第二章 過ぎた時間

「せっかくの夏祭りなんです。一緒に回りませんか」



彼女はさっきいった物騒な言葉がなかったかのように振舞う。



なぜ彼女は生きているのか。



もし死んでいるなら、なぜ実体を持っているのか。これまで何をしていたのか。



様々な疑問は、あれほど願った彼女との夏祭りを過ごしながらも湧き出てくる。


「なあ、なんで君は生きているんだ? 十年前、僕は確かに訃報を聞いた」


 屋台で買ってきたりんご飴を熱心に眺めている彼女にいう。


「もう。せっかくの夏祭りなんですよ。私たちにとって、これは大事な大事な十年前の続きなんです」


「確かに僕はこの日が来るのをずっと待っていた」


でも、それは来ることがない日々で、もうとっくに諦めていたものだった。


「なら、それでいいじゃないですか。私と君、二人で今を楽しめばいいんです」


彼女はそう言ったあと、こちらに手を差し出した。


僕は無言で彼女の手を握り、彼女の顔を見ようとしたが、うまく彼女は顔を逸らし、


僕には花火を見上げる彼女の後姿しか見えなかった。


「綺麗ですね」


「綺麗だな」




「さっきのお願いです」


彼女はこちらを向き、僕をはっきりと見据えた。


「これは私の体じゃないんです。私には年の近い妹がいたでしょう?」


僕の記憶の中に、彼女とは違い少し引っ込み思案な妹の姿が思い起こされる。


「私、妹の体に憑依してるんです。このままでは妹は自分の人生を生きられません」


だから、と彼女はいう。



「私を殺してください。あなたにしか出来ないんです」


彼女の目は真剣で、でも僕にはとても肯定できない話だった。


「嫌だ、といったら?」


「私が悲しみます」


「それは困るな。だって僕は十年前から変わりなく君が好きなんだから」


出来るだけ自然にを心がけて、あっさりと伝える。


彼女は目を見開いて、口を真一文字に結ぶ。


しばし無言が続き、観念したように彼女は口を開く。



「会わない間にずいぶんと成長したみたいですね。でも口説き文句にしてはありきたりで、感動に欠けます」


「それは他にそんなことをいう相手もいないから、経験に欠けているんだろうな」


僕はそのまま続ける。


「でも、もし妹さんに憑依しているっていうなら、悪いが僕はそれを解く手助けはしない」


彼女は呆れたように溜息をし、じーっと恨めしそうにこちらを

見る。


「そんな風に見ても答えは変わらない。それより、いつから憑依したんだ?」


「今日です。気が付いたら意識があって、周りを調べているうちに自分に起こったことが理解できました」


たぶん、と彼女は続ける。


彼女が憑依することが出来たのは、


この夏祭りに古くから伝わる伝承が関係していること。


古く、ここにあった村には霊媒師がいたという。


その霊媒師は過去からでも未来からでも、


生きていたとしたも死んでいたとしてもその人物の意識を憑依させることが出来たらしい。


だが、それが出来るのは現世では夏祭りが行われる日、すなわち今日がその日だという。




「聞いたことはある。でも眉唾だな」


「そんなこと言ってる場合ですか。現にこうして私がいること、


 状況を考えるに事実であったと考えるのが自然です」


「じゃあ妹さんにその力があって、意識的に呼び出したってことか」


「それはわかりません」



僕たちは自然と人混みを避け、花火が見やすい地元の人間の中でも一部しか知らない場所、


今日彼女と最初に出会った鳥居まで来ていた。




ここからが本題です、と彼女はいう。



伝承では夏祭りの日を数えず三日目の夜に、憑依が解けなければ、その体は憑依体に


一生乗っ取られるということらしい。


彼女を追いかける際、落としてしまったライターを見つけそれを拾う。


「む、聞いているんですか」


ふくれっ面で彼女はいう。


「やっぱり手助けは出来ない。理由は分かるだろう。  妹さんには申し訳ないが」


彼女の顔に再会から今まで見せなかった悲しみの色が浮かんだ。


そうですよ、きっと悲しんでいます、と彼女は少し目を伏せていった。


「でも、あなたと私が出会った時点でもうはじまっているんです」


なにが、という前に彼女は僕に抱きついた。


あまりの衝撃にすべてが消えてしまったように感じる僕に、頬を綺麗な朱色に染めた


彼女は伝える。






ーー伝承での憑依が解ける条件、それは愛なんです。







彼女の言葉が頭に引っ掛かり、幾度も逡巡し、


僕はこの問いに答えが既に存在していることを知った。


そう、これはきっと彼女のいうとおり、はじめから全て決まっているんだ。


どうにもできないことを悟り、こちらを見ようとしない彼女の赤い頬に軽く触れて、


抱きしめ返した。




今もなお上がる花火、それは赤や緑や青の様々な色に染め上げられて、


欠けた月を覆い隠すように薄い黒の夜空に弾けた。



崩れた鳥居の下、僕たちは言葉を発することなく、


抱きしめあう互いの腕を離れないよう、その背に結びつける。




いつからか聞こえる彼女の微かな嗚咽は、僕の耳から離れることがなく、


僕もまた離そうとしなかった。



彼女との時間は、僕のこれまでの時間を嘲笑うかのように塗り潰していき、


あとには何を残すのかさせ知らせようとしない。





僕は彼女を二度と離したくないと、強く思った。



それが叶うことのない願いだとしても、僕は願うことしか知らなかった。










その日、最後の花火が打ちあがった。




これまでより大きく派手な演出がなされたそれに観衆は目を奪われ、


静かに感嘆の溜息が漏れる音が所々に聞こえた。





鳥居の下、二人が抱きしめ合ったまま、


十年ぶりに行われた夏祭りは終わりを告げようとしていた。

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