第九章『開花~前編~』
「失礼しました」
その様子を見ていた
彼女の立場は誰にも知られていない。楓が桐也へ助言をしてもゼラニウムのメンバーには咎められないはずだ。
「……しかし、このまま秘密基地による解決をただ待つだけなんて、もどかしいな」
「そうだけど、手掛かりだってないし……勝手に動いて迷惑かけるわけにもいかないよね。何か僕たちに手伝える事があれば、絶対に協力しようよ!」
戦闘面において世界最強とも唄われる、あの葉団扇
しかし、あの
三人が寮へ戻ろうと歩き出した為、楓は呼び止めた。
「あの、柊くん!」
「ん、君は……」
絆と躑躅は首を傾げて顔を見合わせる。
「柊くん……私、貴方に伝えたい事があって。二人だけで、お話しできませんか?」
僅かな思案の時間があったが、やがて桐也は二人に「先に帰っててくれ」と言って楓に向き直る。
「
「そうです……」
「何だかあの時は、とても深刻な表情をしてらしたようだったので心配してました。僕の事、何か知っていたんですか?」
警戒されているのかも知れない。それでも楓は真正面から彼の手助けをしたい。そう決意した。
小声で、桐也の耳元で囁く。
「……ゼラニウムがこれからどう動くのか、私知ってます」
「えっ!? そ、そんな事……どうして」
「理由は言えない……私がそれを知っていたという事実も秘密にして欲しい。その条件で、ゼラニウムの計画を少しだけお伝え出来るかも知れません……きっと貴方に必要だと思ったから」
当惑している。無理もない。抵抗する手立てがないと諦めかけていた所に不意に舞い込んできたチャンス。彼からしてみれば美味しい話であると同時に不気味で怪しく感じているはずだ。
「……分かりました。薄螺戯さんの言うこと、信じますよ。貴方の事は秘密にしますし、必要以上に詮索もしません。ゼラニウムの事を教えて下さい」
「そんな簡単に、信用していいんですか?」
思わず余計な事を尋ねてしまう。
「もしかしたら私は、貴方を陥れようとしているだけかも知れないのに」
実際、行為としては半ば罠と言ってもいい。彼が勝つことと負けることを同時に願い、その結果こそが自分の歩む道だと一方的に自分の運命を委ねているのだから。
「それでも構いません……何故だか貴方には、俺と近しいものを感じるんです。ゼラニウムを憎んでいるような……それに、学園で初めて話したわけじゃない気がする……」
覚えている。彼は恐らく、紅葉としての彼女との会話を忘れていない。楓と紅葉は容姿こそ似ていなくとも、立ち振る舞いや言動は同じ人格の物である以上癖が出る。それを桐也は無意識に感じ取ったのだろう。
「……かも知れない。でもそれは、重要な事じゃない。私は貴方に……貴方のやりたい事を全うして欲しいだけです。それが私の願いと、繋がるから……」
それ以上、桐也は楓に尋ねなかった。二人きりで話をする為に例の廃校舎へと向かう事になった。
絆と躑躅は一旦カフェテリアで昼食を取ることにした。
「ああもう、ムカつく!」
「落ち着いて、絆。今は待つしかないって一番最初に納得したのはアンタでしょ」
「そりゃそうだけど、心までは抑えきれないよ! 僕はあのベロニカって奴にいつか絶対借りを返してやるんだ!」
すると何処からともなく不意にジャスミンが現れる。隣にいた少女がクーラーボックスからカップを取り出した。
「イライラにはこのコーヒーがおすすめ」
「あ、ありがとうございます……」
彼女は、秘密基地の
「ここ、座っていいかな?」
「あ、はい……大丈夫です」
食堂では本来自ら注文しに行かなくてはならない所だが、夏休みの間は人が少ない為、ジャスミンはこうして客にサービスとして料理を提供する事がある。
実は絆は透百合萌音とジャスミンの事を以前から知っていた。それも姉から唯一聞いたエルミタージュについての情報が、まさにこの二人の友人たちの事だったからだ。ジャスミンとは少しばかり話した事があるが、萌音とは生徒会室で顔を合わせたのみだ。これを機に親交を深められるかも知れない。
「透百合さん。改めてなんですけど僕は、葉団扇絆です」
「うん。絆くんのことはよく知ってるよ。大会で凄い戦いしてたし、縁から色々話を聞いてたしね」
「お姉ちゃんから?」
「そうだよ、縁は君の事をいつも心配してた。一緒にいてあげられない事を悔しがってもいたね」
それについては絆も拭えない情緒を持ち続けていた。姉に対する憧れと尊敬の念と同時に、共に過ごす時間があまりにも少ない事に対する不満。姉は自分への興味を失ってしまったのではないかと疑心暗鬼に陥る事も少なからずあった。それでも彼女は帰ってくると必ず家族の中で自分と一番長く会話をし触れ合ってくれていた。そして、この世界を教えてくれた。だから絆は姉を信頼し続けていられるが、だからこそ未だなお疑問だけが残っている。なぜ彼女は自分より他の世界を優先するのだろうと。
ジャスミンも縁について語り出す。
「直情的でいつも無茶する奴なんだよね。今もどっかで命懸けの戦いをしてそう」
それを聞いて改めて思うことがある。
「……お姉ちゃんの事、僕は全然知らないんです。今どこにいるのかも、何をしているのかも、何が好きか嫌いか、どんな性格なのかも――」
「きっとその理由も……ここで過ごしている内に見えてくるよ。それに、何年も会ってないわけじゃないんでしょ? また近い内に会えるはずだよ。そしたら色んな事を聞いたら良い」
「そう、ですね……」
「そうだよ。きっと近くにいる」
ジャスミンがそこで唐突に話題を変えた。
「それで、絆くんの彼女さんの方はご注文、如何致します?」
途端に話を振られた躑躅は、ジャスミンの放った言葉を聞いて顔を赤くして慌てて言葉を返す。
「いや私はそのあの、絆のパートナーですけど、いやそうじゃなくてその――」
目線を絆に移すと、彼は既に考え込んでしまって全く躑躅の言葉を聞いていないようだった。
「……オ、オホン。とりあえず、紅茶でお願いします」
「はいよー」
注文を受けて数秒で、躑躅の想像した通りのミルクティーが卓上に置かれた。
「それではごゆっくり〜」
ジャスミンは楽しそうに鼻唄を歌いながら厨房の方へ戻っていった。
柄にもなく照れてしまった事を思い出して再び恥ずかしくなる躑躅だったが、平静を装って会話に入る事にした。
「さ、さっきの話で思い出したんだけどさ」
「うん?」
「絆のお姉さん……私も気になってたんだよね。ベロニカを倒すとしたら、重要な鍵になるわけだし」
萌音が若干遠慮気味に声を出した。
「ベロニカは、縁に痛みを貰ったと言っていたんだよね?」
「はい……何があったのか、全然分かんないですけど。そもそもお姉ちゃんがそんなに強かったなんて、想像してなかったし……」
「縁はね、あんまり人に秘密を打ち明ける方じゃなかったから。今でも強さは未知数なの。何があったかは分からないけど……絆を巻き込んできっと後悔してるよ」
躑躅とは関わりのない人物であるはずの葉団扇縁だが、彼女にはなぜかとても近しい人間のようにも感じた。今後の方針を彼女は提案する。
「いずれにせよ、絆のお姉さんの事を調べるのは重要なんじゃないかな。秘密基地のメンバーと一緒に学園にすごく貢献したって言うなら過去の色んな事件に関わってるかも知れないし。今回の事件の解決の糸口も、何か掴めるかも」
「うん、そうだね。ありがと躑躅」
ブラックのコーヒーを飲んで一息吐いた絆。少しの静寂が訪れ、躑躅も甘く仕上がったミルクティーを啜った。
「そういえば、透百合さんってどんな能力なんですか?」
絆は少しの遠慮もなく人の内面に関わる事を尋ねられる性格だ。しかし彼はどんな回答も真摯に受け止める寛容さを併せ持っている。恐らく、この態度が許せてしまう理由はそこにあるのだろうと躑躅は推察する。そして後々失礼だと感じればすぐに謝ることができる。まさに彼は”今”この瞬間を生きているのだ。
「私の能力は他人に変身したり、他人を私に変身させたりする事だよ」
「すごい!じゃあ僕に変身できますか!?」
「それは……」
萌音は少々迷いを見せてから告白した。
「私の能力は魔術がベースになっててね。だから対価が必要なんだけど。その対価、他人の唇を奪う事なの」
「へっ!? 僕にキスするんですか!?」
「あははは! しても良いけど、君は照れちゃうでしょ。まあとにかくね……そうして変身した人物の能力を一度限り使えるの。合意の上なら使用制限が消えて自分のオーラを消費して能力を使えるようになるんだけどね?そんな能力だから、名前も”ネコババのキス”って言うの」
「凄い、能力ですね……」
躑躅も聞いていて身震いしてしまう。使いようによっては最強の能力。しかし他人にキスをするという対価は厳しい。敵の能力を奪って使用するのはまず現実的ではないし、合意の元でキスをするというのも高いハードルだ。
「私も出来ればキスはしたくないの。少なくとも清潔なことではないでしょう?」
そして、これが対価として成立するという事は、本人にとってそれが苦痛である証拠でもある。なかなかシビアな能力だ。
「あ!じゃあ透百合さんは姉ちゃんの能力って知ってますか?」
「縁の能力は知らない……知ってる人も数少ないと思う」
「そうなんですか?」
「うん。そもそも縁は莫大なオーラを纏っているから、これまで能力を見せる必要がなかったんじゃないかな。もしくは見る事が出来なかった」
「見る事が……?」
「あ、ううん。何でもない。とにかくお姉さんと会えると良いね」
「はい!」
素直な応援に対して真っ直ぐな返答を返した絆。不思議と躑躅には、彼が無事姉と再会する日は遠くないという確信めいたものがあった。
――同刻。
廃校舎の一室。ロズと桐也が修行を繰り返したあの部屋の扉を楓がぴしゃりと閉め桐也の方を向く。
「情報源については教えられません。ただ事実として、信じて欲しい」
「はい」
陽当たりの悪いこの部屋では互いの表情はよく見えない。
楓は意を決して語り出す。己の分身である紅葉は、まさに現時点でリナリア本人と他愛ない会話を続けている最中であるというのに。そんな友人を売り飛ばすような行為を、今からするのだ。
「ゼラニウムの序列第七位、リナリアという女が8月8日に鎌倉に現れるはずです。しかも一人で」
「リナリアって言ったか!?」
「あ、はい……どうして?」
「ああ、いえ……しかし、鎌倉か……やはり人が多いところを狙って、生贄になる人間を探しているのか」
「目的なんて知りません。でもリナリアが現れる事は確かです」
彼は拳を強く握りしめていた。情報を聞いた時点で決意が固まったのだろう。桐也はリナリアを殺しに行くつもりだ。楓はゼラニウムの活動を、人類救済を齎す正義であるのか、悪逆非道なだけのエゴなのか判別できない。それは見方次第でどうとでも変わる。だからエルミタージュかゼラニウムか、どちらが勝つかに自分の人生を委ねたい。
「……ありがとうございました。この話は、誰にも伝えません。俺が俺のためだけに利用します」
「うん。もしも貴方が彼女と出会うとしても、街中で偶然見かけたに過ぎない。そういう事にして欲しい」
「いずれにせよ……俺がリナリアを倒してしまえば何の問題もないですよ。その為に今日まで、死ぬ思いで修行を続けて来たんですから」
桐也は楓とすれ違って部屋を出る。
その表情にどんな意志が込められていたかを楓が窺い知る事は出来なかった。
――8月8日。
酷暑の中、涼しい顔をして歩いている素朴な少女。
「もしもーしリナリアでーす。このクソ暑い中ここ鎌倉は観光客で賑わっておりまーす」
電話相手はベロニカだった。
『到着したのね。では作戦は予定通り、今回はオーラだけ吸い取ってイデア球体に保管して欲しい。もしも強烈な素質を持つ者が現れた場合は連れ帰って来る事。いいね?』
「質問なんですけどぉ、強烈な素質の定義とはー?」
『貴方の感性に従ってもらって構わない。能力を集めるのは優先度があまり高くないから』
「はいはい、了解。まあ適当にやってくる」
『宜しく頼むね』
通話が切れ、携帯電話をポーチの中にしまう。
リナリアは目を静かに閉じて、体内に潜んでいたオーラを薄く広く拡散させる。これにより自由意志を持たない非生命体を全て遮断し、周囲を絶え間なく行き交う人々だけに意識を集中する。
人間の数は果てしなく多いが、その中で貴重なオーラを持つ者は限られて来る。1分ほど経過した間に能力を持っていそうな人間は三人見つけたが、そのいずれもゼラニウムの目的にはそぐわない貧弱なオーラだとリナリアは判断する。
――回りくどいな、しょうがないけど。
本当は自分が世界中を回って超常現象を見せ付け続ければそれで済むのではないかと最初は考えていた。しかし物事はそう単純ではない。エルミタージュを始めとする異能専門の保安部隊は、後から被害に遭った人々の記憶を修正したり、現象に対して科学的もしくはトリック等で説明を付けてメディアに流す。人は信じたいものを信じるのでゼラニウムに一定の信者がつく事はあるが、それでもただの一新興宗教に過ぎない。だからベロニカは、世界の常識を根本から覆すような出来事を引き起こし人々を先導する事を計画したのだ。今はその準備の最終段階。計算に狂いが生じないよう、現段階では一般人からの異能の目撃は避けろとベロニカに口うるさく言われている。要するに常識外れな事象を引き起こすのであれば、予兆なく勃発する衝撃があった方がより効果的だという。
鎌倉の代表的な大通りである若宮大路を鎌倉駅から鶴岡八幡宮に向けて歩き続ける。途切れることのない人混みに神経を集中し、そこに光る物を見出せば自らの手中に収める。
「ん……?」
何者かに注視されている感覚がした。パッと目を見開いて周囲を広く観察する。それほど近くからではない。しかし遠くでもない。彼女が円形に広げたオーラの範囲は数十メートルであり、その領域の外側から向けられた敵意が微弱な精神エネルギーとして流入してきているのだ。
――距離は分からないけど、北東と南西にそれぞれ一人ずつか。
しかし腑に置ちないのは既に自分がマークされている事だ。ゼラニウムの中で容姿が世間に周知されているのはベロニカとアザミだけである為、こうして街中を歩いていて警戒されることはまずない。オーラを薄く広げてまだ数分しか経っていない。希薄なオーラに気づいて警戒態勢に移れるような手練れが偶然にも鎌倉の街にいたのか。もしくは、何か想定外の情報漏洩があったのか。
いずれにせよ好機だ。微弱ながらも視線のオーラがここまで届いて来るには、ここまで影響を及ぼす可能性がある必要がある。かなり強大なオーラを持っているに違いないのだ。
――まず、北東の奴からにするか。
リナリアは人の群れを最短ルートで素早く抜けて、細い路地に入る。人に見られる前にほとんどテレポートのようなスピードで視線の元へ向かう。
辿り着いたのは、自動車が通れない程に狭い草木の生い茂った通り。そこに視線の主がいた。
黄色い髪、黄色の瞳。よく見知った懐かしい制服姿。
「エルミタージュの生徒……クソ」
「な、なんですか!?」
リナリアは解放しかけていたオーラを一気に沈めてゆっくりと少女に近寄る。それはゼラニウムの一員である
「惚けるな。アンタ、私を観察してたろ。なんで?」
「……予知能力者の友達が、今日鎌倉に危険があると言ってました。だから警戒していた所に貴方のオーラを見つけたんです」
「あっそう……」
確かにそれは有り得ない話ではない。オーラ量の多い者は確率を変動させてしまう為に未来予知されにくい傾向にはあるが、必ずしもそうではない。あまり遠くない未来や、他者を巻き込んだ騒動等は明確に予知されてしまう場合もあるのだ。
「一応聞いとくけど、もう一人私を観察してた奴がいた。そいつもエルミタージュの生徒だな?」
「知りません!」
「はあ……まあいいか。痛い目見ない内に帰ることね」
その瞬間、シンバルを叩いたような強烈な音がこの路地一帯に響き渡った。
リナリアは無意識の内に右腕を頭の後ろに回して、死角からの攻撃を防御していた。
「あぁ?」
少々予想外の事態が起きている事に僅かに動揺するリナリア。
防御に用いている右腕に痛みがある。しかし、そんなはずはないのだ。余程優れた能力者でなければリナリアのオーラを打ち砕く事など出来るはずがない。
リナリアは左手の指をまっすぐ伸ばし手刀を作り、反時計回りで背後の人物を切り裂こうとした。
空振りの感覚と共に、身軽に飛び退いた人物の姿が目に飛び込む。
「なに……一年生……?」
制服に着いたバッジには入学した年度が刻印されているから、学年はすぐに分かる。
しかしこのオーラは、とても一年生が放っているとは信じ難い質の高さだ。
気を取られている内に先ほどの少女は消え失せている。
眼前の少年の瞳が発光し始める。彼の体の周りを数字が螺旋のように飛び交い、途端に機械的な動きに変化する。
「まあいいか……ホントはね、エルミタージュの生徒に危害を加えちゃあいけないんだけどさぁ……そっちから先に攻撃してきた場合はその限りじゃない。悪く思わないでね?」
そう言ってリナリアは業火のように燃え盛るオーラを発散する。大抵の人間はこのオーラに気圧され恐れ慄くのだが、少年はそんな素振りも見せない。それが彼女には気に食わない。
「本当に死んじゃっても知らないからね」
リナリアもエルミタージュの貴重な生徒を殺したくはない。今は敵同士であっても、人類が進化した暁には共に世界を統治する立場にあるはず。
致命傷にならない程度の加減をして体術を仕掛ける。本来ならこれで決まる。
しかし少年は、紙一重のタイミングで受け流すように攻撃を躱した。そしてさらに反撃の蹴りまで繰り出して来た。リナリアはそれを左腕のオーラでガードしたはずなのだが、関節に痛みが走る。
「お前……何者だ?」
「エルミタージュ一年、柊桐也。こんな場所で仇と出会えるなんて光栄だ」
「仇……私が誰か分かるのか?」
「お前にとっては取るに足らない子供の一人だったから覚えちゃいないだろうがな。白詰黒葉って名前に聞き覚えはないか?」
その人物名を聞いた事で、この不可解な状況をようやく納得する。
「アンタ、昔孤児院に出入りしてた事があるのか。確かに覚えちゃいないけどね」
「……お前らは無垢な子供たちを私服を肥やす為だけに利用した下衆だ。だから、殺しに来た」
「復讐? まだ若いのに、やめといた方がいいよ。あの子達は望んで贄となったんだ。私たちの言葉に深く賛同していたよ」
「違う……それはお前らが洗脳してそう仕向けた結果だ!偏見に満ちた目で物事を見るように誘導したのは貴様らだろッ!」
それにしても。この桐也という少年から感じる圧倒的な存在感は何か。リナリアには分からない事だった。
確かに、精神エネルギーは可能性の塊だ。復讐や怨念等の強い感情は、それだけ実現性の高い意志を秘めている為、その分オーラの質や量が増加する事は理屈に合っている。
しかしこの少年は違う。怒りの感情を抱きながらも非常に滑らかで静かなオーラの形。敵意はあるが、それを自分の手中に留めて力に変えているような印象。
そして何より解せないのは、リナリアが痛みを感じた事。彼女は圧倒的なオーラの壁で防護壁を作る事が出来る。そんな、ほとんど実存の物体と変わらないほどの強度のオーラを完全にすり抜けて攻撃が命中した。
これまでの人生でそんな所業を成し遂げたのは、序列一位の神徒椿、五位のガーベラだけだ。あの二人は一億人に一人程度の割合でしか発現しない特異なオーラを持っている。だからこそ見出された。孤児院に出入りしていたこの少年がそれほど稀有な才能を持っていたのならば、椿やベロニカが見逃すはずはない。
「……試してみるか」
燃え盛るオーラが桐也の肉眼でも見えるようになり、そしてその色が輝きを増していく。
煌々と揺らめくそのオーラ。黒髪のミディアムヘアだった髪の毛が白色に変化し僅かに浮き上がった。背中からは天使の羽のようなビジュアルのオーラが左側のみ形成され、素朴な見た目だったこれまでのリナリアとは打って変わって奇抜な印象に様変わりした。
「天使を気取ってるみたいで、あんまり好きじゃないんだけどね、この見た目」
「天使どころか神を気取るつもりだろ、お前らは」
この姿を見ても大きな動揺を見せない桐也。
「大したタマだね。このクェーサー形態を見て平常心でい続けた奴は数少ない。だけど、その虚勢はどこまで続くのかな?」
彼女は微動だにせず、オーラによる衝撃だけが桐也を襲う。その影響で周囲一帯に嵐のように風が吹き荒れた。
「台風も近づいてるらしいしね、これくらいなら暴れても大丈夫でしょ」
桐也は一時吹き飛ばされたが、標識の柱を掴んで一回転して戻ってきた。
恐ろしい反射神経。リナリアが心の底で少しばかり感心していると桐也の姿は消失していた。いや、正確には視覚が動きを捉えていた。彼が屈んでスライディングのように一気に距離を詰め、今はリナリアの目の前、懐の内。
――こいつ、なぜここまで近寄れる……!?
流石のリナリアも危機感を覚える。桐也は彼女の鳩尾に向けて拳を振り上げている最中だった。
あまりに素早い動きに反応が遅れたものの、それでも防御壁を作る事には成功した。桐也の拳はそこで止まっている。
「まさか、クェーサーのオーラ圏内まで侵入できる奴がいるなんて……アンタ一体なんなんだ?」
「くっ……」
リナリアが能力を利用してようやく受け止められた力。力は均衡しているような状態で、リナリアのオーラと桐也の拳が押し合っている。
気になることも多いが、この少年にばかり付き合っている暇はない。リナリアは勝負を決める事にした。
クェーサーのエネルギー効率を最大限利用して格闘を繰り出す。下手をすればこの少年は命を落としてしまうだろうが、先制攻撃を受けているため致し方ない。コンプライアンスにも引っかからない。
リナリアの拳や蹴りは目にも止まらぬ速さで桐也へ襲い掛かる。しかし桐也はほとんど目視してさえいない状態でも紙一重のタイミングで攻撃をかわし続ける。まるで思考が読まれているかのように全ての動きが見切られる。反撃もいくつか食らったが、流石にクェーサーの分厚い壁を完全に貫通することは出来ないらしい。
「……能力無効化とも思ったが……それ以上におかしな能力だ」
リナリアが回し蹴りをすれば、その高さギリギリの位置まで屈みながらカウンターのアッパーを繰り出す。右フックであれば回転しながら一歩後ろに下がった上でリナリアの右腕を軸にして近寄り回転の力をキックに利用する。
「それは、真力……? お前のそれは、格闘の技能を真力によって最大限引き出したものか……?」
リナリアのクェーサーは超能力者の究極の姿と言われる形態を模しているが、その代償として超常現象を引き起こす力は非常に弱い。肉体や精神、そしてオーラの質を極限まで強化する事そのものが能力であり、本質は格闘技能にあると言える。しかしそれでもエネルギーが余りに莫大である事で、世界中あらゆる能力者の攻撃はオーラの防御壁で遮ることが出来るのが本来の力。
もしもそれを破る事が出来るとすれば、同質の技能を鍛錬した者のみだ。つまり、あらゆる格闘技を極限まで鍛えた者が存在すれば、理屈としてはリナリアの能力が通用しない。
「……惜しいな。俺もお前と仕組みは同じ。訓練したんだ。仙術により真力を再現したに過ぎない」
「真力を、再現?」
そんな芸当が可能か、リナリアは考えてみた事もない。クェーサーはその鍛錬の度合いが重要視されるのではなく、極端に確率波の質が高い状態でしかない。リナリアはその質、つまり現象の実現性の高さの部分に超能力開発の当初から注目して特質を育てたから、このようにクェーサーの姿を不完全ながら模倣できた。
しかし真力の本質は脳機能の根幹、記憶領域や肉体への電気信号が最適化されるという人間の力に依る。そして自由意志の力は精神エネルギーを自在に操ることにも繋がり、結果として超能力とも魔術とも形の違う光そのもののようなオーラが完成する。
一般的にどんなに早くても完成までに10年の月日を要すると言われる真力を、エルミタージュの新入生がこの半年程度で模倣するなど、有り得ない。しかも彼は軽く仙術と言い放ったが超能力と魔術を一年生の内から融合させる者など、普通ではない。しかし”普通でない”のがエルミタージュの特徴でもある。
「アンタ、プリムラって人知ってるか?」
「えっ……ええ。私の親友だよ」
「そっか。親友、ね」
桐也はおよそ一ヶ月前。プリムラの課した過酷な修行の日々を思い出す。
自分は強くなった。実感が伴う。
プリムラの持つエネルギーを吸い取ってしまっているのではと心配になる程に、事は上手く進んでいた。
毎晩、気絶するように眠り込む。翌朝は38度の熱が出ている状態で修練を開始し、本当に意識を失うまで続ける。そこから万全の状態になるまで休みつつオーラの制御訓練。体に対する治癒力も精神エネルギーが優れていれば向上する。
人権が守れないかも、と言っていたプリムラの言葉は嘘ではなかった。これは人道に反した特訓であるし、公的に認められるべきものではない。ただしプリムラ自身は常に選択肢を示してくれていた。それも桐也が修行をやめたくなるような誘惑を塗して。
「体調は万全?」
「はい。しっかりとオーラを意識しながら体力を全快させました」
「でも、これからまたボロボロになるまで修行が続くよ。マトモに呼吸出来なくなるし、意識を失うかも知れない。過労で突然死する可能性もある。それでもやるの?」
「ええ」
「もしもここでやめれば、極上の幸せと共に”そこそこ”の力を私の能力で付与してあげられるよ」
「半端じゃだめなんです。世界最強の能力者をも打倒できるポテンシャルを得なければ」
「……よし、分かった。今日も始めよう」
そして、地獄のような修練を一日終えた後。
かろうじて意識が残っていた桐也にプリムラは優しく声を掛ける。
「選択肢をあげる。1……ここで修行をやめる。2……苦しみから解放される。3……身も心もリフレッシュして楽しい日常に戻る」
激しい呼吸を繰り返しながら、桐也は鋭くプリムラの優しい瞳を睨んで叫ぶ。
「答えは……”ゼロ”だ! その選択肢に正解、は……ない……!」
そう言い残して力尽き、深い眠りに落ちる桐也。
「……本当に一咲と似てる。自分の命より、理想が優先なんて。私にはとても真似できない」
間違いなく憐憫の目を向けていた。この子には、一咲のようになって欲しくないというプリムラの願い。成宮一咲は現実を捨て、人間を捨て、そして自己さえも捨て去ってしまった。それも全て自らの信条に従って。
そしてそれは、もう一人の友人の姿とも重なる。
――リナリア、貴方は今どこで何をしているの?
学園の危機に真っ先に立ち向かい、いつも自分に勇気をくれた親友。誰よりも正義感の強かった彼女が、学園を離れて何をしているのか。いくつかの候補の中で最悪の想定をプリムラは振り払えない。だからこそ縋るように桐也への稽古を付けている節もあった。
修行が佳境に差し迫った時、プリムラは桐也にある助言をした。
「今回の特訓……完成しても、それは付け焼き刃に過ぎない。本来なら数年、いや数十年掛けて磨いていくモノを突発的に限られた条件下で利用できるようにしただけ。修練を終えてしばらくすれば能力は劣化していく。だからと言ってその衰えに逆らおうとは決してしないで。本当に死んじゃうから」
「はい」
「それと、この付け焼き刃の能力が通用するメンバーは限られていると知っておいてね。貴方の習得した能力は、超能力と魔術を一時的にはあれど完全に融合させた仙術と呼ばれる高位の技能。でもね、世の中には超自然科学でも解明できない奇妙なオーラを持つ人間がいる。一咲のようにね。ゼラニウムにも最低一人はいる。そいつに出会ったら、絶対に勝負は挑まないこと。これは私との約束」
「……分かりました」
「それから……」
口籠ったプリムラ。桐也は急かすことなく静かに続きを待った。
「ゼラニウムの中にもしもリナリアって奴がいたら、私に報せて。友達なんだ」
「友人がゼラニウムに……」
「ううん、そうと決まったわけじゃないの。私の失礼で勝手な推測。でももしも彼女が相手なら……恐らく柊くんは勝てる」
しかし桐也も、ロズはゼラニウムの思想に同調しかねないと考えている。プリムラも同様の発想で友人を憂いていることは理解できた。
そして今――桐也はその人物と相対している。楓からリナリアの名を聞いた時には胸が騒ついた。そういう嫌な予感は当たってしまうものかも知れない。だとすればロズも。
だが、今はともかくリナリアを撃退する事が最優先。こうして余計な思考を巡らせていても、無意識とオーラが自動的に攻防を繰り広げ続ける。丸々一ヶ月絶え間ない修行を続けて、この瞬間の為に創り出した究極の能力――”先見の煌”であれば、世界でも指折りの能力者に一矢報いる事ができるかも知れない。
「くぅッ……!?」
リナリアが軽いジャブのように放つ打撃は、いわば駅のホームを通過する電車と同等以上のエネルギーを秘める。目標に命中すればオーラが伝わり肉体は四方に弾け飛ぶ。しかしこの男にはオーラが伝播していかない。柊桐也の周囲でオーラは霧散していき周囲の空間に薄く広がっていく。可能性の塊は、どんなに確率が高くとも100%でない限り無と同じ。桐也というターゲットから確率波が逸れてしまった時点で、オーラは急激に力を弱めていく。
一方の桐也はその逆。彼の拳も蹴りも渾身のストレートのように鋭くリナリアの腹を目掛けて飛んで来る。それをクェーサーで受け止める事で命中間際に停止させる事は出来る。精神エネルギーを桐也が分解する速度とリナリアのクェーサーによる放出速度がようやく同じになるからだ。リナリアは焦りを感じていた。既に80%以上のオーラを出力している。全力で行けば彼を押し返す事こそ出来るものの、打ち負かすには至らないだろう。
この驚異的な能力と先ほど桐也の口から出たプリムラの名に、リナリアはようやく理解した。
「あは、あはは! そういう事……かッ!」
叫ぶと同時に腕を薙ぎ払って、なるべく遠くまで飛び退いた。
「プリムラから特訓を受けたんでしょ、お前」
「……ああそうだよ」
「そっかぁ、まさかあのプリムラがねえ。他人を自分の世界に巻き込む事を何より拒んでいたアイツが……」
「彼女は、アンタの事を親友だって言ってた」
桐也の射程距離から離れる為に宙に浮くリナリアの姿は正しく天使のようだ。それでいて片翼を始めとした非常に不均一なアシンメトリーが不安感を煽り、より神々しさを増しているようにも見えた。
「そうさ。私の大切な親友。このクェーサーだってプリムラと一緒だったから手に入れた能力だもん」
「……じゃあお前は、どうして彼女と決別してまでゼラニウムにいるんだ!」
「決別したつもりなんてない。私は正義を貫いた後、エルミタージュの皆と和解できると信じているよ。親友だってたまには喧嘩くらいするでしょう? そんなものよ」
「人を沢山殺しておいて、さも聖人のように振る舞うお前らを……歓迎するわけがない。特にプリムラはな」
「……かもね」
これまでの不敵な表情とは打って変わって、酷く暗い面持ちを見せたリナリア。
「それでも夢を叶えなきゃならない。こんな不公平な世界、私は認めない」
そう言って静かに白の光が減衰していく。髪色も黒にすっかり戻って地上に着地する。
「全力で行ってもオーラが分解されちゃうなら体力の無駄だ」
「じゃあ降参か?」
「いいや。この場は退散させて貰うとするよ。多分決着つかないし」
背を向けたリナリアに対して危害を加える気にはならなかった。先見の煌はあくまで能力を用いた勝負において有効なのであって、相手に逃走を図られた場合は追いつく事も出来ないであろうと知っていたからだ。
「一つ聞いていいか?」
「なに、手短にね」
素直に振り向いて垣間見えるその素顔は、素朴な少女にしか見えない。それが桐也の中で一つのジレンマにもなってしまう。この人も洗脳された被害者でしかない、という発想が浮かんでしまうから。
「学園で今……奇妙な事件が起こってるんだ。生徒の記憶や記録まで改竄されて、まるで最初からいなかったみたいに人が消えてくんだ。だが、必死に捜査しても犯人像がまるで掴めない。何か知っている事はないか?」
「フフ……私たちが犯人だとでも?」
「そうじゃない……と、会長やプリムラは言っていた。奴らはエルミタージュを愛しているから、と。俺はそう簡単には信じられないけど……あえて今は信用して聞きたい。何か知っていれば教えて欲しい」
「そう……」
一度桐也へ向けた目線を逸らし、再び背を向けたリナリア。
「……マトリョーシカ」
「えっ?」
「マトリョーシカだよ。この単語を覚えておけば、何か良い事があるかもね」
マトリョーシカ。何重にも人形が入れ子構造になっている、ロシアの民芸品だ。人形の上半身を外せば次の人形、その上部を取り去れば再び次の人形。それが何段階かに分けて続く。
「ヒントはそれだけ。それじゃあまたいつか会いましょ、柊桐也くん」
そう言い捨てて、リナリアは風のように眼前から消え去った。
円陣のように何重にも桐也の周囲を飛び交っていた数字たちが彼の身体に吸い込まれていく。
「ふうー……」
少々疲れは伴うが、少しだけ動悸が速まっている程度だ。あのリナリアと戦ってみて改めて実感する特訓の成果。
リナリアは化け物だ。素直にそう思った。アレより強い奴がゼラニウムには何人もいる。そう思うと桐也は強い絶望感に囚われる。
しかしそれでも、その化け物の一人に限定的な状況とは言え食い下がる程度の事は叶った。これは一つの基準となる。
心身共に無茶を強いる事で手に入れた能力なのですぐに衰える。しかし一度掴んだ感覚は忘れないものだ。再び覚えるのにそう時間はかからないだろう。奴らと再び相まみえる時、勝つのは自分だ。そう信じた。
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