第十章『開花~後編~』

 学園に戻り真っ先に向かったのはカフェテリアだった。既にプリムラを呼び出しておいてある。

 ジャスミンと談笑している様子の彼女の姿が目に入る。

「突然呼び出してしまって申し訳ないです」

「ううん、良いよ。それでどうしたの? 能力の修行はもう出来ないよ」

「思考や電波を傍受される恐れがあったのでメッセージでは話しませんでしたが……さっき、ゼラニウムのメンバーの内一名と出会い、交戦しました」

 桐也きりやの言葉を聞いて、プリムラの表情が少しだけ堅くなる。

「無事に帰って来てるって事は、能力は通用したんだ……それで、相手は?」

「……相手は、リナリアでした」

 彼女の瞳から光が消え失せたかのように見えた。しかしそれは錯覚で、すぐにプリムラは切り替えて口を開く。

「彼女は何を言っていた?」

「プリムラさんは、親友だと」

「……そう」

「そして親友と敵対しても、やり遂げる事があると」

「でしょうね……」

 プリムラは頭を抱えて俯いた。流石にこの事実は堪えたのだろう。

 話を聞いていたジャスミンが代わりに語り始めた。

「アイツ、誰よりも正義感の強いやつだったんだよ」

「ジャスミンさん……」

「今起きてる事件と似たような事は以前にもあった。その時リナリアは生徒の安全を確保する為に命懸けで犯人に立ち向かって行った。当時はそれほど強くなかったから酷い重症まで負って……それでも負けず嫌いだから怪我があろうと立ち上がって戦おうとしてた。そんなヤツ」

「その正義が、間違った方向へ……」

「間違っている……あくまで私たちから見ればね」

「ジャスミンさん、アイツらの肩を持つんですか!?」

「そうじゃない。でも世界はいつだって勝った方に従う。従わざるを得ない。もしもゼラニウムが世界を統治する事になってしばらく経てば、奴らがテロリストとして恐れられていた事なんて忘れ去られてしまう。いえ、寧ろ革命家として英雄視される事だってあるでしょう」

「確かに……」

 エルミタージュで過ごす自分たちは、程度の差はあれど現実社会への不満を抱えてここに来た経緯がある。そんな社会を幸福だと捉えて必死に生きている人も沢山いるのに。そして現在というのは沢山の戦争や災害の結果の上にある。どんな辛く悲しい出来事の後にも、幸福は成り立つ。

「だから私たちも我を貫かなくてはならない。世界が勝者に従属するというのなら、『自由』という名の従属を与えられる私たちが勝つ。それがエルミタージュの立場だという事を忘れないで」

「分かりました」

 その通りだ。エルミタージュの生徒は皆、現実の世界とは解離した場所で生きている。それは互いの領域に踏み込まない為の一種のマナーだ。今は現実社会の人々は超常的な世界を知らないが、それが周知され価値観が変貌してもマナーは変わらない。こちら側が勝利すれば、この状況こそが正義であると人々に示せる。

「さあさあ、辛気臭い話は終わり! 今日も美味しいお昼ご飯をご所望でしょう!」

勢いに任せて出てきた品物はカツ丼。桐也は偏食で重たい食べ物ばかりを好む為に選択肢は限られるが、毎度彼女の能力には感心してしまう。

「そういえば、きずなくんも戻ってきてるんだっけ?」

「ええ、そうです。まだアイツにはこの事は話してないですけど」

「変に刺激しない方が良いし、話さない方が彼の為かも。彼は良くも悪くも君と違って正面からぶつかるタイプだと思うし」

「その通りですね……遠回りや近道なんかには目もくれずにただ目的地を目指す。そんなヤツです」

「ふふ、そっか」

 プリムラもまたカロリーの高そうなクリームたっぷりのティラミスケーキを口に運んでいる。

「そうだ……プリムラさん。リナリアに事件についてのヒントを貰ったんです」

「事件の?」

「ええ。彼女の去り際に何か知らないかと尋ねたんです。そしたら『マトリョーシカ』という言葉を口にしていました」

 ティラミスを運ぶ手を止め、プリムラは大きな瞳を少しだけ細めた。

「……事件にメタ的な構造が含まれてる事の暗示でしょうね」

「メタ的……神隠しの噂といい、シナリオを作っている感じはありますからね」

「いえ、それだけじゃないのだと思う。私も盲点だったけど……実行犯の上に指示者がいて、さらにその上に主犯がいる、という風に犯人は非常に狡猾に計画を企てているのかもという事」

「それは一度考えましたけど結局の所、最初の段階で洗脳が必要ですよね。だとすれば検査でどうせ催眠や暗示の能力値が高い事がバレてしまっている主犯がそこまで複雑な隠蔽工作を行うメリットがないと思うんです」

「基本に立ち返ってみて。そもそも催眠や暗示、そして洗脳は現実社会に存在するテクニックである事を忘れていない?」

「あっ……」

 超常的な世界に身を置くと、常識を忘れがちになる。

「要するに……主犯の生徒に心酔している人間がいれば、技術次第では能力なんてなしで自由に操る事も出来る。貴方なら分かるでしょ?」

 カルト宗教の恐ろしさは日本人なら誰もが知っているだろう。そして、ゼラニウムの孤児たち。魅惑的な世界観に惚れ込んで、彼女らの言うことを無邪気に信じていた。確かに奴らは能力など使わずに信者を増やし続けている。考えてみれば当たり前の話だった。

「だとしたら……まずは実行犯を探り当てるのは当然として。そこから関係性を洗い出していくしかないという事ですか」

「それも、法の支配の接触を避ける為に犯人グループの誰にもバレないようにね」

「でもそんなの、どうやって……」

「犯行の時期からして二年生以上は全員が容疑者になる。今年度の犯行の事も考慮に入れるならば、一年生の中でも洗脳を受け付けないであろう人物が今回完全にシロと言える。貴方たちが捜査の中心に加わるしかない。その中でも適任者は蘧麦躑躅きょばくつつじさん……一咲かずさからはそう聞いてるよ」

「ええ、確かに彼女に捜査協力して貰う事は決まってますが……でも、隠密にそれを行い続けるのは難しい……」

「大丈夫。ある程度可能性を絞れば、私の能力で真偽を確認できる」

 これまで気になっていたプリムラの能力。桐也は一つの要望をする事にした。

「……その能力。見せて頂けませんか」

 その時プリムラは予想していたかのように「ふふっ」と笑ったが、同時に意外だというように目を見開いてもいた。

「私の能力……というより体質について、そろそろ説明するよ」

すると彼女は大きく掌を広げて見せた。

「私は、5種類の形態に変身する事が出来る。それぞれの能力は全く別種のものだけど、非常に強力。それ故に私は……時間軸に留まりづらくなってる」

「それが気になります。どういう意味ですか?」

「私は、自分の精神エネルギーだけでなく……空間に微弱に残留した可能性まで全てを利用して能力を使ってる。過去に起きなかった事象を無理矢理掴み取って現在に適用するって事をしてる。簡単に言えばその代償かな。過去を現在に持ってくる代わりに、私が現在から未来へ飛ばされるの」

「そんなことが……」

 毎度の事ながら次元の違いに驚愕してしまう。

 文字通り時空間という次元に立って物事を捉えているプリムラと桐也の間には、途轍もない隔たりがある。

「衝撃波と言ってもいいかもね。過去から飛んできたボールが私を弾き飛ばすイメージ。ただ能力を使う度に未来に飛ばされるわけじゃなくて、そのタイミングはランダム。私自身のオーラで時間軸を掴んで離さなければある程度踏み止まる事は出来るけど、衝撃が蓄積すればするほど遠い未来に飛ばされる。これまでで最長は八ヶ月後だったかな」

「そんな事情があったんですね……」

 現実を捨て、人間を捨てる。その言葉の意味がよく分かる。

「そんなリスクを負ってまで捜査に協力して頂けるなんて……」

「それは良いの。私の役割……やりたい事はこれだから。学園の為になりたい」

 彼女の言葉を聞いていたジャスミンが優しく微笑んでいた。

「良いよ、見せてあげる」

「え?でも、そんなことしたら……」

「大丈夫。今から見せるのは真実を確認できる能力。複雑な問いをしなければ大きな負荷は掛からない。というか抽象的な問いをするのは現実的じゃないの」

「例えば?」

「『今回の事件の犯人』みたいな問いもやろうとすれば出来る。ただ、その定義を明確に示さないと答えが曖昧になるの。能力が関わってなければある程度精度が良いんだけど、記憶の改変や洗脳で当事者の認識が変わったりしている場合は、言葉の意味が変わってしまう場合がある」

「なるほど……」

 要するに彼女の能力は、俯瞰的に事実を客観視できる神のような存在ではなく、やはりあくまで人の精神エネルギーや認識といったレベルに由来しているという事だ。

「だから今回私の能力で犯人を特定するのは難しい。情報を精査する事くらいは出来るけど」

「分かりました……じゃあ、定義が明確で理屈の通った質問をすれば良いんですね」

「その通り。それじゃ……行くよ」

 桐也は固唾を飲んで凝視した。

 その瞬間、まるで別人のような表情に変わったからだ。

「はぁー……」

 息を深く吐き出し、そして祈るように両手の指を組んだ。

 周囲が暗くなったのかと錯覚する程に、彼女が強く光を発していた。寧ろ、スポットライトが当たっているような光景といった方が相応しい姿でもある。

 元々鮮やかな水色の髪の毛が薄緑色を帯びる。そこから伸びた天使の輪のような髪の毛は黄色く染まっていた。

 全身から神々しい金色のような光が放出され始めた。

「綺麗だ……」

 この世で目にした物の中で、最高級に美しい光景だと桐也は感じていた。



 エルミタージュの敷地全体が震える。

 躑躅は自らのオーラに他人の精神エネルギーが流入して来た感覚を味わったが、不思議とそれが不快だとは思わなかった。

 ベロニカと遭遇した時とは真逆の感覚。

「これは……?」

 莫大でスケール感さえ測れないオーラだが、そこに包まれている事が苦痛ではない。寧ろ全ての不安が吹き飛んだかのような感覚だった。


 そしてまたシオンは一人グラウンドで佇む中、その波動を感じて呟く。

「プリムラ……久しぶり」

 五年前に命を落として以来、こうして独りきりで過ごす時間が長いシオン。それでも稀に会いに来てくれる友人の内一人がプリムラだった。


 そしてかえでもまた、このエネルギーを感じ取った内の一人だった。

 桐也がリナリアに立ち向かって、互角の勝負を繰り広げた。結局決着はつかなかったけれど、こうしてあのプリムラが動いている事は一つの分岐点になる。彼女はそう確信した。

 一方で紅葉もみじの視点ではは、チェスナットが敵陣のナイトの動きを観察しているのに気づく。彼女の能力はチェス盤を使って運命を占ったり操ることが出来る能力。それ故、何か大きな出来事が起これば対戦相手が動き出す。そこでは相手のナイトが自陣のナイトに効いている拮抗した状態が作られていた。


 一咲だけが、プリムラのオーラを感じて悲しみを覚える。今の自分には全盛期のような力がない。自ら捨ててしまったから。プリムラに頼るしかないなんて、情けない。そんな自己嫌悪に陥ってしまう。

 ――親友の命を削って生きる人生は楽しい?

「うるさいッ!」

 幻聴。これは幻聴だ。心の中に残る痼が生み出したただの妄想。

 ――これは一咲が選んだ結果だ。何を後悔しているの?

「……アンタはきっと今、ほくそ笑んでるんだろうね」

 自分の中に潜むとある友人との対話。一咲は常にこの人物と戦い続けている。

 ――学園の皆なんて、見捨てちゃえばいいのに。

「黙ってろ……私はそうしない。生徒会長としての責務。それが私の存在意義」

 自分の中の友人に対して反論し続ける。平和を取り戻すまでは、自分はまだ果てるわけにはいかない。



 そんな莫大で異次元のオーラを目の前にして、桐也は不思議と涙を流していた。

 ジャスミンが愉快げにからかう。

「あらら、桐也くん怖すぎて泣いちゃった?」

「え、いや……なぜだか、込み上げてきて……」

「あはは、分かるよ。プリムラの変身を見た人は泣いちゃうんだ。まるで天使様が降りてきてくれたみたいだった言う人が多いね」

「……天使」

 まさしくプリムラの姿は天使そのものに見えた。リナリアが変身した偽の天使とは違う、救いの手が今目の前に差し伸べられているような錯覚すら覚える。

「これが、”プリムラ・マラコイデス”。真実を知る事の出来る変身」

 呆然としている桐也の頬に、プリムラの手が優しく触れる。

「大丈夫?」

「あ……ええ」

「簡単で、定義の明瞭な問いであればあるほど正確な情報が得られる。なるべく単純に……でも、私も貴方も知らない事であると証明しやすいね」

「分かりました……」

 面食らっている場合ではない。彼女の能力をしっかり知る必要がある。

「では……」

 そして桐也が今聞きたいこと。それは同居人の葉団扇はうちわ絆に関してだ。

「葉団扇絆……彼は日常的に自身の体を結束バンド等で縛りあげています。『彼が縛っている身体の部位』を全て教えてください」

 より輝度が増し、目を瞑って口を静かに開くプリムラ。

「問う。”葉団扇絆が、彼自身を縛っている身体の部位”を答えよ」

 目を見開き、その答えが発声された。

「――”両上腕部、両大腿部。胴体は全体を締め付けるように無数のテープやバンドで固定されている”……だ、そうだよ」

「なるほど……」

 最も心配していたのは、絆が自らの体を一切労わらない事だった。特にベロニカと遭遇した出来事以降、彼はまるで取り憑かれたかのように毎日訓練を続けている。自分が受けた特訓も死ぬ思いではあったが、プリムラの監督と配慮があった。絆にはストッパーが存在しないのではないか。しかも彼は周囲に悟られないように行うのだ。

「聞くのはそれだけでいいの?」

「……実際知りたかった事なので。アイツが無理をしてるんじゃないかっていつも心配で。でも、俺も似たようなもんだった事もあってなかなか本人には止めろと切り出せなくて」

「ほんと、友達想いだよね。というより、絆くん想いなのかな?」

「かも、知れません。絆には笑っていて欲しいから」

「……そう。なら能力の実演もここまで」

 煌々と光り輝いていたプリムラの体が徐々に暗くなっていく。心なしか彼女の素の状態が地味に見える錯覚を起こすほど、凄まじい体験だった。

「じゃあ、本人に確認しに行こうか」

 疲労した様子も一切なく、普段のプリムラだった。


 自室の扉をノックなしで開ける。

「わわ、桐也!?急に入って来るなんてビックリしたよ〜……」

 動揺している様子だ。

「ていうか、その人は誰?」

「この人は……後で紹介する。それより絆、腕を捲ってみてくれないか?」

「へっ? な、なんで? 僕の腕なんて見たって楽しくないよ?」

 そこで桐也はゆっくりと歩み寄り、絆の体にいつでも触れられる距離まで近づいた。

「な、なに……桐也、もしかして僕のこと好きになっちゃったりとか?」

 冗談めいた苦笑いで誤魔化そうとする絆。そんな彼の姿を見て、桐也は無性に悲しい気持ちに襲われる。

「腕を、見せてくれ」

「……分かった」

 観念したように、袖に隠れていた上腕部を露わにしていく。

その光景に息を呑んだ。

 今まさにテープで強く縛られている上腕部。巻き付けられたテープが透明ゆえ、その箇所に痛々しい生傷が無数にあるのがよく見えた。これは、細い糸が皮膚に食い込んで出来たような傷だ。

「だから、見せたくなかったのに……」

 絆は後ろめたそうな表情をして目線を逸らしたが、桐也は彼の顔を掴んで向き直させた。

「へ!? な、なに……!?」

「俺も……身を捨てるような修行をあの人に付けてもらってた。だから人の事は言えない……それは分かってるけど、それでも言う。絆がこんなにボロボロになる必要なんてないんだ……! 頼むから、自分を大切にしてくれ……」

「桐也……」

 今にも泣き出しそうな桐也を見たのはこれが初めてだった。絆は掛ける言葉が見つからなかった。

「か、顔近いよ桐也……なんか、恥ずかしい」

「悪い」

 素直に一歩退いた桐也。

「ごめん……」

 謝るしかなかった。絆は、桐也がどれだけ自分の事を大切に思っているかを明確には分かっていなかった。

 一度引き下がった桐也だったが、やがて勢いよく絆の華奢な体を強く抱き締めた。

「き、桐也……?」

ビクッと震えた絆の動きを桐也は見逃さなかった。

「痛いんだろ……抱き締められる事が痛いなんて、悲しいよ……」

 まるで恋人、もしくは天使を崇めるように。桐也は絆を深く想っている。その事を絆はようやく自覚した。

「ありがと、桐也」

 桐也は静かに絆から離れた。

 何だか複雑な気分だった。絆は人からこれほど強い感情を向けられた事などなかったから。

 一方で桐也の方は普段の爽やかな笑みに戻っていた。

「今後は脱がせてでも抜き打ちチェックするからな」

「えぇ!? い、いくら男同士だからって恥ずかしいよ!」

 軽妙なやり取りに変わった様子を見てプリムラが前に出てくる。

ひいらぎくん。丁度いいから彼に挨拶しとくよ」

「あ、そうですね……絆。こちら、プリムラさんだ」

 その名に聞き覚えはあった。何度か生徒会室で耳にしている。確か、秘密基地のメンバーの一人だ。

「初めまして。私はプリムラ。秘密基地のメンバーを務めさせて貰ってます。ゆかりの事もよく知ってる。良い人だし、とても凄い人だ」

「お姉ちゃんは……お姉ちゃんとゼラニウムの間に、何があっんたんですか?」

「私も詳しくは知らない。あの子は一人で突っ走って勝手に問題を解決してたから。貴方と同じ性格だよ」

「……」

 反論は出来ない。引き篭もっていた頃の癖だろうか。それとも人と関わるのを恐れているのか。知識を取り入れたくないから、世界から自分をシャットアウトする。これじゃあの頃となにも変わらない。

「絆くんにはそうなって欲しくないの。例の一件で分かったとは思うけど……縁はゼラニウムの連中に強く恨まれてる。多分見つかったら殺される。それはほとんど姿を現さない理由の一つでもある」

「でも……お姉ちゃんはそんな臆病な性格じゃない……と、思う」

 自信は持てない。絆は姉の事をほとんど知らないのだから。

「臆病なんかじゃないよ。敵と戦うには、色んな作戦が必要だ。それを絆くんにも分かって欲しい。ただ自分自身を犠牲にすれば学園が救われる……そんな単純な話じゃないから」

「……それは」

 強くなれば全てが解決する。そう思っていた。学園の事件も、ゼラニウムの件も。しかしプリムラの言葉には説得力がある。長い間学園を守りながらゼラニウムと戦い続けて来た彼女が言っているのだ。

「君とは違う方法で強くなろうとしたのが柊くんだ。確かに身体に負担を掛けるという点では一緒だったけど、一時的に私たちに近いレベルまで腕を上げて、ゼラニウムの人間と互角に戦った」

「えっ、桐也が……?」

「そうだよ。闇雲に努力するだけじゃダメなんだ。桐也くんの言葉を借りるとすれば、貴方はゴールが見えていたら道なんて気にせず突き進もうとするんでしょう?でも、本当は色んな道がある。遠回りもあれば迷宮もある、そして一直線に進むより早いルートだって存在する。それを見ないとダメ」

「色んな、道……」

「説教くさい事を言ってごめんね。でも私は、貴方や蘧麦さん、そして柊くん。それにシドウェルさんも。四人が学園を平和へ導いてくれると信じてるの。だからこんな所で足踏みしていて欲しくないんだ」

 確かに絆は今、足踏みしていた。ただ単に力だけを求めて苦痛を感じ続けていたが、そこに終わりが見えなかったから。

「分かりました。ありがとうございます!」

「うん。分かってくれたなら嬉しい。今回の事件は、容疑者から外れる君たちにしか任せられないから。ゼラニウムの事はその後だ」

 桐也は絆の表情を見て安心できた。今の彼の心境なら大丈夫。道が拓けるような気がした。

「絆くん、事件の調査の為に必要な資料を一咲から預かってるんだ。桐也くんもいるタイミングで説明した方が良いと思ってね」

 A4サイズの薄い封筒を手渡された。

「生徒全員分の身体検査結果の記録だ。個人情報に配慮して、名前や身長体重については載せてない。全員にランダムで番号を振ってオーラの属性と絶対値のみを記述してる」

 中身を取り出すと、夥しい量のデータが目に飛び込む。思わず顔を背けたくなる程だ。

「大丈夫、既に催眠が不可能と思しき人物は印を付けてある。USBも渡しておくから、データソートしたら一発で出る。その中から容疑者候補を絞り込んで欲しいの。蘧麦さんに協力してもらってね」

「なるほど……でも、ここからどうやって絞り込んで行けばいいんでしょうか」

「パターンは二つ。主犯が自ら犯行に及んでいるか、もしくは実行犯が操られているか。ただし、その操ってる人間さえ主犯のカモフラージュの可能性はある」

 なかなか骨の折れる仕事だ。しかしやらなければ友人が危険かも知れない。

「実行犯が操られているとしたら、そこに記載されている能力値がここ最近発揮できていない人物が怪しい。人の存在を記憶ごと抹消するなんて芸当、並みの能力者じゃ出来ない。本来の能力の多くを催眠系に費やされてると考えていいと思う」

「分かりました。何としてでも突き止めます!」

 絆の真っ直ぐな瞳に、プリムラは優しい微笑みだけ返して去って行った。



 翌々日の事。

 水瀬入鹿みなせいるかは実家からエルミタージュへ戻ってきた。自殺未遂の一件以来家庭環境も回復し、それなりに充実した生活を送っている。

 学園の友人も皆優しく接してくれている為、精神状態も安定していた。

「ただいま〜蘇芳」

「お帰り。意外と早かったね」

 朝倉蘇芳あさくらすおう

 入鹿が塞ぎ込んでいた当初は、寡黙な彼女が怖くほとんど会話を交わさずに過ごしていた。しかし一度話してみれば思いやりもある楽しい人物だという事が分かった為、今では早くも親友と呼べる仲になっていた。

「ねえねえ聞いてよ!絆たち、あのベロニカ・リベットに襲われたんだって!」

「……それ、秘密にしなきゃいけない事だったりしない?」

「あ、いや……そんなこと言われたような……」

「全くもう。勢い任せで行動し過ぎだよ」

「ごめんごめん」

「いや……私が、そんな事言う権利ないよね」

 元より暗い表情を更に深い闇の中に埋めながら蘇芳は呟く。

「私は入鹿の自殺未遂の時、何もしなかったのに。今さら偉そうな事は言えない」

「それは……私が変に蘇芳を避けてたから! 蘇芳は何にも悪くないじゃん!」

「でも私は入鹿のことを知ろうともしなかった。入鹿が私を避けていた事に責任があると言うなら、私が入鹿に歩み寄ろうとしなかった事も責任に当たるでしょ。私には特段入鹿を避ける動機なんてなかったんだから、なおさらね」

「違うよ蘇芳! いつも自分を責めてちゃダメ! それは私の失敗なんだ……自分ばっかり責めてたら、どんな人だって生きづらくなる。嘘でも自分には自信持たないとダメだよ!」

「……ありがとう。なんでだろ、最近は私が入鹿に励まされてばっかり」

「だって、蘇芳は前の私と同じに見えるから……そのままじゃ、私と同じことになっちゃうって……そんなの、私、いやだから……」

 今にも泣き出しそうな顔をするので蘇芳は微笑を浮かべて安心させる。

「大丈夫だよ、心配しないで。入鹿がいれば私は平気だから」

「ああもう、蘇芳〜」

 入鹿は人懐こく抱き着いて来るが、蘇芳もそれを嫌がらない。平静のまま受け入れる。

「そういえば……瑠璃溝るりみぞさんが何度かこの部屋に来たよ?」

「え? ああ、大会で戦った人か!」

「そうそう。入鹿の能力に興味があるってさ。ぜひ二人でお話したいって。連絡先、これ」

 部屋番号の書かれた小さな紙切れ。素直にそれを受け取った時、仄かな温度を感じた。

 入鹿は人間の精神エネルギーを強化する能力者である為、エナジートランス程でないにせよオーラを感知する事が出来る。部屋番号しか書かれていない紙片に、強力な意思が込められている。それはすなわち、彼女からのメッセージ。もしくはこの紙切れがターニングポイントとなる事の証。

「行って来るね」

 入鹿は意を決して部屋から出た。

 何かを求められるなら、それを与える。絆たちから学んだ事だ。蘇芳は、自分が求めなかったから与える物もなかったのだ。

 だから今自分に求められている何かを与える努力をするのが、今の自分に出来る精一杯の事だと入鹿は思った。


 その日。ロズと躑躅は学園から少し離れた街のカフェに足を運んでいた。

「それで? 絆くんとの仲は順調?」

「はぁ!?……ッ、ゲホッ! ゲホッ……!」

「だ、大丈夫?」

 米粒が気管に入り込みそうになり、死にかけた。

「順調って……そりゃまあ、私は絆の事、今は尊敬してるから? そりゃあね、不調ではないよ」

「ふふふ、躑躅って分かりやすくて本当に可愛いよね」

「な、何がッ……けほっ! ケホッ!」

「もう、慌てないでよ。大丈夫?」

 ロズは躑躅の背中をさすりながら苦笑する。

「ねえ……私、躑躅の事分かってなかったよ。絆くんのこと、大切に思ってるのはこの間の事件で十分伝わって来た」

「……ううん、私も自分勝手だったから。ロズは何も悪くないよ」

「ふふ、ありがと。やっぱり優しいんだ」

「うっさい」

 頬を膨らませているが、怒っているわけではないようだ。その感情表現の仕方がロズには堪らなく愛しく思えた。

 自分の椅子に座りなおしたロズは、彼女を見つめながら小さく呟く。

「……ベロニカって人のこと。許せないのは分かるけど……私としては、やっぱり二人に無茶はして欲しくないよ。もちろん、最後に決断するのは躑躅や絆くんだけど」

「ありがとう。前の私だったら、『私の勝手でしょ』って言ってたかも知れないけど……ロズの気持ちもちゃんと受け取る。その上でもしも勝手な行動をしたら……」

「何でもしてくれるとか?」

 悪巧みをする子供のような微笑みを浮かべるロズ。

「そ、それはちょっと自信ないけど……出来る限りの事はしたい。だからさ、私たちに”法の支配”を掛けてよ」

「えっ?」

 そんな提案をされるとは想像していなかった。

 ロズは少しだけ考え込んでしまう。

「例えば”法の支配”上において罰を課さないにしても、約束を破った事はロズに伝わるでしょ。その状況を作るだけで、私たちの戒めになる」

「それは……」

「ねえ、今のロズならそれくらいの法の支配は簡単に掛けられるでしょ?お願い」

 躑躅の表情が硬い事から、それが冗談でないのは明白だった。

「……条件は、どうすればいいの?」

「私が、積極的に絆の危険を助長する行為……また、絆が命の危険に晒され兼ねない事を分かっておきながら止めようとしない事。この二つだ」

「加えて、あなた自身の生命の危険を顧みてない場合もね」

「ああ、うん……」

「じゃあえっと。それらの行為が出来ないようにするって事で良いの?」

「違うよ。私は、私の意思で約束を守りたい。だから行為を封じられるんじゃなくて、ルールの中の反則手として設定して欲しい。それに何か特殊な事情があった時も考慮すべきだよ。もしも私が命の危険を賭さないと絆が死ぬ、なんて事になって友達の法の支配で何も出来ないなんて、笑い話にもならないからね」

「なるほど。躑躅の求める事は、分かった。じゃあその条件で……罰も一応付けておく事にする」

「うん。もちろん構わないよ。どんな?」

「……ちゃんと謝る事。私や桐也、そして入鹿。心配してくれてるであろう人全員に」

 その内容に躑躅は少々判断に苦しんだ。

「それって……強制しようがない罰だよね? だとしたら、法の支配の条件が変わるだけじゃ……」

「そう。でもそれで十分だよ。もしも約束を破ったら、私にちゃんと謝らなきゃいけないって条件になる。タイミングはいつでもいいけど、必ずね」

「……なるほど。うん、分かった。ありがとう」

 彼女が事件を追っている事を知らないロズにとっては、この条件は妥当に思えるかも知れない。しかし実際には違う。躑躅は事件の調査をする中で、いつか必ず危険に遭遇するだろう。それは絆も同じだ。そして彼女は、絆の向かおうとする道を阻むつもりはない。その権利もないだろう。

 この約束を通して、躑躅は決意を新たにした。


 一方その頃、紫陽佐奈しようさなが桐也を部屋に呼び出していた。

「どうしたんですか?」

「……柊くん。私の能力の事、誰にも話してないでしょうね」

「え?はい、もちろんですよ。なぜそんな事を……」

 佐奈は落ち着かない様子で窓の外を見つめたり腕を組んで歩き回ったりしている。

「何か……何か変なの。能力が暴走してるのかな」

「”虚の現”は、半径100mの範囲内にいる人物に強制的に幻覚を見せる能力でしたよね。発動時間は1分までで、丁度60倍の時間能力が使用不可となる。暴走って、どういう状態ですか?」

「前に私、あの廃校舎の前で幽霊を見て倒れたでしょ?あれからしばらくして、そういう幻覚をまた見るようになったの」

「つまり……自分が自分の能力の影響を受けているような状況だという事ですか」

「そう。能力無効化なんて術を身につけてる柊くんなら、何か分かるんじゃないかと思ってここに呼んだの」

 オーラについてプリムラからより深く学んだ桐也には、様々な仮説が思い浮かぶ。その中の一つは、決して本人に告げてはならない事が。

「一つは……本物の幽霊を見ている可能性があります」

「本物の、幽霊?そんなのいるわけ……」

「正確にはオーラの塊です。我々能力者は精神エネルギーという確率波を操るんです。肉体とオーラを切り離す能力者は、稀に意思のみがその場に留まり続けてしまう場合がある。廃校舎の幽霊は顕著な例だ」

「そういうことなの……でも、それが人間らしい形を保ったり、私に付き纏ってくる事なんてあるの?」

「術者が例えばテレポーターだったとして、発動しようという正にその瞬間に命を絶たれたとすれば肉体の形がオーラとして残ります。そして帰り道を失った霊体オーラが、近くにいた人間に帰ろうとする場合があるんです。これは以前実際に学園であった出来事だそうです」

 エルミタージュの歴史上、不可解な事件はいくつも起きている。今語った霊体オーラの事件は謎が解明されているだけ良い方だ。多数の犠牲者が出ている事件も少なくない。「ルービックキューブ惨殺事件」なるものが、学園史上最も凄惨な事件として有名だ。体の部位がバラバラに分解された状態の五人の生徒が発見された。当時の秘密基地メンバーにより犯人を追い詰めるが、四人中二人が犯人諸共ルービックキューブ状に変形させられ死亡する。生き残った内の一人が現在の理事長、鈴懸才華らしい。彼女はその出来事を教訓に今の地位まで上り詰めた。

「他には、同種の能力者のオーラによる競合が原因かも知れません」

「ああ……エラーの事ね?」

「そうです。幻影を見せる能力者同士のオーラが近い位置にあると、能力を発動していなくてもフィードバックのような現象が起こるかも知れませんから」

 今言えるのはここまでだ。桐也が考えていたのは、神隠しの事件の犯人が紫陽佐奈を操っているという可能性だ。だとすれば確かに彼女に副作用が出ているのは筋が通る。同時に、「誰かに操られている」という言葉を発してしまうと法の支配においてアウトになり得るという事でもある。

「そしてもう一つは先輩自身のオーラの揺らぎ」

「揺らぎ?」

「ええ。オーラは精神エネルギーの塊。その精神エネルギーとは、本質的には現象と物質の存在確率の波。疲労が蓄積れば質が落ちて揺らいでしまう場合もあるし……逆に成長途中の変質の兆候かも知れません」

「なるほどね……私、柊くんに負けたのがキッカケで、自分の力で戦えるように超能力の基礎から学びなおしてるの。その成果と疲れが両方来ちゃったのかも」

「ですね。ゆっくり休んで下さい」

 相当の警戒心を抱きながら桐也は彼女との会話を続けた。

 事件については極力触れず、かつ何かヒントを得られるよう会話を誘導しながら。

そして、疑惑は徐々に深まっていく事になる。


 とある部屋の扉を叩いた入鹿。

 部屋番号の下には瑠璃溝つくし夕闇瑠璃花ゆうやみるりかという名があった。尽も強者だが、彼女も相当な曲者だと聞いたことがある。

 開いた扉から出てきたのは見知らぬ顔だった。彼女が夕闇瑠璃花だろう。

「ああ、水瀬さん。尽に会いに来たのね?」

「え、どうしてそれを……ていうか、どうして私の名前を知ってるんですか?」

「そりゃ、大会で観戦していて尽が当たった相手だって知っているし。私に用があるとは思えなかったからね」

「なるほど……」

「尽はさっき部屋から出て行ったよ。持って行った所持品からして、自販機に飲み物を買いに行ったんだ。ここから一番近い自販機はそこの階段を降りてすぐ下だから、何事もなければ後10秒くらいで姿を現すと思う」

 入鹿が振り返ると既に階段に尽の姿があった。少しむくれた顔をしている。

「あちゃー、5秒くらい計算違いした。滅多にないんだけどなぁ」

 推理力に感心していると、尽が不機嫌そうに呟く。

「いちいち行動を見透かされると気持ち悪いんだけど」

「私は見つけた情報を並べてるだけだよ。ヒントを与えないようにしないと」

「はぁ……」

 溜息を吐いてから、瑠璃溝尽が入鹿の顔を見て口を開く。

「来てくれてありがと。屋上で話しましょう」

「はい、分かりました」

 後ろから瑠璃花が「何を企んでいるのかな〜?」とからかっているが尽は完全に無視していた。

 階段を上がり屋上へ辿り着いた二人。

 台風の進路予測が外れ雨風はないが、怪しい黒い雨雲が遠くを漂っていた。

 周囲に人がいない事を確認してから、尽がベンチへ誘導して入鹿を座らせた。

「それで、私に何か用があるんですよね?」

「うん……大会の時の事で少しね」

 深刻そうな顔を浮かべる尽。

「私は本気だった。それは間違いないよ。でもまさか一年生に負けるなんて思いもよらなかったから本当に驚いたの」

「ああ、あの時は思いっきり飛び蹴りしちゃってすいません……」

「そんな事は了承済みでしょ。気にしなくていい。それよりも私が気になるのはその能力だよ。私はエナジートランスを丸3年かけて極めて来たんだ。それをアッサリと制御されるなんて」

「い、いや。あれはその……結構単純な仕組みなんですよ?」

「それでも、だ。能力の詳しい原理は言わなくても良いけれど、ある程度修練を積んだエナジートランスの能力に干渉できる時点で凄い事だ」

「あ、ありがとうございます」

 実際入鹿には心当たりがある。自殺を決意して飛び降りたあの出来事。命を捨てる程の覚悟は、魔術の対価レートを著しく向上させるからだ。原理的には、自分の命そのものを対価として消費する禁術に当たるからである。ただし元よりエネルギーを得る目的でなく、かつ未遂で終わった場合は属性は魔術のままとなる。代わりに、それまでの人生で感じた苦痛が全て対価として支払われる事になり、後の人生で扱う魔術の質が向上する、という仕組みだと言われている。

「だからね、貴方の力が欲しい……」

「えっ?」

「水瀬さんと私は、互いが互いを高め合う存在だと思うの……ねえ、どう?特別な修行を、私たちだけで……」

 鼻先が掠めるほど顔が近くまで寄って来たところで、入鹿は慌てて離れる。

「ちょ、ちょっと待ってください!私にはそんな力ないです……」

「大丈夫」

 尽は入鹿の脚を手で摩りながら囁き続ける。

「もしもまだ貴方が貴方の魅力を自覚していないなら、私が教えてあげる……きっと新しい景色が見えるよ」

 触れている手の位置が徐々に足の付け根辺りに迫って来た為、入鹿は立ち上がる。

「あの……ごめんなさい、私……私にはやっぱりそんな自信ないです。さよなら!」

 逃げるように走り去って行った入鹿の後ろ姿を、尽は虚ろな目で見つめ続けた。

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