第三章 満たされぬは
「それ、やめないんですか」
不機嫌な彼女の声が狭いワンルームに響く。
口に溜めた煙を肺に入れて、残ったものを口外へ吐き出す。
「申し訳ないけど、僕はこれがないと生きていられないんだ」
僕の答えに少し顔を顰める彼女。
「いつからこんな堕落した生活を。私は私がいなくなった後の心配なんてしたくないです」
「大丈夫。君がいなくなったら僕もなるべく早めに君の所にいこう」
そういうところです、とさらに彼女は顔を顰める。
それより、と僕は話を切り替える。
「あと三日間しかない。君の未練を解決していこうじゃないか」
「早速新たな未練が目の前に転がっているんです。が、まあいいでしょう」
僕たちは昨日の話を反芻していく。
夏祭りの後、僕たちは残された時間で、彼女がしたいことをやろうという話をした。
そこで新たに分かった事実も幾つかあった。
まず、彼女の妹は今まで入院していて最近目を覚ましたばかりらしかった。
それがいつからか、なぜそうなったのか。それがわからないので、
今から明らかにしていこうということだ。
「じゃあまず病院にいこう。保護者はいるんだろう? 」
「一応います。が、私たちは身寄りがないに等しいです」
なんでも、彼女たちは子供の時から送られる仕送りで
二人で支え合って生きてきたらしい。
入院の時もその親戚の保護者が手助けしてくれたのだろうとのことだった。
「子供だけで生活していたのか」
「そうですよ。でもあなただって、同じようなものだったでしょう」
ああ、と僕は答える。
僕の両親は家を空けていることが多かった。
「似ているな」
「そうですね。だからお互いに惹かれ合ったんでしょう」
恥ずかしげにもなく彼女はいう。
僕は苦笑しながら同意を示し、なんで昔教えてくれなかったんだ、
と一人ごちてから話を進める。
「じゃあ、今日はとりあえず病院にいこう」
僕たちは軽く支度のため準備を始める。
「そういえば浴衣なんてどこにあったんだ? 」
「あれは亡き母の物です。窓から家に侵入して取ってきました。ああ、安心してください。誰も住んでいませんでしたよ」
まあ私たちの家ですし、と、ぎょっとした僕に気付いて彼女は付け足す。
亡き母の浴衣を亡き娘が着る、とっても可笑しい話で私らしくて好きです、
と彼女はさらに付け足した。
どこからか取り出した白のワンピースを身にまとう彼女はあまりに美しくて、
まさにこの世ではいない様相を呈していた。
「ほら、行きますよ。何見とれてんですか」
「ああ、悪い。昔を思い出していた」
「白いワンピースは昔から私の十八番ですからね。あなたが性懲りもなく目を奪われるのも仕方がないことです」
「いや、あの頃と何も変わらず子供っぽいと思っただけだよ。どこか勝気なところも鳴りを潜めていないようで安心した」
頬を膨らせ、ぷいっと前を向いた彼女を見て、小さく笑った。
病院に行くまでの道のり、
僕にとっても懐かしい畑が立ち並ぶ道を歩いた。
あまり強くなく、軽やかな陽光は彼女の横顔を柔らかに照らしていて、
僕はそれを見ていた。
手を伸ばして彼女の手を軽く握ると、ゆっくりと握り返してくる力を感じた。
口元を引き締めている彼女は、僕にはどこか悲しそうに見えた。
彼女は今何を考えてるのだろうと、僕は聞きたかったが、
それを伝えることはなかった。
蛙が水面を跳ねる音、トンボの羽音や蝉の鳴き声、
どこかから吹いてきたそよ風が運ぶ土の匂い。
全てがその生命の存在を叫んでいるようで、少しだけ痛かった。
「みんな、いるんですね」
彼女は独自のようにつぶやく。
「たしかに存在しているんです。いずれ、それが終わりを告げるとしても」
なのに、と彼女は続けたが、それ以上を口にすることはなかった。
空色が変わり、地面を湿らす涙雨が降り始めた。
虫たちの声は鳴りを潜め、代わりに蛙の鳴き声が良く響く。
病院に着き、名前を伝え、病室に案内される。
個室のドアを開けると、ベットにいないはずの誰かが横たわっているのが見える。
胸の鼓動が嫌に高鳴るのを感じ、その人物を確認する。
また、僕の時が止まる。
「あなたってほんとに変な人」
開けられた窓から風が入り、机に置かれた本のページを捲る。
「病院にお見舞いにきたのに、ずうっと黙り込んでいるんですもの」
病室に勢いを強めた雨音と声が響く。
「あたしと心中しない? 」
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