている男がいた。忙しそうに注文をとっているウェイトレスとは対照的に、落ち着いた雰囲気のこの男が、この店の店長なのであろうと当たりをつける。


 ダイスは店長と思われる男の前に行ってカウンターの椅子に腰掛けた。


「やあ、迷い込んじまったんだが、ここはどこかの楽園なのかい?」


「やあ、いらっしゃい。そうさ、天国のようだろう? 僕はずっとこんな店を持ちたくて、三年前にようやく手に入れたんだ。ここは僕の楽園でもあるのさ」


「そいつはすごいな。その若さでこんな店を手に入れるとはな」


 男はまるでよく言われる事柄を言われたかのように苦笑して答えた。


「東洋人は若く見えるだけだよ。僕はもう三十四歳なんだ。立派な中年というやつさ」


 ダイスは同じ歳だとは教えなかった。


「これは驚いた。正直、まだ大学生だと思っていたよ。いや、失礼。俺はダイスだ。ダイス・カルホーン。それより、“彼岸花”とやらはこの店では取り扱っているかい?」


「僕はリー・タナカ。日本と韓国人のハーフだ。その花なら置いているよ。僕には店に花を卸してくれる友人が多くてね、そこから買ってるんだ。もちろん法に触れないよう適正な値段でね」


 ダイスは頬の痣を見て、次にその黒い瞳を見つめて、意外そうに言った。


「まいったな……警察に見えるのかい?」


「もちろんさ。店をやるからには客や卸し売り業者とも渡り合わなくちゃならないんだ。まず、人を見ているのさ」


「そうかい。残念だが、しがない探偵を細々とやっているだけさ。これも浮気調査の一環でね。それで教えて欲しいのだが、この店は花も売っているのかい? 売っているとしたら“彼岸花”はいったい誰が買っている?」


「うーん、悪いが、それは言えないな」


 ダイスはコーヒーを一杯頼んだ。外の照り返す日の光が射し込む店内を観察する。店内では昼を過ぎ、客がまばらになってきているようだ。筋肉質なふたり組の白人と黒人が適当な席を見つけて座り、しばらくすると珍しい銀髪の若い女が真っ赤な顔をして出ていくのを見届ける。その後を連れの女が追いかけていく。よくある昼下がりの情事なのだろうと鼻を鳴らす。コーヒーのいい匂いがしてきた。ダイスはポケットからコーヒーの代金としては多すぎる十ドル札を二枚取り出し、カウンターテーブルにそっと置いた。その札をトントンと指で叩いてみせる。


 リー・タナカは右と左をちらりと盗み見て、金をくすねる子供のように手を滑らせてポケットに押し込んだ。手が紙を揉むような音がカウンターの下から聴こえる。


「アマンダだ」


「アマンダ? もしかしてアマンダ・ホープか?」


「そうだよ。“あの”アマンダ・ホープだ」


 リーは分かっているだろうと言った素振りで、先程のダイスのように指で自分の頭をトントンとつついて見せた。



 ***



「ねぇ、パパ? 私、どうなるの? 死んじゃうの?」


「いいや、死んだりなんかしないさ、ウェンディ。ちょっと検査するだけだからな」


 ダイスは『セント・ドミニク病院』へと娘のウェンディを連れて来ていた。ウェンディが学校の昼休み休憩の際に遊具で遊んでいて、頭をぶつけ、その後、顔色が悪くなり、嘔吐したと小学校から連絡が入ったのだ。脳内出血の疑いがあるため、急遽、検査のため連れてきたのだ。


 許可のない捜査に戻りたいが、今はこちらが優先だ。


 ウェンディが検査している間、ひとりの男の子が前を通りかかり転んだ。頭をぶつけなかったのはいい兆候だと思う。ダイスは隣りの男と同時に立ち上がって助け起こそうと手を伸ばしたが、すぐに母親が走って来て、子供が涙を流すだけで事なきを得た。


 ダイスと若い男は気恥しさから同時に長椅子に座り、顔を見合わせると挨拶を交わした。男は躊躇いがちにだが、気さくに話しかけてきた。


「子供はいるんですか?」


「え? ああ、娘がね。今はあっちの部屋で検査してる所なのさ」


 男はズレる眼鏡をぐいと上げてそちらを見た。


「子供か、何歳ぐらいなんです?」


「今は九歳だ。ヤンチャが過ぎて困っているよ」


「ははは、それは嬉しそうな悲鳴ですね。いやほんと羨ましい。僕は……僕と妻は子作りしているんですが、なかなか授からなくて。いつもならその検査で来るのですが、今日は妻の父親がちょっとね」


 ダイスがなんと言えばいいか迷っていると、男は手を差し出して言った。


「いや、申しわけない。人と喋り慣れていなくて困らせてしまいましたか? 僕はルーク、ルーク・アルバラードです」


「ダイス・カルホーン。よろしく」


「ダイスさんね、いい名前だ」


 ダイスは少し訝しみ、やたらと娘のことばかり聞くので、それとなく話題を変えて相手の素性を探ることにした。


「仕事はなにしてるんだい?」


「僕は作家です。聞いたことないかな? “女神ミューズ”と言う本なんですが……」


 ダイスはこの偶然に本当に驚いた。今まさに手に持って読んでいた本がそれなのだ。


 ダイスが本の表紙を向けて見せると、本当に嬉しそうに顔を和らげ、どこか大人になりきれていない子供のような笑顔を向けた。


「おお! それです! 読んでくれてるのですか?」


「ああ、つい今しがた読み終わったんだが……」


 言い淀む、その考えが読めたかのようにルークは続きを促した。


「思った事があるなら言って欲しい。作家なんてのは他人の評価が糧になるんです。それが大絶賛であれ、否定であれね」


「それならば……遠慮なく。この主人公のふたり、鏡の中の世界と現実世界で惹かれ合うふたりは、お互いの世界でのパートナーを焼き殺す事で、“愛を証明し合う”、という事でいいのかい?」


「そうです。……感じ方は人それぞれですが、“物語り”を読んで、“テーマ”を最後に感じ取ってもらう。それが作家冥利に尽きるというやつなんです。これは、そう“愛の証明”がテーマです」


「それならば、ふたりは焼き殺した後、一緒にはなれたのかい? いくら証明し合っても鏡の中の世界なんだろう?」


 ルークは照れたように笑みを見せる。


「どう思いますか?」


「……どうかな? 一緒になれたとは思えないな。せいぜい鏡ごしで触れるぐらいか。ちょうど、刑務所の面会のようなアクリル越しがせいぜいでは?」


 ルークはなにも言わず、苦々しい笑みを浮かべた。やがて口にする。


「現実的なんですね。作家としての僕ではなく答えるなら、……僕なら、どうにかして向こうの世界に行きますよ。会いに。何年かかってもね」


「それは興味深いね。真実の愛だ。失礼ではなければ、サインを貰えるかい?」


 ルークは快く受け、本を受け取ると、背表紙の裏にペンを走らせながら、秘密をこぼす。


「ここだけの話、僕は妻と違う人を愛してしまっているんです。本の中の人達のようにね。僕は彼女に会うためなら、どんな事でもしますよ。そう、どんな事でも――」


 足早に歩いて来た看護師がルークを見て言った。


「――アルバラードさん? 先生がお呼びです。こちらへ来ていただけますか?」


「おっと、行かなきゃ。さっきの話しは忘れてください」


 そう言ってルークは例の子供のような笑顔を見せながら、サインの入った本を返して去っていった。


「“愛の証明”……か」


 ダイスはひとり、本の表紙をじっと見つめた。そこには肩を寄せ合う男女が、燃え盛る炎を見つめている絵が描写されている。


 火傷しそうなほど狂おしい“愛の証明”だな。自分とは違う。今の自分にとって、愛とは微睡みの中に浸るようなもののように思う。いつかは覚めてしまう夢のように。


 だが、気持ちは分かるよ。


 “ルーク・アルバラード”。

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