第五章『凶変~前編~』
翌日。チャレンジャー部門が早くも開催される。会場となるのは普段は使われていない第三グラウンド跡地である。
本校舎から3kmほど離れた場所に位置しており見渡す限りの草原が続いている為、迷惑な催し物をするには打って付けの場所だ。
売店や観客席まで用意されていて文字通りのお祭り騒ぎだ。
ロズと
「躑躅、こっちこっち!」
「わあ!?」
グイッと引っ張られたので痛みすら感じたが、相手の声と体温を知っていた為素直に手を引かれる。ロズもすぐ後ろから追いかけてきているようだ。
「はぁ、はぁ……」
売店の立ち並ぶ通りの裏に、森に差し掛かる中途半端な暗い空き地があった。その付近へ行けば人はほとんどいない。
「もう、シオン……びっくりするじゃない」
「こないだ驚かされたのはこっちなんだから仕返しだよ!」
「そんなに慌てなくても、ちゃんと会いに来るのに」
躑躅の表情を見ていると、彼女にしては珍しく人への好意を隠していない様子であるとロズは気づいた。
「ああロズ、紹介するよ。この子はシオン」
「宜しくロズさん!タメ口でどうぞ!」
両手を差し出して握手を求めるシオン。
「うん……宜しくね」
静かに手を握ろうとしたが、シオンの両手は非常に熱く驚いて離してしまう。
「ゴメンゴメン!私ね、体質で人と触れるとちょっと熱したり冷やしたりしちゃうの!最初に言えばよかった〜」
「う、うん……私、貴方の顔見たことないな。学年が違う?」
「うーんナイショ! いつか分かるよー」
絆の元気の良さとはまた違う。彼は常に前向きに世界を見ているから、笑顔を浮かべ続けていられる。今シオンが明るいのは、この瞬間の人との出会いを心の底から楽しんでいるのだと分かった。
「じゃあ私いろんな人に挨拶して来なきゃいけないから、また後でね!」
スコールのような慌ただしさで過ぎ去っていったシオンをロズは呆然と見送る事しかできなかった。
「ねえ、あの子何者なの?」
「色々とあって……ロズも仲良くしてあげて欲しいな」
「躑躅がそんなこと言うなんて珍しい」
「良いから、あの子には優しくしてあげて」
反論がないことも珍しい。シオンという少女はきっと躑躅にとって特別なのだろうと言うことで納得した。
躑躅は一方でシオンとの出会いを果たしたつい先日のことを思い返していた。
躑躅は一週間ほど前にこの場所に来ていた。
生徒が寄り付くことはあまりない。ほとんどの寮からも遠い上、この場所にはオカルト染みた噂まであるのだ。
躑躅がこの場所に来たのは、日課としているランニングのついでだった。能力を駆使して毎日広大な敷地を散策している。面積にしておよそ10㎢はこのエルミタージュの占有する領域だ。入学して二ヶ月にも満たない為、まだまだ知らない土地だらけだった。
「あれ?」
芝生の真ん中に短髪の少女が一人立っていた。あんな所でボーッと突っ立って何をしているのだろうか。自分のようにランニング等でここへ立ち寄ったようにも見えない。
駆け寄って足音を立ててもこちらに気づく様子さえない。ただ俯いて芝生を見つめているだけだ。
「あのー!」
あまりに反応がないので遠くから声を掛けた。何だか久しぶりに大きな声を出した気がした。
少女はクルッとこちらにターンした。
「そんな所で、何やってるんですか?」
日常的な距離感まで近づくと、相手が目を見開いて驚いていることが分かる。この場所に来るのがそんなに珍しいのだろうか。
「私のこと、視えるの?」
「見えるって、そりゃ見えるに決まってるじゃないですか」
「わー! エナジートランスって久しぶりに会った〜!」
「エナジー……なに?」
「エナジートランスでしょ! 精神エネルギーを直接操って能力を行使できる! だから私のことも視えるんだよ!」
「私の能力ってそんな……ていうかさっきから何言ってるんですか? 透明化能力の練習か何か?」
「ううん、私は人が持つ精神エネルギーの塊なの! 持ち主はもう死んじゃってるから、つまり幽霊ってこと!」
一呼吸吐いてから躑躅は考え込む。幽霊の存在は、エルミタージュや異能の力を知ってから考えることもあった。精神エネルギーの残留物という説明も確かに理屈は通る。超自然的な現象を数学的に記述する際、精神エネルギーという概念が一つの項として必ず現れるというのを講義で習った。
それは本来視覚的に現れるものではないが、躑躅には他者の持つオーラがはっきり見えていたし、超能力を行使する際もエネルギーを移動させているイメージなのだ。
「でも、本当に貴方が幽霊なのかはよく分からないです」
「輪郭をよく見てみて。揺れ揺らしてるでしょ?」
よくよく目を凝らすと、服や肌の輪郭が常に揺らめいていて煙のように立ち上っているのが分かった。パッと見た瞬間はこんな風にはなっていなかったはずなのに。
「人間の脳は嘘を吐くから、人間っぽく見えたら人間だと思い込む。でもね、本当の私はただのエネルギーの塊なの」
「じゃあ貴方、ずっと独りきりなの?」
「そんなことないよ! 君みたいなエナジートランスの友達が二人いて、他には生徒会長の一咲さんにも私が視えるから」
また会長か。つくづく謎な人だ。
「後ね、ここで来週大会があるでしょ! その時は皆ここに来てくれるお陰で、私の存在が少し強まるの。だから普通の人にも視えるようになる」
「え? でもそれなら、エルミタージュの校舎に行けば普通に実体化出来るってことじゃないの?」
物憂げな苦笑いを浮かべながら彼女は答える。
「私ね、生きてた頃の超能力名が”アストラル”で、精神エネルギーに記憶を乗せて浮遊させることで意識を霊体のように操ることの出来る能力者だったの。いわゆる幽体離脱ってやつ! でもそれには半径500mの有効範囲があって、能力使用中に本体が死亡してしまったせいでこのグラウンドの地縛霊みたいになっちゃったんだ」
「……どうして、死んじゃったの?」
「それは未だに分からない。能力の練習中だったから目撃者もいないし」
「それから、何年経ったの?」
「えっと……5年かな?」
5年。その期間の長さを想像することは、躑躅には困難だ。
「そんな長い間、ずっとここに……何とかして校舎の方に移動したりは出来なかったの?」
「一咲さんでも無理だったもん。私の居場所はここだけなの。まあ、会いに来てくれる人もいるし、一年に何回かの大会で皆に見てもらえるから私はそんなに寂しくないよ」
しかし見れば分かる。先ほどまで生気のない表情をしていたのに、自分と会話してからの彼女はまるで楽しみにしていた玩具を買ってもらった子供のようなはしゃぎ様だ。
「名前を言ってなかった。私は躑躅。あなたは?」
「シオンって呼んで! ねえねえ、次はいつ来てくれるの?」
独りぼっちは嫌だ。躑躅は自身が恵まれた環境で育っていることを自認していた。人との関わりを少しばかり避ける傾向にある躑躅だが、それは裏を返せば機会が多く用意されているということだ。彼女にはその機会がほとんど与えられない。
「私、能力の練習も兼ねて毎日のようにランニングしてるの。10kmくらい走って、人のいない所で修行してる。だから、明日からここを修行場所にするよ」
「ほんと!? やった~!」
「一週間後の大会、私も出るし。話からしてシオンは超能力に関して詳しそう。いろいろ教えてよ」
「良いよ良いよ。エナジートランスの鍛え方の基礎は知ってるんだ!」
シオンは生身の人間でないことを信じられないほどに活き活きとしている。躑躅は静かに彼女に触れようとする。
「多分、私に触れるとすごく冷たい」
「……体温がないから?」
「そうじゃないの。私はただの超能力による正のエネルギーの塊。同じ正のエネルギーをベースとしている人には冷たく感じるし、魔術による負のエネルギーなら火傷しそうな熱さになる。やっぱり、生身の人間と私は決定的に違う。器がないただの情報の塊なんだよ」
顔を伏せながら自身の体を抱きしめるシオンの腕を、躑躅は無理矢理に掴んだ。
「違うよ。冷たかろうが熱かろうが、私たちはこうやって触れ合えるんだ。だったら同じ人間じゃんか」
「そうでもないよ」
これまでとは別人かのように苦しそうな表情をするシオンを、躑躅は放っておけなかった。
「私、貴方を皆に紹介するよ。何とかして学校に戻って生活できるようにする」
「え!? そんなの、無理だよ! 一咲さんにも無理だったって、言ったでしょ?」
「会長には会長の出来ることがあるように。私や友達にだって役割はあるの。絶対に方法はあるよ」
「で、でも……皆にきっと、怖がられる」
「かもね。でも、それでも良いじゃない。貴方はまだこの世界に居るんだって、ちゃんと皆に知ってもらおうよ」
するとシオンはこれまでの悲しげな表情から、少し気怠そうな笑顔に変わった。
「そんなこと言われたの初めて。一咲さん以外の友達も、どこか私のことを怖がっていたから」
「幽霊を怖がる必要なんて、ないと思う。人間が生きてるか死んでるかだけの違い。特にエルミタージュなんかじゃ異能の力を科学的に説明する術があって、貴方もその原理を語ってくれたじゃない。筋の通らない不気味さなんて一つもないんだから」
「ありがと。少し元気出た」
「ふふ、割と元気いっぱいだった様に見えたけどね」
躑躅は改めて右手を差し出す。ほとんどタイムラグなくシオンもそれを握り返した。
これが二人の出会いだった。
絆はチャレンジャー部門の当日、一人で会場まで足を運んでいた。
体力温存と能力の調整の為、ギリギリの時間まで精神を統一すると言っていた桐也は恐らく後一時間ほどは現れない。
お祭りは楽しい、というイメージに釣られて何となく早めに来てしまったが、友人がいないと楽しみ方も分からない。
「あれ、躑躅! どうしてこんなところにいるの?」
「ねえ、ちょっと待ってよ~!」
「熱っ!?」
肩が焼けるように熱い。買ったばかりのフランクフルトを押し付けられたのかと思った。
「あれ!? 躑躅じゃないの?」
「うん、僕は
「あなたが絆くん!? わー、驚くことばっかり!」
目の前の少女からは何か強い存在感を覚える。成宮会長の圧迫感……ともまた違うけれど、当たらずも遠からずと言った印象がある。
「躑躅と絆くん、オーラの形がそっくり! エネルギーの方向は真逆みたいだけど……そりゃ相性も悪いわけだ!」
「んー……何の話?」
「こっちの話! とにかく宜しくね、私は躑躅の大親友のシオン!」
「よろし、く……?」
絆が返答する前にシオンは手を振りながら走り去って行ってしまった。絆は前向きで笑顔の絶えない少年だが、相手がよりポジティブである場合、そのテンションに呑まれて調子を狂わされる場合が多い。彼女は今まで見た中でも特に活力に溢れているように見えた。
「僕も、あれくらい強く生きなきゃね!」
奇しくも絆は、エルミタージュに入った理由が「前向きに生きること」であると、幽霊のシオンを通して改めて認識したのであった。
「入鹿!」
名を呼んだのは文芸部部長の西倉真緒だ。
「先輩、どうしてここに?」
「躑躅から聞いたんだよ。まさか入鹿までこの大会に参加するなんて思わなかったからさ。応援しに来たの」
そう。入鹿がここに来たのは観戦目的ではなく、試合に出場することだった。彼女は自殺未遂を犯した当時に超能力を育もうとしていたが、それが上手くいっていなかったことも精神を病んでしまった原因の一つだと推察していた。あの一件が有ってから魔術の力を育てようと決めた。ダルトン先生曰く「魔術は覚悟の強さによって力が決まる」らしい。ならば一度命を捨てようとした自分なら、苦痛に耐える覚悟を強く持つことが出来ると考えたのだ。
「それで? 入鹿の能力はどんなの?」
「それは秘密ですよ〜。でも、前とは比べ物になりませんよ!」
彼女の能力名は”デルフィニウム”。発動することで対象の傷を癒したり能力の威力を増強することが出来る。効能は自身に対しても有効である。
ただ、これでは戦闘には向かないことは重々承知であった。彼女はそれでも自分の可能性を試したいと思ったのである。魔術は超能力とは違い、特定の能力を既に持っていたとしても基礎的な肉体の増強や障壁なら対価次第で誰でも使える。基礎魔術をデルフィニウムにより強化してどこまで行けるか、可能性を純粋に試したくなったのだ。
そしてまた、絆や躑躅の傷を癒して次の闘いに備えさせることも役割の一つだ。大会主催側にヒーリング能力の持ち主はいるが効果は応急処置程度なので心許ない。自分の魔術ならば軽傷はほぼ完治できる。
本当はバックアップとして絆や躑躅の能力を強化したいのだが、それは今大会のルール上認められない。せめて自分が上がれるところまで上がって、絆や躑躅に勝ちを譲るくらいが自分に出来ることだろう。
「ところで西倉先輩はどうして出場しなかったんですか? 前にチャレンジャー部門で優勝したって聞きましたけど……」
「一度優勝した部門に出るより、もっと高いレベルを目指したいと思ったの。今年はベテラン部門て優勝する予定。そして来年はエキスパート部門」
「うわあ、凄いやる気ですね!」
「まあねー。文芸部がより注目されて欲しいって言うのが大きい動機なの。だからこそ、入鹿と躑躅が決勝で当たったりしたら最高なんだけどな」
「いやいや、私は絆に当たったら勝てないですし、勝てそうでも負けるつもりなんです」
「どうして……あ、そっか。絆くんと躑躅の間には複雑な関係があるんだったね」
「そうです! あの二人には、ここでケリを付けてもらうんです!」
「あはは、なるほど。ならそれでも良いよ。文芸部員が二人も参加してる時点で注目度はきっと上がってるよ。頑張ってね。応援してるから」
真緒は手を振って客席へ向かっていく。
「よしッ!」
入鹿は自分の頬を強く叩いて気合を入れ直した。
――目を開ける。
静まり返った寮の中、一人瞑想を続けていた
「”ニュートラル”は安定して来たが……問題は”先見の暗”の方だな」
“ニュートラル”は、桐也が超能力の原理を聞いて真っ先に習得しようと思い立った力だ。自分と他人との相互作用が起こる際、偶然にも超自然的なエネルギーが働かない確率を引き当てる能力。以前絆の魔術増強した拳を受け止めた時は、絆が接触の瞬間だけ魔術による強化を解いてしまう偶然を引き当てた。
ただし、行方不明の生徒の件からも分かるように相手の能力の種類によってはニュートラルは発動しない場合もある。それどころか、単純な刃物や重火器など用意されてしまえば当然一溜まりもない。その為に用意したのが”先見の暗”だった。
その対価が、ただひたすらに瞑想すること。周囲の情報を遮断し外界からの刺激に反応してはならない。
今日まで十分な時間を瞑想に当てられたとは言えないが、今の所”先見の暗”は機能しているようだった。これが実戦で役立つかどうかはまた別ではあるが。
今回の大会で勝って、自分の強さを証明しなくては、本来の目的も果たせない。
各人が違った動機から立ち上がった今回の大会。この日が一つのターニングポイントとなることを、彼らは知らなかった。
トーナメント表は直前に各人の携帯デバイスに向けて送信された。チャレンジャー部門の参加者は存外少なく16名となっている。
・第一試合 葉団扇絆VS
・第二試合
・第三試合
・第四試合
・第五試合 蘧麦躑躅VS
・第六試合 カルミア・カルメVS
・第七試合
・第八試合 水瀬入鹿VS
基本的に去年度の優秀者はベテラン部門やエキスパート部門に流れている為、警戒すべき強者はいない。情報にある限りではあるが。
桐也はロズや躑躅、入鹿、シオンと共に絆がステージに立つ姿をじっと見つめる。相手の朝庭桃という生徒は五年生のテレポーターだ。普通ならば勝ち目はない。
ただし敢えてこのチャレンジャー部門を選んで出場している相手には、強くとも何かしらの弱点があるはずだ。
『さあやって参りました、今年のチャレンジャー部門がいよいよ幕開けです! 実況はわたくし、大会では0勝の女王との異名でお馴染み朝倉なずながお送りします!』
「0勝の女王?」
躑躅は早くも本戦で当たる相手のことを考えていた為、朝倉なずなという人物が何者か探りを入れたいと考えていた。
するとシオンが得意げに語り出す。
「えっとね、ビギナー部門からエキスパート部門まであるのは知ってるでしょ? 一年生から順番に全部の大会に出て全部優勝した凄い人だよ!」
「へえ? でも、0勝って?」
「肝心の本戦で勝ったことが未だにないみたいなんだ。あんなに強いのに不思議だなぁ」
「どれくらい強いの?」
「躑躅じゃ10年は勝てないくらいかなぁ」
言われてムッとしたが、その後の補足情報が興味を引いた。
「躑躅と同じエナジートランスを限界まで極めた人だもん。だから私も知り合いで、事情を知ってたんだ」
その人の試合を見てみたい。だが目の前の闘いが先だ。
その話を聞いた入鹿が更に躑躅に告げる。
「私の部屋のパートナー、朝倉
「へえ……じゃあ、今度その子紹介してよ。朝倉なずなさんの強さの秘訣も知れるかも」
標的としている絆の試合が始まろうとしていた。彼と当たるとすれば決勝戦となる。それまで互いが勝ち進めるかどうか。
「エナジートランスと言えば、瑠璃溝尽ちゃんもそうだよ」
「この最後の人か」
「うん。エナジートランスって超能力者の最も効率的な形だから、大会出場者には多いね」
躑躅は自分の才能を信じていたが、同等かそれ以上のポテンシャルを秘めた人間が大勢いることも理解していた。その上で、大会で優勝することも諦めない。エナジートランスはオールラウンダーであるだけに戦略次第で戦況をひっくり返す可能性もあるはずだ。
『まずは期待の新星、葉団扇絆選手! 姉の葉団扇
モニターに絆の学生証画像が表示され、彼がステージへ上がると同時に上級生と思しき連中がどよめくのが分かる。葉団扇縁という人がそれだけ有名で、絆は注目されているようだ。
『相対するは五年生のテレポーター、朝庭桃選手。半径100mまでの範囲を誤差数ミリ単位で瞬間移動可能なツワモノです!」
ステージの上へ唐突に人影が降り立つと観客席からは歓声が上がる。
特設の観覧席が作られた第三グラウンド跡地全体はテーマパークのような装いで、試合開始に際して大賑わいとなっている。中央で絆の試合が始まろうとしている最中にも隣では能力を駆使したダンスや演舞が披露されていて、半ば混乱状態だ。
『両選手の準備が整いましたので、いよいよメインイベントとなるエルミタージュ最強決定戦、チャレンジャー部門を開催させて頂こうと思います! ルールは簡単! 重症により試合続行不可と審判が見做した場合、もしくは降参を宣言した場合にその相手が勝利となります!』
絆は小さく「よしっ」と呟いて気合を入れ直した。
『一回戦第一試合、葉団扇絆VS朝庭桃、始め!』
大きなゴングが鳴り響くと共に、朝庭桃の姿が忽然と消える。
「どこ? うわっ!?」
真上から落下して来た桃に潰されそうになり、咄嗟に後ろに退避する。
『開始早々、テレポートによる不意の攻撃を葉団扇選手は何とか避けたようです!』
絆は既に障壁を張ってガードしているが、相手の能力の全てが分かるわけではないので警戒は怠らない。エナジートランス以外の超能力者でも、得意とする能力以外を全く覚えられないというわけではないからだ。
「いい反応だね。まさか初撃を避けられるとは思わなかった。縁さんの弟というのは間違いないようね」
「へ? お姉ちゃんのこと知ってるの?」
「もちろん……」
スッと左へ一歩移動したと思いきや既にそこに姿はない。すると同時に背後から声がする。
「私はあの人に勝てなかった」
「うわぁ!?」
テレポーターとは聞いていたが、いざ前にすると状況の不可思議さに追いつけない。
「そりゃ単なるテレポーターの私じゃ、会長にも引けを取らなかった縁さんには勝ちようもなかったけど……それでもアンタなんかに負けるほど半端な強さじゃないよ!」
すると、彼女は普通のパンチを繰り出してきた。これならば避けるまでもなく障壁が容易に防いでくれる。そう思ったのも束の間、脇腹に強く鋭い衝撃と痛みが走った。
「うぐっぁ!?」
『おっと葉団扇選手! 障壁を張っているにも関わらず攻撃を食らってしまった!』
「私のテレポートはワームホール型って言ってね。任意の位置に作った自由なトンネルを通ることによる瞬間移動なの。だからこそ、身体の一部分だけを移動させることも簡単。こうしてあなたの障壁の内側までね」
かなりの痛みが絆を襲っていた。
「相手の身体の内部にワームホールを出現させるのは難しい。相手の精神エネルギーが邪魔をして確率波を上手くいじれないからね。ただ、出来ないというわけでもない」
プシューという音が聞こえたような気がした。
『朝庭選手の能力は応用次第で相手の肉体を簡単に破壊出来てしまいます! これに葉団扇選手はどう対応するのか!?』
絆は自分の右肩から多量の出血があることに気づき、同時に痛みを感じるようになる。
「い、痛い……!」
「あなたの精神エネルギーの揺らぎを狙って小さなワームホールを生成することは出来る。その障壁と貴方の体の間の空間にエネルギーが満ちていないように、身体の中のエネルギーにもムラがあるの」
「ふふ、そんなことべらべら喋っちゃったら負けちゃうかも知れませんよ?」
「気の強いのは大したものだけど。これは脅しじゃなく忠告だよ。私は貴方を即刻殺すことだって出来ると言っているの。この大会に出るのは数年早かったね」
「だったら……!」
すると絆は静かに障壁を解いた。
「エネルギーを体内に閉じ込める為に障壁を解いたのかもしれないけど。それじゃ逆効果、外からの攻撃に対応できないよ!」
一歩下がっただけの動作で、いつの間にか十数メートル先にいる桃。その彼女が拳を前に突き出すと同時にそれが目の前までワープして来る。
「ううっ!?」
足が地面に沈んだように見えたと同時に頭が強く踏まれる。
「ぐっ……うぅ」
「ほら、これ以上惨めな気分になりたくないでしょ。降参すれば痛い目を見なくて済む」
足で頭を踏みつけられながら頬や腹を連続して何発も打撃される。ガードしようにもどこから攻撃が来るかが分からない。観客席からは小さな悲鳴が上がっていた。
『葉団扇選手がタコ殴りにされています! お姉さんの縁さんファンだった方は落ち着いて見ていられない状況ではないでしょうか!?』
ロズも目を塞ぎたくなる光景に戸惑っていた。
「葉団扇くん、降参した方が良いんじゃ……」
「いやロズ。絆は大丈夫だ」
「柊くん、どうしてそう思うの?」
「あと少し黙って見てるんだ」
「……」
少しばかり不服そうな表情をしていたが、ロズはやがて姿勢よく座り直した。
ステージ上の桃と絆は徐々に赤に染まっていく。それは一方的に殴られ続けた絆の切り傷からの出血で、とてもフェアな試合とは思えない様相を成していた。
「あ、あなた……いい加減降参しないと本当に」
「……そうだね。そろそろ限界かも」
絆はユラユラと体を左右に振りながら前へ進む。
「早く降参しなさいッ!」
苛立ちを覚えた桃は思わず本気の蹴りを絆の鼻先にヒットさせる。強い衝撃に多量の出血を伴い絆は倒れる。
『これは惨い光景です! そろそろ葉団扇選手は試合続行不可となるか!? 』
審判が駆け寄り絆の容態を確認しようとするのだが。
「大丈夫です、まだやれますから」
ゆらりと。ゾンビのように再び立ち上がる。
「タフなのは認めるけど、もうやっても無駄よ!」
「……ここからが、本領発揮だもん」
すると絆は自分の鼻から大量に流れ出ている血を腕に付着させる。握り締めた拳が淡く光り始める。
「何を……」
切り傷のある右の脛から流れ出た血は靴に付着しており、右足も徐々に光り出していた。
「ハァッ!」
桃と絆の顔が、一気に数十センチの距離まで近づいた。だがそれは桃のテレポートに依るものではなく、絆の全力の踏み込みによるとてつもなく大きな一歩であった。
「なっ!」
倒れ込むように後ろのワームホールに飛び込み危機を回避する桃。咄嗟のことだった為かなり距離を取った位置に降り立つ。
『今のは何が起こったんだ!? 葉団扇選手の急接近は、まるでテレポートを見たかのような早業でした!』
「な、なに今の力……さっきまでこんな力なかったのに……!」
ペースを乱された桃は慌てて絆の体に打撃を与えようとするが。
――ぱし、ぱし。
先程まで強いダメージを与えていたはずのパンチが絆に効いていないように見えた。彼は微動だにせず桃の拳を受け続けている。痩せ我慢にしても、あまりにも平然とし過ぎている。
「これが僕の習得した魔術……『血の盟約』です!」
赤は膨張色と言うが、それを抜きにしても彼の華奢な体に似合わぬ巨大な圧迫感を禁じ得ない。つい先刻までこのような威圧を桃は感じなかった。
「血を流すほど攻撃力と防御力が上がっていきます……特にさっきの鼻血はワザと食らいました。たくさん出血するので!」
「な……なんて奴!」
超能力者は魔術師に恐れを抱くことがある。それは、対価を必要とする魔術を避けて超能力を習得した者の中には苦痛を強く嫌うものが多いからであり、苦痛を物ともしない相手を前にすると気圧されるのだ。
『なんということでしょう! これまで攻撃を惨たらしく受け続けていたのも彼の作戦の内だったようです! 流石は縁さんの弟と言わざるを得ません』
躑躅も彼の姿を不気味に感じると共に、期待以上の力に喜びを感じて笑みを浮かべる。
ロズは相変わらず目を逸らしながら観戦しているが、それは彼の恐ろしさを十分に理解しているからこそだった。
「柊くん……葉団扇くんがこの能力を習得してるの、知ってたの?」
「ああ。まさに諸刃の剣だって忠告もしたさ。我慢強い絆に合っている能力だけに、アイツは無理をし過ぎて自滅する可能性さえあるんじゃないかってな。今回の戦いも、最初の一撃で基礎的な魔術による攻撃を諦めて『血の盟約』の発動に注力していた。まあ危険だが普通のパンチ程度ならあの出血量でほぼ無害な物になることは知っていた。それだけ、命を直接削るような対価による報酬は大きいものとなる」
彼が語っている間にも絆の流血量は増え、蓄えられた力が強大に膨らんでいく。躑躅がそれを恍惚の表情で眺めているのを見てロズは不安さえ覚える。
躑躅には、エナジートランスの特性上人の強さがオーラの大きさとして可視化できるという体質がある。だから誰よりも理解していた。絆に秘められたエネルギーは莫大で、相手選手の比ではないということ。そして、躑躅が最大限オーラを放出したとて彼のエネルギー量には敵わないということも。
「ねえ入鹿……私は大バカ者だったよ」
「へ?どういうこと?」
「この大会、私と葉団扇の奴を全力でサポートしてね。絶対に私たちが決勝で当たれるように!」
入鹿は、これほど気力に満ち溢れた躑躅の表情を見たことがなかった。
試合の方は既に形勢逆転しかかっていた。
桃が絆に攻撃をすればするほど絆は強固になっていき、桃の気力だけが削られていく。しかも『血の盟約』は肉体の頑丈さは勿論のこと敏捷性や思考能力まで上昇させてしまう為、徐々に桃の攻撃が見切られ始めていたのだ。
「ワームホールも効かない……!」
体内にワームホールを出現させる目論見も最早通用しない。既に絆の精神エネルギーは失った血液の分身体中を淀みなく流れ続けている為、入り込む隙などない。
桃の必死の連撃の中、絆は目の前に現れた腕を掴み取り、ワームホールから桃を引き摺り出す。
「なにっ!?」
引っ張り出された速度のまま、振りかぶる絆の拳が桃の鼻先に炸裂した。彼女もまた鼻血を噴出して倒れる。
審判が駆け寄り、片手を勢いよく上げて白の旗を揚げた。戦闘不能の合図だ。
『一回戦第一試合!葉団扇絆選手の勝利です!』
大歓声の中、絆は力尽きてステージ上に倒れ伏した。
目を開く。
「あ、れ……?」
「絆!」「葉団扇くん!」
ぼんやりとした頭で起き上がると、そこは観客席だった。入鹿が目を瞑って身体を治療する能力を使っている。
「あはは……」
「一回戦目から飛ばし過ぎだ。この先が思いやられる」
「でも、無事勝てたし入鹿の治療があるし」
「彼女の能力にも限界があるだろ。次の試合まで時間がない時は治しきれない場合だってある」
「そうだね、ごめんなさい」
居心地悪そうに謝る絆を少し距離を置いて見ている躑躅に、彼は気づいた。
「見たよ、アンタの強さ」
「蘧麦さん……」
「……決勝で待ってるよ、葉団扇」
「う……うん!」
彼女はそう言って絆たちの集団から離れて行った。
「今、第二試合? すごい速さだね……目が追いつかないよ」
「ああ……片方は精神加速って言って脳のクロック数のみをほとんど無尽蔵に上げられる能力者で、もう一人は自分の姿の幻覚を見せる”ドッペルゲンガー”の能力者だ」
ソレイユ・ソシュールのドッペルゲンガーを用いた攻撃は、桃のワームホールの攻撃にも近い。観客席から見ると、まるでテレポートをしているかのようにステージ上至る所に現れては消える。そんな神出鬼没の攻撃を相手の西条フジナは最小限の動きで防御している。
すぐに展開があった。フジナはソレイユの隙を見つけて瞬間的に距離を詰めて勝負を決した。精神加速能力は肉体は強化されないが、負担を強いれば限界以上の力を出すことも出来る。言わば火事場の馬鹿力を発揮し続けるようなものだ。
ソレイユは降参を宣言した。幻覚や催眠系は高難度の能力でありすぐに体力を消耗するという。一方でフジナの方はまだ余力がありそうな表情で相手を見据えていた。
「次、あんな人と戦わなきゃいけないんだ」
「血の盟約があればあれくらいの攻撃にも対応できるだろ」
血の盟約は非常に理に適っていて相手にとっては厄介な能力であると桐也は考えていた。
ダメージを力に変える捨て身の能力だが、故に強力。同等の修練を積んだ者に負けることはほとんど有り得ないだろうし、格上にも通用することは第一試合で証明された。しかも彼と相対する人間は血の盟約の概要を知っていた所で対策がほとんど打てない。戦闘不能にするのであれば流血は高確率で付き纏う。絆が出血することを避け昏倒させようにも彼の得意な基礎魔術が防御障壁や肉体強化である以上容易ではない。彼を相手取る人間はそうした懸念に常に悩まされることとなり、心理的な威圧感を覚えることになるだろう。
「でも僕の魔術じゃ、桐也に勝てる自信ないよー」
「俺も負けない為に習得した能力だからな。そう簡単に攻略されるつもりはない」
絆の魔術も桐也に対して効力がない。しかしながらそれは桐也の肉体に絆の精神エネルギーによる攻撃が届かないというだけであって、絆が血の盟約による身体強化を使えなくなるわけではない。尋常ではない反応速度で桐也の貧弱な攻撃など全て見切られて通常の打撃技でノックアウトとなる可能性さえ十分に考えられる。そうした対策の為習得したのが”先見の暗”だ。先見の暗の概要は絆にさえ話していない。本番で通用するかは実際にこの大会で試すつもりである。
『第三試合は難度が高いと言われる”コンプライアンス”を習得した者同士の対戦となります!』
「桐也、コンプライアンスって何か知ってる?」
「……”法の支配”の発展型の魔術だったな。エリアや条件を満たした相手を強制的に条件下に引き摺り込む事が出来る。自分の土俵でゲームを仕掛けた上で敗北者には強力な代償が求められる。ほとんどどんな能力者だって例外じゃなく働く為に六年生でも習得困難と言われているみたいだね」
「でも、あの二人はそれをマスターしてるんだ」
互いによく似た背格好同士の少年少女がステージに上がっていた。
『牧村稲人選手と鈴城舞花選手は共に三年生であり、同学年のデーモンとアンジュの役割をそれぞれ担っています。ただしこれまで一度も会話をしたことがないという二人!どんな戦いを見せてくれるのか!?』
「デーモンとアンジュって?」
「ええと……聞いたことはあるけど……」
珍しく口籠る桐也の前にシオンが立ち塞がり、人差し指を立てて高らかに宣言する。
「それなら私の出番だね!」
「あ、えっと……シオンさんだっけ?」
「デーモンとアンジュは、各学年に一人ずつそれぞれ現れるとされる伝説の存在なの! 学園に壮絶な危機を齎したり、もしくはそれを救ったりする特別な才能に溢れている人!」
「へえ、そんな人が……僕たちの代にもいるのかな」
「もちろん現れるよ! 桐也くんとロズちゃんだったりしてね!」
「ああ、お似合いかも知れないね!」
当の桐也やロズからすると絆こそが天使のイメージに最も適任であるのだが、彼の天真爛漫な笑みを見ているとそれさえ野暮に思えた。
『一回戦第三試合、牧村稲人VS鈴城舞花……始め!』
そうこうしている内に試合がスタートした。二人とも攻撃の素振りは見せず、ただ悠然と歩いて距離を詰める。
「初めまして。牧村稲人って言うんだ」
少年が笑顔で握手を求め、少女がそれを握り返した。すると二人の体にそれぞれ赤と橙の粘膜のようなオーラが形成される。これはエナジートランスの生徒でなくとも肉眼で見える可視光のようだ。それが腕を通して互いの体を駆け巡っている。混ざって朱色になった光が鈴城舞花の瞳に蓄えられた。
「初めまして。私は鈴城舞花。まあお互い素性は知っているでしょ?」
喋り終わった途端に舞花の瞳の色が戻り、今度は稲人の瞳が朱色に光りだす。
「宜しくな。こうして体に触れることが君のコンプライアンスの発動条件だってことも知ってる」
「子守唄を聴かされてるみたいにゆっくりな喋り方ね」
「寝ないでくれよ。まだ試合は始まったばかりだ」
ニヤッと微笑みあってから、稲人が宣言する。この時稲人の瞳から朱色は消えていない。
「コンプライアンスの僕のルールは”相手の喋った内容の文頭か文末の五文字で韻を踏むこと”。つまり母音を合わせることだが、”ん”や小さい”つ”に入れ替えるのは認める。文頭の言葉で韻を踏むならその言葉は文頭に配置せねばならない。文末も同様。ただし、文脈や子音の技術点により、踏むべき韻の文字数が五文字から増加する場合もある。ちなみに思いつかなくて黙っているのも30秒が限界だからね。説明終わり」
「私の基本ルールは至極単純。”しりとりをしながら会話をすること”。ただし末尾の文字が既に使用済みである場合、その一つ前の文字を頭に持ってくる必要がある。それも使用済みならその前、以下同様に続く。使用済みかどうかは末尾からの文字数ごとに全て区別することとする。私は次に喋りだすまでの時間は20秒に設定してる。説明終わり」
二人の解説に絆は目を回しているような混乱を見せる。
「えっとつまり?この二人のルールが合体するってことは、韻を踏みながらしりとりもする……って、そんなこと出来ないよ!?」
「いや……韻を踏む単語には文頭か文末か選ぶ権利が与えられているから、絶対に不可能とは言い切れないが……しかし確かにルールによっては干渉する恐れもあるな」
実況の朝倉なずなの声がその疑問に答えるように響き渡る。
『コンプライアンスは自分自身もルールを遵守することを対価として成立する魔術ですから、術者同士のルールが干渉しかねません! その為、コンプライアンス習得者同士では基本的に相手にのみルールが課されることが多いとされます』
「なるほど……つまり牧村が喋った言葉に対し鈴城が韻を踏み、その語尾の言葉から続けて牧村が喋る。今回はこのルールを破った方の負けとなるわけか」
観客席の反応を見ながら稲人が声を上げる。
「理解できましたか、観客の皆さん。ちなみに……コンプライアンスの発動条件には必ず、そのルールを相手が理解していることが義務となっています。つまりここで僕ら二人のルールを聞いた人間は全員、今後出会った時すぐに僕らのルールに引きずり込める準備が整いました」
「一回戦にして私たちが当たったのは嬉しい誤算だ。楽しい試合になると良いね」
「言い忘れていたけど、僕のコンプライアンスでは敗北した場合、一週間は僕に服従してもらうことになる。君は?」
「聞きたくて仕方がなさそうな顔だから教えてあげる。私に負けた人間は私が許可するまで能力が使用不可能になる。ただし、一度許可するともう一度このルールで負かさないと能力の使用禁止は出来ない」
「いやしかし、文字が使用済みかどうかを即座に判断しなきゃならないのは辛いね。君の方が有利なんじゃないか?」
そこで舞花は言葉に詰まる。既に発言権が彼女に移っており、早く喋り始めないことには敗北になってしまう為、末尾で踏む韻を考えながら声を発した。
「そんなことないよ。今この瞬間、まさに思い悩んでる……韻を踏むって慣れてないと相当難しい芸当でしょ。こうして喋り続ければ時間稼ぎは出来るけど、姑息な手を使えば使うほど次に踏まなきゃならない韻の文字数が増えるってことでしょ? それで踏み損ねたら赤っ恥だ」
舞花は「んああいあ」という韻を「あっあいあ」に変換して返した。韻の関係ない音への変換はルール違反ではないし、場合によっては寧ろ難度が高いこともある。ただし今回舞花は時間稼ぎをし過ぎたようだ。
「だが君は着実にこなしている。ほら、踏むべき文字数も六文字で抑えられてる」
舞花の瞳の色が変わると同時に6という数字が浮かび上がる。
「私には貴方が余裕たっぷりに見えて仕方ない」
「なぜか教えてあげようか。実際僕は君に負ける気がしないんだよ」
再び言葉に詰まる舞花。とにかく喋り続けねばならないが今彼女の脳内は頭韻でいっぱいだった。そちらを諦めると今度はまた喋りながら文末の韻を考えるという高度な技を求められる為、できれば避けたい所だ。しかも頭の韻に気を取られたせいで末尾の言葉を正確に思い出せない場合すらある。
「……立て直して、すぐに貴方を負かしてあげるよ」
少々苦しかったが何とかこの場を凌ぐ。増えた文字数はそのまま減らないらしい。
「類は友を呼ぶとは言うが、君はルール設定において同種の能力者と会った時のリスクを甘く考え過ぎたな。しりとりは簡単なゲームだから、使用済みの文字が消えていくという一捻りしたルールは有効かもしれない。君自身はそのルールに慣れておけば負けることは少ないだろう。だが僕は、相手の喋った文頭と文末の合わせて10文字を常に記憶して喋らなきゃならないという自分に対しても重い制約を貸しているんだ。しりとりで使った文字如き、記憶しておけないはずがない」
そこでようやく発言権が舞花に切り替わる。しかし同じ言葉を繰り返すことしか出来ない。
「類は友を呼ぶ……確かに貴方は私と似たルールの持ち主だけど、根本的に負けていたのかも知れないね」
「なら降参するかい? 今ので、次の君の韻の文字数は7文字に増えたよ」
「……ああ、降参する」
その言葉を審判が聞き、赤の旗を稲人へ向けた。
『鈴城選手の降参により、勝者は牧村稲人選手となります!』
「ルール上試合は終わったが、僕らのコンプライアンスは解除されてない。そちらの方も降参して韻を踏み外してくれないかな?」
「……アンタに絶対服従するってのが凄く嫌なんだけど、それは勘弁してくれないかな?」
「なぜ? せっかくの能力の意味がなくなる。後、その踏んばり方はそろそろ限界だよ。何度も同じ言葉で韻を返すと文字数の増え方が指数的になっていく。僕と全く同じ文章を喋った時点で強制敗北だ」
「あーもう! 分かった、従えばいいんでしょ!」
二人の間でやり取りしていた朱色の光が消失した。
「さて、手始めに僕のことを稲人様と呼んでもらおうかな」
「い、稲人様……!」
「ハハハ!」
選手二人の交流の様子は全校生徒に筒抜けになっている。珍しい光景に困惑の声や少々の笑い声が聞こえてくる。絆も苦笑いで様子を見つめていた。
「あはは……すごい能力だよね」
「コンプライアンスの試合は特殊な物になるが、真価は勝敗が決してからだからな。強力な能力者を意のままに出来るというのは魅力的だし敵なしだな」
「あの人にどうやったら勝てるんだろ?」
「忘れたのか? 絆より先に俺がアイツと当たるんだぜ。コンプライアンスは誰にでも平等に働く能力だが、数少ない例外が俺ってことさ」
「あ、そーか!」
「それよりまずは一回戦だ。そろそろ俺の出番だからな」
立ち上がって客席を後にする桐也。まるで緊張している様子はなく、かと言って緩み切っているわけではない。毎日の講義に勤勉に臨む彼の表情そのままであった。
会場が徐々に落ち着きを取り戻してきた所でロズが絆に尋ねる。
「ねえ、柊くんは勝てるかな」
「桐也なら大丈夫だよ! ロズも桐也の強さは知ってるでしょ?」
「そうだね……彼の能力には、本当に驚いたから」
しかしロズは、まだ彼の本当の能力というものを知らない。未だ何かを隠しているということを知っている。
『さあお待たせ致しました。次の試合は第一試合の葉団扇選手と同室の新入生であるという、柊桐也選手の登場です! 対する相手は六年生の春山桜選手で、彼女は特定の部位を粉々に消し飛ばす”吹雪の舞”という超能力を使用します!』
「ひい!? 特定の部分を消し飛ばす!?」
絆とロズが青褪めていると、後ろからシオンが補足を入れる。
「大丈夫だよ、強い人ほど加減の仕方を知ってる。これまでの大会だって、相手の爪や皮膚の一部を能力で剥ぎ取ることで、ほとんど動かずに勝利してるもん!」
「爪や皮膚……い、痛そう……」
「うん! 痛いからその恐怖だけで相手は降参しちゃうの! 春山さんが負けたのは、逆にその能力を使用する隙さえ与えられなかった相手かな。本戦にはそういう人がゴロゴロいるから」
となると、桐也の身が危険だ。すぐに入鹿に応急処置をしてもらえるよう準備しておいた方が良いだろう。
対して当人は冷めた表情をして立っていた。春山桜が周囲にピンク色の粒子を漂わせながらステージ上に現れるところを見てもほとんど動じない。観客席からは彼女の底知れない不気味さに怯えて悲鳴さえ上がっているのにだ。
「君、一年生にしては随分と肝が据わっているね」
「ええ」
「私に勝てる自信があるの?」
「それは、やってみないと分かりません」
桐也の言葉に少しだけ不満を覚えたのか、桜はこう宣言する。
「良い? 私は貴方の命に関わるような攻撃はしないし、ステージ上でそれをやると法の支配でそもそもブレーキがかかる。だけど、それでも容赦をするとは言っていない。死んだ方がマシって思うような痛みを与えることに躊躇はないんだからね」
「はい。全力で来て頂かないとこちらも本気が出せませんから」
彼の態度に桜は周囲の粉塵を巻き上げる。彼女の足元の地面が能力によって既に抉れて粉々に霧散している。
『えー、準備は両選手とも既に完了しているようなので……第四試合、開始です!』
合図と共に、春山桜の体の周囲に纏わり付く粒子の量が増加する。
「私の能力”吹雪の舞”は、触れたものを簡単に粉々に砕き、そして砕いた粒子は私の半径十メートル以内ならある程度自由に動かせる。要するに粒子の構造を変化させる能力ね。分子まで操れるわけじゃないから物質の三態を変化はさせられないけど……疑似的にそれに近いことをやってるわけ。色んな形のものを作れるのよ」
桜は、長いスカートや肩についた埃を手で払いながら説明を続ける。
「能力の副作用で、ほとんど常に私の周りに細かい粒が舞っててね。汚いったらありゃしない」
「能力をペラペラ喋って、僕が油断するとでも思いますか?」
「はぁ……アタマに来た」
一瞬片手で髪をかき上げるように頭を抱えてから、桐也の顔を見て口を開いた。
「ぶっ壊す」
眼前の彼女が竜巻のような様相になっても桐也は微動だにしない。それが余計に桜の神経を逆撫でする。
まるで何トンもの重量物がこちらに近づいているかのように、ゴリゴリと足音が響く。一歩踏みしめる毎に地面が抉れるのだから当然だ。
それに対して桐也は身構える素振りさえ見せない。
『どうしたことか柊選手! 相手のあまりの気迫に動けなくなってしまったのでしょうか!?』
「柊くん……大丈夫かな」
「桐也なら、きっと……」
根拠などない。ただ、普段の桐也は非常に頭の回転が早く頼れる友人であり、誰にも負けることがないと信じられる男だ。イメージ通りであるならばきっと、あの強敵にも勝てるはず。
「捕まえた。左腕を貰うよ」
掴まれた左腕に桐也が目線を向ける前に、桜たちの周囲の粉塵が一挙に遠くの方へ吹き飛ぶ。桜が物を砕く能力を使うと、反動で周りの塵も同時に吹き飛ぶのだ。
「ひひっ……」
心底喜びに満ちたニヤけ顔を見せながら、桜は自分の破壊したはずの少年の左腕を観察しようと手を開く。
「えっ……?」
「何か、しましたか?」
桜が戸惑っている内に、桐也が振り被った握り拳が彼女の顔面に迫っていた。
「くっ!」
咄嗟に目の前に塵の塊によるガード壁を作って守る。周囲を常に舞っている塵は即席の壁を作る為には有用なのだ。
『これは何が起こった!? 破壊されたはずの柊選手の左腕の皮膚は無傷で、加えて反撃までしてしまいました!』
「アンタ……どうして何ともないの?」
「偶然能力を発動できなかったのでは?」
「そんなはずない!能力を使用した証拠に周りの粒子が吹き飛ばされて行ったもの!」
「じゃあ、偶然僕の腕へ作用させることを躊躇してしまったとか」
「それだって有り得な……ん? そうか、貴方……」
そこでようやく桜は落ち着きを取り戻した。
「ああやられたね、本当にやられた。まさか実在するなんてね、そんな能力」
呆れたように呟く桜を桐也は変わらずじっと見据える。
「貴方、能力を無効化する能力者でしょう」
桐也はふぅっ、と一息吐いた。
「案外早くバレるものですね……伊達に六年生じゃないってとこか」
「私も信じられないと思ったけど、無防備な状態で触れられて私の能力を完全な無傷で受け切れる能力者なんているはずがない。障壁やバリアが貼ってあったなら別だけど、私はちゃんと皮膚に触った。その状態であれば会長でさえ恐らく無理ね。能力がちゃんと作用している限りは」
「紹介します。僕の超能力は”ニュートラル”。異能力が偶然にも自身に作用しない確率を引き当てる能力だ」
会場中が騒めいた。上級生も皆半信半疑と言った様子だ。
「確かに桐也は凄いけど、みんな驚き過ぎじゃない?」
絆の疑問は実況の声ですぐに解消されることとなる。
『お聞きになりましたでしょうか皆さん。能力を作用させない能力……これは超能力の中でもトップ10に入るほど習得困難な能力です』
「トップ10!?」
『熟練の能力者は既に一つの能力を持ってしまっているが為に変更が困難でありそのリスクも計り知れません。かと言って能力未取得の一年生の場合、超自然への知識や理解が大抵不足します。そもそも能力での戦闘を経験していない人間が、能力無効化の有用性に気づくことがまず稀有な例なのです!』
朝倉なずなが熱く語っている通り。絆やロズはそもそもそんな能力を考えつきもしなかったし、実現する方法も分からない。
「確かに、この学園で強さを求める時には皆異能の力を鍛えるから、それを封じてしまうというのは有効打だよ。そこらの能力者じゃ戦う気も失せるってもんだ」
「ええ。これならどんな能力者とも互角に戦える」
「でもアンタ、甘いよ」
地面のカケラを正面に集めて硬い石を作り出す。
「アンタの体に異能の力が作用しなくても、私が力を失うわけじゃない。私がこの石を投げれば、ただ慣性の法則でアンタに向かってくる。それを防ぐ手段があるか?」
「やってみれば分かることです」
「……チッ!」
どこまでも太々しい態度にイラついた桜は、相手がどんな怪我をするかなど気にせず投石した。
ここで石を避けるため初めて桐也は足を動かした。
「あはは!私は大きな岩の塊をも作れるんだよ、いつまで避けられるかな」
「ふぅー……」
これまでも不気味な程に平静を保っていた桐也だが、やがて時間までもが止まってしまったかのように静寂した。
「はっはっはー! バカな子! 強がらないで降参って言えば大怪我せずに済むのにね!」
地面の石板を粉々に砕き、それを再結集させて大きな岩を形成していく。やがて直径1m程度の球になり、中身が密に詰まっていないにせよ人間一人分以上の重量は優にあるはずだ。
「潰れろォ!」
客席にいる誰もが目を背けたくなる光景。しかし、シオンと躑躅だけがそれぞれ別の場所から彼の姿を捉えて驚愕する。
「《警戒レベル3:障害軽傷 軽減します》」
確かに桐也が口を動かして喋っていた。しかし声は女性を模した機械音声のような抑揚の少ない声。
スッと体を逸らした桐也はそれでも右肩から微量の出血を伴った。
『なんだ今のは!? 明らかに柊選手の声ではありませんでした! しかも、彼の姿がこれまでとは違った禍々しい出で立ちに見えてなりません』
先までの努めて平静を保っていた桐也とはまるで違う。人間に本来見られるであろう戸惑いや生理現象の類がほとんど見られない。極めてシステム的に現実を観察し行動を決定しているようだ。彼の目の高さには薄っすらと文字列の様なものが飛び回っているのが確認できる。
「アンタ、能力の説明でウソついたの?」
「いえいえ。僕の超能力は間違いなく”ニュートラル”で、異能力が作用しない能力です」
数秒間熟考した後、桜は目を見開いて口を動かした。
「は……まさか、アンタ……?」
「これは”先見の暗”……僕の魔術です」
再び騒然とする観客席。
『全くこれはなんということでしょう! 柊選手は一年生にして能力無効化という高難度能力を手にしていることに留まらず、なんと超能力と魔術の二刀流だった! これは一億人に一人の稀有な才能と言ってもいい!』
「くっ……!」
桜は粒子を集めて切れ味の鋭い刃物のような形を作り、桐也に向かっていく。腕の皮膚を引っ掻くように攻撃が彼を襲うのだが。
「《警戒レベル2:微細受傷》」
偶然か必然か、小さな切り傷を作っただけだった。
「ふざっけんなァ!」
闇雲に空中を切り裂き続ける桜。
「《警戒レベル2:微細受傷》《警戒レベル2:微細受傷》《警戒レベル3:障害軽傷 軽減します》《警戒レベル3:障害軽傷 軽減します》《警戒レベル2:微細受傷》《警戒レベル1:痛覚違和》」
攻撃を全て見切られてダメージ量を制御されているとは言え、微量ずつの傷を与えられているのは事実。しかし春山桜は、桜の攻撃速度が上がるに連れ付いていくように加速する機械音声に対して、自分がコケにされているような気分に苛まれて我を失っていた。
「死にやがれぇええ!」
突き立てるようにした刃を桐也の腹めがけて振り下ろす。観客席からは悲鳴が上がり、絆さえも思わず目を塞いだ。
「《警戒レベル4:重度損壊 回避します》」
空中に浮かぶ紙切れを突き刺そうとしたかのように、刃物の動きに合わせて最小限の動きでスルッと避けた桐也。その勢いで回転し、運動エネルギーを蓄えた拳を桜の頬に炸裂させた。
「ぶっはぁッ……!」
思いもよらぬクリーンヒット。桜は車に跳ね飛ばされたかのように吹っ飛んで行く。
審判が慌てて駆け寄るが、衝撃が強すぎて既に意識が朦朧としているようだった。白旗が勢いよく掲げられる。
『勝者、柊桐也選手〜!』
この日一番の歓声だった。
自分の顔の大きさ程の綿飴を頬張りながら、絆は桐也を褒め称える。
「ふごかっはよ桐也! まふぁかあんな能力を隠しへふぁなんふぇ!」
「上手く働くかは五分五分だったんだがな。リスクを取ってでも習得する価値があると思ったんだ」
ロズは桐也との修練で彼の魔術の片鱗を目にはしていたが、改めて恐ろしい技だと再認識した。自分如きでは勝てないはずだ。
「あむっ、もぐもぐ……でもさ、僕あれがどんな能力か結局わかんないや!」
「”先見の暗”は大きな括りで言えば予知能力の類かな。自分に対し降り掛かる危機を自動的に警戒して対処する魔術。どこにいれば安全かも常に把握できるし、攻撃用の”唯一解”ってモードもある」
「最後のパンチはその”ゆいいつかい”?」
「そうだ。唯一解は逆に、対象者の危機のレベルを一定まで引き上げる能力だ。尚且つ自分の安全も最大限確保されるような行動になる。もちろん俺はニュートラルを用いた素のままの格闘攻撃が限界の力だから、一発で急所を殴って昏倒させられるような行動になるかな」
「すごいなぁ、最強の能力じゃん!」
「そうでもない。俺の身体が能力の恩恵を受けない生身である以上、近距離かつ種々の条件が揃わないと唯一解も発動できない。対価も大きいから、長時間使えるものじゃあない。ある程度自動で動くのと超能力との併用のせいで、短距離のマラソンをしたくらいの疲労感もある。今日はもうあの魔術を使える時間は1分もないだろうな」
「えっ!?それじゃ優勝できないよ!」
「正直ニュートラルだけじゃお前に勝つのも難しいしな。今回に関しては優勝ってことはもう眼中にないよ。格上相手に通用することが分かっただけでも収穫だ」
持っていたフランクフルトを勢い良く噛みちぎる桐也。ロズも釣られてチョコレートクレープを口に運んだ。
「そういえばロズ、蘧麦さんの試合は本当に瞬殺だったな?」
慌てて口の中の食べ物を喉の奥に押し込んでから答える。
「ゴクッ……う、うん。流石学園に五人といないエナジートランス使いだよ〜。相手の梅って人がとても歯が立たない様子だったね」
「精神エネルギーの根源を直接操作するから、相手の能力を曲げたり消し飛ばしたり出来る場合もある……俺のニュートラルが通用するか微妙なところだ」
「瞬殺って言えばその次の試合も似た感じだったね。あのカルミアって人」
絆はその試合の様子を思い返す。
深見芹は四年生のフォトンキネシス。光を操る能力者であり、光学迷彩や肉を焼き切るレーザービームを放つことを主な戦術とする。しかし対するカルミア・カルメは魔術知識に長けており、基礎魔術のみで芹を圧倒した。即席の鏡面障壁を生み出しレーザーを反射しながら近寄ることで難なく勝利したのだ。
「今やってる試合も興味深いよ。追従し続ける能力と、複雑な迷路の障壁を作る能力。どちらが先に根負けするかの勝負かな」
魔術障壁により迷路を作り出し、ゴールを見つけるまでは絶対に術者に攻撃できない能力がケイシー・メイズの技だ。一方で擬宝珠聖也は対象を追跡する為のドローンを3台飛ばすことが出来る。ドローンは彼の右手首と左の眼球、脇腹の一部を切り離して変化させた物であり、それぞれ性能が異なる。右手首は攻撃性に優れた機体、眼球は探索に長けており左目に様子が映し出され、脇腹は敵の能力の一部を跳ね返せる。
眼球のドローンで迷路のゴールを探しながら、ケイシーからの攻撃を脇腹のドローンで反射する。右手首はランダムに飛ばし続けて偶然ゴールに辿り着けば一発で形勢逆転となる。
「あの擬宝珠って選手の使ってる魔術……対価の大きさが凄まじいな」
「すごい不思議で便利な能力だし、大変なんだろうね」
「いや、違うよ。身体の一部を分離させるのは魔術と言えど簡単なことじゃない。分離することそのものがメインの能力なら有り得るが、彼の場合は探索と攻防の手数を増やすことが目的だろ?」
「へ?つまり……どういうこと?」
「自分で自分の身体を切り取ったんだ。至極真っ当に」
ロズが食べかけていたチョコバナナを吐き出しそうに咽せる。絆は「へー」と納得しているだけだった。
「そ、そんなことする人がいるの!?」
「苦痛が大きければ大きいほどパワーが得られるんだから、妙な発想じゃないだろ。まあ受け取ったエネルギーを望む形に変換できなければ死あるのみだから、エルミタージュでは本来禁じられてる技だな」
「恐ろしいな……私は痛みだって感じるのが嫌で、考え抜いて”ローズ・スペクトル”って能力を身につけたのに」
「人は千差万別だよ。ロズみたいにあえて苦痛を避ける為に工夫を凝らして作った能力にはオリジナリティがある。血を対価にする奴もすぐ隣にいるくらいだしな」
絆は照れながら笑っているが、ロズには笑い事ではない。
「そもそも人体の一部を対価にするのはE指定禁術とされていて、罰金があるんだよ。血は……グレーゾーンだな」
「うぇ〜お金はないよ〜」
それよりもロズが反応したのは禁術という言葉だった。
「ねえ、禁術って?」
「まだ俺たちは詳しく習ってないが、AからEのクラスに分けられて罰則が規定されている魔術の手段のことさ。E指定は俗に半禁術とも言われる脱法行為で、条例で禁止されてるから罰金がある。それ以上は全て違法になる。A指定なんて、問答無用で即刻死刑だな」
「……へえ。でもE指定でアレだけの能力、それ以上だったらどうなっちゃうの?」
モニター上では、迷路のゴールを偶然見つけた聖也の右手首ドローンがケイシーの腹を直撃したところだった。同時に迷路障壁が解かれて試合が終了した。
「……渋谷の爆破テロ事件、知ってるか?」
「ええ……何十人が亡くなったって聞いたけど」
「あれは魔術師……それも禁術使いによる犯行だ」
「そうなの?」
「それもエルミタージュ出身の……奴の禁術の威力は、あの爆破程度ならただ念じるだけで実現してしまう。本気で対価を支払えば、渋谷区一帯を焼け野原に出来ただろうとも」
「そんな……どうにも出来ないから野放しになってるの?」
「いやいや。エルミタージュには”秘密基地”と呼ばれる学園を代表する強さを誇る数名の生徒がいる。一人は成宮会長らしいけど……あの人たちは禁術に対抗できる何某かの力を持っているらしいんだ。だから、要請があれば出動してる。まだ追い詰めるには至っていないが、実力は圧倒的に秘密基地の五人が上らしい」
自分たちの進む道の先にそんな世界があるなんて、ロズにはまだ信じ難いことだった。シドウェル家は魔術師の家庭で、夢のある話を沢山教わって来たが、エルミタージュは常識を常に上書きし続ける。
「ねーねー!次は入鹿の試合だよ!見に行かなきゃ!」
「そ、そうだね」
一瞬だけ反応が遅れたロズの姿に桐也は気づいたが、その理由を深くは考え込まなかった。
『一回戦最後の試合!これまた一年生の水瀬入鹿選手と、四年生のエナジートランス瑠璃溝尽選手の登場です!』
躑躅の近くの席で文芸部の西倉真緒も応援している。
「入鹿ー!頑張れー!」
エナジートランスは、身に付けたばかりの躑躅でさえ上級生を圧倒するほどの脅威。その能力を四年間も掛けて磨き上げて来た女。自分如きに敵う相手なのだろうか。
尽は武闘家のような構えで試合開始を待っている。入鹿はただそれに気圧されながら基礎魔術を扱う準備を整えることしか出来ない。
『さあ、両選手の準備が整ったようなので、試合を開始させて頂きましょうか……これでベスト8が出揃います! 水瀬入鹿VS瑠璃溝尽……試合開始!』
開始の合図があった瞬間から、瑠璃溝尽の体全体が赤みを帯び始める。精神エネルギーが可視化するのは能力がアクティブになった証拠。
「来ないならこちらから行くよ」
「は、はい!」
赤い光が足に集中したかと思えば、彼女の背後に起こった気流と踏み込みで瞬きの間ほどで距離を詰められる。
腕を交差して攻撃を防ごうとしたが、衝撃が来る前に身体が軽くなったような感覚に襲われた。
「え? わ、わああ!?」
「私は念力で貴方の体を自由自在に動かせるんだよ。このまま高所まで浮かせて、私が能力を解除したらタダでは済まない。さあ、降参するなら今の内だよ」
「そ、そんなぁ! ていうか浮かせたらスカートが捲れて……!?」
「馬鹿正直に制服なんか着たまま大会に出るからそうなるんだよ。ほら、どうする?」
流石に分が悪い。ただ、対策がないわけでもない。
「”デルフィニウム”!」
両手を軽く尽の方へ向けて能力強化の術を念じる。本来仲間のサポートを行う用途を想定して作った能力ではあるが、意外な使い道があることに最近気づいたのだ。
「なっ……能力が、制御できない?」
「うわぁあ!?」
入鹿は激しく揺さぶられるが、同時に尽の心を揺さぶることにも成功しているのは事実だ。
デルフィニウムは対象の能力強化の効果がある。ただし強化の度合いに関しては入鹿の裁量次第で変化する。つまり、リアルタイムで倍率を変えることで相手の能力をある程度まで操ることも可能になるのだ。
尽は念力を解除した。既に十メートルほどの高さまで上昇していたものの、魔術で作った障壁は体を保護してくれる。
「これならどう?」
尽の右手に石が握られているのに気付いたが、それが突然消失した。背後でコロコロ音がして振り返ると先ほどの石が落ちて転がっていた。
「やっぱり制御できない……あなた、何をしたの?」
「教えません!」
悟られてはならないのは、デルフィニウムの基本効果が”強化”である点だ。元の威力より小さくすることは出来ない為に、相手の能力を強めたり元に戻したりをランダムに繰り返すことにより混乱を誘っている。
トリックに気づかれてしまえば、精度が落ちようと相手に有効打を与え得る攻撃手段に切り替えて来るだろう。いや、そうでなくても直に戦略は変わるはず。尽が混乱している今が隙に付け入る唯一のチャンスだ。
「ていやぁ!」
渾身の飛び蹴りをお見舞いする。暴発を恐れた尽はテレポート系の能力を使わずバリアを張って受け止めるつもりのようだ。
しかし強化系能力同士のぶつかり合いならこちらに分がある。あらゆる超能力を自在に操るエナジートランスは、その器用さが武器である為に力は然程強くない。強化に特化したデルフィニウムで基礎魔術を強化すれば勝てる。
「く、くそ……」
「おりゃあああ!」
足にエネルギーを集中させ、尽のバリアを破った。そのまま彼女の右の胸に飛び蹴りが当たり体が丸ごと吹き飛んでいく。
「わわ、大丈夫ですか!?」
入鹿はやり過ぎてしまったと心配になるが、どうやら意識はあるようで軽く咳き込んでいた。尽は静かに宣言する。
「降参……もう体力が持たない」
審判が旗を上げるとともに実況の声、歓声、そして入鹿自身の声が同時に会場に響き渡る。
『勝者は水瀬入鹿選手!!』
「やったぁ!」
入鹿は観客席に向かってピースサインを向けてニィ、っと笑顔を向けた。
二回戦の始まりまで少しだけ時間がある。
入鹿は文芸部員二人と合流し、躑躅の状態を万全に回復させる為に注力している。そんな中入鹿の口から一つの疑問が飛び出す。
「瑠璃溝さんって人、調子悪かったのかな?」
「どうしてよ。勝ったのは入鹿の実力だよ」
「ああいや、自分を低く見積もってるわけじゃなくてさ。何だか思い返してみるとあの人、全力じゃなかったのかなーって。もっと私を圧倒する方法は幾らでもあったと思うし」
「そこに関しては私も同意だけど、力の温存が目的で手を抜いて勝とうとしたらまんまと入鹿の術中にハマっちゃったって事じゃないの?」
「そうなの……かな」
どうにも腑に落ちなくなってしまったのだ。運が良かったとは言え、仮に躑躅を前にしたら同じようには絶対に行かなかっただろう。実力は躑躅自身でさえ瑠璃溝の方が上なはずだと断言している。そんな相手が、あの程度の揺さぶりで敗北してしまうものなのだろうか。
真緒が年長者として発言する。
「まあ、想定外の能力に出会ってパニックになる人もいるからね。いくら力が強くても精神面が伴っていないと何の意味もないって事だよ」
「なる、ほど……?」
入鹿は自分の精神が強いとは一切認識していない為、余計に混乱してしまったようだ。見かねた躑躅が話題を変える。
「それよりも問題は次でしょ。あの擬宝珠って人の能力に勝ち目ある?」
「難しいけど、無理ではない気がするんだ。遠距離型の能力だとあの人には絶対勝てないけど、私は基本的に近距離で強化に特化してる。相性的には私が勝てそうだもん」
「問題は彼が精度と威力、利便性を全て兼ね備えている点だね。入鹿が唯一勝っているのは威力だけなはずだから、それが吉と出るか否かね」
「まあ、なんとかなるよー」
例の一件以来妙に楽観的な性格になった入鹿に対して躑躅は時折危うさを感じる。元気なのは何よりであるが心配をかけさせる点は相変わらずのようだ。
――グラウンド裏手の森の中。
息が荒くブルブル震えている少年と少女。まだ幼気な二人の子供に対し、ある人物が頭を踏みつけて命令している。
「二回戦に勝ち上がった生徒の内、見所のありそうな奴を明日までに例の場所へ連れて来い。面倒なら殺害してしまっても構わない」
「そ、そんなこと私には……」
「ああ? お前”法の支配”の私のルールちゃんと理解してるよな? 従わなきゃテメエが死ぬだけだ」
「う、うぅ……」
這い蹲りながら涙を流す少女。隣の少年は隙を見て飛び退いて逃げ出そうとした。
「た、助けてぇ……!」
「足首」
スッと空気の抜けるような音がしたと同時に、勢いよく足首から血液が漏れ出してくる。
「私が本気じゃないとでも思った? 私が口にしたことでお前らが連想した身体の部位は強制的に破壊されるの。アンタらはそれに同意した。抗う術はない」
「やだあああ! 嫌だよおぉ!」
「喉仏」
「ケハッ……!?」
口一杯に血が溢れ出し、呼吸をするのもままならない状況になる。
少女の頭をボールのような勢いで蹴飛ばしてから、その人物は少年の元までゆっくりと歩いていく。
「さあどうする? 足が取れちゃったけど、従うなら継ぎ接ぎでもくっ付けてあげるよ。大丈夫、血も止めてあげるから死ぬことはない。従えばね」
「ハ……ぁ、ア……」
「ああ、話せないもんね。じゃあ死んでいいや、腎臓」
ビクビク、と身体を痙攣させてから少年は微動だにしなくなった。
「さあ貴方も。こうなりたくなければ連れてきてくれる?」
「は……ぃ……」
少女はただ目の前の怪物が過ぎ去るのを待ちつつ這い蹲るしかなかった。
シオンが振り返る。
「急にどうしたの?」
絆はシオンが何者かを知らないが、常人ならざる空気を感じ取っていたのは確かだった。
「5年前と同じ空気を感じたから……」
「5年前?」
「あ、いや……とにかく、何か不吉な感じがするんだ。予知とかじゃないけど、ただの勘ってわけでもないの」
「へえ。分かった! 気をつけておくね、ありがとー!」
とにかく今絆が注力すべきは眼前にある闘い。
「そろそろ行ってくる!絶対勝つからね!」
桐也が静かに頷いた。
『さあお待たせ致しました、休憩を挟みましていよいよ第二回戦の開幕でございます。ここから最後まではノンストップで参りますので、皆さん心してご覧下さい!』
ウォオオー!という歓声が実況の声をかき消すほどに湧き上がる。
『それでは二回戦第一試合!葉団扇絆 VS 西条フジナ!』
観客席からは疎らに「絆くーん!」「葉団扇ちゃーん!」という声援が聞こえてくる。
フジナは目を瞑って絆を見る事さえしない。相当余裕があるのか試合へ向けて精神を集中しているのかは分からないが、何れにせよ手強い相手であろう。
『試合開始!』
絆が右足を一歩踏み出したところでフジナが口を開く。
「降参する」
「へ?」
グラウンド全体が一瞬静まり返った。
『何と言うことだ!西条選手が試合開始と同時に降参を宣言したので、これで葉団扇選手が勝利ということになり、準決勝進出です!』
つまらなそうな顔をして立ち去ろうとするフジナを絆が呼び止める。
「なんで、戦ってもないのに」
「君の”血の盟約”はほとんど私の精神加速能力の上位互換みたいなもんだ。戦う前に私の心は君に負けていたの」
「でも、せっかくこの大会に出たんだったら挑戦くらい……」
するとようやく目線をこちらに向けてフジナは言う。
「各部門優勝者は本戦出場権が与えられるけど、それじゃたったの4名でしょ。他に28枠もあるのに、どうやって埋まるか知ってる?」
「いえ、知りません……」
「大会運営委員会による推薦と人気投票だ。予選の一回戦で勝っただけでも、それなりにチャンスはあるの。それにね……私は君に心で完全に負けたと言ったけど、それは現状の話。次は本戦で勝つから、そのつもりで」
しかめっ面のような表情にほんのりと微笑みを混ぜてから彼女は去っていった。
続く第二試合。
牧村稲人は虫の居所が悪そうな顔でステージに上がる。桐也は一回戦の時と同じく平常心を保ったまま相手へ眼差しを送るのみ。
『試合開始!』
「コンプライアンス、発動!」
稲人によるコンプライアンスのルール「相手の文頭か文末の五文字で韻を踏む」と言うものは、桐也には効かない。
本来移動するはずの赤色の光が桐也に移動できずに空中で消失する。
「くそ……ダメだ! 試してみるまで半信半疑だったが……まさか君のような能力者がいるとは想定していなかったからね。僕も降参する」
命を削り合う激闘が観戦できずとも、食券を賭けたギャンブルのお陰で観客は盛り上がる。桐也や躑躅など一年生のオッズは基本的に高くなる傾向にある為(絆の場合は姉の知名度のせいで若干低めになっていた)、こうして勝ち進んでいく事で盛り上がりも高潮していく。
『二回戦は次々と実力者が脱落していきます。一年生が次々と勝ち残る異例の事態! 準決勝に勝ち進む残り二人の選手も一年生となるのか、これは見ものです!』
桐也と稲人が退場しようとした時、入れ替わりですぐに躑躅がステージに上がっていこうとしていた。そんな彼女にすれ違い様に桐也が告げる。
「カルミアって奴……要注意だぞ」
「言われなくても」
今大会出場者の中で最も目を引いたのがカルミア・カルメだ。絆を抜いた躑躅たち一年生の次にオッズが高い二年生の少女。基礎魔術を完璧に使い熟すことで五年生のフォトンキネシスの相手を圧倒した。あれ程魔術の扱いに長けている人物が、特定の能力を持っていないとは考えづらい。それも強力なものだと仮定するべきだろう。
一分ほど待って彼女も舞台の上に登場した。
『さあ、三試合目はエナジートランスの蘧麦躑躅と、未だ基礎魔術しか使用していないカルミア・カルメの戦い! ある意味では真逆の性質を持つ二人! 果たしてどちらに軍配が上がるのか!』
確かに、一つの能力に特化しないオールラウンダーという意味ではカルミアと躑躅は似通っている。違うのは躑躅はそれが全てであることと、カルミアは十中八九何かを隠しているであろうこと。
『蘧麦躑躅 VS カルミア・カルメ……試合開始です!』
嫌な静けさが会場中を漂う。
カルミアは作り笑いのような気味の悪い表情でこちらを凝視している。この緊張感に躑躅は動くことさえままならなかった。
「蘧麦さん。私たち、似ているよね」
「……そのようね。でも、貴方はまだ何か隠しているんでしょう?」
「んー? それはどうかなぁ」
躑躅が動けないのは、何もカルミアのその不敵な笑みだけが理由ではない。
桐也が”先見の暗”を発現した時に気づいたのだ。魔術と超能力の使い手では、オーラの色や形に軽微な差異がある。それは目に見えて黒い白いなどという明瞭な代物ではないが、確かに読み取れる。超能力者は自らが光源のように輝く炎のようなイメージ、魔術師は周囲の光が反射する煙が纏わりついているイメージである。
カルミアの場合、その煙が酷く濁っていて巨大に感じる。躑躅はこのようなオーラを初めて目にして圧倒されていた。
「どうしたの? 私から攻撃して良いかな」
「くっ……」
しかしオーラが見えているのはこちらだけのはず。カルミアの周りの煙がどのように動いているかを常に観察すれば、次に起こる現象を事前に察知することは可能。
すると煙はこちらに向けて一直線に伸びて来た。カルミアが空中でピンっと指で弾く仕草をすると同時に、煙が躑躅の額を強く叩き衝撃が走る。
「いたっ……」
「あははは! 力だけを転移させる魔術。便利でしょ」
「……そうね」
これは、エナジートランスであることのメリットを最大限活かす他ない。
例えばテレポーターは、自らのオーラを広く薄く周りに拡散させることで確立を操る。だから、生身の体は平均的な生徒と比べても貧弱になる。現状でカルミアの煙は躑躅に纏わりついている為、逆に彼女自身の周囲は無防備な状態。であれば、煙が薄い部分を狙って攻撃すれば勝機がある。
念力で煙の薄そうな個所に狙いを付けて石を投げつけようと考える。
普通の超能力者はその現象のイメージを思い浮かべて確率を掴み取ることで精神エネルギーが始めて蠢く。が、躑躅たちエナジートランスはその順序が逆なのだ。最初から精神エネルギーが現象を作り出すことをイメージ出来ていて、それが動いて確率を操る様子を念じることで現象を実現する。だから、覚えられる能力が多岐に渡るのだ。
しかし、いつものようにそうしてオーラを動かしていた時に気づく。カルミアの視線が躑躅の精神エネルギーの軌道を凝視しており、狙いを付けていた隙の部分には既にバリアとなる煙のオーラが密集していることに。
――オーラが見えてる……!?
驚いて一瞬で精神エネルギーを全て身体の周囲まで引っ込めた。
「精神エネルギーの可視化は基礎魔術の組み合わせ次第で十分に実現可能なんだよ。実質、エナジートランス同士の戦いと言ってもいいかもね」
この女を危険だと思った理由が今分かった。
自分とよく似ているからだ。
観客席から見れば、躑躅とカルミアはほとんど微動だにせず睨み合っているに過ぎない。状況が分かっている生徒は10分の1にも満たない。
『精神エネルギーによる攻防が行われています!が、これを言葉で説明するのはやや難易度が高い……!』
会場中から不満そうな溜息が聞こえてくる。これでは戦況に一喜一憂することさえ出来ないのだから。
『うわ、ちょ……なんですか!?』
唐突に朝倉なずなが取り乱す声が会場に鳴り響く。
『勝手に入って来ないで……ちょっと!』
スピーカーから漏れてくる声が別の人物に切り替わった。
『「私は●●●●! ある人に無理矢理脅迫されて酷いことをさせられています! 行方不明の■■■■も同じ方法で従わされて、殺されてしまいました!」』
客席は困惑の騒めきを生ずる。何かのイタズラかと思い笑うものも居た。
すると大モニターが実況室内部の映像に切り替わる。まだあどけない表情の少女。
『「その犯人を、今から言います! 犯人は……ぅ、うぐあ……ゲホッ!」』
喉の奥から血反吐が噴水のように溢れ出て来る様子が映し出され、観客からは悲鳴が上がる。
『映しちゃダメ!』
朝倉なずなの物と思しき手がカメラを覆い隠して音声も切られた。しかし時既に遅く、衝撃的な映像は大部分の生徒が目撃した。吐き気を催したり過呼吸を起こす者も少なからずおり、現場は大パニックとなった。
『大会は一度中断させて頂きます!』
騒動から半日。
大会の予定は狂ってしまったが、続きは明日に延期だそうだ。
生徒会室には淀んだ空気が漂っていた。会長の成宮一咲、副会長の中之条百合、大会運営委員かつ風紀委員長の朝倉なずな。文芸部と新聞部の部長を務める西倉真央。それに”秘密基地”から更に二人がこの一部屋に会している。皆ロングコートの制服を纏っているが、生徒会役員ではない。このコートは学園の裏方を担当している者の証なのだ。
そんな座っているだけで窒息する空間に、なぜか絆の姿はあった。
「単刀直入に言うよ。ウチの生徒が三人も死んだ」
気怠げな長い黒髪の少女が机に顎を置きながら答える。
「質問でーす、なんでそうなる前に呼ばなかったんですかー」
「
「プリムラは神出鬼没でどこにいるか分かんないしー、
彼女の名は
「と、とにかく皆仲良くしよ! 私もこの事件絶対解決したいし!」
ピンク色のカールした髪が飛び跳ねる少女は
「でー? その子だれ? 秘密基地の六人目候補ー?」
「そうじゃない。新入生で私と百合が生徒会役員にスカウトした葉団扇絆」
「ああ、この子が葉団扇さんの弟かぁ。一咲が人に興味持つなんて珍しいじゃん。うん、まだまだ蟻ンコみたいに弱っちそうだけど見所はある」
弱そうだと形容されたことにムッとしたが反論はしないでおく。この人から見れば確かに自分が虫ケラのように弱く小さい存在であろうことは明らかだったからだ。
萌音が彼女の言葉に反論する。
「そ、そんなこと言っちゃダメだよ柘榴ちゃん。葉団扇くんはまだ一年生だし、十分に強そうに見えるよ」
「でもだからと言ってこの会議に葉団扇ちゃんを呼んだ理由って?ここは裏方の集まるところなんだし、葉団扇ちゃんに聞かせられない内容だって沢山あるよー」
脱力しながら喋る柘榴のペースには乗らずに、一咲は気を決して緩めず答える。
「絆や彼の友人には特異な能力を持つ生徒が多くてね。捜査協力して貰えればかなり心強いと思って、代表として呼んだんだ。裏方の情報だって心配ないよ、今日の議題は事件についてだから。差し障りない範囲で学園の方針を話し合ってそれを聞いてもらうだけ」
「はーい。随分買ってるんだねぇ」
空木柘榴は疑問を呈し終えると突っ伏して昼寝を始めてしまう。せっかく来たのに居眠りしてしまって良いのだろうか。
「行方不明だった■■■■と▲▲▲▲、そして昨日の大会中に●●●●。亡くなったのはこの三人。被害者は何れも身体の一部分が捩じ切られている」
大会中に乱入してきた●●●●は血を吐いた後、口元が横に裂けていき顔が上下に割れて死亡したと言う。壮絶な死に様を目撃した張本人たる朝倉なずなは、昨日の実況の調子とは打って変わって非常に冷静に見える。それも恐怖や不安を覆い隠すようなものではなく、寧ろリラックスしているような印象だ。
「なずなの調査によると、洗脳を受けた上で強制的に法の支配に従わされていた可能性が高く、死因はそのルールを破ったことによるものと思われるね」
一咲はプロジェクターで壁に全校生徒名簿を映し出す。
「法の支配を行使する為には、当然魔術に精通していることと、かつ莫大な精神エネルギーが必要になる。この学園の身体測定時に魔術のオーラが全く検出されなかった人間は犯人から除外できる。ただし、法の支配に従わされていた生徒が実行犯である場合もあるから……安易に犯人を絞り込めない」
それを聞いた中之条百合が手を挙げる。
「だとしたら、犯人が学園の生徒だと絞り切るのも危険ではないでしょうか」
一咲は予期していたかのように即答する。
「犯人が●●●●たちの記憶や認識を一般の生徒全員の脳から消し去るなんて荒技をやってのけているのは、エルミタージュに的を絞って法の支配に近い魔術を行使し、尚且つ術者が範囲内に居続けているからだ。そうでなければとても理屈に合う改変能力の強さじゃない」
生徒会長や、入学式に登壇していた理事長ならそれくらいの事を平然と可能にしてしまいそうだというイメージが絆にはあった為、素朴な疑問を口にした。
「もしも、すっごく強い人がいたら遠くからでも出来ちゃうんじゃないですか? ゼラニウムの人たちとか……」
一瞬全員が沈黙したので、頓珍漢な質問に笑われるかと思ったがそうではなかった。皆、神妙な面持ちで固唾を飲んでいた。一咲は優しい微笑みを浮かべて答える。
「まず一つ。奴らは学園には手を出さない。というより、出せないね。一応アイツらにも愛校心が未だにあるし、メンバーの一人に上級のコンプライアンスを掛ける事に成功している。メンバーのうち誰かが学園の生徒を負傷、死亡させた場合はそいつに同様のダメージが帰ることになる」
「そうなんですね……でも、それ以外にも強い人はたくさんいるんですよね?」
「そうは言っても得手不得手もあるし……エルミタージュにはそれなりの防御壁がある。どんなに強い能力であっても、ここまでの改変を外側から起こすのは無理。侵入して密かに犯行に及んでそのまま逃げたって事もありえない。ここの生徒以外が入れば分かるし、その中に魔術の使い手はいなかったからね」
「なるほど……」
「そういうわけだから秘密基地にメインで動いてもらう。萌音は地味で下級生らしい風貌に変身して徹底的に聞き込み。警戒されないように何度か姿を変えてね。柘榴は得た情報同士を”4次元のパレット”で融合させて、得た変化を纏めておくこと。もしもプリムラと連絡が取れた場合は彼女の”プリムラ・マラコイデス”でより正確な情報を掴む。そして我々生徒会となずなは敢えて目立つように捜査をして警戒の目をこちらに向けさせる」
突っ伏している柘榴と硬直した絆以外は、全員静かに頷いた。一咲は彼の戸惑いを悟って語りかける。
「絆。生徒会としてはこの件を放置はできない。強い能力を持っているとは言え貴方はまだ一年生だ。怖いなら降りて良い」
「い、いえ……僕も、これ以上被害が増えて欲しくないですし、協力したいです!」
振り絞って出した声はか細く震えていた。
「だったら、もっと元気を出して。不安なのは分かるけど、貴方には頼れる友人や私たちが付いてるんだから」
「は、はい!」
「まずは明日に延期された大会で優勝を勝ち取って犯人にも印象付けて来なさい。絆が生徒会委員だって事なんてどうせすぐ分かる。大会でかなり有名になっちゃった以上、どうせならウンと強いと思わせといた方がいい」
かなりプレッシャーがかかる。優勝出来るかどうかも全くの未知数で、狙われる心配もあるだろう。
「大丈夫。絆の護衛には大会で実況するなずなと、もう一人観客席から
その名を聞いて柘榴がパッと起き上がる。
「アイツ、ホント人見知りだからねー秘密基地のメンバー以外と話してるとこ見たことない」
「それでも夜鳥は正義感が強い。絆を守り通してくれるよ」
どんな人物なのだろうと、絆は思案する。
この場にいて痛感する自分の力のなさ。成宮会長を初めて見た瞬間も只ならぬ存在感に圧倒された。しかし、ここにいる萌音や柘榴から覚えるのは既に人間の想像し得る威圧感でさえない。それでも敢えて例えるのならば、月が眼前に迫って来ているような遥かなスケール感。
手の震えが止まらなかった。絆が何より望む未知という概念が、キャパシティを超えて襲いかかってくることによる恐怖と高揚感で、平常心を保つことが出来なかった。
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