第7話 幸せのサプライズ 《sideミシェル》

 セージの香るチキンが並べられた食卓にルークが腰掛け、満面の笑みを浮かべた。蝿のように手を擦り合わせる。


「やあ、これは美味そうだ」


 ミシェルは向かい側に座って、微笑んでみせる事で答え、ルークがニンジンを隅に追いやりながら食事を進めていくのをしばし眺める。こちらをチラリと見て、食事を進めてはいるが心ここに在らずと物思いにふけっているのが見て取れる。ルークが食事の大半を平らげた頃、ミシェルは躊躇いがちに切り出してみた。


「ねえ、最近、物騒じゃない? そのせいか、私、最近妙な視線を感じるの。あの……また……」


 鶏肉の最後のひと切れをつつく手がぴたりと止まる。ミシェルは寒そうに腕を擦りながら様子を見るように続ける。


「その……、何だか怖くて……」


 ルークは優しい光の灯る、淡い緑色の目でミシェルをまっすぐ見つめ、にこりと笑って言った。


「気にしないことだよ。最近、ちゃんと薬を飲んでるかい?」


「うん……でも、私、あの薬は合ってないのかも。何だかすぐ眠くなっちゃって……そうそうっ! この前なんていつの間にか裏庭の土の上で眠ってたのよ? 信じられる? お尻なんてパンツまで湿ってびっちょびちょ! 恥ずかしかったのなんのって!」


「ははははっ、分かった。君のお義父さんに話しをしてみるよ」


 ルークが話題を変え、しばらくたわいもない会話が続く。


 てっきりどこかの王子さまになりきって、まるで白雪姫のようだねとロマンチックに言ってくれるか、テレビアニメを見ている時のようにもっと腹を抱えて笑うと思っていたミシェルは、不発に終わったことで複雑な気持ちになった。


「そうそう、君が出かけている間に電話があったんだ。お義父さんとお義母さんが、今度の週末こっちに来ることになっているんだったね」


 ミシェルは気持ちを切り替え、不満をため息と一緒に出した。もし、ストレスというものが目に見えるなら、今しがた目の高さで雲のように浮かんでいるはず。ふんわりふわり。


「ええ、そうよ。言うの忘れてたわ。ごめんなさい。また急に来たいって言ってるのよ? 先週末に来たばかりなのにね?」


 ミシェルは言いながら意味深な笑みをルークへと向けた。この意味が分かるだろうか? と見物する。ルークは少し気まずそうに頬をかきながら冗談めかした。


「お義父さんとお義母さんも寂しいのさ。最愛のひとり娘を僕にとられたから妬いてるのかもしれないね」


 ふたりは笑いあった。少し残念に思うが、ミシェルはころころと笑って小気味よく受け合い、尻を浮かしてテーブルから身を乗り出す。渋々ニンジンを一口頬張るルークに口づけをした。



 ***



 その週末は晴れていて、風がないせいか暑い日になりそうだった。朝早く起きて裏庭の花たちにたっぷりとお水を注ぐ。


 家の前にがたがたと異音混じりのエンジン音を鳴らしながら、錆びだらけの赤いピックアップトラックが家の前に止まった。車には詳しくないが、荷台がかわいく思える。弱った脚で地面を擦るように出てくる母アルマは、玄関先まで迎えに出ていたミシェルを抱きしめて頬を撫でると、もう一度きつく抱きしめた。アルマはいつも二度抱きしめてくれる。


 ルークが遅れて玄関から出てくると、アルマはミシェル同様に抱きしめた。ただし、こちらは一回。


 ニコラスが黒い旅行カバンをトランクから引っ張り出しているところにルークが歩み寄る。父は今日はどこかむすっとしていて、また母と喧嘩でもしたのだろうと思う。荷物を足元に降ろし、出迎えたミシェルを抱きしめた。機嫌の悪そうに見えたのは杞憂だったかしらと思う。それに父ニコラスの機嫌が上下変動するなんてのは日常茶飯事である。


 ニコラスは起きたばかりで寝癖が爆発しているルークを短く抱きしめる。ルークはなにが入っているのか分からない、妙に重そうな荷物を四苦八苦しながら運んでいた。


 四人での楽しい夕食が終わると、ニコラスが酒の勢いも使ってか、グラスの横っ腹をフォークで軽く叩いてベルのような音を響かせた。皆がぴたりと黙るなか、ニコラスは重苦しくも威厳に満ちた口調で話しを切り出した。


「もう結婚して二年か……早いものだな」


 辺りの空気が一変にドラマの中のワンシーンのように静まりかえった。ニコラスがルークの肩をポンと叩いた。


「ありがとうな……ルーク」


 ルークがミシェルの方をちらりと様子見る。


「来月には本が仕上がる予定なんです。ニコラス、その後は、ミシェルと子供を作る事にしようかと」


 ニコラスとアルマは驚きの混じった最高の笑顔を浮かべて立ち上がった。手を取りあって踊り始めて、楽しそうに言った。


「なにか曲をかけてくれ! 踊りたい気分なんだ!」


 嬉しいサプライズで胸が一杯になったミシェルは、ルークに熱く長いキスをした。



 ***



 四人ともが舞踏会よろしくとばかりに踊った後は、ボードゲームを楽しんだ。毎回そうだ。食事後のボードゲームをして遊ぶ通例。というのも、ニコラスは古いボードゲームや新しいボードゲームを集めるのが好きなのだ。


 今の人生を生きながら、別の人生の縮尺を垣間体験することができるのは素晴らしい事なのだとニコラスは持論を展開するほど。


 ゲームが終わると、ミシェルとアルマはキッチンで洗い物をしながら話しに花を咲かせていた。


「さっきの例の話し、もしかしてサプライズだったのかしら?」


 ミシェルは細い皺だらけの母の腕を擦りながら、キッチンにもたれかかった。


「ええ、そう。一昨日なんて、子供の話しを私が切り出そうとしたら話題を変えたのよ? 信じられる? でも、追求しなくて良かったわ。もう少しでこの最っ高のサプライズをぶち壊すところだったんですもの」


 ふたりは見つめ合って笑い、抱きしめ合った。今ふたりが思い描いているのは未来の子供の笑顔だ。


 ミシェルはお手洗いに行くと言い、アルマは残りの洗い物を引き受けてくれた。廊下へと歩むミシェルの背後で、アルマの上機嫌な鼻歌が聞こえた。ミシェルは誇らしくなり、ステップを踏みながら廊下の突き当たりにあるトイレに向かった。


 居間の前を通りがかった時、ミシェルはふたりの様子を覗いた。もしかしたら、まだびっくりプレゼントがあるかもしれない。


 ニコラスは眉間に皺を寄せてルークに紙袋を手渡した。


「大変かもしれんが、今まで通りわしらも助けるからな」


 ルークは頷くと、笑顔で紙袋を受け取る。


 ミシェルは急かしてくる下腹に後押しされながらトイレに急いだ。便座に座り、ひと息つく。さっきのあれはなんだろう? と疑問を浮かべた。


 あの紙袋から予想するに、恐らくはニコラスの経営する『ドラッグストア』のものだろうことは分かっていた。


 ルークはここ最近、目の下のくまがひどくなってきていた。よほど眠れないのだろう。その為の薬なのかもしれない。


 そんなことより……と、先程のサプライズを思い出してほくそ笑んだ。


 子供を作ろうと話し合ったことはあるが、まだ時期ではないし急ぐ必要もないからと、ルークの小説の作品が出来上がってからにしようとは話し合っていた。一年も前からだ。正直苛立ち始めていた。


 ところが、先程のサプライズだ。いざ妊娠したと告げた時のルークの反応を想像し、笑みがこぼれる。ルークがなんの薬を貰ったのかは気になったが、それよりも妊娠検査キットが残っていたかどうかの方が気になっていた。


 洗面台の前で鏡の戸棚を開けて中を覗いた。妊娠検査キットがあと一本しかないのを確認すると、ニコラスに追加を頼もうと思う。


 ニコラスが経営する『ドラッグストア』には様々な薬があるし、戸棚の中に品々にある薬は、幼少の頃からすべてニコラスに処方してもらったものなのだ。おかげで病院の世話になることは今までなかった。


 戸棚を閉めると、キッチンに残してきたアルマの元へと足早に戻っていく。


 母のアルマは今年で六十五歳になり、ニコラスはといえば六十七歳になる。ふたりとも同年代に比べると足腰も弱り始めているのが分かる。若い頃に無理したからだと以前言っていた事があるが、内容はなぜか教えてはくれない。苦労した内容など、子供には教えないものなのかもしれない。さらにはふたりは歩く速度も遅くなってきていたし、加えて手元も怪しくなってきている。ついひと月前もお気に入りの皿をアルマに割られたばかり。


 キッチンの手前まで来ていたミシェルは不意に、あのうなじを貫くような奇妙な視線を感じて振り返る。やはり誰もいないし、気配もない。


 うなじにある古い傷跡を撫で、揉むことで気持ち悪さを幾分か和らげようとした。


 キッチンでは、まだ母が鼻歌交じりで洗い物をしている。その姿を見てミシェルはかぶりを振って気持ちを切り替えた。


 楽しい一時はあっという間に過ぎ、皆が眠りに着くまでそう時間はかからなかった。

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