第三章『運命』
「
文芸部の部長である西倉真緒は躑躅の性格を深く理解してくれた。躑躅も真緒に対しては好意的な印象を受けた。
し かし入ることを決めたは良いものの文芸部は部員数が少なく、既に廃部の危機に陥っているそうだ。真緒は友人の生徒会役員に何とかサポートしてもらって部を存続してもらっているが、このままではまずいらしい。
躑躅は面倒なことは嫌いだ。休日にまで駆り出されて試合をしたり、夜まで残って練習をしたりという運動部は絶対に避けたいと思っていた。しかし、部活には入りたい。躑躅はエルミタージュに入学しながらも、なるたけ普通の学園生活を送りたいと願っていた。だから部活は欠かせない。
そうした経緯もあり、基本的に無気力な躑躅も真緒の頼みと言うこともあってか初日から早速文芸部の部員集めに協力することとなったのである。
部活勧誘をしている最中、目の前に人が止まった為躑躅は機械的に声をかけた。
「文芸部、入りませんか?」
「あれ、あなたは……」
「ゲッ……」
やってきたのは絆と百合に他数名。生徒会の面々であった。真緒も着ているロングコートの制服を、生徒会員は必ず着用が義務付けられる。どうやらその制服は何か特別な役職に付いている者に与えられるらしい。真緒は部長という役職だからだろうか。
「真緒。今年はもう新入部員一人入ったんだ。良かったじゃない」
「それでもまだ部活存続の危機は続いてるからいつも通り勧誘活動をしているわけだよ。それで、その子は?」
真緒は絆のことを指差して尋ねる。彼は早々に生徒会役員用の制服を手に入れて着用している。縦に入ったラインの色が青く、一年生だという事を示している。
「新しい生徒会の仲間。
「絆ちゃんなんて呼ばないで下さいよ〜」
頬を赤らめて縮こまる絆。
「こんな感じで可愛らしい後輩だよ。授業初日から生徒会に来るなんて根性あるでしょ?」
「うんうん、流石に初日に入って活動開始してるなんて前代未聞だよ。普通認められることもないしね。絆ちゃん、文芸部に興味ない?」
そんな言葉に躑躅がぎょっとする。
こんな騒がしい奴が同じ部活内にいたら、自分の理想とする平穏な学園生活は崩壊するだろう。
「文芸部ですか! 僕、部活も何かやってみたいなとは思っていたんですけど……あんまりハードなのも疲れちゃうし、生徒会の仕事もあるしで緩い部活を探してるんですけど、文芸部って緩いですか?」
「うんうんウチの文芸部は緩々だよ! 強制的な活動日はほとんどないからぜひぜひ入部して! あとほら、躑躅とは同じ学年だろ? 仲良くなれるかなって」
躑躅はひたすら黙っている上に、真緒の後ろに隠れている。
「分かりました! 後日見学に行きますね!」
「うんうん、待ってるよ!」
すると生徒会長の
「……さあ、仕事がある。行くよ」
「あ、はい生徒会長。それじゃあね真緒」
生徒会の役員たちと絆が去って行く。今回は全く絡まれずに済んだ。
「西倉先輩」
「どうしたの?」
「私……あの絆ってヤツ苦手です」
「え? まだ入学したばっかりなのに、もう喧嘩とかしてるの?」
「いや、そういうことじゃなくて……ああいう騒がしい奴が面倒で」
「そうなの? 可愛いと思うんだけど」
「うるさくてイライラするんですよ……あいつ、昨日から姿を見かけては話しかけて来てその度にイライラして……」
「まあまあ、広い心を持つことも大事だよ? 苦手な人とも歩み寄って行かなきゃ」
「はい……まあ、そうですけど」
それでも躑躅はどうしても、彼の言動が理解できなかった。
こうして、絆たちのエルミタージュでの生活の幕が開けた。それが同時に波乱の幕開けであることを悟っていたのは、生徒会長――成宮一咲ただ一人だけだった。
マーガレット・マクレーン先生の講義『PSI能力開発』は生徒たちに人気である。
個性を第一に、その才を伸ばすことに重点を置いている。足並みを揃えるのではなく個々のやりたいことへ向かっていけることが高い評価を受けていた。
桐也と躑躅はその講義に参加していた。必修の『PSI概論』が理論を学ぶ講義であるのに対し、こちらは発展的で秘められた能力を開放することを目的としている。
魔術と超能力は、同時に育てることが極めて困難とされる。前者は莫大なエネルギーにより現象を再現するが、後者は確率を操作することにより現象を捻じ曲げる。両者とも独特な強いイメージが必要となる為、同時に処理することはおろか両者を習得することさえ困難であるのが実情である。
桐也と躑躅もこの講義の参加者で、最終的には超能力で卒業資格を収めることを目標に据えている。
「概論の講義でも習ったとは思うけれど……人には各々運勢がある。旅行に行くと必ず雨が降ってしまう人や、ギャンブルに強い人などね。そういった特質の部分を増強、あるいは操作して自らの能力としてしまう技術。それが超能力」
桐也は自らの掌を見つめる。自分に備わった運勢は何か。そして、どんな特質が必要であるか。
マクレーン先生は広げた手の上からどこからともなく水分を溢れさせる。
「この水は最初からここにあった。もしくは偶然的に化学反応でここに生まれた。そのような幾万の中の僅かな確率を引き当てることが超能力の真髄」
魔術に心動かされた者たちも、今度は超能力に対して驚嘆する。
「因みに私は、様々な分子を場に生み出すことの出来る能力を持っている。しかし、それを自由に操ったりするテレキネシスを得意としないので、使い道は化学の実験くらいね」
子供たちは現象を飲み込めない。魔術と同等もしくはそれ以上に未知の世界が眼前に広がっている。
「運命を自在にするには、まずは望む能力を願ったり唱えたりし続けること。”引き寄せの法則”の逆……自分から事象に近づいていく必要がある。偶然を何度も経験することで、確率を身体が覚えていく」
偶然で成し遂げられる勝利などあるだろうか。自分は勝ちたい。その為に必要な能力は何だ。桐也は懸命に考え続けた。
「今日もお疲れー」
読書をしていた桐也は本を閉じて、部屋に帰って来た絆を迎える。
「おかえり。今日は生徒会が忙しそうだったな」
「そうなんだよーちょっと不可解なことを調査しなきゃならなくて」
「不可解なこと?」
「うんー。生徒の間で妙な化け物の夢を見たっていう案件が続出してて。聞き込みとかしてたんだ」
「偶然……と言い切れる環境じゃないもんな。俺も何か情報があったら知らせるよ」
絆は隣のベッドに飛び込むように横たわる。
「ねえ桐也。エルミタージュが魔術や超能力を教えてるのはどうしてかな」
「どういうことだ?」
「だって、色んな不可解な事件とか七不思議とか。異能力があるからこそ解決が難しくなってる。先生は資格がある人にだけ入学を許可してるっていうけど……調べると何件か小さな事件とかも起きてるし。僕らは、魔術を知っていいのかな」
「絆……」
絆の聡明さを、桐也は尊敬する。決して傲慢に評しているのではなく、心から絆に憧れるのだ。
「俺も、似たようなことに悩んでいたのかも知れない。自分のような邪な動機の者の入学が許されていいのかって。でも、他でもない絆を見て思い直したんだぜ。変わる意志のある者は尊重されるんだって」
「うん……」
自らの才に自覚的でない絆は、桐也の言葉に納得できないようだった。
「ねえ、そろそろ聞いていい? 桐也は何の為に、この学校に……」
少しの間、沈黙があった。その静寂を保ったまま桐也は呟く。
「許せない奴をぶん殴る為……それだけだよ」
重苦しい表情。今近づけば、自分でさえ殺されてしまうのではないかという程の鋭い視線が虚空を見つめていた。
すると彼はスクッと立ち上がってこう言った。
「絆。もう入学して一週間経った。魔術の修練は順調だな?」
「え? うん。先生にも毎日褒められるし! きっと学園の全員でトーナメントしても優勝できるくらい強くなったんじゃないかな!」
「はは、そっか。だったらそんな絆に頼みたい」
一瞬だけ見せた笑顔が消えて、押し退けられそうになる程強烈な視線が絆に突き刺さる。
「魔術増強した拳で、この掌にパンチを打ってきてくれないか」
「え……」
一瞬だけ、この部屋の時間が停止したように音が消え去る。
「正気で言ってる?」
「ああ」
「だってだって、そんなことしたら……」
「マトモに受けたら骨折するだろうな」
桐也は全て理解している。だからこそ、理由が分からない。
「ど、どうして……?」
「俺も修練を積まなきゃならない。強い奴の攻撃じゃないと意味がないんだ」
眼前の男の決意の色が見え、絆も覚悟を決めた。
「じゃあ……遠慮なく行くよ」
「ああ。手加減はいらない」
絆の手が震える。入学して数日は経ったが、初めて感じる緊張感だった。
「――はぁあ!」
大地震が起きたのではないかと錯覚するような衝撃音が、寮全体に響き渡った。
「……?」
しかしながらそれは、空気を震わせただけの、ただの振動。桐也は涼しい顔をして佇んでいた。
「どうして……大丈夫? なんともないの?」
「強化し損ねたか?」
そんなはずはない。現に未だ拳に赤い熱が残っている。
「はあ、上手くいってよかったよ。五分五分ってとこだったんだが」
疲労が押し寄せてきたのか、再びベッドに倒れこむ桐也。
「ねえ桐也、いつの間にそんなに強くなったの?」
「いや、力だけなら絶対に絆の方が格上さ。だけど俺には……俺の目標を達成する為には、お前にだって負けない強さが必要なんだ。これはその為の運試しさ」
徐々に冷めていく拳の熱を感じながら、絆はポツリと呟く。
「……嬉しい」
「え? 普通、逆じゃないか?」
「ううん。僕は桐也を怪我させちゃうって、勝てるって信じてた。でもその想像を現実はアッサリ飛び越えたんだ。こんなに楽しいことってないよ!」
「ははっ、そっか。そうだな」
桐也からしてみれば、他でもない絆当人が常に想定の範疇を逸脱している。その才覚も能力も、思想も言動も。全てが想像以上で魅力的。だから彼も希望が持てるのであった。
一方でロズもまた、力を模索している最中であった。
室内の壁一面が五色の色鮮やかな絵の具で塗りたくられてしまっている様子を見て、躑躅が目を真ん丸くしている。流石の彼女も言葉が出なかったらしい。
「あ、ごめん躑躅……帰ってくるまでに綺麗にしとこうと思ってたんだけど」
「いや、ていうか何やってるの……?」
「うーん……修行というか、何というか? 魔術関連の儀式って言ったら良いのかな」
「ふーん」
口で説明されると何のことはないと納得したのか、すぐに平時の興味の薄い表情へ戻る。そのまま彼女は机に積み上げられている本の一冊を取り出して読み始める。
「躑躅は超能力を開発したいんだよね」
読書中に話しかけられることは珍しかった為、ピクッと体を震わせてから躑躅は答える。
「そう。魔術ってさ、何かを対価にして力を得るって工程が面倒臭いし」
「ああ確かに。私も今、無理のない対価を選ぶのに必死になってるもん。絆くん心配だなぁ」
「ハァ? なんであいつの話になるわけ?」
「あの子の強さの理由知らないの? 絆くん、毎日何十キロもある重りをつけて講義受けてるらしいよ。腕に酷い痣とかもあって、全身の至る所を縄か何かで縛ってるんじゃないかって噂もあるし」
「へえ……」
珍しく感心したような反応を返した躑躅をロズは見逃さなかった。
「躑躅、やっぱり絆くんのこと気になるんでしょ」
「別に……そもそも本人が好きでやってんだからどうでも良いでしょ。案外そういう趣味なのかも」
「やっぱり強情だなぁ」
「うるさい。申し訳ないけど今から読書するから邪魔しないでね」
怒らせてしまったようだ。ロズも自分の作業に戻る。
青の絵の具を塗り付けた掌を、机に広げた模造紙に向けて押し付ける。
描かれていたのは青い薔薇だった。それが徐々に滲んで周りに広がってくる。水が湧き出しているのだ。
「よし」
試行錯誤を繰り返すロズの姿を横目で見ながら、躑躅もまた超能力の特訓に励んでいた。
開いた本のページを、躑躅は目で見ていない。手で触りながら記憶として感じ取ろうとしている。
「雑踏……太陽に照らされた……昔馴染みの喫茶店……」
断片的に浮かんで来た単語を必死に掴み取ろうとしているが、それが合っているのかさえ確信が持てない。
目を見開いて答えを確認する。雑踏という単語は有ったが、本来は「太陽に遮られた」「馴染み深い珈琲喫茶」が正解のようだ。
やはり一朝一夕で上手くいくものではない。自分やロズ、周囲の生徒を見ていて素直に思う。だからこそ絆の成長速度は異様に映り、それもまた躑躅の神経を逆撫でする結果となっていた。
彼女が必死になって能力習得を急いでいるのにはもう一つ訳があった。
文芸部に絆の入らなかった席を埋めるように入部してきた少女がいた。
「私は
「ええ……こちらこそ」
躑躅にとって、友人という存在は重要ではない。ロズとは仲良く出来ているが、そうなったのはただの偶然だと信じている。ただ彼女は入鹿と出会って初めて、友達になりたいと感じることが出来た。
「躑躅はどうして文芸部に入ろうと思ったの?」
「本は好きだから。世の中、気に食わないことばかりだけど……小説なら、世界を好き勝手に弄って楽しむことが出来る」
「そうだよね! 私も同じ!」
絆とは性別こそ違えど、それ以外はほとんど同種の人物に見えた。しかし躑躅は不思議と彼女を嫌う気にはならなかった。寧ろ、深い好感を抱いたのだ。
絆は気に食わないが入鹿は好印象。その事実があるだけである。絆を毛嫌いしている躑躅にとってそれは、些末な疑問と切り捨てるには大き過ぎる謎だった。
だから、躑躅は少しだけでも彼女の内面を覗き見てみたいという気持ちに駆られていたのだ。
水瀬入鹿は友人の前では元気なフリをして誤魔化している。彼女は家庭環境が劣悪で、それによって精神を病んでしまっていた。
祖母祖父、そして叔母や叔父までもが同じ家に住んでいる。そして四人兄妹の末っ子でもある。彼女は肩身の狭い思いをしたり、虐められることが多々あった。その上自責の念が強い彼女は親にも迷惑をかけているのではないかと思いがちであり、逃げるようにこのエルミタージュへ入学した。
学園の授業料は格安であり、親への迷惑では最小限で済む。その上この場所で魔法を習得すれば、家族にも見直される。その一心で彼女は、エルミタージュで勉学に励んでいる。
だが彼女へ圧し掛かる精神的重圧は変わらない。叔母や叔父、兄からきつく当たられることも多い。それでもまだ味方でいてくれている親に少しでも怒られたりすれば、世界に居場所がない人間のような気がしてくる。
だから彼女は入学してからの一ヶ月に幾度か、天空校舎の屋上に一人佇んでいた。本気であるかどうかは当人にも分からないが、天国に一番近い場所であるからだ。
そんな場所に度々訪れて、入鹿の様子を見に来る少年がいた。
「水瀬さん!」
「あ……どうしたの? 葉団扇くん」
「どうしたのはこっちの台詞だよ! どうしてこんなところで泣いてるの?」
「泣いてる……?」
自分でも気づいていなかったようだった。
絆は彼女の隣に縮こまる。
「何かあったの? 大丈夫?」
「うん……ごめんね。別に何でもないの。何となく切ない気分に浸ってただけだから、平気」
「ほんとに? ほんとに大丈夫?」
絆は純粋に心配してくれているが、入鹿は必死で悩みを隠し通そうとしている。
「まあいいや! 僕水瀬さんとお弁当一緒に食べたいなって思ってたのに、どこかに行っちゃうから付いてきてみたんだよー」
「あぁ……ごめんね。昼は屋上に来るの習慣になっててさ」
「そっかそっかー! じゃあ今度から僕も来るね! 一緒にお弁当食べよ!」
「あ、うん……ありがと」
「いやいや、お礼言われるようなことじゃないよ。僕が一緒に食べたいんだもん!」
「あはは……そうだよね」
入鹿はやはり、絆と共にいる時だけは、真に幸せな気持ちになれることを実感していた。
絆は入鹿の悩みに気づくこともなく、彼女に遠慮することなく明るく接し続けていた。入鹿にとってはそれが精神安定剤であり、ありがたいことでもある。家庭のことを忘れられる貴重な時間だ。
しかし絆が他の友人と会話をし始めると、途端に彼女の心は家庭へ引き戻される。心だけが帰宅し、家族に痛めつけられていく。それが限界を迎えた時、入鹿の身体はいつの間にやら天空校舎の屋上へ向かっている。
現実逃避がしたいだけなのかも知れない。本当に死にたいのかどうかも分からなかった。
躑躅が絆のことを毛嫌いしていることなど知りもしない入鹿は、二人がよく似た気質を持っているという感想を抱いていた。きっと仲良くなれると。
「ねえ入鹿」
「なに?」
「入鹿の小説、何かに応募してみたら良いんじゃないかな? 登場人物のリアルな情動を、独特の詩的表現で描くこのセンス。必ず素晴らしい評価を受けると思うの」
「そ、そうかな……私は思ったことをただただ書き綴ってるだけだよ」
「思ったことを?」
「……そう。私は小説を書く時、登場人物になりきってる。感情がリアルなのも当たり前だよ。自分に当てはめてるだけだもん」
「それはそう簡単なことじゃないはずだよ。入鹿の才能はきっと凄い。共感を呼ぶだろうし、きっと文学的にも評価に値するよ」
「それは大袈裟だよ、あはは。でもありがと。今度何かに応募してみるね!」
躑躅は悟り始めていた。
彼女があんなにもリアルに苦悩を描くことが出来るのは、当人自身が深く悩んでいるからなのではないかと。
躑躅自身の好奇心に相まって、彼女の心を覗き込みたい欲望が強まっていた。
ある日の放課後。
「入鹿、図書館にミステリの参考資料探しに行こうよ」
「うん!まずはインプットだもんね」
蘧麦躑躅は現実主義だ。現実を尊重するからこそ、エルミタージュの存在を認めて受け入れた。魔術や超能力は相対的にそのような言葉で表現されているだけであって、この世界においては確かに筋の通ったロジックとして実存している。隣の世界では違うかも知れないが、少なくとも躑躅たちの住んでいるこの世界ではそうだ。
「中央魔法図書館じゃなくていいの?」
「あそこは広すぎて、目当ての物を探し出せないでしょ。行くのも面倒だし」
第一図書室は躑躅たちの寝泊まりする西側寮から出た隣の棟の二階にある。今年の新入生の大半は西側寮へ配置された為、多くの生徒が勉強や作業の為に利用している。
皆マナーを守って静かに過ごしているのだが、忙しない動きを隠し通せない子供が一人。
「わー、葉団扇くん!」
入鹿が駆け寄った少年に、躑躅はよく見覚えがある。嫌になるほどに。
「あ、水瀬さん! 君も勉強?」
「ううん! 文芸部の活動!」
「あれ、水瀬さんって文芸部? てことは蘧麦さんと知り合いなの?」
「葉団扇くんこそ躑躅のこと知ってるの!?すぐそこに……あれ?」
目に映る視界に、探している少女が見当たらない。
「蘧麦さん、本棚の後ろに隠れてるみたいだよ?」
「ホントだ!もう、何でそんなとこに……」
酷い仏頂面で顔を出した躑躅は、か細い声で入鹿に疑問を呈した。
「入鹿って、葉団扇の何?」
この質問は単に、他意のない疑問であった。なぜ絆と入鹿が知り合いであって、どうして仲が良いのか躑躅には理解が及ばなかったからだ。
それは入鹿を中心に巻き起こる、躑躅から絆に対する嫉妬とも解釈でき、実際に当の絆本人はそう思った。一方で入鹿の方はというと、真逆の判断を下したのであった。
「躑躅、葉団扇くんとそんなに仲良かったんだ!」
「ハァ!?」
「そっかそっか〜二人はきっと仲良くなれると思ってたけど、私に嫉妬するくらい好き合ってるなんて〜」
一人で盛り上がる入鹿に対して初めて少々の苛立ちを覚えた躑躅は彼女の耳たぶを引っ張って自分の気持ちを伝えようとする。
「あのね、私はあんな奴キライなんだ。分かるでしょ?」
「どうして? 分からないよ」
「だって……」
喉まで出かかった言葉をグッと抑える。絆に対する悪口は、同時に入鹿の悪口に繋がることを知っていたから。その事実が無性に腹立たしい。
躑躅がグチグチ言い訳をしている中で、絆は彼にしては極めて静かに尋ねた。
「もしかして僕、お邪魔かな?」
「ううん、そんなことないよ葉団扇くん」
入鹿の明るい返答を聞き、小さな溜息を吐く躑躅。何かを決意したかのように突き刺すような視線を絆へ向けた。
「葉団扇。ちょっとこっち来て」
「え?うん……」
鬼の形相の躑躅に連れられた絆は不安げであったが、入鹿はただ二人の絡みだけを嬉々として観察していた。
会話や動作が周囲に気取られない位置まで行き、躑躅は蛇のような視線をようやく逸らして、戸惑いながらも呟く。
「単刀直入に言うけど、私はやっぱりアンタが大嫌いだ」
「ごめんね、不快にさせて」
普段の調子からは全く想像が付かない程に、誠意を持った正直な謝罪。躑躅はやはり小さな苛立ちを覚える。
「ムカつくけど、アンタにしか頼めないことがある」
「なに?」
「入鹿のこと……あの子の幸せは多分、アンタにしか守れない。悔しいけど」
「水瀬さん、何か悩みがあるの?」
鈍感でデリカシーがない彼の言動は普段こそ躑躅を悩ませているが、この時ばかりは少しだけ笑うことが出来た。
「アンタのこと、入鹿のことに関してだけは信用するから。あの子を救ってあげて欲しい。それだけだよ」
狭い通路から出て行く躑躅を呆然と見つめる絆。躑躅が彼を頼りにした理由は、先の入鹿の態度による。入鹿は友人の前では基本的に明るいけれど、それでもあれだけ嬉しそうにしている姿を躑躅は初めて見た。だから絆を嫌いな理由が腑に落ちた。自分は絆を生理的に嫌っているが、それは才能を信頼しているからなのだと。彼の前で私は劣等感を覚える。そう自覚してしまったのだ。
それから、一週間が経った。
生徒たちは校風に慣れ始め、早い生徒は既に望む能力を得ようとしていた。
「実技試験を行う。学籍番号順に前に出てきて、得た能力を披露して」
PSI能力開発の講義取得者の中でも特に優秀な数人は、既に能力を何不自由なく使い熟せる程になっていた。言わば自転車に乗れるようになったばかりの状態と同じ。つい先日まで車体を安定させることも出来なかったのに、まるで今は身体の一部のように速度を操ることが出来る。
躑躅の実技の順番になった。これまでほとんどの生徒が真面に能力を披露出来ていなかった為、つまらなそうな顔で前に出る。
「蘧麦さんは能力を何か覚えた?」
「はい、三つほど」
「三つ……?」
先生は目を見開く。この短期間で複数の能力を身に付けたことがそんなに珍しいのだろうか、躑躅には理解が及ばなかった。
「まず、エンチャント能力から」
拳を顔の前に掲げて力を籠める。すると、以前絆が見せた魔術の実演のように赤色のエネルギーが周囲から集まって来た。
破壊する用途の為に設置されている石板を前に、一度後ろに腕を引いた。
「タァッ!」
掛け声と共にバリン!と音が鳴った。脆い素材だったのもあるが、ほとんどバラバラに砕け散った石板を見て生徒たちは声を失っていた。しかしただ一人、桐也だけがニヤリと口角を上げていた。
「次に、テレキネシス」
落ちた破片に手を翳す。数センチほどになった欠片がカタカタと振動し出し、地面から浮き上がるのが確認できた。
「――ハッ!」
再び躑躅が気合を入れた所で、まるで強力な磁石に吸い寄せられたように石の破片が掌の方へ吸い寄せられた。その中の一つを握り締めた後、すぐに力を解除しポロポロと石を落とす。
「最後の能力は、サイコメトリー」
静かに目を瞑る躑躅。傍目には特殊なことが起きているようには見受けられないが、生徒たちは固唾を飲んで見守る。
「この石……持ち出した人は生徒会長の成宮一咲さん。マクレーン先生と仲良さそうに話している姿がぼんやりと見えます」
「うそ……」
先生は小さく呟いて後退りした。
「どうですか、先生」
「蘧麦さん、ちょっと私と一緒に来て」
「え? 何ですか?」
「みんな今日の講義は自習にして。残りの人は次回試験するからそのつもりで!」
艶やかな表情こそ崩れていないが、普段の悠然とした態度は消え去っていた。
「一咲! どうせいるんでしょ!?」
生徒会室の扉を乱暴に叩いて不躾に開けた。いくら教師であってもこんな振る舞いが許されるのかと疑問に思ったが、成宮一咲は呆れたような表情で先生を見るだけだった。
「マーガレット……貴方がそんなに取り乱すのも珍しいね」
「落ち着いていられる状況じゃないの! この子、多重能力者なんだよ」
「確かなの?」
サイコメトリーで見えたビジョンでも疑問には思ったが、会長と先生は妙に近しい距離感だ。
躑躅は会長を2回ほどしか目にしていなかったが、実際に前にしてみて分かる風格。歩く度に周囲の空気が震えているようだが、それでいて穏やかだ。正体不明、理解不能。そう言った単語が頭から離れない。
一咲は躑躅の頭の上に手をかざした。するとほんのりと青い光が眼前に現れた。そしてそれは躑躅の中に吸収されていったように見えたが、その後すぐに消える。彼女は静かに後ろに下がって口を開く。
「……うん、間違いなく多重能力者みたいね。エンチャントとテレキネシスとサイコメトリー。後2つくらいは能力を覚えられる素養を持ってる」
自分や能力を一瞬で言い当てられた。相当に熟練のサイコメトリーなら記憶から能力を即座に読み取ることも可能であろう。ただ、彼女が口にした素養という言葉が気になった。サイコメトリーは物や人の過去を読み取ることしか出来ないのだ。
「私、何かおかしいんですか?」
マクレーン先生は化け物でも見るような目で躑躅のことを凝視していた。少しばかり不快だと感じたが、すぐに会長が気を使って声をかけた。
「マーガレット。腫れ物を触るみたいに扱うのはやめてあげて。この子は私と同類ってだけでしょ」
「貴方と同類だったら困るから恐れているの!」
先生が柄にもなく取り乱している。
「蘧麦さん。単に君は『複数の能力を容易に覚えられる能力』の持ち主だったというだけの話だ。本来2つ目の能力を覚えるのは、利き手を変える以上に難しいからね」
朗らかな表情から真意は読み取れない。先生の反応からしても、それだけではないのは明白だ。
「その通り、それだけじゃない」
「え!?」
サイコメトリーであれば直接触れる程度には掌を近づけなければ心は読み取れない。この人は今、一メートルは前方にいる。
「余計なお世話かも知れないけど、君が能力を覚えやすいようにお呪いを掛けた」
「さっきの、青い光ですか……?」
「うん。大丈夫だよ、ほとんど効果は薄い。君の努力が誰からも阻害されないような術を掛けただけ。後は貴方次第だよ」
心底、理解できない事だらけだ。
「何者……なんですか?」
思わず口を突いて出たその言葉。
「生徒会長だよ。今も昔もね」
成宮一咲は悪戯っぽく笑っていた。
入鹿は屋上に佇んでいた。
両親に、「お前がこんなだから自分たちは苦労しているのだ」というようなニュアンスのことを言われた。もちろん、彼らにも悪気はないのだろう。売り言葉に買い言葉で強い言葉を言い放ってしまっただけだ。
そう分かっていても、心の奥底では自分は不要だと思われているのではないかと考えてしまう。入鹿は一気に自己嫌悪に陥る。自分の何がいけないのかは分からない。ただ親に邪魔だと思われている。その事実が入鹿の心を酷く痛めつけた。
今日は絆もついてきていないようだ。
このまま天空から飛び降りたら、何が起きるだろう。とんでもない高さだから、とんでもない速さに達して地面に叩きつけられる。
それはどんな気持ちだろう。
一瞬だから痛くないのだろうか。それとも、そんなことはないのか。
まあ、どちらでもいい。
このまま飛び降りてしまえば、そんなことは関係ない。
その運命に抗えなくなる。痛かろうがどうだろうが関係なく、死は訪れる。そんなことを思いながら入鹿は柵の上に立っていた。
「……死のうかな」
そんなことを呟く。
現実味のない高さである為に、大した恐怖はない。だからこんなところに立っていたら、本当に勢いで一歩踏み出してみてしまうかも知れない。
「水瀬さん!?」
「葉団扇くん」
「何やってるの、そんなところで! 危ないよ!」
「うん、そうだね」
驚いて落ちてしまうようなことにはならなかったが、正直それでもよかったような気が入鹿にはしていた。
「水瀬さん早く降りて、本当に危ないから!」
「……あのさ、葉団扇くん」
「な、なに? 話したいことがあるなら降りてから……」
「私が死んだら、悲しい?」
「悲しいよ! 何言ってるの!? そんなことを言うのはやめ――」
その瞬間入鹿は、バランスを取ることを完全にやめた。
「うああああ!」
絆が悲鳴を上げていた。
入鹿は、絆に悲しいと言われて幸せだった。それで救われたのに、なぜ死のうと思ったか。
両親からの援助でこの学校に通っている以上、家庭は自分とは切り離せない。今この年齢では難しいことだ。だから少なくともこの学校において自分の居場所を与えてくれた絆に感謝をした。未練はないと確かに感じた。
飛び降りた理由はそれだけではない。絆を含め、このエルミタージュで出会った沢山の奇跡。命を投げ打つような選択をすれば、その奇跡が何か美しい景色を見せてくれるかも知れない。絶望から生まれたほんの一欠片の希望だった。
入鹿の身体は宙に投げ出される。
「水瀬さんッ!!!」
入鹿の身体が柵の向こう側に落ちる寸前、既に絆は柵を乗り越えていた。
「やめて! 葉団扇くん!」
「嫌だッ!」
絆は落ち行く入鹿の手を握り締めた。しかし柵に手をかけることは間に合わず。
そのまま二人は、天空から雲海へ向けて落下していく。
空中で手を握り締め合った二人は何とかして口を開く。
「葉団扇くん! なんで!?」
「だって……水瀬さんが死んじゃうなんて、考えられなくて……!」
「バカ! 葉団扇くんまで死ぬことないんだよ!」
「僕だって死にたくない! 二人でもっと生きたいよ、この場所で……!」
生きたい。
――生きたい……!
「!」
躑躅はそんな言葉を聞いた気がした。
最近は常に入鹿の感情に気を配っていた躑躅だったが、今日は特段様子がおかしいことには気づいていた。
躑躅は絆に入鹿のことを任せてからも、彼女の様子を窺っていた。二人が柵から落ちてしまった瞬間を見てしまった。大概の人間はその時点でパニックを起こすか膝から崩れ落ちるかだろう。だが躑躅は入鹿のことを助けたいと思っていたし、何より聞いてしまった。
『生きたい……!』
その想いを聞いてしまった。これは自分の能力に依るものではない。恐らくは絆が魔術で無意識化に飛ばした精一杯のメッセージ。
躑躅は天空校舎の屋上からテレポートマシンのある5階層下まで、螺旋階段の中心を飛び降りる。周囲から悲鳴が聞こえるが聞き流す。十数メートルの高さを飛び降りて無事で済むかは定かでなかったが、今の彼女に痛みを感じている暇さえなかった。
すぐにテレポートマシンで地上へ戻る。
「それにしても……」
絆への嫉妬や羨望の気持ちに気付いてしまってからと言うもの、彼への嫌悪感は少しずつ制御できるようになっていたつもりだったのだが。
「どこまでもムカつく奴……!」
身を挺して友人を救おうとして自分まで落ちてしまうなんて情けない。周囲の誰よりも高度な魔術を活かせないなんて、ふざけた奴だ。
躑躅は、入鹿が自殺しようとした際に何も行動しなかった自分を棚に上げてそう思う。
「あれだ……!」
まだ米粒のような大きさにしか見えないが、確かに人が落ちて来ている。周りの人間は誰も気づいてはいない。
「受け止めるしかない……!」
躑躅はエンチャント能力で全身の力を3倍まで引き上げた。
――上空。
「うわ!?」
唐突に体が軽くなったような感覚がした。強風が吹いているのだ。
その衝撃で思わず二人の手は離れてしまう。
「葉団扇くん!」
「水瀬さん!」
一度離れる方向に速度が発生してしまえば、それは外力が加えられない限り止まることはない。
「あ!? あの二人離れた!」
周りの生徒たちが訝しげな目で躑躅のことを見るが、気にしている場合ではない。
「なんて面倒なことしてくれるの、あいつ!」
その瞬間、躑躅の両足と左腕から橙色の炎が噴出した。
絆が落下すると想定される地点まで全速力で駆けて行く。それは短距離走世界記録保持者のそれよりも遥かに速い。
しかも躑躅は走りながら、入鹿の方へ右手を向けてテレキネシスで速度を落とし続けている。
「一応助けるけど……死んでも私は責任取らないから!」
躑躅は絆を左腕でキャッチしようとしている。
人が終端速度で落下してきているのだから、凄まじい衝撃が走る。しかし躑躅は既に身体能力の著しい向上を促す超能力を会得している。だから自分自身の身体の心配はいらない。問題はキャッチされる側である。
腕は、当然ながらマットなどと比べれば硬い上、面積が小さい。その為大きな圧力が触れた部分に加わるだろう。絆はその衝撃で死んでしまうかも知れない。
それでも形振り構っていられる状況ではない。入鹿はテレキネシスで何とかゆっくり下ろすことが出来そうなのだ。そちらが優先である。
絆は魔術により障壁を張っていた。
こんなものでは落下の衝撃には耐え切れないとは思うが、何とか大怪我で済むかもしれないという一筋の望みに賭けたのだ。
しかしこれでは入鹿が助からない。
どうにか彼女も上手く助ける方法があれば良いのだが。
そうして地面は徐々に近づいてきた。というより、校舎の屋上に落下するだろう。
「ぐっ……!」
衝撃に耐えようと、絆は目を瞑った。
「あいつ! 面倒臭いところに!」
躑躅はタイミングを見計らっていた。絆は校舎の屋上に落下するようだった。
「今だ……!」
いくつかの足場を利用して四階分の高さを軽々と駆け上がり、絆を左腕でキャッチした。
「え……?」
絆は起こったことを理解できずにいた。
何者かが自分のことを空中で抱きかかえてくれたお陰で、衝撃が緩和された。
「だれ……?」
「生きてるね! なら良し!」
そう言ってその人は校舎の屋上から躊躇なく飛び降りた。
「わ、待って!」
絆が下を覗き込むと、落下してくる入鹿の元へ駆け抜けていく彼女の姿があった。
「カッコいい……」
生き残った安堵よりも先に、抱きかかえられた時に浮かんだ率直な感想が声に出た。
躑躅はテレキネシスで入鹿の落下速度を抑えているが、距離があることもあって不安定な制御となっている。
もしかしたら運悪く地面に叩きつけてしまうかも知れない。
だから躑躅は片手で入鹿の位置をコントロールしながら、余った方の腕で彼女を救出しようと決めた。
しかし。
「間に合って……!」
絆を救出した関係上、入鹿の落ちるであろう座標から離れてしまっていた。
この速さで走ってもギリギリだった。
「入鹿!」
左腕を入鹿の方へ向けてテレキネシスを発動させ続ける。そして潜在能力を限界まで引き出した両足で一気に入鹿の落下予測地点へと向かう。そして地面に激突する瞬間にテレキネシスの発動をやめ、両腕で最小限の衝撃で受け止めた。
とんでもないスピードで走っていたものだから、むしろそちらの方向への衝撃が加わってしまったのか、入鹿は気絶していた。
「入鹿! 入鹿!? あ……大丈夫だ、生きてる……よかった……」
そう言って躑躅はその場にへたり込んだ。
噂は学校中にすぐに流れた。
空から二人の生徒が落ちて来て、その二人をたった一人で救出した生徒がいると。
落ちたのが入鹿と絆であることも、躑躅が救出したこともなぜだかすぐにバレていた。
三人は生徒指導室に呼び出された。
「蘧麦さん!助けてくれてありがとう!」
絆は無邪気にこちらに手を振ってくるが、躑躅は反応しない。彼のお陰でこちらは面倒なことになったのだから。
「……人死にが出たら気持ちよくはないでしょ。あんたを助けたのはついでだから。本来ならあんな面倒なことにしてくれたあんたは自業自得で死ねば良かったんだけどね」
「う、うぅ……そこまで言わなくてもぉ……」
そこへ、入鹿もやってきた。
「怒られるのかな……」
「そりゃそうだよ。今までこの学校で自殺者なんて一人もいないんだから、今教師陣も大騒ぎだよ」
「え、えへへ……」
「私はあえて触れないようにしてたけど……間違いだったみたいだね。悩みがあるなら絶対隠さないで。少なくともこの私には」
「うん……もう分かったから。自殺なんて、もう絶対しない。あれは、勢いだったから」
「勢いで友達に自殺されちゃ困るし、更にその勢いに呑まれてそこの馬鹿まで落っこちるし」
「あ、あはは……」
絆は自分が馬鹿呼ばわりされていることに対して抗議しようとしたが、確かに馬鹿だったなと自分でも納得したようで一人合点していた。
マクレーン先生が到着し、口を開いた。
「さて三人。分かっているね?」
「はい……反省してます。本当に死ぬ気はなかったんです。勢いで」
まず入鹿が謝った。
「葉団扇さんは?」
「助けようとしたら、僕も落っこちちゃいました……えへへ」
「えへへって……今後軽率な行動は慎みなさい」
「は、はい」
そして教師の目は躑躅へと向けられる。
「蘧麦さん。貴方もどれだけ危険な行動をしていたか、分かっているの?」
「は?」
「螺旋階段を一番上から飛び降りたり、校庭を全速力で駆けたり、屋上へ飛び上がったり飛び降りたり、色々聞いているのだけど」
「はあ!? この二人を助ける為にやったことですよ!? 私がその危険を冒さなければ、この二人は今頃肉の塊なんですよ!」
「いや違う。教師にまず知らせるのが正解。自分で助けようなんて出しゃばった真似をしたのは褒められたことじゃない」
「なんで……」
あれだけ必死で二人のことを助けたのに、なぜ責められなければならないのか。
「それに貴方だって死んでたかも知れない。多重能力者であるとは言え、未熟な能力を使って遥か空高くから落ちてくる人間を受け止めるなんて正気の沙汰じゃない」
納得いかない躑躅は歯ぎしりする。この先生は苦手だと改めて思う。
「……しかし、全員一年生でありながら天空校舎から落っこちて誰一人怪我すらしなかったのはとんでもない奇跡。そこは誇っていい」
「ですよね! 僕たち凄いですよね!」
「ええ。その点に関してだけはね。才能があったのかしっかり勉強をしていたのか、はたまた両方かは分からないけれど。例え六年生だって天空校舎から落ちて生きてる生徒なんて普通いないだろうから」
「やっぱり僕たち凄いんだ!」
「……だから今回はその奇跡に免じて全て許してあげる。水瀬さんは悩みがあるならすぐに友人にでも先生にでも相談すること。葉団扇は軽率な行動は控えること。蘧麦は出しゃばり過ぎないこと。以上」
教師の説教から解放されてすぐ、躑躅は逃げようとする。
「わあ待って! どこ行くの、蘧麦さん!」
「アンタと一緒にいたくないから」
「ねえ、僕のことそんなに嫌いかな……僕はただ、仲良くしたいだけなのに」
「私はあんたのことが嫌いだ。うるさいし、面倒だし……それに」
「?」
一瞬バツが悪そうに目を逸らす躑躅。
「私が何の為にアンタなんかに入鹿を頼んだか分かってるの? 私も甘かったけど……あの場で自殺を止められなかったアンタも大概だ。そういう中途半端なとこも含めて大嫌いなんだ」
「うぅ……」
目を潤ませて心底残念そうに俯く絆。
「ああもう、そう言う弱っちい所も私は大嫌い! 少しでも私に気に入られたいと思うならもっと強くなって」
一呼吸置いてから、躑躅は落ち着いて口を開く。
「またね、二人とも」
「え……うん! さよなら!」
なぜ自分に別れの挨拶を掛けてくれたのか絆には分からなかったが、とにかく言葉を返した。
「葉団扇くんと躑躅って、そんなに仲悪かったんだね……知らなかったよ」
「ううん。水瀬さんのお陰で寧ろちょっと近づけた気がするよ」
先ほどまで泣き出しそうな表情だった絆は既に前を向いて微笑みを浮かべていた。
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