第6話 創世の書「アルビオン」裏


 この世に生を受けたことを、後悔しなかった日はない。


 私は造られた存在だ。

 村の最高権力者、5人の長老がその魔術と技術の全てを用いて生み出された結晶……彼らにとって都合の良い兵器であり、『人形』。

 それが私という存在だった。

 生まれつき他の同族より多くの魔力を持ち、村に貯蔵されたあらゆる本の知識を備え、他人の魔力の流れを読める瞳を持っていた。

 そのせいか住んでいた村の皆からは畏怖の対象として見られ、敵の目には恐怖の象徴として映った。

 別に私は誰かを傷つけたかったわけじゃない。

 誰かと戦争をしたかったわけじゃない。

 ただ……ただ、私はみんなと歌が歌いたかった。

 みんなで踊って、馬鹿みたいに笑って、毎日を楽しく過ごしたいだけだった。

 ただそれだけが欲しかった。



 やがて私は創世の書「アルビオン」を手に入れる。

 それを手にした時、私は確信した。

 この本との出会いが私にとっての破滅の始まりで、人としての終わりを告げるのだということを。



「人形よ……話がある」


 日課である魔術の修行の終わろうとしていた頃、師が私に声をかけてきた。村の最高権力者の1人でもある彼はいつも忙しい。いつも授業が終わればすぐにいなくなるので、こうして声をかけられたのはこの時が初めてだったかもしれない。


「貴様に渡すものがある。……明朝、我の部屋に来い」


 話と言ったくせに、一方的に用件を告げるだけで私の意見などは最初から聞く気もないらしい。相変わらずの人だ……しかし


「はい、かしこまりました」


 こう答えるしかない。

 だって、私は彼らに造られた人形なのだから。

 口答えなど許されず、彼らにとって都合の良い存在であり続けるしかないのだから。



「失礼致します」


 明朝、私は師の部屋に訪れる。


「来たか……入れ」


 師の部屋に入るのは久しぶりだった。

 しかしその内部は以前とまるで変わらず、私を出迎えるのはその圧迫感で世界を押し潰してしまいそうなほどの大量の書物と、椅子に座って無表情で私を迎える師の姿であった。


「用件はなんでしょう?」


 師は忙しい。

 前置きは省き、さっそく私は目的を問う。


「これだ」


 師は虚空に右手を伸ばす。

 すると空間が裂け、右手の一部が消えたように見えた。そして再び右手が現れたかと思うと、その手には一冊の分厚い本が掴まれていた。

 今のは師の得意とする空間を用いた魔術の一種である。次元の間に裂け目を作り、そこへ無限に物質を収納することができる。


「それは……まさか」


 その本には見覚えがあった。

 基本的に師は本を目に見える範囲に置いておく人だ。そして、それはどんなに希少な本であろうとも同様である。

 しかし、一冊だけ例外が存在した。それが


「そう……アルビオンだ」


 創世の書、アルビオン。

 曰く、その本にはこの世界が誕生してからのすべての事象が記載されているという。

 アルビオンに記載されている文章以外の全ては架空のものであり、この本こそが世界における唯一の真実であると言われている。

 世界誕生から存在するアルビオンには神の奇跡とも呼ばれる特殊な魔術がかけられており、いかなる環境に置かれても劣化することはない。

 にも関わらず、次元の狭間で保管するほど師はこの本を大切にしている。つまり、それだけこの本は重要なもので、唯一無二なのだろうということがわかる。


「人形よ……貴様がアルビオンを継承するのだ」


「な……っ!?で、でも……それは」


 突然の提案、いや命令に私は面食らう。

 師はいつも難題を課すが、いくらなんでもこれは


「反論は許さん。話は以上だ」


「師匠!?」


 反論する隙も与えられず、気づけば私は師の部屋の前にいた。

 その右手に、アルビオンを握ったまま。



「人形がアルビオンを継承したらしい」

「あの人形が?元老院は何を考えている?」

「知るかよ。正気じゃねえのは確かだがな」

「良いのかね。だってあいつってさ」

「しっ!……来たぞ」



 村の空気が騒がしい。

 無理もない……こんな人形が村の至宝を授かったのだ。

 そんな私は今、突然の出来事で散らかってしまった考えをまとめようと、あてもなくフラフラと彷徨っている。そして気づけば


「しまった……ずいぶん遠くに来てしまった」


 村の外れ、木々に覆われた森の奥まで私は来てしまっていた。


「日が暮れる……そろそろ戻らないと」


 と思い踵を返しかけていたその時


「〜…………」


 ?


「ぅ〜………」


 何か、聞こえたような。

 一時的に視覚を遮断し、その分のリソースを聴覚に回す。


「みずぅ〜……だれかぁ……」


 やはり……誰かいる。

 先ほどの感覚を頼りに、声の主を探す。

 どうやらそこまで距離は遠くなかったようで、仰向けに倒れているはすぐに見つかった。


 それ、と表現したのはいくつか理由がある。

 まずその身を包む服は、大きさが合っていないので体型が分かりにくい。小顔に不釣り合いな大きな帽子を被って、口元を布で覆っているせいか顔もよく見えない。


「誰かぁ……いないのぉ……」


 声変わり前の少年のようにも、少女のようにも聞こえる高い声。そして極めつけは……いや、さすがに目の前で倒れている相手をこれ以上放っておくわけにもいくまい。


「……大丈夫か?」


「……!?だ、誰かいるのかい!?」


「いるぞ。何が欲しい?……言ってみろ」


「た、食べ物!!いや、や、やっぱり!水!水!」


 意外とまだまだ余裕そうだったが、やかましいのでまずは水を用意することにした。


「んぐ……んぐっ……ぷはぁ!生き返るぅ!!」


「もういいのか?まだまだ出せるぞ?」


「も、もういいよぅ……にしても君すごいねぇ!何もないところから水が出てくるなんて!!」


「……?魔力で大気中の水分を集めただけだ。別に、私でなくともできる」


「言っていることがさっぱりわからないよぅ……でも、助けてくれてありがとう!僕はギドっていうんだ。君は?」


「名は無い」


「……え?名前……ないの!?」


「無いと言っただろう。師は私を人形と呼ぶことはあるが」


「に……人形!?そ、それはひどいなぁ」


「何を言う?名前など、あって何になるというのだ」


「なるよぅ!名前は君自身なんだ!名前があって、初めて君はこの世界に生まれるんだよ!!」


「……よくわからん。名前がなくても、私はここにいるじゃないか?」


「確かにそうだけどさぁ……う〜ん、これは重症かもなぁ……あ、そうだ」


「なんか嫌な予感がするぞ」


「僕が君に名前をあげよう!」


「いらない」


「んー……そうだなぁ……君は、こう……」


 私の話を聞かず、ギドはその場で考え込んでしまう。

 まぁ、とりあえず元気にはなったようだし、義理は果たした。これ以上は時間の無駄なので


「元気にはなったようだな。じゃあ私はここで」


 お暇することにした。


「ちょっ……!?待って待って待って!!置いてかないで〜」


 後ろから聞こえる静止の声は無視して、私は村へと戻ることにした。



 しつこく私に追い縋るギドを無視しつつ、村に帰ってきた。


「へぇ〜ここが君の村かぁ……なんか静かだねぇ」


「そこまで住民もいないしな。……ところで、いったいおまえはいつまで私に着いてくるつもりだ?」


「おなかぺこぺこなんだよぉ〜……それにまだ君に名前を告げていないじゃないか!」


「なんだ、まだそんなことを言っているのか?」


「そんなことじゃないよぅ〜……あぅぅ……でも、まずは何か食べ物を……」


 きっとこいつは腹が満たされるまでいつまでも私に着いてくるつもりだろう。……仕方ないな


「……わかった。着いてきて」


 そう、仕方がなかったので私はギドを家に連れて行くことにした。



「お邪魔しまーす……」


「座って待ってろ、なんか持ってくる」


「おかまいなくー」


 ようやく家に着いた。

 色々あったせいか、今日はとても1日が長く感じる。

 食べものに関しては……確か保存食はあった気がする。味の保証はできないが無償で施すのでその辺の文句は受け付ける義理もない。


「そら、これでも食べろ」


「……これは?」


「麦を粉になるまで挽いて捏ねた生地を焼き上げたものと、獣の肉を干して乾燥させたものだな」


「な、なるほど……ま、まぁ贅沢は言えないかぁ……ありがとう!いただきます!!」


「そうか、好きにしろ」


「あれ?君は食べないの?」


「私は食事を必要としない。水で十分だ」


「そうか……君も、人間じゃないんだね」


「ということはやはり貴様も人間じゃあないんだな」


「気づいてたの?」


「あぁ……魔力の質と蓄積量が人間のそれではないからな。


「ふーん……うぐっ……これは……なかなか」


「……?どうした?」


「あ、いや……なかなか個性的な味だねこのパン」


「貴様は……魔族か?」


「いかにも、その通りさ」


「こんなところで何をしている?村でも襲いに来たか?」


「そんなわけない!!……僕は戦いが嫌になって、魔王軍を抜けたんだ」


「変わったやつだな貴様。そしてその末路が行き倒れとは……愚かなやつだ」


「でも、君に拾ってもらえただろう?そう考えたらなかなか悪くない人生だと僕は思うな」


「魔族の分際で人生を語るか……それで、これからどうするんだ?食事も水も恵んでやった。言っておくが、これ以上私がお前にできることは何もないぞ」


「それなんだけどね……これだけ施しを一方的に受けておいて、何も返せないのは心底申し訳ないと思うんだ」


「別に構わない。元より見返りは求めていない」


 さっさと出ていってくれれば、それでいい。


「君も変わっているよねぇ……まぁまぁ、僕はこう見えて君にあげられるような金も、貴重な品もないけれど」


 なんなら金がないのは見なくてもわかる。

 しかし、この後のギドの一言が私の運命を大きく捻じ曲げることになるとは


「僕が一曲……歌おうじゃないか!!」


 その時はまだ思ってもいなかった。



「ええっと……これを……こうして」


「何をしているんだ?」


「ハープの調律さ。……でも、上手くいかないなぁ」


「どれ、貸してみろ……これを……こうして……直ったぞ、これでいいか?」


「わぁ〜君って本当にすごいねぇ!!」


「大したことじゃない。というか、自分の楽器なのになんでこんなこともできないんだ?」


「う……ごもっともだね。恥ずかしながらまだまだ楽器は練習中なんだぁ」


「おまえ……本当に歌えるのか?というか、何故お前は歌うんだ?」


 我ながら変な質問だなと思う。


 なんで歌を歌うのか?


 しかし、何故だかわからなかったがこの時の私はそのことを聞かなければならない気がしたのだ。


「何故って……それは、僕が吟遊詩人だからさ!!」


 答えになっているんだかなっていないんだか。それに吟遊詩人?

 確か旅をしながら詩や歌を歌う職業だったか……?存在は知っていたが会うのは初めてだ。


「魔物なのに?」


「魔物だからさ!!」


 またよくわからない答えだった。

 こいつの話は理解できないことが多い。


「論より証拠」


 ポロロン、とギドがハープを鳴らす。


「聴いていきなよ。僕の話を」


 そして歌が始まった。


 吟遊詩人が歌うのは土地の歴史や文化、伝承、決まりごとなど多岐にわたる。

 それらを歌という方舟に乗せて、人々に届けるのが彼らの役割だ。

 吟遊詩人がいる限り、伝説は終わらない。

 彼らの歌が止まない限り、人々の中で生き続けるものがある。

 それが彼ら使命でもある。


 ギドの歌の内容は魔物によって村を滅ぼされた少年が、選定の杖を手にして偉大な魔法使いになっていく話だ。

 内容はさておき……まぁ酷い歌だった。

 音程はところどころ外れているし、ハープの演奏に気を取られて歌が疎かになってしまう箇所が散見される。けれど


「〜〜♪♪」


 ギドは楽しそうだった。

 心の底から楽しみ、精一杯腹から声を出して、満遍の笑みを浮かべながらギドは歌う。


「なんで」


 ヤツの歌を聞いた瞬間、私の世界は一変した。

 なんでこいつはこんなに楽しそうなんだ?

 なんでこいつはこんな顔ができる?

 なんで、なんでこいつは…………っ!!


「歌いなよ」


「……っ!?」


「歌は決して誰かのものじゃない、みんなのものだ。君も歌いたければ歌っていいんだ」


「でも……でも、私は、歌なんて」


「簡単さ、ただ流れに身を任せればいい。魔法で水を作れ、ハープの調律もこなせる君ならきっと余裕さ!!」


 まったく……簡単に言ってくれる。

 生まれてこの方魔術の修行をこなし、空いている時間はひたすら知識を詰め込んできただけ……歌なんてろくに歌ったことはないこの私に、こいつは


「……ー」


 そんな思いとは裏腹に、気づけば私はギドの語るフレーズを口ずさんでいた。

 初めは前を歩くギドの背中を追うように、聞いたフレーズを繰り返す。

 次第に、音色の流れが見えてきて、私はその流れに飛び込んだ。

 ギドの言う通り流れに身を任せていると、自然に次のフレーズが頭の中に浮かんで来た。

 そしてついに私はギドに追いつき、2つの声色が合流する。


 歌って不思議だ。


 最初、そこには2つの音色しかなかったはずなのに、3つ、4つ、5つと次第に音が増え、音が増えるたびに世界は変わっていく。


「楽しい……っ!!楽しいね!!」


 ギドは相変わらずはしゃいでいる。

 ただ、まぁ……そうだな。


 これが楽しいって感情なんだ。


 その後も私たちは歌い続けた。

 楽しい時は永遠に続くかと思われたが

 それは唐突に訪れた。


「……ごほっ」


「……?」


「……ごほっ!!……がは……っ!?……ぁ」


「ギド……っ!?」


「は……ははっ!……ちょっと、はしゃぎすぎちゃった……かな」


 発作のような症状を引き起こし、そのままギドは地面に倒れ込む。

 突然の出来事に私は一瞬、その場で立ち尽くす。


「いや……何をしているんだ私は!!」


 即座に動揺を抑え、冷静さを取り戻す。

 自身の切り替えの早さに、私はこの時初めて自分が人形であることに感謝した気がする。



「はぁ……はぁ……っ……はぁ……ごめん……きみには……ずっと……迷惑……かけっぱなしだ……」


「今更だな。気にするな……早く休んで、さっさとここから出ていけるようになれ」


「はぁ……ははっ……そう、だね……」



 ギドが床に伏せてから3日が経った。

 しかし、その体調は一向に回復する気配を見せず、日に日に悪化の一途を辿っていく。

 原因不明の発咳、発熱……そして


「やはりそうだ……魔力が」


 暴走している。

 きっかけはわからない……が、今ギドの魔力の動きは彼の体内で渦巻くようにその激しさを増している。あれでは2日も保たない。


「何か……何かないか……?いや……そうか!!」


 あった。

 私は村中の書物全てを暗記し、その知識は多岐にわたる。しかし、こんな症状が記載されている本は無かった……1


 創世の書アルビオン

 森羅万象、世界の誕生から現在までのすべての知識を蓄えたこの本ならば……


「待ってろ……今助かるから……っ!」


 ギドにではなく、まるで自身に言い聞かせるような弱い言葉だ。

 けれど構わない。私に感情を与えてくれた存在をむざむざ亡くしてなるものか。


 そして本は開かれた。



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