第四章 零れないように
確かに、僕の前に二人の彼女が存在していた。
ベットに横たわる彼女は、目を開けることなく力なく眠り続けている。
「私の肉体はここにいるんです。あの日からずっと、ここで眠っています」
「どういうことだ?」
「私はあなただけにしか見えません。嘘をいってしまいましたね」
すみません、と彼女はいう。
「私は、あなただけにしか見えませんし、触れません」
とっても不思議で都合の良いことですが、と彼女は笑う。
そして、彼女はいう。
「妹は私が死んだあの日から目を覚ましていません。なぜなら、私と妹は元々同じ人間だからです」
彼女は続ける。私たちは多重人格なんです、と。
私は妹が作り出した、姉という人格なのだ、と。
「妹はあなたが好きでした。そこで、妹は私という快活な少女の人格を無意識に作りました」
話を聞こうと、僕は先を促した。
「妹の目論見どおり、あなたは私を好きになりました。しかし、ここで大きな、それは大きな問題がありました」
彼女は一息開けて、いった。
「私もあなたを好きになりました。十年前のあの日、私は私の気持ちに気が付きました」
拙いながら必死になってやった射的。
たくさん捕ると意気込みながら、二人で一緒にやって、結局一匹も捕れなかった金魚すくい。
お金が無くなり、出し合って買った一つのりんご飴を二人で齧りながら歩いた道。
手を引かれ行った鳥居の下で見た花火。
「挙げると切りがありません。その前からもきっと惹かれていた。だって、元々私が好きになった人なんですから」
趣味が良いとはいいませんけどね、と茶化しながら付け加える。
なので、私は消えてしまおうと思いました、と彼女はいった。
「あの日、あなたは私に想いを伝えようとしてくれていました。それはもう、こういうのに疎い私でもわかるくらいの」
「ああ。あの日僕は君に想いを伝えようとしていた。それはもう顔から火が出そうなほど赤色にしてね」
彼女は笑う。
「とてもうれしかったです。それこそ、それはもう天にも昇る気持ちでした」
でも、私には許されることではなかったんです、と彼女はいう。
「私は妹のことが大切でした。私の意識の隅で、悲しんでいる姿に耐えられませんでした」
「それで、ああいうことをしたんだな」
「はい。私はあなたが気持ちを伝えようとする前、あなたから逃げました。そして、死なないような高さを選んで、飛び降りました。そして、これは私の意識だけで行ったことではないのだと思います」
そう彼女は濁した。
「まあ正直、幼心にだいぶ傷ついた。あれから僕は、こうして君に会うまで緩やかな死しか頭になかった」
彼女は本当にすみませんでした、と深く頭を下げた。
綺麗な髪がはらりと下に落ち、僕はそれに触れた。
「僕も人のことはいえないが、君も馬鹿だったんだな。僕の知らないことをなんでも知っていたのに」
「あまり女性の髪を気安く触るものじゃないですよ」
「君だからこうしている」
はあ、と彼女は息を吐くが、顔は確かに赤ばんでいた。
「幼心に私が苦心した結果がこのざまです。未だ妹と私の体は目覚めません。でも、なんとなくですが、私にははっきり確証があることがあります」
夏祭りから三日後の日、私たちの体は意識が戻るか、または死んでしまいます、と彼女はいう。
「その時、私は完全に消えるのだと思います」
「夏祭りの伝承が起こしてくれた奇跡か」
「そういうことです。そして私は幸せなんです」
あなたと一緒にいれるのは私にとって幸せなんです、と続けた後、彼女は僕に寄りかかった。
「彼女を愛してあげてください。彼女は私なんですから」
「悪いが、それは無理だな」
「いじわるですね」
僕は彼女を抱き寄せた。
僕と彼女はもうこれ以上、何も言わなかった。
いつの間にか止んでいた雨は、葉に雫を残していった。
僕は彼女の暖かな体温が、腕の中で華奢で震えている体が、
夏祭りの日と同じ金木犀の香りのする髪が、閉じた瞼から熱をもって流れる涙が、
ここに彼女は確かに存在し生きているのだと叫びたかった。
夜蝉が激しくその存在を主張している中、僕と彼女は唇を合わせた。
思っていたよりもだいぶ柔らかく、そして甘い味がした。
どれほどの時が立ったか、僕たちは唇を離した。
「苦いです。きっとたばこのせいです」
彼女は目じりに涙を残して、口をとがらせ不満げにいった。
僕は笑って、ちょうどいいさ、といった。
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