第五話『護国島』

 幸人さんに案内されながら洞窟の中を進んでいく。光源の正体はヒカリゴケだった。微かな薄緑色の光に照らされて、なんだか異世界に迷い込んでしまったかのようだ。

 小学校の頃、康平の姉のさやかさんに遊園地へ連れて行ってもらった事がある。その時に入ったお化け屋敷を思い出した。オレが怪談やお化けが苦手になった原因の一つは間違いなく、あのお化け屋敷だ。

 

「大丈夫か?」


 嫌な事を思い出して不安が増したオレを康平が心配そうに見つめてきた。時々、この男は心が読めるのではないかと怖くなる。隠し事はたいていバレるし、こうして不安になったり、泣きたくなったりするとすぐに気付かれてしまう。


「べ、別に平気だ!」

「そうか? 昨日の事もあるし、体調が悪いようなら戻ろうぜ。坂巻だって、好奇心よりもお前の健康の方を優先する筈だ」


 それはどうかな……。

 前方を見ると、幸人さんに輝かしい笑顔でウルガの話を聞かせている健吾の姿がある。

 

「平気だってば、心配性だな」


 折角楽しんでいるのに、水を差すのも気が引ける。そこまで深くないと幸人さんも言っていたし、オレだって男だ。情けない事は言っていられない。

 引っ張られていた手を逆に引っ張る勢いで歩く速度を上げると、康平は苦笑いを浮かべやがった。少し握る手に力を篭めてみる。


「どうした?」


 まったく痛がる様子を見せない。今はシーズンオフでのんびりしているけど、康平は野球部に所属している。握力で敵うはずが無かった。


「別に……」


 しばらく歩いていると、急に空間が広がった。まるでドーム球場のように広々とした場所へ出て、その奥には鳥居と社の姿がぼんやりと浮かんでいる。なんとなく、うちの神社とデザインが似ている気がする。


「ここがゴールかな?」


 解説係の健吾は大はしゃぎだ。持参したカメラを手に走り回り、幸人さんが「危ないよ!」と追いかけている。

 仕方なく、オレ達は社の方を見に行くことにした。そして、ドームの中央まで来た時、急に変化が訪れた。


「え?」


 地面が急に光り始めた。


「お、おい、戻るぞ!」


 康平が叫んだけれど、オレの足はまったく動かなかった。

 いや、それどころじゃない。足が地面に沈み込んでいる。


「なにこれ!?」

「うわっ! なんだよ、これ!?」

「どうなってるの!? 体が沈んでいくよ!?」

「なんなんだ、これは!?」


 オレだけじゃなかった。康平や健吾、幸人さんも地面の中に吸い込まれていく。もう、腰まで浸かってしまった。体を引き抜こうと地面に手をつくと、その手も沈み込む。まるでドロドロの沼のような感触だ。


「た、助けて!」

「クソッ! 抜け出せない!」

「翼!」


 三人の叫び声が途絶え、オレの体は完全に地面の中に埋まってしまった。そして――――、


 ◆


「キュイ!」


 気がつくと、オレ達はレオの目の前にいた。


「……え?」

「は?」

「ええ……?」

「レオ……?」


 オレの声にレオが「キュイキュイ!」と反応すると、再起動した三人が悲鳴を上げて後ろ向きに走り出した。


「って、なにしてんだよ、翼!」


 オレが逃げていない事に気付いて、康平が戻ってくる。


「大丈夫だ、康平。こいつ、レオだ」

「はぁ? 意味が分からないぞ!」

「だから、ウルガだよ。うちの守護神」

「ウルガって……、はぁ!?」


 康平がレオを見上げると、レオは「キュ!」とキュートな声を上げた。声の割に、なんだか警戒している。


「怖がらなくていいぞ、レオ。こいつは康平。オレの友達だ」

「キュイ?」

「そうだよ、友達。大切な人。分かるか?」


 レオに近づこうとすると、康平に手を掴まれた。


「大丈夫だ」


 その手を振り解いて、レオに近寄ると、レオは「キュキュー!」と嬉しそうに鳴いた。


「しっかし……。やっぱり、夢じゃなかったんだな。いや、現在進行系で夢を見てるのかな?」

 

 ほっぺだと当たりをつけた場所を撫でてやると、レオは「キュッキュッ!」と気持ちよさそうに鳴いた。やっぱり、レオの気持ちが手に取るように分かる。不思議な感覚だ。


「翼くん! そこから早く離れるんだ!」


 どうやら、幸人さんが戻って来たようだ。青褪めた表情でこっちに駆け寄ってきた。


「ほら、はやく! 危ないじゃないか!」

「キュ!」


 レオが怒り出した。


「ああ、レオ。この人は幸人さん。この人もオレにとって大切な人だよ」

「キュ?」

「翼くん……?」


 とりあえず、どうしてこんな状況になっているのかは分からないけど、レオのことをみんなに説明した方が良さそうだ。

 離れると、レオは寂しそうに「キュー……」と鳴いた。胸がズキズキ痛む。


「ちょっと待っててくれ、レオ。みんなにレオを紹介するからさ。な? いい子だから、待てるだろ」

「キュー」


 寂しいながらも了解してくれたようだ。なんていい子なんだろう。


「ごめんな、レオ。ちょっとだからさ」

「キュ!」


 心なしか、キリッとした表情を浮かべたように見える。可愛いレオに頬を緩ませながら振り返ると、康平達は呆気にとられたような表情を浮かべていた。


「……えっと、とりあえず紹介するな。ウルガのレオだ」

「ウルガって……、守護神・羽竜牙!?」


 健吾がひっくり返ってしまった。


「だ、大丈夫か?」

「いや、大丈夫じゃないだろ。なんだよ、ウルガって……。それって、翼のところの神様だろ!?」

「そうだと思うぞ。ほら、そこにウルガの紋章もあるし」


 オレは前に見たウルガの紋章を指差した。


「本当だ……。これは、贄守神社や鬼門に刻まれている守護神の紋章じゃないか! しかし……、まさか……、神が実在するなんて……っていうか、ここはどこなんだ!?」


 幸人さんもさすがに混乱しているみたいだ。いつも絶やさない笑顔が剥がれてしまっている。


「オレもよく分かってないんだけど、昨日、『目覚めの祈り』を舞って気絶した時、ここに来たんだ」

「来たって……、でも、お前はずっと眠ってたぞ」 

 

 康平の言葉には驚かなかった。あの時、ここに入って来た武装集団から、オレの姿は見えていなかった。


「……多分、魂の状態で来たんだと思う」

「魂の状態……?」


 意味が分からないと、康平は怪訝そうな表情を浮かべた。オレも自分で言っておきながら、かなり突飛な話だと思っている。だけど、それ以外に思いつかない。


「幽体離脱……、という事かい?」


 幸人さんは眉間に皺を寄せながら言った。


「た、たぶん……」

「……俄には信じ難いな」


 そう言いながら、幸人さんはレオを見上げた。レオは「キュイ?」と困惑している。


「ウルガ……。伝説は聞いているが、まさか……」

「わかった!!」


 びっくりした。突然起き上がった健吾の叫び声にレオも「キュキュ!?」と驚いている。


「分かったよ、ここは護国島ごこくじまなんだね!」

「うた……え? なにか知ってるのか?」


 康平が聞くと、健吾は自信満々にカバンから一冊の本を取り出した。一体、何冊の本を持ち歩いていたんだろう。


「護国島。別名『楽園』。つまり、翼のご先祖様である贄守忠久が地の龍と南海の王に導かれて来た守護神・羽竜牙の棲む島なんだよ! つまり、僕達は忠久と同じように龍脈を通ったんだ! うわー、凄いよ! 伝説は本当だったんだ!」


 ハイテンションな健吾の説明にオレ達は「そうなんだー」と返しながら彼が落ち着くのを待った。おそらく、この状況を理解して、説明出来るのは健吾だけだ。


「キュイ」


 驚かされた事に怒っているのか、レオが健吾を睨んだ。とりあえず、健吾のテンションが上がっている間に紹介しておこう。


「こいつは健吾だ。オレの友達で、二人と同じくオレの大切な人。だから、怒らないでやってくれ」

「キュー……」


  渋々納得してくれたようだ。


「……さっきから思ってたんだけど、翼くんはその……、ウルガと会話が出来るのかい?」

「会話っていうか……、レオの気持ちが伝わってくるんですよ。それに、オレの言葉もレオには分かるみたいです。だから、一応は会話が成立しているのかな?」

「……ってか、なんでレオなんだ?」

「フィーリング!」

「……フィーリングかよ」


 何故か、康平が呆れたような視線を送ってくる。


「なんだよ……」

「いや……、いいんじゃね?」

「オ、オレのネーミングセンスに文句でもあるのか!?」

「キュー!」


 おっと、レオの怒りの感情で頭が冷えた。


「ああ、違うって! 今のは本気で怒ったわけじゃないんだ。だから、レオも怒らないでくれよ」

「キュー?」

「軽口っていうか、こういう交流の仕方なんだよ」

「キュー」


 とりあえず、分かってくれたみたいだ。


「すごいよ、翼! さすが、贄守の巫覡の後継者!」


 健吾に褒められた。とりあえず、さっきよりも落ち着いてきたみたいだ。


「お、おう。それより、いろいろと教えてくれよ。今って、どういう状況なんだ?」

「多分だけど、あの場所は儀式場だったんだと思うよ。あの光、全体像は見えなかったけど、巨大な紋章を描いているようだった。きっと、贄守の巫覡である翼に反応して、魔法陣が起動したんだよ」

「魔法陣? なんか、どんどんファンタジーな話になってきたな」

「そうだよ、ファンタジーだよ! すごいよ、翼! まさか、こんな事になるなんて! 魔法は本当にあったんだ! 守護神・羽竜牙も実在した! 龍脈でワープした! 僕、僕、感動してるよ!」


 健吾の言葉にオレも段々テンションが上がってきた。

 よく考えてみると、たしかに凄い事だ。だって、ワープだ。魔法だ。あったらいいなとは思っても、実在するとは一ミリも考えた事のないものが実在したのだ。

 むしろ、健吾の反応こそが正常なのだ。


「……浮かれてる場合じゃないだろ」


 康平が水を差すような事を言ってきた。


「康平……?」

「なあ、坂巻。俺達は帰れるのか?」


 その言葉に健吾の表情が強張った。


「……それは、分からないけど」


 健吾が分からない。つまり、オレ達にも分からないという事だ。

 たしかに、龍脈を使った移動にテンションを上げている場合じゃなかった。島の名前は分かったけど、どこにあるのかも分からない。船や飛行機がある可能性も薄い気が……、いや待てよ。


「そうだ! たしか、ここには人がいる筈だぜ」

「人が?」

「おう! 前に来た時、武装した変な集団がいたんだ」

「武装した変な集団……?」


 康平は険しい表情を浮かべた。


「ちょっと待てくれ。武装した集団がいるのかい……?」


 幸人さんも表情を曇らせている。


「う、うん」


 落ち着いて考えてみると、人がいるのはいいが、武装した集団が友好的な存在とは思えない。下手に遭遇したら、帰るどころか命の危機にさらされる可能性もある。


「キュー?」


 オレの不安を察したのか、レオが心配してくれた。


「大丈夫だよ、レオ。……そうだ。なあ、レオ。ここからオレ達のいた龍鳴山まで戻る方法を知らないか?」

「キュ?」

「……うん。そうだよな。生まれたばっかりの赤ちゃんに何を聞いてるんだろうな、オレ」


 レオにも分からないようだ。八方塞がりな状況に頭を抱えそうになった時、急に外が騒がしくなった。


「こっちに来い、翼!」

「健吾くんもだ!」


 オレと健吾は康平と幸人さんに引き摺られてレオの脇に身を隠した。

 少しすると、あの武装した集団が入って来た。


「おお、目覚められたのですね! どうか! どうか、力をお貸し下さい! ヤツが来ているのです! 我らだけではヤツを退ける事が出来ませんでした。間もなく上陸してしまいます! あのアルヴァが!」


 その言葉と同時に健吾が飛び出してしまった。


「アルヴァ!? アルヴァもいるの!?」

「お、おい、健吾!」

「馬鹿!」

「さ、三人共!」


 咄嗟にオレも飛び出してしまった。そのオレを引き止める為に、康平と幸人さんも武装集団の視界に姿を晒してしまった。


「なっ!? 何故、子供が!? それに、え? 僧侶!?」


 武装集団のリーダーらしき人物がヘルメットを外した。そこから現れたのは予想よりも若い男の人だった。彼は幸人さんを見て目を丸くしている。なんだか、悪い人では無い気がした。


「き、君達! 何故、そこに……。というか、何故、この島にいるんだ!? ここは地図にも乗っていないし、通常の手段では立ち入る事の出来ない島だぞ!」


 さて、どう答えたものか……。


「キュー!」


 まずい。レオが大分怒っている。


「待った、レオ!」


 ゆっくりと武装集団に向かって体を動かし始めたレオの前に躍り出る。


「キュー?」

「ほら! あとで、また踊ってやるからさ! あんまり怒るなよ」

「キュー……」


 しまった。落ち込ませてしまったようだ。


「怒ってないぞ! 全然、怒ってない。ほら、大丈夫だから落ち込まないでくれよ!」

「キュー」

「ほんとだって! レオに嘘なんてつかないよ」

「キュ!」

「よーし、いい子だ」


 レオは物分りがいい。なんて賢い子なんだろう。


「……き、君はウルガと対話が出来るのか!?」


 武装集団のリーダーが驚いたように言った。


「えっと……、はい」

「なんと……。ならば、君達の正体や島に入り込んだ経緯は後回しだ! どうか伝えてくれ! アルヴァと戦うように!」

「はぁ? いや、何言ってんだよ。戦うって……、レオは赤ちゃんだぞ!?」

「悠長な事を言っている場合ではないんだ! アルヴァが東京湾に既に入り込んでいる! 既に、湾岸線に被害が出ているんだ! このままでは、東京が壊滅してしまうんだ!」

「いや、何言って……」

「……ああ、くそ! 朝比奈! タブレットを寄越せ!」


 リーダーの男性は朝比奈と呼ばれた人物からタブレットPCを受け取ると、オレ達に向かって動画を見せてきた。


「これが現在の東京の状況だ!」


 そこには地獄が広がっていた――――。

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