第6話 創世の書「アルビオン」表

 僕がそいつに会ったのは、水を汲んだ帰りだった。

 酷く暑い日で、桶に入っている水をそのまま飲み干してしまいたい衝動に何度も駆られたのを覚えている。


「み……みずを……」


 だから、目の前に行き倒れているそいつに出会ったのはきっとそういう運命だったのかもしれない。



「んぐ……んぐ……んぐ……っ」


「いい飲みっぷりだなぁ」


 全ての人とは言わないけれど、困っている人を見かけたらなるべく助けてやりなさいというのが亡くなった母の口癖だった。

 さすがにアレを放って帰れるほど人でなしでもなかったので、倒れていたに僕は水を飲ませてやった。

 目の前のそれは不思議な格好をしていた。

 ここまで「それ」と表現した理由はいくつかある。

 まず最初に、見た目で性別がわかりづらかったからだ。目深に被った緑の巨大な帽子で目元は隠れていて、金色の長髪や着ているポンチョは体型だけでなく、その存在も覆い隠していた。

 他に身につけているものといえば、背負っている琴のような楽器と、桶に顔を突っ込んで水を飲みながらも右手にしっかりと握られている分厚い本。


 そして


「ぷはぁ……ふぅ……飲んだ飲んだ!ごちそうさま!」


 その声である。

 少し声の高い男性とも言えるし、少し声の低い女性とも思える。どちらともつかない特異な声は性別こそ覆い隠すが、聞く者の警戒心を溶きほぐすような暖かさを持つ。

 簡単に言えば、とんでもない美声だ。

 まぁ、この際男だろうが女だろうが関係ないんだけど。


「そりゃ良かった。じゃあ水をやったついでに頼みがあるんだが」


「なんだい?私でよければ大抵のお悩みは聞いてあげようじゃあないか!」


 いい返事である。だったら


「飲んだ分の水、汲んできてくれ」


「……」


 帽子のせいで完全に表情は窺い知れないけれど、たぶんこいつは露骨に嫌そうな顔をしている。


「いや、だってここまで結構遠かったんだぞ?それに水を持って帰らないと家族が困るんだ」


「うん……まぁ……そうだねぇ……そうだよねぇ……でもねぇ……」


「でも?」


「肉体労働は……ちょっと」


 どうやら働くのは嫌らしい。

 助けたのを後悔しかけた自分がいる。


「じゃあ全部運べとかは言わないからさ、ちょっと運ぶの手伝ってくれよ」


 2人いるのだからせっかくだし多くの水を汲んで帰りたかったけれど、さっきまで倒れていた人間を酷使する訳にもいかないのでこれが精一杯の譲歩だ。


「くっ……!……やむをえん……か」


 たっぷりと時間をかけて、そいつは首を縦に振った。


「自己紹介が遅れたな。僕の名前はアル、あんたは?」


「こちらこそ礼が遅れてしまったね!私の名前はリーベ、吟遊詩人さ!」


 これが僕とリーベの出会いだった。



 リーベを連れて、僕は村に戻った。

 結論から言えば水は僕1人で汲んできた方がたぶん早かった。というのも、リーベはとても非力だったからだ。自身が飲み干した水と同じ量は愚か、せいぜいその1/3がいいところだった。非力なくせに右手に持った本を頑なに離さなかったせいで、片手でしか水を持てなかったのも理由の一つとして挙げられる。

 途中、何度も休憩(主にリーベが)を挟んでようやく僕らは村に着いた。


「ひぃ……ふぅ……やっと、着いたのかい?」


「リーベさんさぁ……あんた本当に吟遊詩人かよ?体力無さすぎない?」


「馬と喧嘩別れしてね……ずっと歩きっぱなしだったのだよ……おやアルくん、なんだいその目は」


「いや、別に」


 たぶん疲労とか関係なく元々体力ないんだろうなぁ……


「そうか!じゃあ早速村を案内しておくれよ!」


「わかったわかった」


 意外とまだまだ余裕そうだ。これならもう少し水を持てたんじゃないか?と思ったが、我ながらいつまでも未練がましいので、この辺にしておく。

 僕らの住むこの「イゾラ」は人口300人ほどの小さな村だ。

 働き手や若者はだいたい王都に出稼ぎに行ってしまうので、村にいるのは女子供に老人だけ。これといって特色はないけれど、基本的には平和で過ごしやすい村と言える。


「やあ、アルこんにちは」




「クレンじいちゃんこんちは。ナツがまた木の上に登ってたよ」


「あいつももう歳だというのに元気だなあ……ありがとよ、アル」


「「アル〜!!」」


「ニールにミルか、泥だらけじゃないか」


「アルを待っていたんだよ!」「早く遊ぼーよ!」


「この人案内して、水を家に運んだらな。それより顔洗ってこい」


「?変なアルー」「ま、いいや。早くきてねー」


「子供は元気だなあ……」


「ふふっ」


「?な、何だよ」


「いやあ、君は随分と村人と仲がいいんだね」


「狭い村だからな。仲良くなって当然だろ」


「私が言いたいのはそういうことじゃないけど……ま、いっか」


 何か引っかかる言い方だな。まあ気にしてもしょうがない。


「じゃあ、家に案内するぞ。水を持つのもそろそろ限界だ」


「奇遇だね!私もさ!!」


「割とあんたのせいなんだけど……」


 半ば呆れつつ、僕らは家路に着いた。



「エド、帰ったよ」


 ようやく家に着く。水を汲んでくるなんて、毎日こなしていたことなのに今日はすごく長く感じた。


「へぇ〜ここが君らの家かい」


「そうだよ。僕は奥に行ってるから、水を置いてそこで待っててくれ」


「はっはっは!もう置いてるよ!!」


「頼むから静かにしててね……」


 リーベと不安を残しつつ、僕は弟の部屋に入った。


「兄さん……おかえりなさい」


「エド、遅くなってごめん」


「誰か来てるの?」


「あーうるさかったか?ごめんな。ちょっと吟遊詩人拾ってきちゃって」


「吟遊……詩人??」


 うん、我ながら説明が足りないと思う。

 何だよ吟遊詩人拾ってきちゃったって……


「兄さんは相変わらず面白いよね……ゴホッ」


「あーもー寝てろって。水汲んできたから飲め。夕飯も今から作るから、もう少し待っててな」


「そうだぞエド少年。何なら私が子守唄でも歌ってやろうか?」


「「!?」」


 いつの間にかリーベが部屋に入ってきていた。


「お、おい!勝手に入ってくるなって!!」


「病人の前だよ、アル。君はもう少し声を落とすべきだ」


「くっ……!こいつ」


 いけしゃあしゃあと言いやがって。


「兄さん、この人もしかして」


「あー……うん。吟遊詩人」


「わ、わぁ〜!……うっ……ごほ……」


「エド!?ちょっと待ってろ!!」


 僕は急いで棚から薬が入った袋を出す。

 そのままエドの口に袋を被せ、ゆっくりと深呼吸させる。


「ごほ……すぅ……はぁ……はぁ……」


「ゆっくり吸え。そう……大丈夫……大丈夫だから」


「う……ごめん……ごめんね兄さん」


「なんで謝るんだよ?ほら、大人しくしてな」


「うん……お……やすみ」


 落ち着いたエドはそのまま眠りについた。

 原因不明の発作は年々その酷さを増していく。

 こうしている今も、いつその呼吸が止まってしまうかと思うと気が気じゃない。


「いつからなんだい?」


 少し前から静かにしていたリーベがようやく口を開いた。


「生まれつきだよ……生まれた時から、あんな感じで発作で苦しんでいるんだ。もう今年で12歳になるっていうのに、あいつは一度も外で走り回ったこともない」


「……」


「ニールやミルを見ているといつも思うんだ。何でエドだけなんだろう……あいつにだって友達と村を走り回って、自由に過ごす権利があるはずだ。なのに、何でエドだけこんな目に遭わなければいけないんだろう……って」


「アル……」


「……っ!ごめん……あんたにこんな話をしてもしょうがないよな……で、でも、あんなに嬉しそうなエドを見るのは久々なんだ!たいしたもてなしはできないけれど、良ければ今日は泊まって行ってくれよ!!」


「そうか……うん……そうだな……アル!!提案だ!!」


「?……え?……どうした?」


「私が一曲!歌おうじゃあないか!!」


「……へ?」




「さぁさぁ!!エドくん気分はどうかな?」


「あ、吟遊詩人さん……うん、今は落ち着いてるよ」


「それは良かった!時にエドくん、アルから聞いたんだが……君は村の外に出たことがないんだって?」


「そうなんだ……身体のせいで家の外に出るのも厳しい、かもしれない」


「なら、君は幸運だ」


 吟遊詩人は不敵に笑う。


「?」


「私の歌を聞くがいい!外の現実より素晴らしい世界を、君に語るとしよう!!」


 そう言ってリーベは背負っていたハーブを構え、右手の本を開く。


「私は古今東西、あらゆる英雄譚に精通している……何かリクエストはあるかい?」


「強い戦士のお話が聞きたいな」


「承った。私が知る限り最も強い戦士の歌を……君に語って聴かせよう」


 リーベは瞳を閉じ、ハーブの調律に入る。


「これより語るは勇猛な狂戦士のお話。かの者は亡くなった今もなお奴隷達の希望の星として輝き、語り継がれる大英雄、その名は……アドレスタン!!」


 リーベの歌が始まった。


 僕とエドは今、信じられないものを見ている。

 川の清流のように滑らかな旋律と、澄んだ声から紡がれる英雄の物語……さっきまでのリーベとの落差に、最初僕は面を食らっていた。

 それから突如として、変化は起こった。


「第二幕」


 リーベの放ったその一言が合図になったかのように、本が光り輝き


 周囲の景色は一変する。


「「……!?」」


 さっきまでベッドと机、リーベの座る椅子以外に何もなく、殺風景だった弟の部屋が


 砂漠に変化した。


「な……え?……は?」


 わけもわからず驚愕するしかできない僕とエド。しかし、変化はそれだけで終わらない。


「兄さん……あれって」


 エドが見つめる方向には人影がいた。

 その男は常人の倍ほどの背丈があった。

 鍛え上げられた肉体は鋼のようで、右手には巨大な斧が握られている。

 人影を囲む数人の姿があった。

 そのどれもが凶悪な装備に身を包み、男へと敵意を発している。


「あ……っ!」「危ない!!」


 不意をつくように男の背後から刺客が迫る。

 が、


「……ッッ!!!!!!」


 攻撃が届く前にはもう、刺客は切り伏せられていた。

 男の持つ斧が振るわれるたび、1人……また1人と、命が失われていった。



 歌は続く



「はっはっは!!いやぁ〜久々に張り切ってしまったなぁ〜2人とも、どうだったかな!?」


 英雄譚を語り終えたリーベは先ほどまでとはまるで別人で、すっかり出会った時の調子に戻っていた。


「す、すごい……とってもすごかった!!」


 あれからエドはすっかり興奮した様子で、そのおかげか一時的にでも病気のことを忘れているようだった。


「確かに、すごかった……見直したよリーベ」


「そうだろう、そうだろう!!もっと褒めてくれたまえ!!」


 先ほどからリーベはすっかり調子に乗っている。やれやれ……ちょっと褒めたらこれなんだから。


「調子に乗んなばーか」


「なにおう!!」


 会って間もないというのに僕らはすっかり打ち解けていた。

 この時間がいつまでも続けばいい……そう、思っていた。



 翌朝、目を覚ました僕は2つの驚くべき光景を見た。

 1つは病気を完全に克服し、外を元気に走り回るエドの姿である。

 最初に目をした時、僕は腰が抜けるかと思った。だって家から少し外に出るだけでも息が切れていた弟なのだ。走り回るなんて夢にも思わない。

 わけもわからない僕だったが、なんとか冷静を取り戻し、弟に声をかけようとする。しかし、そこで2つ目の変化に気づく。


 リーベがいない。


 家の中をくまなく探したがどこにもいない。

 存在感の塊であったあの人物が、今では影も形も無くなっている。けれど、家の外に探しに出ようとは思わなかった。

 なぜなら弟の部屋の机の上に、あの本があったからだ。


「この本って……」


 本に触れる。

 ずっとリーベが右手に抱えていたので、その姿をしっかりと見るのは初めてだった。

 大きさは子供が小脇に抱えるにはやや大きく、ページ数の多さも相まってずっしりと重い。

 紙の材質も変わっていて、たぶん何かの動物の皮でできているのだろうと思われる。

 本の中身を見ようと、まずは表紙を捲ってみた。


 その瞬間、世界は暗転し

 気づくと僕は見知らぬ土地に立っていた。



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