第六話『導きの祈り』
はじめ、第2護衛隊群第六護衛隊こんごう型護衛艦『きりしま』の船長、
きりしまに搭載されたイージスシステムによる東京湾沖に出現した巨大生物の追跡。海洋研究の為かと問えば、そうではないと返された。
巨大生物の体長は80メートルを越え、体内で核融合を行い、そのエネルギーを光線として吐き出すという。とてもではないが信じる事の出来ない話だ。海将の頭がおかしくなったのかと本気で心配してしまった。
だが、この命令は自衛艦隊司令官
「定時報告! 目標に動きはありません!」
報告を受けながら、飯島は眉間に皺を寄せた。
情報通り、巨大生物は実在した。現在、第1護衛隊群第一護衛隊と地方配備部隊第十一護衛隊で巨大生物を三点方向から監視している。上空には米軍のヘリと戦闘機が臨戦態勢を維持し、緊張状態が続いている。
まるで、戦争が置きたかのような状況に、飯島は恐れを抱いていた。自衛隊に入隊し、これまで戦地や災害地での救援活動に従事した事もあるが、戦闘行為などはじめてだ。部下を不安にさせまいと表情には出さないが、得体の知れない巨大生物から直ぐにでも逃げ出したいと腰が引けてしまっている。
「船長! 目標に動きが!」
なんど見ても誤作動を疑いそうになる、レーダーモニターに映る巨大な影は、たしかに動いていた。その進行方向の先にあるのは……、東京。
◆
―――― 2018年12月14日。20時26分。
陽はとうに沈み、月も曇天に覆い隠されている。光源のない海は純黒の闇で満たされていた。その闇を一筋の光が引き裂く。
空を飛ぶ者。それは、その存在にとって憎悪の対象だった。アレと比べれば小さく、すばしっこいだけのゴミのようなもの。それでも、ソレは苛立ち、怒りの咆哮を熱線と共に吐き出した。
避ける間もなく熱線に呑み込まれた戦闘機は次々に蒸発していく。緊急離脱する暇さえ与えられない。墜ちて地上へ帰る事すら許されない。骨を家族の下へ届ける事も叶わない。
目障りなハエがいなくなり、ソレは陸を目指して移動を始める。
空を飛ぶ者が憎悪の対象ならば、陸に蠢く人間達は嫌悪の対象。人間がゴキブリを生理的に厭うように、ソレは人間という種を厭う。存在している事が悍ましく、捻り潰さなければ我慢がならない。
破壊神・アルヴァ。これまで、守護神によって守られてきた日本という国の領土へ踏み込んでいく。撃退する為に動き出した戦艦はすべてのミサイルを打ち尽くす間もなく蒸発させられ、新たに基地より発進した戦闘機も軒並み落とされていく。
特定災害対策局が全世界の国々に配備しているRiフィールドと呼ばれる不可視の防壁も破られ、その姿がカメラのスコープに映り込む。人々はその映像を見て、まっさきに映画や特撮を想起する。誰一人、それを現実の光景とは受け止めない。ありえないからだ。
ある科学者が言った。一定以上の巨大生物は自重によって潰れてしまう。まともに動く事など出来ない。だから、そのように生物が進化することなどありえない。
その思考は一般人のみならず、警察や情報の行き渡っていない自衛隊や政府の役人にも共通していた。故に、生きた災害が接近していても、誰も逃げない。それどころか、面白半分にアルヴァが見える場所へ殺到する。数日前の大津波によって進入禁止になっている地区へスマートフォンやデジタルカメラを構えて乗り込み、興奮した様子で海を見る。
ネット上では、巨大生物の存在が事実だったと認める言葉や情報、動画、写真がアップロードされ始めるが、SNSに投稿されるものの多くは海をバックにした自撮り写真だった。
そして、あらゆる防衛網を難なく突破したアルヴァはゆっくりと海上で体を起こす。
鼓膜を揺さぶる鳴き声に、ようやく人々は忘れていた感情を思い出す。あらゆる生物に備わっていた筈のもの。生命が脅かされる事に対する絶対的な恐怖。逃走しろと叫ぶ本能。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う人間達を見つめるアルヴァが抱くものは、やはり嫌悪感。気色が悪く、疎ましい。
動くな。生きるな。存在するな。
アルヴァの口に真紅の光が宿る。文明を滅ぼす破滅の光が海岸に伸びる。そして、アルヴァは首を振るい、海岸に蠢く無数の人間を、その土台ごと薙ぎ払った。
赤く焼けた大地に、生き物の伊吹はない。一瞬の内に数万の命が消滅した。
その光景を見てしまった者達の心は軒並み折れる。勇敢な筈の自衛官も、米軍の兵士も、ウルガと共に戦い続けてきた筈の特定災害対策局日本支部の局員も、誰もが立ち向かう気力を失った。
戦闘機を撃ち落とす為に天に向けて放たれた熱線の影響か、雨が振り始め、雷鳴が轟く。
アルヴァはゆっくりと陸へ上がった。その眼は冷やされ始めた平野の先。熱線の効果範囲からは逃れたものの、超高温によって野外でありながら蒸し焼きにされた人々が織りなす地獄の更に先。地獄の入り口の前で踏みとどまる平穏。それを破壊する為にアルヴァは歩く。
そして――――、
◆
その映像に、オレ達は言葉を失った。とても、現実で起きた事とは思えない。
「……嘘だろ?」
幸人さんがよろよろと後ずさる。
「これは事実だ。現在、時刻は20時34分。おそらく、アルヴァは上陸を果たしてしまっている。このままでは東京が……いや、日本が滅ぼされてしまう! あの化け物に立ち向かえる存在はウルガ以外にいないんだ!」
「……馬鹿言うなよ」
立ち向かう? 戦闘機や戦艦を焼き払い、数万の人間を殺した怪物に?
「レオは生まれたばっかりなんだぞ! 赤ん坊に何をさせる気だよ!」
「赤ん坊でも、他にいないんだ! 既存の兵器は一つも役に立たない! 君がウルガと対話出来るのなら、どうかウルガをアルヴァと戦わせてくれ!」
「出来るわけないだろ! あんな怪物にレオが勝てるわけないじゃないか!」
そもそも、サイズが違い過ぎる。相手は高層ビルにも匹敵する大きさだ。だけど、レオはデカイと言っても大型トラック程度のものだ。いくら守護神でも、勝ち目などある筈がない。
「なら、日本が滅ぶのを傍観するのか!? ここに対抗手段があるのに!」
「レオを兵器みたいに言うんじゃねーよ!」
オレが怒れば、レオも怒る。それが分かっていても、怒りがおさまらない。
リーダーの言っている言葉の意味は分かる。このままだと日本が危ない事も、レオ以外にアルヴァと戦える存在がいない事も。今この瞬間にも人が死んでいるかもしれない事も。
だけど、その為にレオを戦場に送るなんて、出来る筈がない。
「分かってくれ! 他に方法がないんだ!」
「お前、生まれたての赤ん坊をライオンの檻に入れられんのかよ!?」
「相手はアルヴァで、赤ん坊と言えどもウルガだ!」
怒りが爆発した。リーダーに掴みかかって、拳を振り上げる。理性なんて、一ミリも働かない。この男を黙らせる。それ以外の思考がすっぽり抜け落ちた。
「翼!」
振り上げた腕を誰かに掴まれた。振り返って睨みつけると、そこには康平がいた。
「離せよ」
「落ち着けよ、翼。お前……、鬼みたいな顔だぞ」
表情を歪める康平の瞳には、彼の言うとおり鬼のような形相を浮かべている自分がいた。
「……だって、こいつらが」
感情が荒れ狂い、制御が利かない。涙がボロボロとこぼれ落ちてきた。
「翼……」
その時だった。レオが「キュー」と鳴いた。その鳴き声の意味が、オレにだけは正確にわかった。レオも見ていたのだ。タブレットの先で暴れまわる破壊神の姿を。
レオの鳴き声には使命感が宿っていた。戦わなければいけない。そう、信じている。
「レオ……?」
「キュー! キュー!」
「馬鹿言うなよ! 見てたんなら分かるだろ! あんな怪物に勝てるわけない! レオは赤ちゃんなんだ! 守られる方なんだよ!」
「キュキュ!」
どうしてなんだ。生まれてきたばかりの癖に、レオは決意を固めてしまっている。何を言っても、意見を覆さない。
行かせてしまったら、レオが怖い思いをする。痛い思いをする。ひょっとしたら、殺されてしまうかもしれない。そう思うと身の毛がよだつ。恐ろしくて、恐ろしくて、頭がおかしくなりそうだ。
「キュー……」
オレの苦悩を感じ取ったのか、レオは謝ってきた。
そうじゃない。謝ってほしいわけじゃない。ただ、行きたくないと言って欲しいだけだ。戦いたくない。生きていたい。そう言ってくれるだけでいい。
「キュー!」
だけど、レオは戦う意志を曲げない。
「桜井部隊長! アルヴァがお台場に到達しました! 現在、逃げ遅れた人々の救助活動を行っていますが……、あぁ……」
途切れた言葉が意味するものをオレは察してしまった。お台場が破壊されたのだろう。
もしかしたら、レオならば止められたのかもしれない惨劇。
「……翼。レオは行きたいって言ってるんだろ」
康平が言った。
「だったら、行かせてやれよ」
「……レオは赤ん坊なんだぞ」
「それでも、戦おうとしてるんだろ? カッコイイやつじゃねーか」
顔を上げると、そこにはレオの顔があった。
「キュー!」
行かせて欲しい。その鳴き声にはレオの強い意志が篭められていた。
「……レオ」
体が震える。康平の言葉や、レオの意志を受けても、それでも怖い。
どうしてだろう。出会ったばかりの筈なのに、まるで、レオが自分の体の一部のように感じる。決して失いたくない大切な存在になっている。
「翼はレオを危ない目に合わせたくないんだよね?」
健吾が言った。
「……ああ」
「だったら、翼が力を貸してあげればいいんじゃない?」
「オレが力を……?」
健吾は力強く頷いた。その手には『贄守の巫覡』がある。
「君は贄守の巫覡なんだ。嘗て、君のご先祖様がやったように、君が守護神・羽竜牙に力を与えてあげるんだ!」
「いや、力を与えるって言われても……」
「出来る筈だよ! さっき、君が言っていたんだ! 『目覚めの祈り』で君はレオの孵化に立ち会った。そして、君の中に流れる血が龍鳴山の魔法陣を起動して、僕達をこの護国島に導いたんだ! 君なら、レオを助けてあげられる筈だよ!」
「オレが……、レオを……」
レオを見ると、「キュ!」という力強い鳴き声が返って来た。
「……翼くん、でいいかな?」
武装集団のリーダー。部下からは桜井部隊長と呼ばれていた男が声を掛けてきた。
「もしかして、君はエルミ様やマリアナ様と同じ力を持っているのかい?」
「エルミ様やマリアナ様……? えっと、誰のこと?」
「……知らないか。だが、彼の話によれば、君は祈りの力でウルガを孵化させた。そうだな?」
「た、たぶん……」
「ならば、やはり君にはお二人の力と同じものが宿っているに違いない。ウルガと意思の疎通が出来る事がその証明だ。詳しい事情を聞きたいところだが、今はどうか、力を貸して欲しい。彼が言っていたように、君ならばウルガの力になれる筈だ。君は『導きの祈り』を知っているか?」
ドキッとした。目を見開くオレを見て、桜井部隊長は「知っているんだな」と目を細めた。
「エルミ様とマリアナ様は『導きの祈り』でウルガを長距離転送していた。それから、『戦の祈り』や『守りの祈り』はどうかな?」
「……どっちも知ってます」
「そうか……。ならば、君はウルガの……いや、レオの力になれる。今一度言おう。力を貸してくれ」
オレは迷いながらレオを見つめた。
「キュ!」
戦う。レオの意志は固かった。
「……分かった。だけど、約束しろよ。絶対、生きて帰ってくるって」
「キュ!」
胸がズキズキと痛む。これから、この子を戦場へ送る。それが意味する事を考えると、やっぱり行かせたくないと思ってしまう。だけど、でも……。
「キュ!」
お願いされてしまった。これじゃあ、どっちが赤ん坊だか分からなくなる。
「……えっと、『導きの祈り』を踊ればいいのか?」
桜井部隊長に聞くと、彼は「ああ、頼む」と言って離れて行った。
「翼……」
康平が心配そうに見つめてきた。
「……レオが行きたいって言うんだ」
「そうか……」
「康平達も離れててくれ。それなりに動くから、スペースが必要なんだ」
「わかった」
康平達も離れていく。十分な広さを確保出来たところで、オレは今一度レオを見つめた。
「帰ってこなかったら……、怒るからな」
「キュー」
「冗談だよ」
涙を拭って、微笑んでみせる。
そして、両手を合わせる。
「……ウルガ ウルリヤ」
神楽を舞う。紡ぐ詩はあまり穏やかな内容ではなく、正直に言えば恐ろしくさえ思っていた。だけど、これがレオに捧ぐものだと思うと、むしろ歓びが湧いてくる。
「
見えない剣で胸を貫く。流れ出る血を両手で掬い、レオに捧げる。
「ウルガ ウルリヤ」
足元に、龍鳴山の時のような光が溢れ出した。
「
そうじゃないと気がついた。光はオレの体から溢れてきている。光は体を伝い、足の先へ伸びていく。舞いの足捌きの軌跡が光り輝く文様を描いていく。
「ウルガ ウルリヤ」
二心なく、この身を、この心を、この魂を捧げる事を証明する為に両手を広げて回る。
そして、胸に手を置いて、心臓を抉り出す。
「
最後に心臓を捧げ、首を差し出すと、足元の光が強まり、描いた紋章が拡大された。その光はレオの体に纏わりつき、その姿を覆い隠す。
そして――――、
「……いってらっしゃい、レオ」
光が消えた時、そこにレオの姿はなかった。
オレには分かった。レオはアルヴァの下へ向かったのだ。
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