第九話『常世の国』
気がつくと奇妙な場所を歩いていた。山のように積まれた本。そこかしこに浮かぶ仮面。足元や壁には歯車が無数に顔を出し、隙間は見たこともない植物が埋めている。
すれ違う人々は一人残らず変わっていて、道化師のようなメイクをしていたり、頭がやたらと大きかったり、バレリーナのような格好をしていたり、とてもではないが話しかけづらい人ばかりだ。
ここはどこなんだろう。天井を見上げれば逆さまの状態で食卓を囲う人たちがいる。あまりにも現実離れした光景に目眩を感じていると、急に目の前に障子が現れた。
「……今度はなに?」
後ずさると、障子が勝手に開いた。その向こう側には全く違う景色が広がっている。
おそるおそる覗き込んでみると、そこには蓮の花が浮かぶ湖が広がっていた。
―――― おいで。
誰かに手招きをされたような気がした。誘われるように障子の向こうへ足を踏み込むと、障子は漂う霧に溶け消えてしまった。
オレが立っている場所は湖に浮かぶ大きな屋敷。板張りの床を歩いた先には木製の重厚な扉があり、その扉も勝手に開いた。導かれるままに進んでいいものかと迷ったが、立ち止まっているだけでは不安が増すばかりだ。ええいままよとばかりに中へ入ると、少し先にある障子が開く。そこを通れば別の障子が開き、しばらく同じ事を繰り返していると、ようやくゴールに辿り着いた。
そこには一人の少年がいた。狩衣を身に纏い、長い黒髪を首元で結んでいる。
「君は……?」
「わたしの名は天音忠久。君の先祖だ」
先祖。それに、忠久という名前。たった二つの情報を呑み込むのにたっぷり5分を要した。その間、忠久はおかしそうに笑っていた。
「先祖って……、マジ?」
「マジだぞ、八雲と靖友の子よ」
ドキッとした。八雲と靖友。それは死んだオレの両親の名前だ。
「さて、色々と疑問もある事だろう。時間は限られているが、可能な限り答えよう。なんでも聞くがいい」
「聞くがいいって言われてもな……。じゃあ、ここはどこなんだ?」
「ここは龍脈の内部空間だ。わたしは伏魔殿と呼んでいる」
「伏魔殿……? それに龍脈の内部って……」
「そのままの意味だぞ。ここは地の龍の体内だ。混沌が渦巻く魂の源泉。常世の国。魑魅魍魎の棲家だ。わたしはその一区画を間借りしている。こうして子孫と会うためにな」
説明されると余計にわけが分からなくなった。解説役の健吾がいないことが悔やまれる。
「それよりも聞きたい事はそんな事か? わたしならばすべての疑問に答える事が出来るぞ。例えば、そう。守護神・羽竜牙の事でもな」
「ウルガの事でも……」
レオの顔を思い出す。それから、あのアルヴァのこと。
「……ウルガって、なんなんだ? それに、アルヴァも! あんな怪物、今まで存在すら知らなかったのに、どうして急に現れたんだ!?」
「まず、
「えっと……。むかし神様に産み落とされて、アルヴァとかと戦った後に日本になったんだっけ?」
健吾から聞いた話を思い出しながら言うと、忠久は「間違ってはいない」と頷いた。
「はじめ、地の龍は己の身を守る為に四方に守護者を置いた。北に
思った以上に壮大な話だった。圧倒されているオレに構わず、忠久は話を進めていく。
「今より千年前。要するにわたしが生きていた時代、滅魏怒が蘇った。それも、嘗てとは比較にならない力を得た状態で。我々は戦ったが、所詮は人の力で抗える存在ではなかった。妖怪変化とは比較にならぬ神の力にまさしく絶望を味わったよ。数多くの同朋が死に絶え、生き残った者はわたし一人。その時だった。わたしが地の龍の言葉を聞いたのは」
健吾が言っていた通りだ。ウルガやアルヴァだけではなく、忠久の伝説も本当だった。
これまで培ってきた常識が僅か一日の間に叩き壊されてしまった。
「地の龍はわたしの同朋の魂に新たなるカタチを与えた。そして、わたし達を護国島に導き、覇竜牙の亡骸と契約を結ばせた。我らの魂を喰らう事で覇竜牙は新生し、羽竜牙となった。その後、羽竜牙は滅魏怒を再び封印する事に成功し、それ以後は襲いかかる外敵を滅ぼす日本の守護神となったのだ」
「……なんか、途方もない話だな」
「そうだろうな。この時代の人間からすればまさしくお伽噺だ。だが、すべて事実なのだ」
聞いているだけで疲れてしまった。なんだか、頭がくらくらする。
「おっと……。そろそろ時間のようだ。
「……ここにはどうやったら来れるんだ?」
「覇竜牙に祈りを捧げることだ。捧げた分だけこの世界に留まる事が出来る。だが、忘れるな。ここは常世の国。伏魔殿である事を――――」
忠久の声が遠のいていく。視界は闇に染まり、そして、オレの意識は沈んでいった。
◆
気がつくと、俺達は龍鳴山の洞窟に横たわっていた。まるで、夢でも見ていたかのような気分だ。
起き上がって辺りを見回すとすぐ傍で翼が倒れていた。坂巻と赤羽さんの姿もあるが桜井を含めた特定災害対策局とかいう連中の姿はない。
「……夢じゃないよな?」
翼は熟睡しているのか、いくら揺すっても起きなかった。反対に坂巻と赤羽さんは声を掛けただけで飛び起きた。
「あ、あれ!? 僕達、ウルガの神殿にいた筈じゃ……」
「戻ってきたのか……?」
全員が同じ夢を見ていたわけでもない限り、やはりアレは夢では無かったという事だ。
ためしにスマートフォンでSNSのアプリを開いてみる。そこには予想通り、アルヴァ関連の情報が溢れかえっていた。
東京湾に出現した時の様子から燃え盛る中でアップロードされた被害者の死の瞬間の映像まで、これが虚構の情報ではないと証明している。
阿鼻叫喚とはまさにこの事だ。ニュース番組の映像もアップロードされている。責任を追求されている官僚に思わず同情してしまった。こんな異常事態の責任なんて追求されても困るだろうに。
被害者達の追悼番組も既に始まっているらしい。友達が死んだ。親が死んだ。子供が死んだ。そういうつぶやきもちらほら書き込まれている。
巨大生物の出現。現実離れした出来事に日本中が大混乱だ。
「大丈夫かい?」
赤羽さんに声を掛けられた。
「あ、はい。大丈夫ッス」
「なら、ここを出よう。翼くんを布団で寝かせてあげたいし」
「はい」
翼を抱き上げて、赤羽さんの後を追う。
「桜井さん達、いないね」
「ああ、一緒に来たのかと思ったんだけどな」
桜井達も俺達と一緒に地面に吸い込まれていた。連中はどこに行ったんだろう。
「気にしていても仕方がない。あまりにも非科学的過ぎる。いくら考えても答えなんて出てこないよ。それよりも和尚様達にいろいろと話を聞かないと」
たしかに、赤羽さんの言うとおりだ。今起きている事態に対して、俺達が持っていた知識や常識はまったく通用しない。
◆
龍鳴寺に戻ってくると、赤羽さんは車を取りに行った。何はともあれ、まずは翼をちゃんとした場所で寝かせてやる事が最優先だ。
赤羽さんの車は去年発売されたばかりのレクサスだった。とても清貧を尊ぶ僧侶の乗る車とは思えないほどにイカしている。外側だけでなく内側まで洗練されていて、翼を座らせながらついつい車内を見回してしまった。
「ははっ、気に入ったかい? 運転してみると更に気にいると思うよ。アクセルの踏み応えがそこらの凡車と比較にならないんだ。ブレーキにも細心の技術が使われている。デザインだけじゃない。操作性も天下一品さ」
どうやら、赤羽さんは車が趣味の人間らしい。翼の家に向かう道すがら、いろいろな話を聞かせてくれた。俺にはまだまだ遠い未来の話だけど、いつかはこういう車を運転してみたい。見晴らしのいい場所で、出来れば助手席には……っと、着いたみたいだ。
翼は起きる気配を見せない。抱き上げて神社の境内に入る。梁兼の爺さんの姿は見えない。もう深夜になるが、翼が帰ってきていないのに寝ているという事もないと思う。
「とりあえず、俺は健吾くんを家まで送ってくるよ」
「あ、はい!」
坂巻は走っている途中で眠ってしまった。俺だって、かなり眠たくなっている。なにしろ、濃厚な一日だった。
「戻ってくる時に一度寄るつもりだけど、康平くんはどうする?」
「とりあえず翼と一緒にいます。うちは放任主義だし、翼の家で泊まる事もしょっちゅうなんで」
「わかった。じゃあ、また後で」
「はい」
赤羽さんと坂巻を乗せたレクサスが去っていくのを見届けた後、母屋の方に向かっていく。
「おーい、爺さん!」
母屋に入って声を張り上げるが、返ってきたのは重い沈黙だった。
「まさか、寝てるのか?」
翼を部屋に送り届けて布団を敷き、その上に寝かせる。
「……梁兼の爺さんを探しに行くか」
寝ているならそれでもいい。だけど、もしも翼を探して外に出ているのなら大丈夫だと安心させてやりたい。割りとクソジジィだけど、幼い頃から世話になっている人でもある。老骨にこの季節の夜の冷え込みは応えるだろう。
案の定、寝室や居間にはいなかった。風呂場や便所も確認したが、そこで居眠りをしている様子もない。外に探しに行こうとしたら、丁度レクサスの排気音が近づいてきた。境内にある駐車スペースに駐めて、赤羽さんが出て来た。
「やあ、康平くん。戻ったよ」
「おかえりなさい。どうも、梁兼の爺さんが翼を探しに出掛けてるみたいなんだ。これから探しに行こうと思ってるんですけど」
「もしかしたらうちの寺にいるのかもしれないな。そうなると、行き違いになってしまったか……。俺は寺に戻るよ。居ても居なくても連絡を入れるけど、起きていられるかい?」
「大丈夫ッスよ。でも、それなら探しに行かない方がいいかな?」
「とりあえず俺が連絡するまでは母屋の中で待っていてくれ。居なかったら、また戻ってくるよ。それで探しに行こう。ああでも、無理そうなら寝てしまって構わないからね」
「了解」
赤羽さんは再びレクサスに戻って龍鳴山の方へ出発した。母屋に戻ると、そのまま居間へ向かう。勝手知ったる他人の家。電灯とテレビを点けて、コタツの電源を入れる。みかんを食べようと思って食卓の上の籠を持って来ようとしたら、そこに一通の手紙が置かれている事に気がついた。
「なんだこれ?」
そこには翼宛という文字があった。
「……起こしたほうがいいかな?」
少し迷った後、俺は手紙を開いた。この文字は梁兼の爺さんのものだ。もしかしたら、どこに行ったのかが分かるかもしれない。
「……はぁ?」
読み進めていった先には予想外の内容が記されていた。
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