第七章『疑念』

 生徒会副会長――中之条百合なかのじょうゆりは既に三年間、生徒会役員として成宮一咲なるみやかずさの補佐をしている。ある程度仲も良いのだが、未だ彼女の本質を掴み切れていないのは確かだ。

 会長はその煌びやかなストレートヘアを弄りながら、退屈そうな溜息を吐く。百合はそんな彼女の謎めいた横顔に、思わず見惚れてしまう。

 生徒会長というのは、このエルミタージュの七不思議の内の一つに数えられる人物。彼女自身が怪談と化している時点で只者ではないことは確かだが、それを本人に尋ねることは禁忌とも噂されている。

 しかしながら、寧ろその秘密を直接聞いてみたいという欲求が湧き上がって来ることも含めて、「生徒会長の成宮一咲」という怪談なのだ。

「会長……私、未だに不思議に思うことがあって」

「なに?」

「……会長……いえ成宮先輩は、本当に人間なんですか?」

 空気を凍らせたような静寂が訪れた気がしたが、それは百合の気のせいだった。成宮一咲は呆れた顔をする。

「随分と失礼なことを聞くのね」

「ああ、ごめんなさい……でも、偶に疑ってしまう瞬間があって」

「無理もないけど。色々誤魔化しているのは確かだしね」

「? それって――」

 百合が疑問を呈する前に、扉が開く音で話が中断された。

「戻りました!」

 入ってきたのは絆だった。

「絆、どうだった?」

「うーんと、収穫はほとんどなしですね。周辺のクラスの人に聞き込みをした限りだと、確かに目撃情報そのものは多いんですけど、決定的な証拠は何も見つからないんです」

「状況に変化なしってことか……」

 彼は例の行方不明者についての調査をしているはずだ。しかし、目撃という単語が気になり絆に尋ねる。

「目撃って? 関連する事件でも起きてるの?」

 百合は生徒会員として行うべき活動に集中しており事件の捜査員からは外れている為、現状全ては把握出来ていない。

「神隠しですよ! 今や七不思議なんて言われちゃってますけど、どうやらその噂が出始めたのはここ一年程の間らしいんです!」

「え? でもその話、昔からあったような……」

「そこなんです!」

 興奮気味になる絆に戸惑う百合だったが、一咲が注釈を入れる。

「皆その噂を昔からあったと信じ込んでいるけど、必ずしもそうでない可能性を絆から指摘されたんだ。神隠しなんて噂が広まった証拠となる資料は一年以上前には見当たらないんだ」

「でも……少なくとも二年くらい前からはありましたよ。当時の先輩と話題にした記憶があります」

「それが罠なんだ。誰しもがそう思い込んでる。先輩や先生がそうだから、二年以上前からある噂だという信憑性が増している。でも実際に校内で行方不明者が始めて出たのは10ヶ月前からだ。そこから神隠しって単語がSNS等に流行り始めてる。系統がヒュプノシスで、物的証拠にまでは手を回しづらかったんでしょうね」

「ええ? 誰かが超能力でわざわざ都市伝説を創り出してるとか、そう言いたいんですか? 何の為に?」

「犯行をカモフラージュする為さ。だって、十ヶ月前からは確かに記録がある。確かに生徒が数人消えている証拠だ。その生徒たちも、皆の記憶からはヒュプノシスで消え去ってしまっている」

「つまり……神隠しを作り出しているのは、例の事件の犯人と同一人物だってことですか」

「そういうこと。私や秘密基地の面々等、ヒュプノシスが効かない生徒はいるんだけど、都市伝説の類に興味が向いていなかったのと、周囲が信じ込んでいるだけに気づくのに遅れた。すまない」

「い、いえ……そんなこと言われても」

 皆が信じていることを疑えというのは難しい話だ。しかも噂そのものの内容ではなく存在の有無など、自分の記憶違いとしか思えないだろう。

「あれ、でも会長にヒュプノシスが効かないなら、消えた生徒に気づけるんじゃ……それこそ、元々生徒がいたなら記録にも残るでしょうし」

「それが巧妙でね。最初の数件に関しては私たちと接点の薄い生徒を狙いつつ、物的な記録をも改竄できる人間を操って最初からいなかったように偽装してたみたいなんだ。私に完全記憶能力でもあれば良かったんだけどね……失敗したよ」

 会長にそれほどの責任はないだろうと百合は考えるが、この会長なら生徒全員を覚えていても不思議ではないと思えるのも事実だった。

 絆は机に数枚の紙切れを置いた。

「そういうわけで、とりあえずこの学校に在籍するヒュプノシスの個人ファイルです!」

「ありがとう。さて……どう絞り込むべきか」

「この全員に刑事さんみたいに聞き込みをしましょー!」

「あまり大きく動いて警戒されたら証拠が見つからなくなるから、それは避けたい手段だ。それに、この中にいない可能性はかなり高い……こっそりヒュプノシスを習得してる生徒だってきっといるからね」

「そうなんですか!? じゃあ、どうすれば……」

「容疑者から外れる人間に捜査して貰うしかない……一年生で、しかも能力を存分に発揮できている人とか……それとも、最近私が触れた人か。でも、法の支配の発動を恐れてほとんど触れてなかったし……」

 数回のノックの後、遠慮気味に扉が開いた。

「すいません、絆いますか?」

「あー躑躅つつじ……ちょっと考え事しててさ」

「まだ仕事中? もうロボトミーチェス飽きちゃったんだけど」

「ああそれってサイコメトラー同士のチェスだっけ……もう少しやってて……」

 彼女の姿を見て、一咲は珍しく少々間の抜けた声色で「あ」と呟いた。

蘧麦きょばくさんは絶対に洗脳されてないよ。前に会った時、私の精神エネルギーを一部与えたから」

「そうなんですか!?」

 絆は目をパーッを明るくして叫ぶ。

「躑躅! 良かった!」

「え、なに」

 目をパチクリさせる躑躅に対して、百合が呟く。

「洗脳されてないエナジートランス……物や人の記憶を読んで、催眠でその事実を揉み消すこともできる……彼女以外に適任者はいないんじゃないでしょうか」

 躑躅は目を細めて反論する。

「あの……私、催眠系の能力はまだ使えませんし……何より、話を説明して頂かないと、協力しかねるんですけど」

「大丈夫、悪い事じゃないんだ! 僕たちが刑事さんみたいになって犯人を見つけるってことなんだよ!」

「犯人?」

「詳しい話は後でする! それじゃあ会長、百合先輩! また明日~!」

 嵐のような勢いで絆は去って行った。

「っていうか、まだ絆の仕事残ってませんでしたっけ?」

「絆には神隠しの仕事を任せるから、他の仕事は私と百合でやるよ」

「ええ!? こんなにたくさんあるのに!?」

「やるの」

 神隠しと並ぶ怪談の一つに睨まれてしまえば、百合も文句は言えなかった。


 話を聞き終えた躑躅は小さく呟く。

「めんどいな……」

「ええー! 手伝ってくれないの!?」

「そうは言ってないでしょ。単に、バレないように調査するってのが回りくどくて……」

「でもでも、そうしないと多分永遠に尻尾捕まえられないよ?」

「はあ……まあいいや。私も気分は良くないからね。何より入鹿や絆がそうして消されたら耐えられないだろうし」

「大丈夫だよ、僕一応生徒会員だし。そういう人の周りの人間には手を出さないんじゃないかな」

「そう楽観視していいものかな……」

 それにしても、成宮一咲はまるでこの事を予見していたかのようだと躑躅は感じた。

 当時まだ躑躅は知らなかったが、彼女がエナジートランスだと知ったあの時、一咲は修練を阻害されない為にオーラを一部分け与えた。それは本当にお呪いのようなもので、少々運勢を上げる事により致命的な怪我を一度限り防ぐ偶然や彼女の成長をサポートする役割を果たしていた。しかしそれが偶発的に、洗脳を受け付けない事にも繋がっていたという事だ。

「あの人、ますます何者なのか分かんなくなってきたよ……」

「会長のこと? 凄い人だよ!」

 特に用事もない為、二人で寮へと戻る。

 ここ数日は躑躅が絆の部屋に立ち寄ることが多く、必然的に桐也も含めた三人で過ごす時間が長くなっていた。

「ただいまー」

「おかえり二人とも」

 桐也の机の上には分厚い参考書が載っていた。自分のベッドへ飛び込んでいく絆は一先ず置いておいて、躑躅は彼に尋ねる。

「桐也、それは?」

「禁術について解説した専門書さ。相手を知らないと、対抗策が何も練れないからね」

「一応禁止されてるから禁術って呼ばれてるんでしょ?戦う機会ってそんなにあるのかな」

「君が戦った擬宝珠聖也ぎぼうしゅせいやって人も禁術使いだったじゃないか。重い罰則を受けるレベルでないにしろね。俺だったら多分あの人には勝てなかったろうし……それに俺は、最終的にはゼラニウムの奴らを――ベロニカ・リベットを倒す」

「は? 秘密基地でも未だに一人も捕まえられてない連中を?」

「……まあ、新入生の戯言かも知れないが。その為に能力を作れば不可能じゃないと思うんだ」

 正気とは思えない。自ら死にに行くようなものだ。

「どうしてそんなに、ゼラニウムに拘るの?」

 桐也は元々険しい表情をすることが多いが、躑躅の言葉に対して、より一層深刻そうに顔を歪めた。

「……絆にもまだ話してなかったよな」

 絆は仰向けに寝転がりながらコクリと頷く。

「仇討ちさ」

 噛みしめるような言葉。絆には、確かに桐也は一つ一つの文言に気持ちを込めて発言する印象があったが、これだけ感情的な姿を見るのは初めてだった。

「ゼラニウム……特にあのベロニカ・リベットって女は。俺にとって親友の仇なんだ」

「何があったの?」

「親友の名前は黒葉くろはだった。黒葉はベロニカに心酔していて、彼女はそれを利用して子供を集めてた。集めた子供の中でも巨大な力を持つ者を、”対価として消費”した」

「どういう意味?」

 躑躅には意味が汲み取れなかった。いや、予想は出来ても納得は拒んだというのが正しい表現であろう。

「熟練の魔術師は物体を対価にすることが出来る。それには自らの所有物であると認識していることが絶対の前提条件として必要になるが……逆に言えば工夫次第で、生命を対価にすることが出来てしまう。B指定禁術だ」

「そんなことって……」

「黒葉は、無垢に魔法の世界に憧れていただけだった。それを俺に共有しようとしてくれた、大切な友達……なのに、どうしてその黒葉が犠牲にならなきゃいけなかったんだ……!」

 返す言葉がなかった。桐也の心の内にそんな哀しい過去があるとは想像し得なかった。ただ、皆大なり小なり現実を捨ててこの場にいることは確かだ。

「……すまない。取り乱して」

「いや……私の方こそ、軽はずみにそんなこと聞いちゃって、ごめん」

「いつか話そうとは思ってたんだ。問題ないよ」

 絆の表情は流石に明るくはないにせよ、普段の調子と然程変わらないようだった。それが桐也にとっては救いだった。

「ねえ。その話って、今回の事件に関係ないのかな?」

 絆のその着眼は躑躅や桐也にとって意外だったが、同時にハッとさせられた。

「この学園で通り魔的に人を消していく事にメリットを見出すとすれば……人間を対価にした禁術の行使は確実に候補に挙がる。ああ、どうして気づかなかったんだろう」

「でも桐也、少なくともこの件に関してゼラニウムは容疑者になり得ないって話でしょ? だとしたら、周りの記憶から被害者を消してまで犯行に及ぶ能力とメリットが釣り合う人なんているのかな……?」

「……いや逆だ、能力がメリットなんだよ。能力を使わずに犯行に及んだ後、然程目立たずに人を攫ってその人物の肉体を対価にする。得た強大なエネルギーの一部を用いて記憶の改竄を行えば事件の発覚が遅れる」

 桐也は一度俯いて頭を抱えた後、絆の瞳をじっと見つめた。

「事件の捜査、俺にも協力させてくれないか?」

「もちろん大歓迎だよ!そんな推理、桐也じゃないと出来ないもん!」

 逆に桐也から見れば絆の閃きが武器になると思えたし、二人が組めば瞬く間に謎が氷解してしまうのではないかという期待が躑躅にはあった。

「ちなみにこの捜査、ロズは誘ってないのか?」

「うん? これから誘おうと…」

「ダメだ」

 想定外の返答だった為、聞き返すことも出来ず少しばかり茫然としてしまった。

「ロズにはまだ言わないでくれないか。今の推理も、俺とゼラニウムの関係についても」

 いつになく厳しい口調、表情に躑躅は少しだけ萎縮して尋ねる。

「どうして……?」

「……少し気にかかる事が幾つかあってな」

「まさか、ロズを疑ってるの!?」

 あの温厚なロズが人を殺して回っているなんて。そんな事、あるはずがない。

「能力が禁術向きなだけあって、何らかの形で関わっていてもおかしくはない。それが本人の意思であるか否かは別としても。だから尚更、彼女に話を匂わす訳にはいかないんだ」

「……そんな」

 ロズ一人だけ仲間外れにする事に強い罪悪感を感じて俯く躑躅。一方で絆は窓の外を見ていて、桐也がその表情を読み取る事は出来なかった。


「ただいま」

 集中して魔術の修練をしているロズから反応はない。

 机の上に置いてあった小さなコインが瞬く間に薔薇のペイントに変化する。薔薇はすぐにロズの掌に吸い込まれた。次に体の中から放出した薔薇は、再びコインの姿に形を戻す。

 今の彼女に出来る限界の能力はあの程度。しかし、本当だろうか。

 躑躅は禁術について聞き齧り程度の知識しかない。だが例えばもしも、人間の指を切り落とし薔薇のペイントに変えて吸収したら。吸収された他者の身体の一部はロズの体内で融合した状態となる。その部分のみを対価として利用すれば、それは禁術の行使に利用できる。得たエネルギーを再利用すればローズ・スペクトルで吸収できる大きさの限度も上昇していくだろう。禁術の性質状それにも限度はあるらしいが、人を食い物のように利用する程度まで成長することも十分に考えられる。

 考えないようにしても強迫的に湧き出てくるこの発想。堪らず、躑躅はロズに尋ねる。

「ねえロズ、ちょっと良い?」

「うーん?」

「ロズはその能力を、どんなことに使いたいと思ってるの?」

「え? そうだね……現象や物をこうして体内に仕舞い込んでおければ、いざって言う時に役に立つでしょ? 自分の為にも、他人の為にもさ」

 平時と変わらない穏やかな笑みで言葉を返していたロズだったが、少しだけ表情を硬くして躑躅に尋ね返す。

「躑躅こそ、どうしてエナジートランスになったの?」

「一番便利じゃない。何でも出来る可能性があるんだよ。一つの能力に特化するより合理的だと思ったから。まあ能力を得たのは偶然だから、後付けの理由だけどね」

「大会でもとっても強かったしね」

「戦いにも強くならなきゃ。それこそ、いざという時に役立つかも」

「でも、その力で大好きな葉団扇くんに大怪我させちゃうなんて本末転倒じゃない?」

 ロズにとってその言葉は、単なる雑談の中の軽口。冗談のつもりだった。しかし躑躅はそれを聞き流すことはしなかった。

「……アレは、全力でやるってお互いに約束したから結果的にそうなっただけ。絆と私との関係に口出さないでくれない?」

「口出すなって言われても、別に葉団扇くんは躑躅の所有物じゃないんだよ? 私や桐也くんだって、みんな心配してた。もちろん躑躅のことだってね」

 心配していた。その言葉は躑躅の神経を逆撫でした。

「そんなの余計なお世話だよ。絆も私も違う人間で、責任は自分で取れる。勝手に自由を奪わないで欲しいんだけど」

 彼女がいつになく反抗的に言い返してくる為、ロズも思わず語調が強くなる。

「自由……勝手に大会の賞金について決めて嫌味まで言ってきた人がよく言うね」

「嫌だったなら断れば良かったじゃん。それが責任取るってことでしょ」

「ほんと自分勝手……!」

 机を叩いた衝撃で並んでいた本が少し揺れる。躑躅はビクッと震える。

「そんなに身勝手な癖に、葉団扇くんのこと悪く言ってたんだもんね。バカみたい」

「そ……それはもう過ぎた話でしょ。今は反省してるよ……」

「どうだか。私、疲れちゃったよ」

 それまで開いていた本を閉じ机を離れるロズ。

「こんな時間から、どこに……?」

「躑躅のいないとこなら、どこでも」

 蔑むような目を最後に、ロズは部屋の扉を乱暴に閉じた。

「はぁ、もう……」

 涙が滲んで来る。小学生の頃、躑躅には友人が少なかった。軽い雑談を交わせる相手はいたが、その程度であって互いの心境の深い部分まで吐露できる間柄にまで発展した経験はない。

 だから、失敗した。喧嘩をしたこともない。感じたことを正直に言うのが誠実だと信じていたのに、普段温厚なロズがアレほど激昂したことに驚いてしまった。

「う、うぅ……私、なんでこんな……」

 大粒の涙を零して泣いた。

 今は絆を頼る気分にもならなかった。それをしようとすると、ロズの言葉がまた頭に響いてくるからだった。


 第一タームの講義が全て終了した。

 入学当初、ほとんどの生徒は新たな世界への希望に胸を膨らませていた。三ヶ月ほど経った今、この世界に順応した者、逃れ得ない現実を悟る者、まだ上があると夢を持つ者等、生徒たちは徐々に別々の道を歩むようになって来た。

「やっと終わったー!」

 超自然的現象をエネルギーという観点において数学的に記述した際、必ず現れる精神エネルギーの項。それを紐解く学問が「霊能力学」である。

 絆は数学や物理学の分野が得意だが同時に毛嫌いしている。彼がこの学園に来た一番の理由は現実の狭隘さを知ってしまうことへの恐れであって、超自然現象の物理的な意味を知り過ぎるのは彼の目的に対して本末転倒となりかねない。

 ただしそれでも絆がこうして明るく振舞っていられる理由は、天上の世界という人間の未踏の場所を仮定しなければその学問が成立しないことにある。それこそが絆が幼き頃から空想していた夢であり希望なのだ。絶対に届くことのない永遠の未知の世界。

「絆、いつ帰るんだっけ?」

「明後日だよ。それまで皆で遊びまくろうよ!」

 夏休みは一ヶ月半。半数ほどの生徒は実家に戻り休暇を取る。ただしこの学園の生徒は誰しもが現実世界に対して何かしら事情を抱えて入学して来ている為、実家に帰らず寮に残る生徒も少なくはない。

「躑躅も休みの間は帰るらしいけど、たまには学園の方にも遊びに来いよ。実家そんなに遠くはないんだろ?」

 エルミタージュは偽装用の仮の名として隠ヶ丘学園中学高等学校と呼ばれている。隠ヶ丘学園は神奈川県にある山奥に位置しており、一般人が迷い込まないよう”法の支配”を科学技術で拡張した手法である”法の下の平等”で守られている。迷彩機能なようなもので、学園の存在を知らない人間にはその山に興味が向かないという認識変更の魔術が掛かっている。

「遠くないけど、ここが山奥だから結局二時間くらい掛かっちゃうんだ〜」

「外の世界じゃ大っぴらに能力を使えないのがツラいとこだな」

「だね、ホントは僕もずっとエルミタージュにいたいんだけど。長い休みくらい家族と一緒に過ごそうかなって。お姉ちゃんにも会えるかも知れないし」

「そうだ、その事聞くの忘れてたな。絆のお姉さんって、上の学年の中で凄い有名らしいけど、どんな人なんだ?」

 それを尋ねられて絆は思い悩む。

「ん〜どんな人なんだろ?」

「え?」

「いや、お姉ちゃんがエルミタージュに通ってた頃はほとんど家に帰って来なかったし……今もどこか色んな国へ出張に行ってるから。なかなか会えないんだ。昔の記憶もあんまり残ってなくて」

「そっか……なるほどな」

 桐也には兄弟というものがいない為、その関係性が想像できず、当然のように人となりは知っているものだという思い込みがあったのだ。

「じゃあ、よりお姉さんのこと知れると良いな」

「うん!エルミタージュの生徒になった今なら、前より色んなことが話せる気がするんだ!」

 まだ当の絆は、葉団扇縁という人が学年の中で人気者だった程度にしか思っていないようだが、それは違う。上級生の間では成宮一咲に次ぐ伝説のような存在として語り継がれているのを桐也は知っていた。縁のカリスマ性と、絆のポテンシャル。好奇心と同時に、ゼラニウムを打倒するヒントになり得るかも知れないとも考えていた。


 躑躅は部屋を出て行く時、意を決して一言ロズに伝えた。

「あのさ……私、確かに自分勝手だったよ。ロズはあんなに私や絆のこと想ってくれてるのに、蔑ろにしてた」

 ここ数日、日常生活で必要となる会話以外を交わしていなかったロズだったが、少しタイムラグを生じてから振り返る。

「良いよ別に。そんなには怒ってない。私もあの時はカッとなった。ごめんね」

「う、うん……こちらこそごめん」

 休暇中に実家に帰るために荷物を纏めて出て行くタイミングだった。

「あ、ロズ……」

「あはは、そんなに不安がらなくても、本当にもう怒ってないよ。安心して」

 穏やかな表情に救われた気になる躑躅。しかしそうではない。桐也を始めとして、自分たちは一方的にロズを疑い仲間外れにまでしてしまっている。その事を打ち明けたかった。でももし、桐也の悪い想像が当たってしまっていたら。逆にその推理が全くの的外れで、彼女を怒らせてしまったら。

 そんな想像が怖くて仕方なくて、躑躅は開きかけた口を噤んだ。

「……休み中も、連絡して良い?」

「もちろん。私もこの部屋で独りぼっちは寂しいから」

「う、うん。じゃあ、またね……」

 素早く、しかし静かに扉を閉じた。

 廊下を出た後、縋るように向かったのは入鹿いるかの部屋だった。ノックをして出て来たのは朝倉蘇芳あさくらすおう。例の“0勝の女王”の妹である。大会後は何度か彼女の部屋に立ち寄っていた為顔見知りになっていた。

「こんにちは」

「蘧麦さん。入鹿ね?」

 躑躅以上に素っ気ない声色と表情をしているが、楽しい瞬間は正直にそれを表すのが彼女の魅力だ。

「躑躅!」

 部屋の奥から元気な声が響いて来た。

「私、夏休みは家に帰るから。一応言っとこうと思って」

「そうなんだ!私ももうちょっとしたら帰るつもりだよ」

「なんだ、そうだったのか。じゃあ特に心配ないか」

「心配って?あー、もしかして絆くんを私が横取りしちゃうかもーとか考えてる?」

「はぁッ!?考えてないし!」

「あははは、躑躅かわいい!」

 入鹿が精神的にここまで安定している事は素直に喜ばしい事だ。そんな彼女の姿を観れただけで躑躅は満足した。

「それじゃ私行くから。多分8月の中旬くらいに戻ってくるよ」

「うん、私もそれくらいだから!夏休みの宿題一緒にやろうねー!」

 苦笑いしながら去っていく躑躅に手を振って見送る入鹿。蘇芳が静かにツッコミを入れる。

「夏休みの宿題、8月中旬から始めて間に合う量じゃないと思うよ……」

「あは……やっぱり?」

 今の入鹿にとっては人生の全てが楽しく、課せられる試練に縛られている暇はないのだ。

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