第四章『予兆』

 文芸部室。

「ねえ、エルミタージュの七不思議……知ってる?」

 いたずらっ子の表情で入鹿の息が躑躅つつじの耳元に吹きかかる。

「エルミタージュで何が起こっても不思議じゃないでしょ。ていうか近い」

「そういう場所だからこそ、超自然科学でも説明できない不可思議な噂が立つんだよ! ねえねえ、聞いてよ!」

 入鹿はすっかり元気を取り戻していた。彼女の家庭は件の自殺騒ぎの後は円満であるようだった。皮肉にも彼女が命を絶とうとしたその行為が、両親が入鹿の心情を察するキッカケとなり問題を解決してしまったわけだ。ともかく今入鹿が元気であることは単純に嬉しいことだ。

「それで? 七不思議ってのはどんなものなの」

「えっとね……一つ目。生徒会長」

「え? 生徒会長?」

「そう! あの目つきが怖くて背の高い生徒会長、成宮一咲なるみやかずささんだよ! あの人の能力、魔術にも超能力にも真力にも分類できないんだって……」

「へえ……」

 実際に彼女の得体の知れない能力を目の当たりにしたこともあり素直に興味深い話だなと感じていたのだが、躑躅のその感情は外面上に発露していなかったようだ。

「もっと驚いてよ!」

「え? ああいや、ごめん。普通に凄いなって思って……」

「そ、そう? ならいいけど……えっと、二つ目。中央図書館の奥には、迷子になって飢え死にした生徒の幽霊が出る!」

「迷子になる話はよく聞くけど、行方不明者が出たらすぐに先生が見つけてくれるからそれはないでしょ」

「ま、まあそうか……三つ目! この学園のどこかに隠されている幻の校舎!」

「それはあってもおかしくないんじゃない? 職員用の寄宿舎とかさ」

「う、うーん……」

 こんな学校に通っていても、元来現実思考な躑躅はどうにもこう言った話題に興味を持ち難い。論理の抜け道を見つけて、既知の科学に置き換えてしまうからだ。

「四つ目と五つ目は……忘れちゃったんだけど」

「話すならちゃんと覚えておいてよね」

「あはは……ごめんごめん。でも、話したいのはこの先だからさ」

 すると彼女はこれまで以上に嬉々とした表情で口を開く。

「六つ目の不思議。この学園では、人気のない場所に行った生徒が神隠しに遭うという噂があるんだ……でも、学生名簿を見ても誰も減ってない。これって凄い不思議だよね!」

「減ってないってことは、誰も消えてないんじゃないの?」

「それがね……目撃者がいるんだ。確かに人が消える所を見た人が、何人も」

「それなら、光を操る能力者とかテレポーターの悪戯じゃない?」

「ぐ……やっぱり躑躅は手強いな……」

「いやいや、強いとかそういうのじゃないから……」

「でも、七つ目は自信作だからね!」

 入鹿が考えたわけではないだろうに、という言葉は声に出すまでもなかった。

「七つ目……毎学年、ただ二人だけ天才的な生徒が存在している。成績優秀で、その上魔術や超能力を一年生の内に自在に操るようになる程なんだ。そんな二人はアンジュとデーモンと呼ばれ、性格や容姿も対照的なんだ。そしてもしもその二人が結ばれてしまうと、奇跡か災いが起こると言われている……どう!?」

 バカらしい話だ、とは思わなかった。なぜなら躑躅は真っ先に自分と絆の関係を想像してしまったからだ。不本意ではあるが、彼との出逢いには何か運命めいた物を感じるのも確かであったから。

「……そんなはずない」

「ええ、なんでー!?」

「荒唐無稽な話だと思うから」

 認めたくはなかった。絆と自分がセットのように扱われるのはプライドが許さない。

 そんな二人の会話を聞いていた文芸部の上級生、西倉真緒が会話に口を挟んだ。

「でも躑躅、私たちの学年にもそういう人たち、いたよ? あの二人はずっと仲悪かったんだけど、七夕の催し物で流星群を見せてくれて。それ以来いつも一緒にいるよ」

 西倉真緒はとても理知的で筋の通った文章を綴る人間だ。そんな彼女を信頼している躑躅は、素直に言葉を受け入れた。

「本当にそんな存在が、毎年現れるんですか?」

「毎年っていうか、毎学年だね。今の五年生なんかはまだいないようだけど、これから現れるんじゃないかな? 躑躅の学年にもきっと現れるよ。というか……」

 真緒は意地悪そうな笑みを浮かべてこう言った。

「躑躅と葉団扇はうちわくんはアンジュとデーモンに物凄くお似合いだと思うけどなぁ」

「はぁ!? 誰があんなカスみたいなやつと! 私はごめんです!」

「カスって……本当に躑躅は嫌いなものの話になると口が悪いね。けどなんでそこまで葉団扇くんを嫌うのさ? 本当に良い子だよ、あの子」

「……分かってますよ。カスは言い過ぎました。ただ単に私が苦手なだけです」

「苦手は克服しなきゃ。ああいう子はなかなか少ないけれど、今後世の中を渡っていく中で嫌でも付き合わなきゃいけない機会が出てくるよ? 多分~」

「……はぁ」

「溜息ついてないで、苦手を克服すればいいの」

「……はい」

 先輩の言葉は尊重したい。

 しかし苦手なのは変わらない事実であり、それを克服するなど土台無理な話だ。



 ロズは使われていない校舎の閑散とした空室に佇む。ここなら誰にも邪魔されず魔術を試せる。

 掌を広げて床に押し付ける。離すとそこに緑の薔薇がペイントされていた。スナップをした瞬間、ペイント上にとても小さな花が生まれた。

「かはッ……はぁ、はぁ……」

 ロズは膝から崩れ落ちて尻餅をつく。生命を無から生み出すのは原則的に不可能。例外があるとすれば、生命の細胞を対価とすることだ。彼女は一度草花を”透明な薔薇”で身体に吸収した後それを身体の一部と見做して対価として支払ったことにより擬似的にこの現象を実現した。

「でも、こんなものじゃ……」

 自分の目的は果たせない。

 その瞬間、廊下の方からガタッと物音が鳴った。

「誰!?」

 少しの間沈黙があったが、やがて扉がゆっくりと開く。

「ごめん。まさか人がいるとは思わなくてさ」

「君は葉団扇くんといつも一緒にいる……」

「柊桐也。君はロズ・シドウェルだよな?」

「ええ……どうしてこんな所に」

「多分、目的は君と同じなんじゃないかな」

 座り込んでしまったロズに対して桐也は手を差し伸べる。

「ありがとう」

 素直に手を握って立ち上がった後、桐也はロズに提案をした。

「二人で特訓しないか?」

「え?私たちで?」

「ああ。君の能力がどんなものかは分からないけれど、一人より相手がいた方が成長も早いはずさ」

 腕を組んで少しばかり悩んだ。彼のことは顔見知りという程度で、素性は殆ど知らない。ロズが誰にも邪魔されない場所で訓練をしていたのには特別な事情があった為、この男が何か企んでいるのではないかという疑いも生まれる。

 しかし、ロズは信用することにした。

「やろう。とは言え、私の能力は君を殺しかねないけれど大丈夫?」

「それくらい骨がある方が良いさ」

 信頼に足る根拠は、彼が葉団扇絆と良好な関係を保っていること。その一点だった。ロズにとって絆はこの世界で最も純粋で、聡明で正直な人間だと信じていた。その絆が信頼を置いているこの男は、きっと怪しい人物ではないと。


 あっという間に数時間が経過していた。

 消耗し切って二人で床に寝そべっている中で、桐也が口を開く。

「流石に主席はレベルが違うな」

「ううん、私も驚いた……貴方みたいに器用な人がいるなんて」

 素直な感想だった。ロズは、絆さえ含めた全ての新入生の中で最も成長が早いという自惚れが有ったが、隣で笑っているこの男がそんな慢心を粉々に打ち砕いた。

「なあ、君はどうしてここまでして強くなろうとするんだ?」

「え?」

「ああいや、答えたくないなら答えなくて良い。俺も自分の事情を詳しくは話せないから」

 彼の言葉にハッとした。ここは世界の隠れ家。特別な事情を抱えているのは皆同じだ。

「確かに、私も目的は言えない。まずは魔術の力を極限まで鍛えなきゃ。学園で一番強くなれるくらいね」

「俺も強くなる必要があるんだ。なら、お互い目下の目標はエルミタージュ最強決定戦での優勝になるのかな」

「最強決定戦?」

 思わず起き上がって聞き返す。エルミタージュでは無闇に能力を競わせることは校則違反になる。そのような大規模な大会が許されるはずがない。

「もちろん非公式だが。毎年春と秋の二回に分けて予選が開催され、年度末に本戦があるトーナメントさ。春予選がそろそろ始まる頃だ」

「そんな物が……」

「模範的な生徒でい続けたいなら、オススメしないが?」

「こんな特訓してる時点で、お互い校則より優先すべき物があるって証拠でしょ」

 エルミタージュの頂点を決める大会。そこに出場すれば、今の自分の実力をある程度計る事は出来る。

「出るよ、その大会」

「そう言ってくれると思ってた」

 桐也は立ち上がり、ロズの方に向き直って手を差し出した。

「今日はありがとう。そして可能であればこれからも、お互いが強くなれるように切磋琢磨して行きたいと思う。だから、改めて宜しく」

「ええ、こちらこそ。貴方に対してなら思い切り力を出せるから。今後も期待しているね」

 ロズは力強く桐也の手を握った。その圧力を感じた彼もまた強く握り返した。

「さて、寮に戻ろう。多分絆が心配してるだろうな」

「私も同居人の躑躅が怒り出しそうな時間」

「とは言え、外は随分な嵐だな」

 夢中で特訓を繰り返している内に空に暗雲が立ち込めていた。雷鳴が轟き、今にもガラス窓が破られそうな程の強風が吹き荒れている。

 校舎中からミシミシと音が鳴り今にも崩れそうな錯覚さえ感じる。

「こうしているとこの校舎も不気味ね」

「ああ。幽霊が出るって噂も強ち間違いじゃないかも。早く帰ろう」

 部屋に付いた薔薇のペイントはロズ自身の透明の薔薇で吸い取って掃除し、さっさと廃校舎を去って行く。

 ロズと桐也の二人は気づいていなかったが、空室の中で不可解な霧が立ち込め始める。それは人の姿を形作り二人を見送るように揺らめていた


 桐也はその晩、絆に大会の話を持ちかけると彼は気概に満ちた様子で了承した。

「予選は4種類あるらしい。ビギナー部門、チャレンジャー部門、ベテラン部門、エキスパート部門だ。新入生が参加できるのは最初の二つだけらしい」

「じゃあ僕はチャレンジャー部門かな!強い人と戦いたいもん!」

 そんな平穏な部屋の外から、全く予想だにしない音が響いてくる。

 ――キャアアアア!

 外は風雨が吹き荒れていて搔き消えそうな程度の音ではたった。しかし二人は確かに悲鳴らしき声を聞き取った。

「な、なに今の?」

「悲鳴、だよな……」

「外に見にいこうよ!何かあったのかも!」

「でも今日の嵐はかなり酷い、危ないかも知らないぞ」

「もしもこの嵐で事故にあった子がいるなら、僕の能力で早く助けないと!」

 絆はやはり判断が早い。人を助けられるならば、自分の危険など厭わない。そして自分の能力は他者の利益の為に使うことに適していると自覚している。桐也は自分一人には真似できないと痛感した。だが絆と行動を共にしていれば自然と決断が出来ることが勇気に繋がっていた。

 廊下に出てみると数名の生徒が騒めいていた。先の悲鳴が聞こえた者たちだろう。その中には入鹿もいた。

「ねえねえ、あの悲鳴どこから聞こえたか分かる?」

「絆。多分玄関から出て右の方向じゃないかな……?」

 外の嵐は増すばかりだったが、絆が自分の腕を縛り上げて魔術障壁を創り出す。

「一応これで少しは雨風は凌げるよ!布みたいな物だから、少しは濡れちゃうかも知れないけど」

「ああ十分だ!悲鳴の主を探そう」

 寮の周囲を一回りしてみたが特に異常はない。

「あ!あそこじゃない!?」

 それは先程までロズと桐也が特訓に励んでいた廃校舎の近く。ロズに抱きかかえられて一人の少女が気を失っていた。

紫陽しようさん!紫陽さん、しっかりして!」

「ロズ!何があった!?」

 桐也に声を掛けられたロズは狼狽えているような様子で状況を説明する。

「あ、あの後私一度寮に戻ったんだけど……薔薇の消し忘れがないか少し心配になって戻ったの……そしたら、紫陽さんに呼び留められて」

「それで?」

「廃校舎は危ないから使っちゃいけないって注意を受けた直後に、妙な人影が現れて紫陽さんを襲った……それで今気を失ってるの」

「とにかくこんな所にいたら二人とも身体を冷やしてしまう。寮の中に連れて行こう、絆」

 桐也は”紫陽”と呼ばれた少女を背負い、絆はロズの肩を担いで歩き出す。

「絆くん……わざわざ来てくれてありがとう。私の悲鳴で駆けつけてくれたの?」

「ロズさんの悲鳴かどうかは分からなかったけど、何かおかしいことが起きてるのは確かだと思ったから。この嵐で事故にあったのかもと思って急いで来てみたんだ」

「はは……絆くんだって危ないでしょ」

「僕は能力で自分を守れるもん。でも、そうじゃない友達が大勢いる。だから来たの!」

 あくまで自衛手段があるからと主張する絆だったが、そうでなくても彼はここに来ただろう。危険で無謀な状況にも身を粉にして挑む。しかしロズには、絆が他人思いであるということ以上に、彼は素直な好奇心を原動力として決断しているような気さえしていた。初めての経験を積極的に求める、ただそれだけの一貫した姿勢だ。


 この嵐の中では保健室に連れて行くのも難しく、また彼女の部屋も分からなかった為、一先ずロズと躑躅の部屋で安静にさせることにした。教師に連絡をし、救急隊に迎えに来て貰えることになった。

 絆の顔を見た躑躅は一瞬嫌そうな顔をしたが、紫陽の姿を見て慌てて彼らを部屋に入れた。

「その人は紫陽佐奈。PSI能力開発の講義で一緒の二年生だよ。君は知ってるでしょ。えっと、柊くんだっけ?」

「ああ。柊桐也。君は蘧麦躑躅さんだろ。絆やロズから話は聞いてる」

「……葉団扇やロズと知り合いなの?」

「絆とは同室なんだ。ロズとは色々あって今日知り合った」

「はあ……」

 躑躅は、成績優秀者の中でも得体の知れなかった桐也に目を付けていた。彼は他でもない紫陽佐奈の神速の攻撃を弾いて吹き飛ばして見せたことがあったのだ。それでも能力が未完成であるからと詳細を秘匿までしていたものだから、嫌に印象に残った。

 それどころか、躑躅にしては珍しく興味を向けた他人が彼なのだ。冷静で理知的な人間と付き合っているのが最も心地よい。

 そんな彼が絆の友人だと知った躑躅は、諦めの溜息を吐いたのだ。

「どこに行ってもアンタは付いてくるわけね」

「ん? えへへ〜すごいでしょ」

 “褒めてない”と言おうとしたが、自分との繋がりが深いというのは絆に対する賞賛に当たってしまったと躑躅は感じてしまい、口を閉じる。

「それでロズ、何があったの」

「なんて説明したらいいのか……幽霊が紫陽さんを襲ったの」

「幽霊?」

「信じられないだろうけど。突然現れた半透明の人影がね、紫陽さんの方へ向かって行って彼女に覆い被さったの。それで意識を失った」

 ロズは、躑躅がその話を信じないと思っていたのだが彼女からは意外な反応があった。

「七不思議の一つはそれが原因でウワサになったのかも知れない。入鹿にも話を聞こう」

「幽霊なんて信じるの?」

「こんな学校だからね。そういう不可解な現象くらい起きるでしょ。正体が霊魂なのかどうかはさて置きね」

 相談している内に救急隊が到着し紫陽佐奈を運んで行った。彼女は最後まで目を覚まさなかったが呼吸も脈拍も正常ではあった為、無事であろうと四人は信じた。

「それにしても、この四人が同じ部屋に揃うなんて嬉しい偶然だなぁ」

「はぁ?」

「私ね、今日柊くんと出会って思ったの。この四人は絶対相性が良いって!」

「柊くんはともかく、葉団扇まで数に入れないでくれる?」

 わざわざ絆に聞こえるような声量で言う為、彼は躑躅を見て目を潤ませる。

「何よ……前も言ったでしょ、アンタのことは嫌いだって」

「うん分かってる……もしも強くなったら、認めてくれるって言ってたよね?」

「ああ。強くなったの?」

「近いうちに……見せれるかも」

「ふーん」

 躑躅は不機嫌そうな表情のまま絆に近づいた。

「そんなにまでして私と仲良くなりたいの? アンタをこんなに嫌ってるのに?」

「そんなの関係ないよ! 僕は蘧麦さんと仲良くなりたいって、最初に思ったの!」

「はぁ……全く厄介なストーカーだこと」

「す、ストーカーじゃないよ~」

「分かった分かった。いつどこで強さを見せてくれるのか知らないけど、ちゃんと見てあげる。半端な強さだったら一生口利かないからそのつもりでね」

 後ろを向いて捨て台詞のように吐いたその言葉に絆は満面の笑みで答える。

「う、うん! 絶対に納得させてみせるよ!」

 傍目から二人を見ていた桐也とロズは呟く。

「「そっくり……」」

 率直な感想が被ったことに二人は微笑みあった。



 翌朝のこと。

 静かなノックが鳴る。絆はギリギリの時間まで熟睡している為、桐也が対応する。

「おはよう。柊くん」

「紫陽先輩! もう身体は平気なんですか?」

「ええ。君たちのお陰でしょ。お礼を言いに来たんだ」

「絆の方はまだ寝てますよ」

「ああ良いの良いの。彼にもお礼は言っておいて欲しいけど、話したかったのは君の方だし」

 桐也は部屋の外に出て静かに扉を閉める。

「話とは?」

「昨日起こったことは、ロズから聞いてるんでしょ」

「ええ。幽霊が現れた話ですよね」

「柊くん、私の能力を疑っていないの?」

 腕を組んで少し俯いた桐也。

「そんな現象を引き起こすメリットが、貴方にないでしょう」

「それはそうだけど……」

「心配しないでも平気ですよ。誰にも貴方の能力のことは話しません」

「なんだか、弱みばかり握られている感じだわ」

「お互い様ですよ。僕の真の能力だって貴方以外は知らないんですから」

「秘密の共有ってわけね。裏切らないでよ」

「ええ。もちろん」

 紫陽佐奈が遮った光で出来た影の中で桐也は微笑みを浮かべた。

「大会本戦で当たった場合は先輩に勝ちを譲りますからご心配なく。ただ……僕よりも絆の方が厄介だと思いますよ」

「噂の彼、そんなに強いの?」

「ええ。恐らく今の僕だと互角に持ち込むのが精一杯です」

「柊くんの能力でそれほどの……分かった、警戒しておく」

「ではまた大会でお会いしましょう。予選の観戦には来られるのでしょう?」

「もちろん。絆くんたちの強さも見ておきたいしね」

 それだけ言って彼女は振り返って去って行った。

 切り札は秘密にしておかなくてはならない。それはお互い様だ。奇妙な偶然によって佐奈と桐也は互いの能力を知る事になったが、限界まで隠し通す必要がある。桐也の場合、大会に出ればタネが分かる能力ではあるが。

「……?」

 扉を閉めようとしたが、影に気づいて踏み留まる。自分の事を凝視している少女がいた。

「あの……僕に何か?」

 少々驚いているようにも見える。彼女は恐る恐る近寄って桐也に声を掛ける。

「柊桐也さん、ですか?」

「ええ……そうですけど、なぜ?」

 そこで一瞬俯いてから、苦笑いのような表情を浮かべて彼女は返答する。

「ごめんなさいいきなり!私は三年生の薄螺戯楓うすらぎかえでって言います。一年生の講義ですごい強い子がいるって聞いて、思わず探しに来ちゃいました……迷惑な事してゴメンなさい、それでは!」

「いや、あの……」

 桐也の静止の言葉は届かなかったのか、楓は走り去って行ってしまった。

 ――泣いていたような……?

 彼女の言動、表情の全てが気になった。会った事はないはずなのに、どこか懐かしい気分になったのはなぜだろうか。

「まあ、じきに分かるか」

 学園に在籍する限り、その答えを知る機会もあるだろう。それよりもまずは目の前の目標を優先しなくてはならない。部屋に戻り、熟睡している絆の幸せそうな表情を見て、一先ず彼は気になる事も悩みも一切を忘れる事にした。


 チャレンジャー部門、予選エントリー申請用特設ページ。

 ロズのPC画面に表示される文字を見て、躑躅が呆れたような目を浮かべる。

「ロズがそんな俗世的な物に興味あるなんて思わなかった」

「そうかな? 楽しそうじゃない」

「勝って何が得られるわけ? 無駄じゃない」

「うーん、栄誉もあるし……賞金も」

「賞金!?!?」

 躑躅は、ロズと額がくっつきそうなくらいに接近する。

「いくら!? いくら貰えるの!」

「え、えっと……チャレンジャー部門なら、優勝者は50,000円かな?」

「ご、5万円!? ご・ま・ん・え・ん! 小説が何冊買える!? 一冊500円と見積もっても100冊も!」

「ええ〜、キャラ変わりすぎじゃない……?」

「とにかく出る!部門がいくつかあるのね?」

「えっと、新入生が出られるのはビギナーかチャレンジャーだけだよ。ビギナーは賞金2万円」

「じゃあチャレンジャーに私出るよ!ロズはビギナーに出てね!」

「え、そうなの!?」

「二人で各部門優勝して山分けだ!」

「なんだかな〜……」

 唐突に振り回されて勝手な取り決めをされてしまったロズは少しばかり拗ねた。その為、同大会に絆が出場することは伏せることにした。



 ビギナー部門は二年生までの大会初出場者が対象となり行われるトーナメント戦である。優勝者には本戦への出場権と賞金2万円が贈呈される。

 初心者の中で戦闘向きと自認している人間たちが集まるだけあって、他部門より荒々しい戦いが繰り広げられるのが特徴である。その為リミッターとして魔術による条件付けが行われている。

「条件って?」

「魔術の技法の一種である『法の支配』によって安全装置を掛けるのさ。術者と対象がルールを同等に理解し承認した場合、対象者は強制的にルールに従った行動しか出来なくなるんだ」

「それでどうやって安全になるの?」

「その会場にいる者同士でどんな攻撃を与えても、それは物理的ダメージに当たらないというルールだ。会場の壁や床、対象が持ち込んだ武器なんかもその括りの例外じゃない。だから基本的に内部では怪我の心配がない」

「へえ! それってすごいね! でもそれならどうやって勝敗を決めるの?」

「HP(ヒットポイント)制だよ。体力や攻防力等は現実世界で与え得る物理ダメージに依存する。ただし、痛みはちゃんとあるから捨て身の攻撃等は現実と同等に難しい。要するにゲームとしてルール付けされた空間で争うのがビギナー部門さ。この二階と同じ高さにある正面のモニターに、色んな角度からのカメラとHPが表示されるはずだ」

 桐也は説明し終えてから絆に対して疑問を持つ。

「てか、ビギナー部門に出ないとは言え募集要項すら見てないのか?」

「うん!最初から出るつもりなかったし!」

 過剰とも思える程の自信。桐也は彼の傲慢さが羨ましい。

「そういう桐也はどうして出なかったの?」

「俺の能力は、相手が強くないとあまり意味がないから」

「結局桐也の能力、分からないなぁ」

「大会で俺に勝てたら教えるよ」

「あー言ったね!約束だから!」

 会話に夢中になっている内に歓声が湧き上がった。入場した選手集団に対する歓声である。ビギナー部門とは言え、二年生まで出場できるこの大会。注目選手も幾人かはいる。紫陽佐奈もその一人である。

「ロズは第一試合からいきなり出るんだ」

「ああ。どんな戦いを見せてくれるか見ものだな」

 彼らのように観戦に来ている生徒は100人単位で会場に集まっている。大体育館の一部を借りて執り行われており、教師陣がこの騒ぎを知らないはずはない。学園の校則として濫りに能力のぶつけ合うことは禁じられてはいるものの、この大会に関しては黙認されているようだった。

 司会の声が会場全体に劈くほどに響き渡る。

『さあ始まりましたエルミタージュ最強決定戦ビギナー部門! 今年は注目選手が目白押しです! 第一試合から優勝候補とも言われているロズ・シドウェルさんの登場! 対する選手も注目の七重鳳仙さんです!』

 絆は七重鳳仙という生徒を見たことがなかった。セミロングで眼鏡を掛けており、出で立ちを見れば会長によく似た雰囲気がある。顔立ちだけ見れば女性らしいが独特のコートのような黒い服を身に纏っており性別が判断できなかった。

 一歩進んだロズは深く頭を下げて「宜しくお願いします」と言った。

『両名とも準備は宜しいでしょうか! 今年度大会の開幕戦を飾ることなるビギナー部門一回戦第一試合、ロズ・シドウェル選手対七重鳳仙選手! それではレディ――ファイト!』

 戦闘開始の宣言と共に動きがあった。七重鳳仙は音もなくスッと地面から浮き上がり、五メートル下方にいるロズを見降ろす形となった。一方のロズも右手に携えた橙色の薔薇を二つ地面に設置している。

 ロズの魔術は、薔薇のペイントを張り付けた場所に、予め吸収しておいた色に対応する現象を置き換える”ローズ・スペクトル”。設定できる現象の数は5つまでで、あまり大きなエネルギーはストック数を減らすことになるか、そもそも吸収し得ない。

「ねえ、ロズの魔術ってどうして薔薇のペイントの形を使うの?」

「即座に様々な現象を置き換えられることがメリットだ。絆はリアルタイムに腕や足を縛り付けることで、本来現実じゃ有り得ない強力な障壁や念力に変換してるだろ? ロズは元々現実に存在したエネルギーや現象を吸い取って保存し、後々いつでも放出できる。その代わり薔薇と現象の変換作業や体内に保存しておく間は体力が落ちるんだ。とは言え普通に生活してれば感じない程度の疲労感らしいけどな」

「なるほど~元あるエネルギーを使うから対価も少なめで、しかも色んな現象をすぐに使えるからお得ってことだね!」

「だな。しかし今回の戦いはいきなり厄介だな……」

 鳳仙は空中からロズへ狙いを定めて何か企んでいるようだ。彼女には宙に浮く術はない為、下で策を練る他ない。

「鳳仙って人、テレキネシス使いかな?」

「いや……テレキネシスは自分の身体は浮かせられない。自分の身体を自分で持ち上げられないのと一緒だ。あれが出来るのは……」

 鳳仙は懐からペンを取り出して斜め下のロズへ向けて弾き飛ばす。自由落下する物体は常に重力による加速を得る為、エネルギー保存の法則に従って放物線を描く。ただのペンが推進力を持って空中を直線的に進むなど有り得ないことだが、それが間近で起こった。

 それ程大きな速度は付いていなかった為、ロズは余裕を持って避ける。”法の支配”による条件がある為怪我をすることはないが、実際に身体にペンが突き刺さった場合のダメージを考えると痛みもHPの消費も著しいはずだ。

「間違いない、重力使いだな」

「重力?」

「あの動きを見ただろ?宙に浮いた物体が斜め方向に真っ直ぐ飛ぶようなことは普通じゃ考えづらい。手で触った際に重力の方向を弄ったんだ。その証拠にほら、さっきのペンは向こうの壁まで先端を引きずりながら進んでる」

 部屋の壁に凭れ掛かるような形で止まっていたペンは、やがて役目を思い出したかのように倒れた。

「与えた重力が保つのは20秒ほどってとこか。自分自身は常に触れているのと同じ状態だから有効だと見える」

 押し飛ばされたように鳳仙の体が急接近する。大きな運動量の付いた拳がロズの眼前に迫る。

 一方のロズは足元に設置したオレンジの薔薇に触れて3メートルほど跳躍した。既に両掌には紫と青の薔薇が現れていた。

 鳳仙の動きは俊敏で、真上に跳ね上がったロズに即座に追い縋る。

 身体を触れられそうになったロズは青の薔薇を発散させる。それは瞬間的な強風に変わり彼女自身と相手の体の距離を放す効果を生む。

 地面に自由落下し始めたロズが紫色の薔薇の残った右手を振るう。するとシャボン玉の薄い膜のような透明な防壁が彼女を覆い隠すことで、一時的に相手の接近を防ぐ。

「魔術障壁の一部……恐らく、ロズの能力だと魔術的なエネルギーは吸い取っても効率的に発散することが出来ないんだ。だからあんな風に薄く柔らかい状態で放出される」

「それじゃ、一時凌ぎにしかならないよね?」

「ああ……回り込まれたらそれだけで」

 着地する頃には既にロズの掌には茶色の薔薇が現れていた。そうしている間にも鳳仙は自在に飛び回って膜のない方向へ移動している。ロズは何か攻撃の準備をしているのか地面にしゃがみ込んでしまい、ほとんど回避に意識が向いていないように見えた。

「ロズ、避けるんだ!」

 そして鳳仙が僅か数メートルの位置まで接近している所で、ロズはようやく相手へ向かい合う。真正面から拳を受けようとしているかのようにも見えた。

「あれ? ロズ、今まで手袋なんてしてなかったよね?」

 絆がその差異に気づいたと同時に、鳳仙の拳が深くロズの腹に減り込んでいく。HPは一気に四分の一ほど削れてしまっている。”法の支配”内での戦闘である為に内蔵損傷等の心配はなくとも、相当な痛みのはずだ。

「くっ……捕まえた」

 自分の腹にめり込んだ鳳仙の右腕を、両手で掴み取るロズ。その掌の下には黄色の薔薇が添えられていた。

「なっ……あぁぐっ!」

 唐突に、鳳仙が右腕から痙攣し始めた。毎秒で全体の十分の一ほどの速度でHPが減り続けていく。

「なるほど、黄色の薔薇は電池なんだ」

 攻撃から逃れようと重力の能力を暴発させようとする鳳仙だが、ロズの足裏には既に亜麻色の薔薇が設置されており、簡単な力では地面から離れない粘着性があるようだった。

「電気ってこと?」

「ああ。人は100Vくらいの電圧でも数秒間触っていたら死に至る場合がある。その電圧の他にどの部分に触れているかにもよるが、大地とあの薔薇の間に電位差があるから体内を電流が駆け巡っているんだろう」

「でもロズが感電しないのはどうして?」

「茶色の薔薇が変化したあのゴムのような物が電気を通さない絶縁体なんだ。電圧の役割の黄色の薔薇から電位差のある地面へ電気が流れる為には、鳳仙の身体を通るしかなくなる」

 桐也が原理を推察している内に、鳳仙の体力は四分の一以下となっていた。その段階でロズの足が地面の薔薇から剥がれ二人の身体が宙に浮き上がる。その為鳳仙への感電が止まった。

「はぁ、はぁ……」

 ロズは腕を離して地上に降り立つ。空中で振り回されては分が悪い。ただ彼女は涼しい表情をして立っていた。

 一方の鳳仙は自由に飛び回りながら苦悶の表情を浮かべている。差は歴然だ。

「くそ!」

 自由落下の速度をロズの方向に定め突進していく鳳仙。ロズは先に見せた紫色の薔薇を両手に携えて構えるのみ。

 瞬間的に成人女性3人分ほどの力がロズへと掛かった筈だが、先とは違い紫の薔薇で衝撃を分散して抑え込んでいる。

「あれ? ロズ、鳳仙さんの攻撃余裕で防げてるよ、どうして?」

「最初は様子見の意図もあっただろうが、防ぐ事は出来たのさ。でも絆がそう思わなかったように、鳳仙にそう思わせないことで積極的に敵を誘い込んで電撃を浴びせたかったんだろう。ロズの能力は防御には優れるが攻撃には不向きだからな」

「なるほどー、心配する事なかったんだね!」

 重力を駆使した打撃を与え続ける鳳仙だが、ロズは全て紫の薔薇で衝撃を分散させていた。電流を流されることを恐れて腹を狙わない鳳仙の動きは読みやすいようだった。

「くっ……!」

 相手の打撃を防ぎながら、カウンターで攻撃を入れていく。重力を使って身体全体で拳を振るってることもあり、鳳仙の隙は大きい。一直線に向かって来る拳を防いだ後、小さなジャブを加える余裕があった。

 そして、ロズは向かってきた鳳仙の拳を避けてその勢いをも利用したカウンターを顔面に炸裂させた。

「たぁっ!」

 勝負はあった。

『ただ今七重選手のHPがゼロになりましたので、一回戦第一試合はロズ・シドウェル選手の勝利となります!』

 高らかな宣言が木霊すると同時に歓声が上がった。

「これならロズ、楽勝そうだね!」

「いやそうでもない。今回の相手は超能力のエネルギーは攻撃にほとんど利用できていなかった。パンチだってジャンプして飛び掛かるのとそう変わらない威力だろうからな」

「そ、そうなんだ……でもさ、ロズには色んな種類の現象が作れるんだよ!どんな人にだって負けないよ!」

「今回の相手にすら上限の5種類の能力を見せたんだぞ。しかもストックする種類やエネルギーが増えるほど体力が下がるという対価を払っているから強い現象を同時に持つ事は出来ないんだよ。使い方が非常に難しい能力さ」

「そ、そっか……心配だな……」

 会場ではそのまま第二試合が開かれる為に、鳳仙とロズは退場する。安心した事で疲労感がドッと押し寄せて来る。

「ねえ、シドウェルさん」

「お疲れ七重さん。電撃は痛かったよね、ごめんなさい」

「いいえ、それくらいお互い覚悟してるでしょ。それより少し聞きたいことがあるの」

「なに?」

「第2試合に出る”■■■■”さんって、何者か分かる?」

 ロズは立ち止まって振り返る。

「”■■■■”……?さあ、私は知らない人だよ」

「そう。大会出場者の中で唯一素性が分からなくてね。警戒しといた方がいいかも」

 鳳仙はそのまま会場を後にするようだった。出番を終えた大会に興味がないということだろうか。

 ■■■■。今大会ビギナー部門は”法の支配”の制約上偽名では参加できないルールになっている為、学園の生徒であればすぐに正体が判明するはずである。かと言って学園外からの参加が基本的に認められていないこともロズは知っていた。つまり■■■■という人間は、学園の生徒でありながら誰からも認知されていないのだ。


 二階席で観戦を続ける予定の絆と桐也の二人。いつまで経っても試合開始のアナウンスが始まらないことが気になっていた。

「どうしたんだろ?」

「トラブルかな。怖くなって出場を辞退する生徒も多いから、致し方ないさ」

すると絆は後ろから奇妙な圧迫感を覚えた。この感覚は、あの人だ。

「会長!」

「この人が……成宮一咲」

 桐也が身構えたのを見て一咲は少し微笑んだ。

「まだ一試合目が終わったところね?」

「はい、会長どうかしたんですか?」

「何か少し、妙な予感が走ったものだからね」

 会長の”予感”がただの勘違いに終わらないことは絆にも分かっていた。

『ええー、大変長らくお待たせしています。第二試合に出場予定の■■■■選手が現れないまま十分が経過しましたので、対戦相手の笹原さらら選手の不戦勝とします』

観客席が騒めく。

「へー、そういうこともあるんだー」

「■■■■って人、どんだけ調べても学園の生徒には見つけられなくてさ。謎だったけど結局出場も辞退か」

 二人の会話を聞いていた一咲が質問を投げる。

「見つけられなかったってどういうこと?」

「そのままの意味です。知り合いに話を聞いたり名簿を探してみても学園に在籍していなさそうだという話になったので不思議で」

 顔を俯かせて長考する一咲。

「ねえ絆、■■■■のイニシャルは?」

「え?そりゃ……あれ? イニシャル……なんだろ?」

 名前を認識しているつもりなのに、一文字一文字が思い出せない。この異常な現象に桐也はすぐにハッとする。

「何者かによる攻撃ですか……?」

「分からないけど、相当な緊急事態であることは確かね」

 桐也は少し悩んでから一咲に気になることを尋ねる。

「俺、端的に言えば異能の力の影響を限りなくゼロに抑える能力を持っているんです。それなのに影響を受けました」

「それでも例外があるってことでしょう。君の能力だって不完全だ。恐らくこの状況は、認識やミームといった現実の根幹を直接書き換える能力者によるもの。貴方の脳みそは外部から異能の力を受けたとさえ判断できていないんだ」

「なるほど……」

 ただ、そこで当然の疑問が湧く。

「どうして会長は影響を受けないんですか?」

 面倒臭そうに髪の毛を少し弄りながら一咲は答える。

「この現象はあくまで人間に対して働く。私はその対象じゃなかったってことじゃないかな」

 人間でないなら何だと言うのか。好奇心が湧いたが今は口を噤む。

「とにかく良い状況じゃない。絆、悪いけど一緒に来てくれる?」

「はーい」

 彼は自分の意思で生徒会に身を置いているが、何故だか桐也には絆が成宮一咲に唆されているような画に見えた。


 生徒会室に入るや否や、一咲は椅子に座り頭を抱える。

「してやられた……」

「え、何がですか?」

「一ヶ月くらい前から行方不明の生徒がいるのは知ってるよね」

「ああはい、二年生の風使いの人でしたよね」

「単なる放浪の可能性も考えていたのだけど、意図的に消された生徒がいるとなると事情が変わって来る」

 全校生徒分の名簿を取り出して■■■■の名を指差す。

「絆にはこの名前が正確に読み取れないと思うけど、二日前から失踪中の生徒なんだ。知り合いとかじゃないとは思うけどね」

「そうなんですか!?」

「失踪した上に人々の記憶や認識から消されてしまうなんて、本当に恐ろしいことよ。何としても犯人を突き止めなきゃ」

「それにしても凄い能力ですよね……こんなこと出来る人がいるなんて」

「片腕を失うくらいの覚悟があれば或いは魔術で行使可能な範囲だと思う。先程ご両親に連絡したところしっかり存在を認知していたから、現象はエルミタージュに限られているはず。”法の支配”に近い用法ね」

「それなら、犯人は凄い大怪我をしているとか……?」

 頭痛がするのか、一咲はこめかみを抑えて目を瞑る。

「いえ……片腕を失うくらいの覚悟とは言ったけど、対価は相対的な苦しみに依るから。精神的ダメージでもあり得る」

「じゃあ犯人を突き止められないじゃないですか!僕、友達が消えちゃったら嫌です!」

「そうね。その為に絆には協力して欲しい。場合によっては貴方の友人たちにも」

「協力はいくらでもします!けど、僕らでは会長の足を引っ張ってしまうんじゃ……」

 見慣れない柔和な顔を浮かべた一咲は絆の肩に手を置く。

「君は私が直々に見込んだ新入生なんだよ。そんな才能を疑うということは、私の審美眼まで疑うことに他ならない」

「あ……ごめんなさい、会長」

「こちらこそごめんね、イジワルで。でも私は絆のことも、その友達のことも強く信頼しているの。能力が秀でているとかそう言うことだけじゃなくて、貴方たちの行動そのものを評価している」

「は、はい!」

「私としては、あの蘧麦躑躅って子が調査に協力してくれたら嬉しいんだけどな。彼女は在学生の超能力者では最もポテンシャルが高い。今後の成長を考慮しての話だけど」

「僕も蘧麦さんと話したいですけど、嫌われていて……」

「まあそれに関しては後々。私は打てる手を打っておくから、貴方は一先ずいつも通りの生活に戻りつつ周囲の警戒は怠らないようにね」

 話し合いを終えて廊下に出ると、桐也が壁に寄りかかって待っていた。

「それで、何だって?」

 絆は現状の事情を簡単に説明する。

「それなら蘧麦さんは必須の人選だな。一先ずは俺がロズを通して交渉してみるよ」

「うん、お願い」

 生徒会室から離れながら、桐也は小声で呟く。

「……俺は、生徒会長が怖い」

「どうして? そりゃ凄く強いだろうけど」

「俺にはどうしても許せない奴がいて……そいつの正体を探ることが一つの目的なんだ。生徒会長は、そいつと似てるんだ」

「許せない奴って……?」

「ベロニカ・リベット。ニュースで聞いたことないか?」

「それってあの渋谷の爆破テロの犯人の?」

「それだけじゃない。表沙汰になってないだけで世界中で数千人を殺した大犯罪者だ」

「数千人!?」

 校舎中に響く程の叫び声を上げた為、周囲を歩く数人の生徒が振り返った。

「そんなのどうやって……」

「奴は超能力か魔術か。はたまたその両方で犯罪を繰り返している。だから現実社会の警察では太刀打ちできない。エルミタージュほか超自然的な技能を持った集団が彼女を追い詰めようとしているが、未だに手掛かりもほとんどない」

「何のためにそんなことを繰り返すの?」

「超自然的な現象を世の中に知らしめる為さ。人類すべてを新たなフェイズに昇格させるという目的を掲げる『ゼラニウム』って集団のリーダー格がベロニカだ」

「で、でも……会長はそんなに悪い人なわけないよ!」

「本当に絆はそこまで成宮一咲という人間を深く知っているのか?」

 その質問に絆は答えられない。確かに生徒会長は謎ばかりで自分の過去のことを喋ろうとも決してしないのだ。

「噂では、大会本戦で何度も優勝してるらしいが、その時の資料も見つからないし本当に謎だよ。6年生と話している姿も殆ど見ない。まるで今年忽然と現れて生徒会長の座を手に入れたように見えて何だか怖いのさ」

「それは、僕も思うんだ。何だか会長には過去って物がないような気がして……」

深刻な顔をしている絆に対して桐也は笑いかける。

「ごめんな、暗い話して。成宮会長だって、俺も本気で悪い人だって思ってるわけじゃない。ただ得体が知れなくて、怖いなと思ったから疑いを向けてしまった。こういうのは良くないな」

「ううん。僕って物事を深く考えられないから、桐也の話で色々学べることがあるよ」

「はは、ありがとう。さあ、多分もう第三試合も終わってる頃じゃないか?あっと言う間にロズの次の出番になるぜ」

「あ、待ってよ!」

 早足で駆けていく桐也を追いかける絆。慌ててしまった為に、角から出てきた少女にぶつかる。

「いたた! ごめんなさい!」

「いえ。こちらが悪いの。背後にばかり気を取られていたからね」

「? それじゃ失礼します!」

 少女の言葉を疑問に思ったものの、深く考え込むことなく絆は去った。残された少女はロングヘアを指先に巻きながら、深紅の瞳の奥へと絆の姿を刻み込んだ。


 消息不明の■■■■が不戦敗になった以降、大会は滞りなく行われた。ロズも初戦の鳳仙以降はそれほど強い相手と当たることはなく、件の電流による攻撃で即K.O.という戦法で順当に勝ち進んだ。

 そしてビギナー部門の決勝戦は、紫陽佐奈とロズ・シドウェルとの対決である。

「紫陽先輩、ここまで真正面からの突進だけで相手を吹き飛ばして勝ってるよね……あの人の能力、いったい何なんだろう」

「まあ単に強いだけじゃないのは確かさ」

 桐也は彼女の能力のタネを知っている上自分に作用することはない為、彼女のことは怖くない。ただ、ほとんどの人間にとって脅威になる能力なのは間違いない。

「まさか紫陽先輩が犯人……なわけないか」

 彼女の能力の特性と今回の事件の現象を照らし合わせて少々疑い掛けたが、彼女の能力が桐也に効かなかったのは想定外のことである為、既にそれを回避する術を見つけているとは考えにくいだろう。

 彼の思考が回っている間にロズと佐奈の二人が会場に現れた。会場は熱気に包まれている。ビギナー部門とは言え、これで年度末の本戦出場者が一人確定するのだ。チャレンジャー部門からの勝敗予測は食堂のチケットを賭けて行われる為より一層白熱する。

「ロズ。この間は助けてくれてありがとう。でも、手加減なんてしないから」

「友達ですから、助けるのは当然です。でも私だって試合の間は容赦しません」

 二人の選手が向かい合ったと同時に、会場に司会の声が鳴り響く。

『さあ、ビギナー部門も残すところ最終試合だけとなりました! 怒涛の勢いで決勝まで上り詰めてきた期待の新入生、ロズ・シドウェル選手!』

 ロズは照れ臭そうに軽く手を振る。既にファンも出来ているようで、特に男子生徒からの声援が熱いようだ。

『対するは、神速の突進で全ての試合を十秒以内で勝利し続けた紫陽佐奈選手! 去年大会に出場していれば好成績を狙えたであろう程、実力は申し分ないです!』

 新年度というのに紫陽佐奈は後輩人気が凄まじいようだった。

 互いに視線を外さないまま、司会の進行を聞いていた。

『両選手準備は宜しいですか!? ロズ・シドウェル対紫陽佐奈! レディ――ファイト!』

 ロズが戦闘態勢になって両手に薔薇の花を抱えたが、紫陽佐奈は直立不動だった。動きを警戒しながら目を細めていると眩暈がしたような感覚に襲われる。しかし瞬きの間に紫陽佐奈は眼前にまで迫っていた。

「なっ……!」

 余りの速さに反応が追い付かない。紫の薔薇の障壁を発動して前方を覆うが、それも間に合わななかった。

気付いた時には手刀が腹に突き刺さっていた。あまりの痛みに声を出すこともままならない。既にHPは尽きているはずだ。

『ロズ選手のHPが瞬く間に尽きてしまいました! これにて決勝戦は終了、紫陽佐奈選手の優勝となります!』

 試合の終了と同時にHPは回復し、会場にいる間は互いの攻撃が何の意味もなさない状態へと戻る。

「ロズ、大丈夫?」

 優しく手を差し伸べてきた佐奈の表情は普段通り。怖いくらいにロズの記憶の中にある彼女そのものであった。


 その晩、本を読みながら躑躅が愚痴を呟く。

「賞金が減っちゃったじゃない」

「何よ、見にも来なかった癖にー。紫陽先輩はとんでもない強さだから、多分躑躅でも勝てないよ」

「まあね。過ぎたことは言っても仕方ない。私がチャレンジャー部門で優勝して五万円山分けするよ」

 ここでロズの脳裏に浮かんだ絆の顔。そろそろネタばらししておくか。

「ねえねえ、チャレンジャー部門に誰が出るか知ってる?」

「全然。強い人でもいるわけ?」

「そうだねぇ、案外あっちは平均的に私くらいの強さの人が出てて、飛び抜けて強い人がいないって聞くけど……気になるのが一人いるかなー」

「へえ。どんなやつ?」

「葉団扇絆くん!」

 極めて静かに、読んでいた本を閉じてベッドの上に置いた躑躅。

「……面白いじゃん」

「え?」

「アイツを痛めつけても誰にも怒られないってことでしょ? 超ラッキーじゃない」

「い、いや……やり過ぎたりしたら、多分あんまり良くはないんじゃないかな?」

「私に殴られて泣いてる葉団扇を想像したら、何だか興奮して来たよ。本当に楽しみだ」

 躑躅が絆をどんな形であれ意識し始めた事は嬉しい限りだが、ロズには嫌な予感が拭えなかった。絆と躑躅に関してだけでなく、何か大きい出来事が起きるような不安感。これが大会を観戦する事への興奮や絆たちへの心配によるものなのか、当人には分からなかった。

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