第六章『凶変~後編~』
死んだように眠り込み、あっという間に翌朝がやって来た。
事件のことについて学園側は詳しい説明をしていない。現状ではほとんどの生徒が死亡した三人のことを覚えてさえいない為、生徒たちが事件を具体的に知れば大きな不安を抱えパニックを起こす。説明は犯人を無事に確保し、全てが明らかになった後だ。
『昨日は実況室のハプニングにより試合が一時中断されてしまいましたが、今日は予定通り残る試合を全て行います! 初戦は、昨日中断されてしまった
大会の様子を俯瞰的に観察する絆には、昨日とはまるで違った光景に見えた。
ビギナー部門の観戦の頃から、まるで夢を見ているかような浮遊感の中で過ごしていた。目紛しく上塗りされていく現実はまさに絆が求めていた未知そのものだったから。
昨日見たものは、決別したはずのリアルだった。狭い部屋に篭って絶望していたあの頃に、何より嫌いだった有り触れたニュース。人の死は誰にでも平等にやって来るなどという残酷な既知。その事実を、現実を超えた超自然の世界で目撃してしまった。
もちろん、エルミタージュにいれば死を克服できるなどと信じていたわけではない。それでも、自分と縁遠いものだと思って過ごせていたのは確実なのだ。
一方で昨日垣間見た”秘密基地”の力の片鱗は、絆の想像の中にある未知を容易に超越していた。本当に求めていた世界はあの場所。犯罪集団ゼラニウムはその次元にいながら、人々にありありとした現実を見せつけて絶望を与える。その動機の一端が、絆には少しだけ理解できてしまった。狭い部屋で最後に聞いたニュースこそが、彼女らが引き起こした渋谷のテロ事件なのだから……。
ゴチャゴチャになった頭を整理し直すために、躑躅とカルミアの試合に目を向ける。考え事をしている間に試合は始まってしまっていた。
「クッ……!」
ただの煙にしか見えない。しかし、凝縮して鋭利になったオーラは容易に躑躅の頬を掠めて切り裂いていく。
カルミアはとても控えめに空手の型を披露するように動いているだけ。それだけで遠方の躑躅の身体が徐々に傷ついていく様は、オーラが見えなければとても得体の知れない現象だ。防戦一方になっている躑躅を見てカルミアの勝ちを確信している生徒も大勢いる。
しかしカルミアの紅色の瞳の奥には明確な焦りの色が湛えられていた。
躑躅は避けることに注力しながらも、超能力者特有の炎のようなオーラを側面から前方へ移動させている。
薄く引き伸ばして面積を大きくしているだけでも、カルミアから見るとまるで躑躅のオーラが肥大化したような威圧感を覚える。煙と違って炎はその厚さを目視しにくいからだ。
カルミアは多種多様な魔術を繰り出して決着を急いでいるが、これはオーラが見える相手に対して有効打にはならない。例えば魔術により作り出した炎や念力の類は、その元となる精神エネルギーの方を絶ってしまえば簡単に作用しなくなる。躑躅は最初から現象ではなくオーラを見ている為、どんなに不可思議な現象を引き起こした所でオーラに対して直接対処されてしまう。
時が来て、躑躅のオーラはカルミアへ届く。彼女はあくまで昨日と変わらない平静を保ちながらガードした。
「”全身全霊”……!」
とびきり鋭利にした躑躅のオーラがカルミアの障壁をガリガリと削る。
カルミアは自身の肉体に迫る危機に対して静かに感想を述べる。
「やっぱり、昨日よりオーラの量が多い……どうして」
「さあね……!」
ドリルのように激しく円を描き始めた炎が、カルミアの煙を払い除け彼女の脇腹を抉る。
「うぅ……!?」
一気にオーラが身体に引っ込み膝をつくカルミア。
「流石に、本物のエナジートランスに基礎魔術で対抗するのは無理があったってことね……」
「さあどうする?降参した方が身のためですよ」
「……分かった降参、今の私じゃ貴方には勝てない」
『勝者、蘧麦躑躅!』
先程付いた傷口は彼女自身や煙が徐々に擬似的な表皮で塞いで行く。傷が治ったわけではないが止血には十分だ。
「かはぁ……はぁ、はぁ……」
両手を地面について激しく呼吸をする躑躅。
「ちなみに……昨日より随分強いみたいだったけど、どうして?」
「そりゃ……最小限の力で勝てるならそれに越したことないでしょう。はぁ、はぁ……貴方にも、オーラが見えると知って、こちらもエナジートランスを応用した……”全身全霊”を解放する必要があると感じただけです」
「要するに、火事場の馬鹿力みたいなもの?」
「はい。普段生活するのに使っている精神エネルギーまで全て利用して出し切る全開出力……ここまで使うことになるとは、正直思ってませんでした……」
ようやく落ち着いてきて、ゆっくりと立ち上がる躑躅。カルミアはそんな彼女にこう告げる。
「私なら、貴方にその先を見せてあげられるかも知れない」
「え……」
「興味があったらメッセージ送ってよ。いつでも待ってるから」
連絡先が書かれた小さな紙切れを押し付けてカルミアは去っていく。彼女が何を知っているのかは分からないが、「その先」という言葉に躑躅は少なからず興味を惹かれていた。
「はぁ~……」
深い溜息で姿勢も気にせず客席に座り込む躑躅。
「大丈夫、躑躅!?」
「平気……とは言い難い状況だね。治療を頼める?」
「もちろん!」
すぐに彼女の手の先から”デルフィニウム”の黄色の発光があり、心地良い湯船に浸かったような感覚が躑躅を包み込む。
「ありがと……あれ、ていうか次は
「ああ……試合さ、私出ないことにしたの」
「え、なんで?」
「昨日のあの事件を見てから、気分が悪くなっちゃってさ」
「ああ……入鹿、そういうことなら無理して治療なんて」
「大丈夫だよ! 人を治す方が気も楽だもん。何だか昨日の事件見て、色々フラッシュバックを起こしちゃって……今は人を自分から傷つける気にはならなくてさ」
「そっか。あれ? ということは、これで準決勝出場選手が出揃ったね?」
チラッと絆の顔を見る。いつもの呑気な笑顔を想像していたが、なぜだか硬い表情でどこか虚空を見据えているようだった。
『さて皆さん。
石像のように固まってしまっている絆の肩をポン、と叩き桐也が語り掛ける。
「そろそろ俺たちの出番だ。大丈夫か絆?」
「う、うん……」
「全然平気じゃなさそうだけど……全力出してくれよな。俺は先に行ってる」
やはり混乱した頭を整理し切れずにパンクしている状態だった。しかしそれも、試合が始まってしまえば吹き飛ぶと信じながら立ち上がる。
「
「……?」
――バシッ!
頭が揺さぶられる強い衝撃が走った。一瞬、何をされたのか分からなかったが、頬が疼くように痛むのでビンタをされたのだろうと理解した。
「きょ、蘧麦さん……」
「アンタ、そんな状態で柊くんに負けたら一生口利いてやらないから。私も絶対にあの
「……う、うん! ありがとー!」
絆は涙目の笑顔を浮かべて手を振りながらステージへ降りて行った。
遂に、絆と
二人は同室で互いの能力を高く評価し合いながらこの二ヶ月間切磋琢磨して来た。どちらかが欠けていれば二人とも絶対この場にはいない。大切なパートナー。
「改めてだけど……俺は絆に会えたことを本当に感謝してるんだ」
「こちらこそだよ!」
「だから……全力で向き合う。勝ち目は薄いと思うけど、決して手は抜かない!」
桐也の周囲を漂う空気が変貌していくのが分かる。魔術を行使できる状態に切り替えたのだろう。
「負けないよ!」
絆も両手を前に構えて臨戦態勢を取る。
『さあ、同室で親友同士だという二人!潜在能力はお互いピカイチ!果たしてどちらが勝つのかー!?葉団扇絆 VS
絆は自らの魔術で生み出した鋭利なオーラで、自分の左上腕部を切り裂いた。
「いきなり血の盟約か……」
桐也のニュートラルならば、絆の血の盟約を無効化して拳がヒットする。だがそれは命中すればという過程の話であって、頭の冴えも含め全ての身体能力が向上した状態の絆に、ただの格闘攻撃が通用するとは思えない。
可能性があるとするならば、一日の発動時間が僅か二分にさえ満たない先見の暗による危険予知。
決勝に体力を温存しておくことなど考えていられる相手ではないのは、寝食を共にする自分がよく知っている。限界まで全力を出し切ろうと桐也は心に誓っていた。
一方で絆もまた同様の想いだった。桐也の先見の暗には、基礎魔術では如何に足掻こうと対抗しようがない。だから最初から切り札である血の盟約を使って一気に勝ちに行く。これしか勝ち筋がないと理解していた。
「はぁ!」
力強い掛け声とともに駆け出す絆。同時に桐也も先見の暗を発動する。
「”先見の暗”……!」
彼の目線の周囲に白い数字の列が飛び回る。発動に要する時間はコンマ五秒ほどしかないが既に絆との距離は桐也の歩幅ほどしか残っていない。
「《警戒レベル3:障害軽傷 軽減します》」
限界まで近寄ってから念力で石を飛ばした絆。
「……はは、容赦ないな」
掠めた右頬がキリキリと痛む。
『ボールのように軽々しく石を投げていきます葉団扇選手! しかし一つ一つに数kg程度の重さはありそうだ!』
息を吐く間もなく次々と投石が来る。
「《警戒レベル3:障害軽傷 軽減します》《警戒レベル3:障害軽傷 軽減します》《警戒レベル2:微細受傷》」
頭に命中すれば命に関わりかねないような重い石を次々と投げ付けてくる絆。その瞳には桐也の姿は映っていない。ただ眼前の敵を薙ぎ倒す。生存本能に従い危機を脱しようとする獣のような目だった。
すると、絆は唐突に右腕に力を凝縮させステージの石板を殴り抜いた。弾に使う石を増やす為かと思ったが、目の前に彼の姿がないのを確認すると同時に最大級の警戒態勢に入る桐也。
「……な!?上か!」
唐突に日陰に入ったことでようやく気がつく。彼は身の丈ほどもある石板の一つを持ち上げて跳躍していた。
『おっと、このままでは柊選手押し潰されてしまうぞ!』
「《警戒レベル4:重度損壊 回避します》」
体操選手のような身のこなしでその場を離れる桐也。ただしこれは能力による自動操縦であり、あまりに予期しない動きは身体の節々に強いダメージを与える。
「くっ……!」
続け様に絆本人による拳が襲ってくる。彼の素早さは常軌を逸しており、先見の暗の「唯一解」で対抗できるかどうか怪しい。
しかも彼の打撃は弱々しく、微細なダメージが節々に蓄積していく。低いレベルの危機を避けられないのも対価の一つなのだ。
すると再び、握り拳大の石が顔面に向け飛んでくる。
「《警戒レベル3:障害軽傷 軽減し》……うっ!?」
能力による自動回避が裏目に出始める。
『葉団扇選手のパンチがクリーンヒットォッ!』
回避の動きを予測され、その先で待っている絆が攻撃を仕掛けてくる。回避に値するほど強い攻撃ではない為そのまま命中してしまったが、桐也は後頭部を思い切り揺さぶられ脳震盪を起こしかけていた。
「やばい……能力が……」
ダメージの蓄積もあり、能力を保つのも難しくなっていた。
「ごめんね、桐也!」
絆は桐也の脛を攻撃することで勝負を決めに行こうとした。
「”唯一解”!」
このままでは何も出来ずに終わると、一か八か発動させた唯一解。
絆の危機レベルを上げる為の最適解を身体が選択する。絆は油断していたのか一直線にこちらに向かっていた為、確実に攻撃が当たる。
「はぁッ!」
ガゴゴキ!という聞き慣れない音がして桐也は唖然とする。
突き出した腕の先を見ると、絆の血塗れの五本の指がそれぞれ別々の方向に折り曲げられている様子を目撃した。
「うぅ……痛いよぉ〜」
涙目になりながらを笑みを浮かべている絆に戦慄する。同時に先見の暗は時間制限を迎え解除された。
『ひ、酷い負傷です葉団扇選手! しかしまだ立っています!』
零れ落ちそうになった涙を左腕で拭き取ってから口を開く。
「相手の危機レベルを引き上げる為の動きって言ってたから……こっちが敢えて大きい怪我をするように動いたらそれに誘導できるんじゃないかって思ったんだ。上手くいった!」
絆も既に能力を解いている。確かにこれならば今の桐也は安全。自身の危機レベルを同時に下げるということを話した為に、それを見越して能力を解除したと言った所だろう。
「下手したら、そっちが負けてたかも知れないのに」
「その時はその時! 桐也の唯一解……だっけ? アレに確実に勝つ方法なんてないと思ってたから、思いついたことを試そうと思ったんだ」
「はは……凄いやつだよ。降参だ」
審判が旗を揚げた。
『葉団扇絆選手、決勝戦進出です!!!』
うぉおおおお!――という力強い歓声に包まれる会場内。「絆ちゃん♡ラブ」と書かれた応援幕が客席にチラホラ見えて、絆は気恥ずかしくなる。
「はぁ〜疲れた」
ストンと尻餅をついてから倒れ込む絆。
物陰からすぐに入鹿が駆け寄ってくる。
「も〜やっぱり無茶した!」
「あはは……これ、決勝までに治るかな?」
「骨の折れ方によるよー、綺麗に折れてたらすぐくっつくけどさぁ」
いつの間にか傍に躑躅が立っていることに気づく。
「あれ、蘧麦さん……どうして」
「どうしてって、次の試合もあるし。それに貴方に伝えたいこともあったしね」
「?」
「……今まで邪険にしてきた事、謝る。ごめん。その上で決勝では全力でやり合おう。お互いを殺すくらいの勢いでね。それでようやく仲良くなれる気がしてるの」
「う……うん!!」
あまりの勢いでガバッと飛び起きて躑躅に駆け寄る為、入鹿は慌てて彼の指を追いかける。
「でもその前に私がこの試合で勝たなきゃ。もしここで負けたら私、葉団扇の奴隷にでもなってあげるよ」
「ええ~僕は普通に仲良くなりたいのに……」
「もちろん決勝で当たれたら対等な関係を約束する。とにかく私がここで勝たなきゃその未来が実現しないから、口実が欲しかったの。応援してね、葉団扇」
「うんっ! 頑張って!」
怪我人とは思えない程に暴れる為、入鹿が絆の襟を掴んで引っ張っていく。
「じゃあね、決勝で〜!」
「こら絆! 骨折した手を振らないで!」
フッと小さな笑いを零した躑躅は、ゆっくりとこちらへ向かって来る桐也と目を合わせる。
「どうやら絆は俺の事なんか眼中にないみたいだな」
「そんな事ないと思うよ。アイツは、目の前とか未来とかに夢中で一瞬周りが見えなくなっちゃうだけ。心の中ではいつも他人のことをしっかり視ようとしてくれてるよ」
「はは、今まで毛嫌いしてた奴が随分と分かったようなことを言うんだな」
「もしかして、妬いてる?」
「少しな」
桐也と躑躅はまだ、互いのことを友人の友人としてしか知らない。しかし相手の強さを知っていて、共通の友人がいる。それだけで既に信頼の置けるパートナーのような関係性が築けていた。
「頑張れよ。俺からもお願いする。絶対にこの試合勝って、絆と全力でぶつかって欲しい。そしてアイツの親友の一人になってくれ」
「分かった。約束するよ」
桐也は清々しそうな表情で立ち去っていった。
眼前には既に、複雑な流れのオーラが迫って来ている。
「君、随分強いよな」
「……」
「試合前に対戦相手とは話さない主義か?まあいいさ。俺は君のことを高く評価してる。だから容赦も油断もするつもりはないってことだけさ」
ボッと。爆発が起こったかのように凄まじい煙幕状のオーラが噴出する。しかしその流れは炎のように美しく繊細。擬宝珠
試合と試合の間にインターバルはほぼない。次の選手の準備が整い次第実況の朝倉なずなが開始宣言をするのだ。
『白熱した試合のテンションも冷めやらぬまま、次の試合の選手二人は既にステージ上に登場しております! これまで破竹の勢いで勝ち進んでいる蘧麦躑躅と、前回水瀬選手の不戦敗で勝利した擬宝珠聖也!』
場内の熱気の高まりはステージまで伝わってくる。躑躅は自分が賭けの対象として相対的に高いオッズだったことを思い出した。これまで脱落して行った実力者に賭けていた者たちは自棄になって躑躅を応援しているようだ。彼らの期待に応えてやろう。
『それでは……準決勝第二試合、開始です!』
審判が旗を振り下ろすと同時に、躑躅は急接近する。入鹿が本来戦うはずだった相手である為、対策は考えてある。ズバリ、擬宝珠聖也の懐に入り込んで攻撃を続けるその一点のみだ。
彼の魔術は身体の一部を切り離して遠距離から攻撃できるというもの。近くに寄ればメリットがなくなるどころか、自分の攻撃が自分に命中してしまう危険性さえ生まれるだろう。
ただし、そんな明白な弱点を彼が気づいていないはずもない。
「たぁ!」
躑躅が掛け声と共に鋭い手刀を聖也の腹に突き刺そうとしたが、いとも簡単に払い除けられてしまった。彼の右腕だ。今は身体に装着された状態である。
「こいつらは体に取り付けたままでも自動操縦できる。この特性がなきゃ、こんな魔術は大会じゃ通用しないさ」
「そのようね……!」
背後への念力での投石も、右腕が即座に反応して打ち砕いている。
『擬宝珠選手の強みは何といっても攻防一体、自動操縦型のドローン! 身体に装着すれば相手の動きを正確に見極めて勝手に動くことが強みです!』
不意打ちに脇腹に対して蹴りを食らわせると、反動で躑躅の方が吹き飛んでしまった。
「痛っ……!」
何とか転ばずには済んだが、下半身の関節が痛む。
「僕の左目は常に君のことを監視、分析している。その情報を元に右腕が動き、また脇腹に
けた攻撃はそのままの出力で返せるんだよ」
「……流石に一筋縄で行く相手じゃなさそうね。はっ!」
ほぼ全ての攻撃が見切られて避けられてしまうが、同時にこちらも相手のエネルギーの流れは掴めている。相手が自分の動きをどのように分析して判断を下しているのかを、オーラの流れから掴み取り逆手に取って先を読む。難度は高いが不可能ではない。
――そうか、オーラの流れか。
エナジートランスであることを活かし、普段はオーラと体の動きを最大限シンクロさせてエネルギーの発散を極力抑えた効率的な攻撃をしている。しかし相手にオーラが見える場合であれば、体とオーラはあえて切り離しフェイントに使うこともある。
これまでの短い挙動からしても、聖也にはオーラが直接見えないことは明白。だが、左目に関しては例外で、恐らく彼の意識とは乖離してオーラを認識した判断を下している。だとすれば、例えばオーラだけを右に逸らし体を左に向けた場合、聖也の腕は右を狙って襲い掛かってくるのではないか。やってみる価値はあると思った。
拳から渾身のオーラを放出し聖也の顔面に向かわせる。同時にしゃがみ込んで足払いを狙う。そもそも聖也はこの魔術にほぼ全てのオーラを割いている為、身体そのものは無防備。こちらも生身の肉体での格闘で対抗できるということだ。
「なっ!?」
思った通り。彼の左目はオーラを見ていた。ほとんど最大出力で彼目掛けて飛んで行ったエネルギーは右腕に掻き消されたが、その右腕の動きに聖也は戸惑っているようだった。当然だ、彼自身にはオーラが見えないのだから。
「なぜだ、左目は何を見て攻撃を……!?」
「次行くよ!」
今度は逆に、オーラを下に潜り込ませて自分は飛び上がって蹴りを入れる。聖也の胸板に強く躑躅の体重が伸し掛かった。
「うぐあぁ!?」
右腕の性能で体勢をすぐに立て直す聖也だったが、かなり息苦しそうにしている。
「これで最後!」
「どうして……なぜ避けられない!?」
躑躅は自らのオーラの内八割ほどをその場に置いて聖也に突進を仕掛ける。馬鹿正直に前方に向かっていったが、聖也は反応する素振りを見せない。近距離にも対応可能な自動操縦型の魔術。その性能を過信したせいで自分の意思による攻防を心得ていないのだ。
「はぁあっ!」
脇腹への攻撃では反射が起こる為、渾身の右ストレートを彼の頬にお見舞いすることにした。
「うぐへぇ!?」
ほとんど避けようともせず、躑躅のパンチを食らって後方に退く聖也。右腕が辛うじて地面を支えたことで聖也は地面に叩きつけられることはなかった。しかし。
「こ、降参だ……」
『決勝進出は――蘧麦躑躅選手です!』
ブワッ!と会場が爆発するのではないかという程に観客たちが騒ぎ立てる。
「ふうぅ――なんとか、勝てた」
「しかしなぜだ? 俺のドローンたちが全く反応しないなんて」
「貴方、自分の魔術の研究不足だよ。左目のドローンが見てるのはオーラの動きだけだった。自律操縦は優れものだけど、エナジートランス相手だとそれは全く意味を成さない。ドローンたちを自分の意思でもう少し制御できるような形だったなら、私には勝ち目はなかったでしょうね」
「そ、そうか……これまでエナジートランスなんて相手にしたことなかったから……」
「本戦とかで会ったらもっと善戦してくれることを期待してる。でも私、それまでにもっと強くなるけどね」
躑躅は座り込んでいた聖也に手を差し伸べた。
「……ああ。ありがとう。いい勝負だった」
握り返し立ち上がった聖也は、自分より四つ年下の躑躅に対して深く頭を下げてから、背を向け立ち去って行った。
『さあ……まさかまさかの、今年のチャレンジャー部門決勝戦は、一年生同士の争いとなることが決定してしまいました!』
実況の昂ぶりと共に数人のスタッフが躑躅に駆け寄って来て治療を始めようとする。
「治療はいらない。私たち二人とも、同じセコンドが付いてるんだから」
見上げると、客席から慌ただしく駆け降りて来る入鹿の姿があった。一方でその後方にいる絆は意外なことに至極落ち着き払ってこちらへ向かって来ている。
審判や治癒能力者を押し退けてステージ上に駆けて来た入鹿。
「やったね躑躅!遂に絆と勝負できるよ!」
「そうね」
「嬉しくないの?」
「いいや、嬉しいよ。打ち震える程に。でもね、それ以上に私……何で今までアイツのこと大嫌いだったんだろうって疑問が湧いてきてね」
前に分析した時、劣等感に依るものだと考えたがそれは少しだけ違う。
「自己嫌悪だったのかも」
「躑躅が、自分のことを?」
「うん。葉団扇に最初に会った日に『笑おうよ』って言われた。私はその時、このエルミタージュを前にしても感情が動かない自分に焦ってたし……多分イラついてた。それを間違って、葉団扇に向けちゃったんだ。悪いことしたな」
「……でも、気づいたんだから良かったじゃん!絆にちゃんと謝って、これから仲良くすれば良いんだから!」
「そうだね」
入鹿と会話をしている内に、自然体でステージへ降り立つ絆の姿が見えた。とは言え普段の彼らしい表情とは言えない。まるで躑躅は自分自身を見ているようだと感じる。
「葉団扇。約束、お互い守ったね」
「うん……これでやっと、蘧麦さんと本気で向き合えるんだ」
芯の部分は同じ。二人とも未知を追い求めてエルミタージュに辿り着いた。知っていることに絶望し、謎に対して希望を抱く。それを絆はどこかで感じ取って「笑おうよ」と声を掛けたのだろう。
『それでは皆さん……心の準備は宜しいでしょうか!これで今年の挑戦者の中で最強の選手が決定致します!』
絆と躑躅、既に客席からは両者の名を呼ぶ声が引っ切りなしに聞こえてくる。桐也やロズや入鹿、そしてシオンもこの試合の行く末を固唾を飲んで見守るしかない。
『チャレンジャー部門決勝戦!葉団扇絆VS 蘧麦躑躅!始めー!』
二人のオーラが爆発的に増大する。
互いに距離を取り、それぞれの得意な能力を用意する。絆は例によって左腕を切り裂いて血の盟約を発動してから障壁を身体の周囲に張り、躑躅はエネルギーによって創り出した光剣を構えた。
「さあて。その障壁はこの剣で切り裂けるのかな」
エンチャントされた足による跳躍で、ほんの一秒ほどで距離を詰められた絆。
しかし彼の反応も素早い。斬撃をひらりと躱した絆は挑発の意図もなく声をかける。
「攻撃が遅いよ蘧麦さん」
「確かに、そもそも剣が当たらないようだね。血の盟約が精神を加速させてるのね」
しかし躑躅も負けてはいない。彼女はエナジートランスの性質上、身体を強化することに長けているからだ。
絆がどんな判断能力で攻撃を避けようとしても、身体がついていける速度には限界がある。しかし躑躅は逆に、身体の速度そのものを高めることが出来る。
光剣が何本にも増えたかのような錯覚。
そんなものに陥るほどの斬撃を繰り広げる躑躅に対し、絆は数十回に一回避けられず結界に光剣を減り込ませてしまう。
「なかなか、一筋縄ではいかないね……蘧麦さん!」
「アンタも……予想以上だよ!」
躑躅の攻撃手段は光剣だけではなく、中距離から光の矢を放ったり、拳で直接殴ったりもしている。
『これは何ということでしょう! 二人の攻防を、目で追うことでやっとです! これではどちらが勝っているのかの判断もまるで付きません!』
躑躅の怪力で殴られれば、障壁があろうと絆の身体は吹き飛ばされる。彼女が拳を使って来た際の隙を狙って、絆も稀に左腕で攻撃を少しずつ返そうとしているが、徐々に躑躅が押しているように見えていた。
「ほらほらどうした! 疲れてきちゃった!?」
「ぐっ……」
押され始めている絆は攻撃頻度を多くするが、その度に隙が出来て逆にカウンターされてしまう。
光剣が結界に突き刺さり、ほんの小さなヒビが入る。
「よし、このまま貫いてやる!」
「くっ……!」
絆は左腕から炎を噴射した。それが躑躅の右の頬を掠めた。
「あっつ……顔に火を向けるなんて容赦ないんだね」
「蘧麦さんだから、安心して攻撃できるんだよ!」
そんな時、躑躅は思った。
彼は右腕からエネルギーを噴射し障壁を作り出している。左腕は攻撃の為に使用していた。障壁はそれほど強くはない為、本気を出せば光剣で砕ける。彼の体が右腕から中心に守られ左腕が攻撃手段なのだとすれば、そこを封じれば勝機がある。
それに彼は一つのことに夢中になる性質がある。もしかすると、それを利用すれば。
「……はぁあッ!」
躑躅は左手で持った光剣を障壁へ突き立てる。
今その光剣と障壁は拮抗している。
「くぅう!」
左の光剣と右の拳を絶え間なく突き立てることで、躑躅の体は徐々に障壁内部へ減り込んでいく。
「届けえっ!」
そして、彼女の拳が完全に障壁を破った瞬間。絆から見て左側に彼は逸れる。
避けなければ光剣が彼の胸元を突き刺してしまうのだから、それ自体は誰にでも予測できた光景だった。
「ここだッ!」
ガツン!という金属音のような音が絆の脳天に響いた。
「うぅっ!?」
不意の衝撃に顔が引きつる絆。客席からは小さな悲鳴が聞こえて来た。
『葉団扇選手! 左肘が折れてしまったのか!?』
確かに左腕の肘から先がほとんど動かせない。
「私の両手の攻撃にばかり注目していたようだから、油断した瞬間に強化した足で蹴り上げたの。出血するほど強くなるなら、こうして骨にダメージを与えるのが一番だからね」
「さす、が……」
力は増強されない。骨だけが綺麗に折れていて内出血も少なく見える。患部を切りつけても出血は見込めない。
「さあどうした、これで終わり!?」
「そんなはず……ない!」
一心不乱に立ち向かって来る絆だが、骨折によって動きは鈍くなっている。躑躅に有効打は一つも入らない。
「はぁ、はぁ……だったら!」
元より、骨折する前に左腕を切りつけて出血を伴っている。その傷に指を突っ込んで押し広げていく。
「くっ……うぅぅう!」
目に痛いほど深紅の血が大量に滴る。同時に絆のオーラの量が1.5倍ほどに膨れ上がるのが見て取れた。
「フッ!」
速度も格段に向上している。とても反応し切れず咄嗟に腕にバリアを張り辛うじてダメージを避ける。
折れてユラユラと揺れている左腕を、右腕で支えながら武器にように扱う絆。動きの俊敏さは血液の流出量に比例してたちまちに増していく。最初こそ絆は攻撃を障壁で受け止めたり横に逸れて避けていたが、今は身の丈以上の跳躍で間合いから外れそのまま落下する勢いで攻撃に転じている。
「そんな一直線な攻撃……!」
空中から自由落下して来る絆に対し反撃を加えるのは容易。そう思ったが、彼の障壁を勢いのまま受け止めればこちらの方が危ういと判断しその場を離れる。
「なっ……!?」
絆の勢いは止まらない。着地したかと思えばその衝撃を膝のバネで利用し、前方へ大きく跳んで来た。息をも吐かせぬ攻めに躑躅の体力は徐々に奪われていく。
「はぁ、はぁ……」
息を切らしている躑躅に容赦ない連撃。一つ一つの負傷は重いものではないが、絆に負けず劣らずの多量の出血を伴っていた。
『驚愕です……一年生同士の試合とはとても思えない程の激しい攻防戦!どちらが勝っても納得の試合になりそうです!』
朝倉なずなの言葉は、現状がこのまま続けばという仮定に基づいたものだ。絆は血の盟約でまだパワーアップできるポテンシャルを残している。躑躅にも”全身全霊”という技はあるが、これは一瞬だけ解放できる火事場の馬鹿力に過ぎない。躑躅の方がやや分が悪いことは多くの観客たちにも伝わっていた。
絆は足元の障壁を押し広げることで、徐々に宙に浮いていく。両者共に距離を問わず対応可能な幅広いポテンシャルを持つ以上、三次元的に空間を使える方が優位だ。生憎と躑躅は重力を操り空中に浮くことが出来るような能力を持ち合わせていない。
『葉団扇選手は空中に浮いて一方的に攻撃を始めました!』
絆は三メートルほどの高所から躑躅の動きをしっかりと見定める。光線を降らせたり、彼女の回避先を予測して念力で石を飛ばす。
「く……くそ、このままじゃ」
互角の勝負で防戦一方になってしまえば体力を削られるだけ。
――葉団扇の奴、よく考えてる。
「だったらこうしてやる!」
足にエンチャント。通常の三倍以上の力で跳躍すると、軽々と絆の高さを超えた。しかしこのままでは落下していくだけ。
「ハァッ!」
光剣を障壁に向けて突き立てる。躑躅が今着地したのは絆の頭上の障壁だ。
「このまま、また障壁を砕け散らせてやるッ!」
「さっきのようには行かないよ!」
「本当にそうかな……”全身全霊”!」
爆発的に増大する躑躅のオーラ。瞬間的に絆の現時点でのオーラ量を倍近く上回っている。
「なっ……障壁が……!」
パリン!と陶器のように簡単に砕け散った障壁。
バランスを崩した絆は背中から落下していくが、躑躅はそれ以上の速度で太い光剣を絆の腹に突き刺さんばかりの勢いで落ちてくる。
「はぁああ!」
破れかぶれで右腕で障壁を出現させるが、躑躅の光はその障壁もろ共彼の右腕を深く斬り込んだ。
「うらッ! ウラァッ!」
同時に障壁の強度も上がるが、それ以上に躑躅の攻撃の勢いの方が勝っている。
強化された拳が何度か腹や胸に命中し苦しいダメージを受けながら、致命傷になり得る光剣の斬撃だけは急所を外れるように障壁を張った腕で辛うじてガードする。
重力加速度に加えて躑躅の拳と光の剣の勢いによって落下速度は早まり、絆は碌な防御も出来ないまま背中を地面に強打した。
『葉団扇選手、地面に力強く叩きつけられてしまった! しかも蘧麦選手が馬乗りになっていて姿が確認できない状態、彼はいったい今どうなっている!?』
「ゲホッ! ゲホッ!?」
絆は咽込む。血の盟約による強化があっても、胴体へのダメージは大きい。さらに問題は躑躅からの攻撃だ。
「左腕の……感覚が……」
咄嗟に右腕で光剣のエネルギーの向きを逸らしたつもりだったが、無防備だった左腕の方へとベクトルがずれていたようだった。エネルギーが分散したのか、肘から下がまるごとズタズタに引き裂かれている。
「はは……流石に、もう無理かも」
胴体の至る箇所がズキズキと軋む痛みを発しており、立ち上がることさえ困難だ。左腕はこの状態で、右腕だって相当の負傷がある。
「僕の負け、降参だよ。蘧麦さ……ん?」
着地してから無言で微動だにしていなかった躑躅を見て絆は疑問を浮かべる。
審判は絆の降参の声を聞いて駆け寄ったが、すぐに旗は上げない。
「う……ぁ……」
躑躅はそのまま前のめりに倒れて絆の上に覆い被さった。
「わわ、蘧麦さん!? 大丈夫!?」
あまりの激闘に寧ろ静まり返っていた場内が騒めき始める。
『ええ~、葉団扇選手の降参宣言と同時に、蘧麦選手も意識を失っていたということでしょうか。これは前代未聞の決着です……実況の私も想定しておりませんでした』
審判が数人のスタッフを呼んで担架を持ってこさせるよう指示している。そしてジェスチャーで実況席に向かって×印のような物を掲げた。
『えーっとですね……たった今運営委員会による判断が出ました……今大会、チャレンジャー部門決勝戦については……引き分けとする』
驚きや戸惑い、ブーイングの声が木霊するほどに湧き上がる。特に躑躅に食券を賭けていた者たちからすれば生活が懸かっているに等しい。
『ただし……両選手には引き続き本戦への出場権が与えられる為、そちらの戦績の優秀だった方を今年のチャレンジャー部門の優勝者として扱う……だそうです!』
場内の喧騒をぼんやりと聞きながら絆は笑い出す。
「あ、はは……ははは!」
担架が運ばれて来ると同時に入鹿が客席からすっ飛んできた。
「もう、二人とも無茶して……! 本当に酷い怪我……」
「え、えへへ……でも、本気で向き合えたから、嬉しかった」
「こんな怪我、デルフィニウムでも治せないよ……躑躅の奴、目が覚めたら説教なんだから!」
「ほんとに大丈夫だよ、入鹿。僕は全然後悔してない。寧ろこの傷が……蘧麦さんと向き合った最初の証だから」
「も、もう……!」
それでも入鹿は素直に引き下がった。
これだけの大怪我なら運営側に任せた方が良いというのもあるが、絆の意思を尊重しようと心から思える試合だったからだ。
絆は担架で一緒に運ばれていく躑躅の顔を見つめながら、そのまま目を閉じた。
それから一時間後。応急処置が終わりようやく友人たちが面会できるようになった。
絆の怪我は神経を著しく損傷しており、左手首から先が自由に動かせない障害が残るらしい。治癒能力やデルフィニウムは自然治癒で完治可能な傷を即座に回復したり大怪我の際の止血を行えるものであり、「元の状態に戻す」能力ではないのだ。
グラウンド横にあるプレハブが大会の負傷者の保健室代わりとなっていて、そこに絆や躑躅は運び込まれた。
当初二人のファン数十名が押し掛けてきて大騒ぎになったが、何者かが文字通り睨みを利かせたことで絆や躑躅の友人たち以外がアッサリと退散したらしい。
桐也は動かなくなった絆の左手を握る。
「絆、こんなになるまで戦うなんて……」
「うん。ごめんね桐也」
「……とにかく、良い試合だったよ。お疲れ様」
桐也が離れると、今度はロズが絆の頬に手を触れた。
「私、少し怖い。いつか取り返しの付かないことになりそうで……」
「ほんと、心配かけちゃったね。ごめん、ロズ」
「躑躅も躑躅だよ。こんなになるまでやるなんて……」
「蘧麦さんを怒らないであげて欲しいな。大会は全力でやるって蘧麦さんとも、桐也とだって約束したもん。僕だって、桐也に大怪我させてたかも知れない」
「そりゃ、そうだけど……」
彼女は腑に落ちていない様子だったが、絆の笑顔を見て安心したような微笑みだけを返した。
入鹿は傷の様子だけ見てから自分の出来ることはないと悟り口を開く。
「それじゃ私たち行くね。躑躅もまだ爆睡してるみたいだし」
躑躅の容態は心配ないようで、今はただ単に疲れ切って眠っている状態らしい。
「じゃあね、みんな。ありがとー」
三人がプレハブから出て行き、窓越しに遠ざかる彼らを見送った。
今、室内には躑躅と絆以外誰もいない状況だ。
「ういしょっと」
唐突に躑躅が起き上がったので絆はベッドから転げ落ちそうになる。
「うわぁ!? 蘧麦さん、起きてたの……?」
「ふぁ〜……10分くらい前から気づいてたよ。まだめちゃめちゃ眠いけど」
欠伸をし、目を擦りながらこちらに微笑みかけてくれる少女。これまでとはまるで態度が違う。
「ねえ葉団扇……私、アンタを殺すつもりでやってたよ。訳分かんなくなるほど我武者羅にね。尤も、あのステージの上じゃ相手選手を殺害はできないけれど」
「僕もおんなじだよ! 手加減なんてしてない」
「それでも、私はその左腕を傷つけるのが限界だった。全てを出し切ったのに……悔しいけど、完敗だよ」
「ええ!? でも僕だってもうあの後動けなくて降参しちゃったくらいだから、やっぱり引き分けだよ!」
「そうかな? ふふ、ありがと」
なんだか照れ臭くなって、絆は視線を逸らした。
「ねえ葉団扇……絆って、呼んでいいかな」
「え、えぇ? うん、もちろん! 僕も躑躅って呼びたい!」
躑躅は嬉しそうな表情でベッドから立ち上がり、絆の動かない左手を握った。
「良いよ。これから改めて宜しく、絆」
「これで親友だね、躑躅!」
静かに絆の手を離した後、まだ騒がしい会場の様子を窓から見ながら躑躅は呟く。
「どうして私が絆のこと嫌ってたか、分かる?」
「ええー? それは、僕が弱くて図々しかったからじゃないの?」
「ふふ、そうじゃないよ。それだったら入鹿だって私に対して図々しい上に、とても 弱い心を持ってる。でも入鹿のことは最初から好きになれたの」
「んー? じゃあどうしてだろ?」
「入鹿にはもう話したんだけどさ。私、自己嫌悪してたんだよ」
「自分の事が、嫌いだったの?」
「そう。新しい世界を夢見てこのエルミタージュに来たのに、それでも感情が動かない自分に苛ついたの。絆に『笑おうよ』って言われて、自分が笑えてないことに気づいたから……笑えない理由を取り繕って絆に八つ当たりしちゃった。本当にごめん」
窓の外を見つめたままの躑躅は頭を下げたりはしなかったが、心の底から後悔している事が絆には伝わって来た。
「それにね、私と絆はよく似てるんだ。自分を投影したせいで余計に絆を嫌ってた」
「じゃあ、躑躅はようやく自分を好きになれたって言うことなんだ!」
「……うん。私は弱い自分が嫌いだったし……似てるのに自分よりどんどん強くなっていく絆が羨ましかった。だから、お互いの運命の巡り合わせで、こうして大会の決勝で全力でぶつかり合えたことが嬉しかったの。例え負けてたとしてもね」
振り返って爽やかな笑みを浮かべる躑躅。今日だけで、これまで三ヶ月分を上回る躑躅の笑顔を見た気がした。
「良かった。僕も、躑躅のこと前より好きになったよ」
「そりゃ今まであんなに冷たくしてたんだから当然でしょ」
「うーん、でも酷いこと言ってくる躑躅も捨てがたいんだけどなぁ」
「あれ、絆はそういう方が好きなの……?」
ともあれ絆と躑躅は、この大会を転機として親友となった。同時に二人は新一年生のアンジュとデーモンとして既に畏怖され始めていた、
昼休み。天空校舎の屋上。
そこに絆と躑躅、そして入鹿が並んで座って弁当を食べている。
「本当に良かった、二人が仲良くなってくれて!」
入鹿を真ん中に、絆と躑躅は向かい合っていた。
「入鹿の前だし改めて、宜しく」
「うん、改めて!」
力強く手を握り合う二人。
「大嫌いだったはずの絆を、今はとても愛おしく思うんだ。なんでだろうね」
「嬉しいな……僕はずっと躑躅のこと好きだったから!」
「貴方がこんなに魅力的だったなんて、始めから気づいておけば良かった」
額同士が接触しそうな程近距離まで寄って互いを見つめ合う二人の様子に対して、入鹿は呟く。
「いや、仲良くなったのは良いことだけども極端過ぎないかな……私の入る隙間、ある?」
入鹿にとって既に二人は相思相愛であるように見えたし、本人たちにとってはそれは疑いようもなかった。
「何言ってるの入鹿! 入鹿だって僕たちと仲良くしていてくれて良いんだよ! 二人より三人だよ!」
「私もそう思う。それに、絆と私の縁を繋いでくれたのは他でもない入鹿だから。感謝してるんだ」
そんな二人の言葉に、入鹿は微笑む。
「んん、なんだか一か月前だったら考えられない画だなぁ」
入鹿は客席から、この二人の死闘をしっかり目に焼き付けた。
ほとんど半狂乱になっていた躑躅や左腕に障害が残るほどの傷を負った絆に少なからずショックは受けたが、結果的に二人はこうして元気に生きて仲良くしている。それだけで入鹿は幸福だった。
「あぁでもでも、アンジュとデーモンってさ、番いになってからが更にヤバいって聞くよ?」
既に入鹿の自殺未遂と大会での死闘という彼女たちに纏わる事件が起こっているが、それ以上の事態が起こるのだろうか。
「私たちが世界を崩壊させるとでも? バカらしい、私たちはただのエルミタージュの生徒だよ。ヤバいことなんか何もないって」
「そうだよ! 僕たちが仲良くすることが何か悪いのかな! あ、それとも入鹿は妬いてるのかな!?」
「妬いてるに違いない。私にも絆にも妬いてる」
「うわー入鹿嫉妬深かったんだね、ごめんね!」
番いになって面倒臭くなったことは確かであった。
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