第3話 戦斧「アドレスタン」

『酒屋の主人』


なにか用かい旅人さん

……アドレスタンを知っているかって?

おいおいこの国でアドレスタンの名を知らないヤツなんていないさ

アドレスタンといえばやっぱあれだな


赤壁の戦い


平和に見えるこの国だが、昔はよその国と派手にドンぱちやり合っていたもんだ。

最も脅威だったのはネプトラって国でよぅ、そこは資源も人口もうちの何倍もある超大国だ。

開戦当初から我が国オスルニアは劣勢も劣勢、今でこそ言えるが勝ち目はほぼ無かったよ。

だが、ある時を境に流れが変わった。

それが赤壁の戦いだな。

赤壁っていうのは防衛拠点の一つで、ここの背後には前線の司令部が控えていたからいわゆる最終防衛ラインみたいなもんだ。

……まあ、この時点で相当追い詰められていたことは言うまでもないよな?

襲いかかるは最新鋭の装備に身を包んだ圧倒的な兵の集団

迎えるは壊滅寸前の疲弊した兵士たち

自分たちは敗北し、蹂躙され、全てを失う。

国民の大半は絶望し、誰もが負けると思っていたよ。

軍部では既に降伏宣言を出す準備も進められていたらしい。

だがそこに現れたのがアドレスタンだった。

アドレスタンは元奴隷だった。

これは当時の軍の戦略っていうかほぼヤケクソなんだが

兵士があまりにも足りないもんで、奴隷にも戦争させようとしてたんだよ。

……ん?順序が逆じゃないかって?

あぁ確かに。兵士出す前に奴隷出せっていうのは当然の疑問だな。

実際、戦場によっては奴隷を先行させていたところもあるっていうし。

だがアドレスタンは特別でな……

赤壁っていうのは通称で、元々は名も無きただの防壁だった。

あの壁を赤く染めているのは、アドレスタンによって虐殺されたネプトラの兵士たちの血なんだよ。

当時の俺は他の戦場にいたから直接その現場は見ていないんだが……現場は敵も味方も関係ない、文字通りの地獄絵図だったそうだ。

その狂戦士っぷりを危惧してたのかあいつの主人が渋ったせいなのかは知らんが、どうしようもないほどネプトラに追い詰められてようやく出陣したって感じだな。

かくしてアドレスタンの活躍によって赤壁は守られ、この時からオスルニアは盛り返す。

最終的にはあのネプトラを討ち倒してしまった。

その功績からアドレスタンは英雄と呼ばれ、恩賞として奴隷から解放されたんだ。

アドレスタンの主人は最後まで抵抗していたが、結局あいつは自由な身になった。

主人の方は後に死体になって見つかったよ。未だに真相は不明らしいが、とにかくおっかねえよな。

……え?それからアドレスタンはどうなったかって?

傭兵になったってのは聞いたんだが……そういや今何しているんだろうな?



『大商会の会長』


アドレスタンは私の恩人です。

正確に言うと私の娘の命を救ってくれた。

今はこうして住む場所に恵まれ、食べるものにも困らない生活を営めている。

しかし、当時の私たちは飢えていました。

戦争に巻き込まれ、明日のことも考えられず、今日を生きることに必死だったのです。

あれは我々が国を追われ、オスルニアへと亡命しようとしていた時のこと


野盗の襲撃に遭いました。


戦争で最も被害を被るのはいつだって弱者です。

我々のように身を守る術を持たず、価値もない人間はいつだって強者に虐げられ、奪われ、最後には捨てられる。

そしてそんな底辺の人間同士でも争いは発生します。

持たざる者同士が自身の持つ数少ない資源を奪い合う地獄が生まれたのです。

我々を襲った野盗は容赦がなく、なけなしの食糧のみならず、女子供も奪っていった……そう、私の娘も。

私も必死に抵抗したがその圧倒的な暴力には勝てず、命以外の全てを失いました。


その後、私はオスルニアにある野戦病院で目を覚ました。

なんでも砂漠を行軍していた傭兵の小隊に拾われたそうです。

聞けばあの襲撃の中、私だけが生き残ったと。

私は絶望しました。

戦争に、無慈悲な世界に、理不尽な暴力に……そして己の無力さに。

私にとって娘は、妻が残してくれた唯一の形見であり生きる希望だった。

だが娘は奪われてしまった。

私には何もできなかった。

そこからしばらくの間、私は何をしていたのかあまり覚えていません。


その知らせを聞いたのは、私がオスルニアに着いて1月が経過した頃でした。


娘が帰ってきた。


最初は何を言っているのか理解できなかった。

私は完全に諦めていました。

野盗に遭った人間の末路は悲惨です。

男は殺され、女子供は人としての尊厳を奪われモノとなる。

親の目を抜いても控えめに言って娘は若く、美しく、気立てもいい。

きっとその末路は絶望的で、想像もしたくないくらいだった。

私は必死になって走りました。

早く……一刻も早く生きていた娘に会うために。


娘は軍に保護されていました。

最後にあった頃と同じ美しさ、愛おしさがそこにはありました。

私たちは涙を流し、抱き合った。

周りから見たその姿はあまりに惨めで滑稽だったかもしれないが、何も考えられずしばらくの間我々はその場で再会を噛み締めた。


泣き疲れ、ようやく落ち着いた私たちはここまでの経緯を語り合うことになりました。

どうして娘は無事に帰ってこれたのか。

喜ばしいことでしたが、そこはどうしても疑問だった。

そして、私はその名を聞いたのです。


アドレスタン


野盗に攫われた娘を救ったのはオスルニアの英雄でした。

彼は、軍を退役してからは傭兵として各地で活動していました。

たまたま野盗の襲撃現場にて死にかけていた私を拾ったその小隊に、その時彼もいたのです。

その後、アドレスタンは単騎で野盗の拠点を襲撃し、壊滅させた。

野盗が悲鳴をあげる間もなく斧は振われ、捕まった人々を解放しました。

娘の帰還が遅れたのは拠点がネプトラに近い場所にあったこと、そしてオスルニアに運ばれた後の私の消息が不明になっていたからでした。

私は英雄に感謝し、そして自身の不甲斐なさを恥じました。

私は娘の生存をすぐに諦めてしまった。

生きているはずはない……自分にはもうできることがないと。

もし私があの時諦めていなければ、娘とはもっと早く再開できたのかもしれない。

一方アドレスタンは諦めず、たった一人でも卑劣な野盗共を討ち倒し、人々を救った。

私は彼に学びました。

どんな絶望に遭おうとも、決して諦めてはいけないと

諦めなければ道は切り拓けるのだと


それから私は娘と共に商売を始めました。

慣れないオスルニアでの暮らしは大変でしたが、それでも諦めず必死に働き続けました。

今もなお商会は順調に成長を続け、我々は何不自由ない生活ができています。

娘は今も健在で、私は二人の孫にも恵まれました。

今の生活があるのはアドレスタンのおかげです。

あの時の恩を返せるように、私は今日も働き続けている。



『片腕のない男』


俺の前で2度とその名を出すな。

世間ではヤツのことを英雄などと持て囃す輩がいるらしいが、それはヤツの本当の姿を知らないからだ。


あいつは悪魔だ。


それはヒトの器に無理やり閉じ込められた悪魔。

常人の倍ほどはある斧を軽々と振り回し、ヤツの通った道は紅く染まる。

誰かの命を救うとか、守るなんて発想は最初からないんだよ。

ヤツは殺しができればそれでいいんだ。


……腕はどうしたのかって?

この右腕は生贄だ。

命だけは見逃してもらうために悪魔へ捧げたのさ。

確かに俺はあいつと戦って生き延びた唯一の人間だ。

あんたもそれを聞いてこんな僻地まで訪ねてきたんだろう?

……仕方ない。

気は進まないが当時のことを話してやる。

ただし、条件が二つ。

まず、2度と俺の前には現れるな。

それから



当時の俺はオスルニアのとある要人を狙っていた。

戦争に敗北したネプトラだったが、俺はまだ諦めていなかった。

志を同じくし、散っていった仲間達のためにもせめて一矢報いようとしていたんだ。

オスルニアに潜伏していた仲間の情報を頼りに、俺は要人がいると思われる建物へと侵入し、暗殺を試みた。

しかし……それは罠だった。

確かに警備の薄く、侵入は容易ではあった。

だがそれはヤツがいたからだったんだ。

恐らく情報を流した仲間は既にオスルニアに抱き込まれた後だったのだろう。

俺は騙され、ヤツと対峙することとなった。

俺はその時初めてヤツの姿を見た。

その体躯はもはやヒトのそれを遥かに超えていた。

身を包むのは所々薄汚れた布の服のみ。

しかし、そこから覗く肉体は鋼のように鍛えられ、その肌には無数の傷が刻まれている。

そしてその手には巨大な斧が握られていた。


俺はその瞬間、既に行動を開始していた。

まともにやりあって勝てる相手ではないことは承知だった。

だから速攻で仕掛ける。

正面からまともに打ち合うわけにはいかない。

まずは緊急脱出用の煙幕を張り、ヤツの視界を奪う。

手には暗殺用の毒針を仕込み、ヤツの背後へとまわる。

この毒は大の大人でも数秒で身体の自由を奪い、5分もあれば絶命させる劇薬だ。

いくら奴が強靭な肉体を持とうと、生き物である限り毒には敵わない。

毒針はヤツの急所を貫き、奇襲は成功した

……はずだった。


暴風が生まれる。

気づけば俺は宙を舞っていた。


しばらくの間何が起きたのか理解ができなかった。

目論見通りいけば今、俺の前にあるのは毒によって死の淵を彷徨うヤツの姿があるはずだった。

しかし煙幕は晴れ、そこにあったのは俺を見下ろすヤツの姿があるだけだ。

俺は体の痛みに耐えながら、即座に体勢を立て直す。

目の前には既にヤツの斧の刃先が迫っていた。

俺は咄嗟に後方へ跳び、辛うじてその攻撃を回避した。

そのまま一旦距離をとり、反撃を試みようと思ったがヤツの行動は早かった。

一気に俺との距離を詰め、斧を持っていない右手で俺の首を掴む。

骨が砕かれるほどの圧力が俺の首を絞める。

恐らく、ヤツの力なら掴んだ時点で首の骨を折るなんて造作もないはずだった。

すぐにそれをやらないということは、俺から情報を聞き出すつもりもあったのだろう。

死んでもごめんだった。

俺は右手の毒針を握り直し、最後の力を振り絞ってヤツの眼に突き刺そうと試みる。


鮮血が飛び散った。


全身を浮遊感が包み、間もなく地面への落下が始まった。

こちらを見据えるあの両の眼を俺は今でも夢に見る。



『黒衣に身を包む美女』


こんにちは旅人さん。

今日はいい天気ですね。

……ふふ、わかっていますよ。

お待ちしておりました。ご案内しますね。



……これは、あの人から授かった手紙です。

私はしばらく席を外しますので

それでは、ごゆっくり



『ある男の手紙』


この手紙を読んでいると言うことは……まぁ、そういうことなのだろう。

結局、俺には何も果たせなかったってわけだ。


最初は剣闘士だった。

俺には妻と、娘がいた。

どうしようもなかった俺を救い、支えてくれた愛しい妻。

生まれつき身体が病弱で、それでもいつだって健気に笑い、俺に光を与えてくれる娘。

家族のために金を稼ぐ必要があった。

だが、俺に学はない。

商才も無く、頼れる人間も周りにいなかった。

唯一の取り柄は親から授かったこの肉体と、スラム育ちで培った腕っ節の強さだけだ。

今まで他人から奪うだけの人生だった。

奪われる前に奪わなければ、己の身すら守れなかった。

だがそんな俺にもようやく守りたいと……奪われたくないと思えるモノができた。

これまでの所業を考えればムシの良い話かもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。

俺は決めた。

どんなことをしてでも家族は守る。

家族のために……俺は戦い続けると。


遠い異国の地での戦いの日々が始まった。

戦って

戦って

戦って

戦いに明け暮れた。

幸い、俺は強かった。

対戦相手はどいつも強敵で、生傷が絶えることはなかったがそれでも負けることはなかった。

故郷への仕送りも順調だ。

もう少し……もう少しだけ勝ち続けられれば、しばらくの間一つの家族が慎ましく生活できるくらいには金が貯まる。

剣闘士の生活も悪くはなかったが、いつかどこかで限界が来ることは分かっていた。

あと数回の試合を乗り越えたら故郷に帰るとしよう。

その後は土いじりでも始めて……平和に暮らすとしよう。


しかし、その願いが叶うことはなかった。


最後の試合で俺は敗北した。

それだけでは無く、その戦いで瀕死の重傷を負うこととなった。

怪我の治療には莫大な資金がかかり、それは俺の負債となる。

それは一個人が返済できる金額ではなかった。

そう、俺は嵌められたのだ。

闘技場で勝ち続けた俺が抜けることを主催者は許さなかったのだろう。そして俺がヤツらの思い通りにならないことを見越し、俺を堕とすことに決めたのだ。

こうして莫大な負債を抱え、その時点で返済の術を持たなかった俺は、とある貴族の奴隷となった。


死が救済となる場所を、人は地獄と呼ぶのだろう。

このような世界があったことを、俺はその時まで知らなかった。

その家には人間がいなかった。

人間の形をした悪魔か、人間の形をした奴隷がいるだけだった。

悪魔は奴隷のことを人間は愚か、モノ以下の存在として扱った。

俺は大人の男で、それなりの強さを持っていたからまだマシだった。

受けた仕打ちと言っても購入した武器の的にされる、様々な毒が入った料理を致死量限界まで食べさせられるくらいで、まだかわいいものだ。

きっと闘技場のオーナーから高額で購入したということもあったのだろう。

しかし、他の奴隷は違った。

決してあってはならない暴虐が、陵辱が、そこにはあった。

当然、幾度も反旗を翻すことを試みた。

その度に刻まれた術式によって阻まれ、無関係な奴隷の命が散った。

その後も変わらず奴隷たちは消費され、ゴミのように捨てられる。次第に抵抗する気力も失われていった。

そんな地獄のような日々が永遠に続くかと思われていたが、それは唐突に終わりを告げることになる。

戦争が始まったのだ。


悪魔によって飼われていた奴隷たちは、全員が国の命により徴兵された。

ヤツは最後まで抵抗していたが、よほど余裕がなかったのか軍のヤツらは必死だった。

こうして一時的にでも外の世界に出ることができた俺たちではあったが、結局そこにも救いはなかった。

遠くでは常に人が殺し合っていた。

さっきまで隣にいたヤツの首が飛ぶ。

昨日まで一緒に苦難を乗り越えてきた仲間は一瞬で粉々になった。

悪魔に虐げられ、夜はいつも泣いていた子供はもう泣くことも出来なくなった。

そんな中で俺は無我夢中で戦い続けた。

迫り来る敵を殺して

殺して、殺して、殺して、殺して

右手に掴んだ斧……軍から唯一支給された粗悪な鉄の塊をふるい続け、俺はその地獄を生き延びた。


幾多の戦場を越え、奴隷の中で生き残ったのは結局俺一人だけだった。

国からの恩賞として俺は奴隷から解放されることとなった。

長年の間俺を蝕み続けた奴隷の刻印が消え、服従の術式が解除される。

その後俺は屋敷へと向かい、即座に悪魔の首を刎ねた。

あれだけ俺たちを苦しめ続けた悪魔はあっさりと死に、後に残るのは醜い中年男の首だけだった。

俺は屋敷に火を放ち、国を出た。


国を出てからは傭兵稼業をこなしつつ、資金を貯め、故郷に戻ることが目標となった。

傭兵稼業は俺の性に合っていたのだと思う。

盗賊に攫われた娘を助けたり、暗殺者の魔の手から要人を守ったりした。

今まで命を奪い続けた俺が、誰かを守ることで金をもらい、感謝された。

嬉しかった。


俺は明日、とある国に向かう。

そこでは元ネプトラ軍の残党が賊と化し、一般市民を襲っているらしい。

ちょうど近くにいる俺がオスルニアの増援が来るまで救援に向かうこととなった。

報告では敵の数は多く、どこから手に入れたのか装備も最新……現地の状況はあまり良くないみたいだ。

……もしかしたら俺はこの戦いで死ぬかもしれない。

だから、手紙を遺すことにした。


今まで自身がした行いへの懺悔と

長い間姿を見せず、結局帰ることも叶わなかったことへの謝罪と

俺のような人間と家族になってくれてありがとうという感謝を

我が愛する妻と……娘に届けるために。



『旅人』


「英雄アドレスタンここに眠る」


一面の花畑の中央にその石碑はあった。

傍に聳え立つ巨大な斧を彼女は掴む。

小柄な身長に不釣り合いなそれを肩にかつぐ。

全身へ確かな重みを感じ、その顔に思わず笑みが浮かんだ。


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