初夏、美しくて。

@ylllll

第一章 あの日の君へ

七月の初め、僕は珍しく雑多な人混みの喧騒の中にいた。


二十歳になった僕は、お世辞にも社交的な人間とはいえないだろう。


人が嫌いで、駅から離れた寂れたワンルームの部屋で、


暇さえあれば安い酒と煙草の煙を不健康に痩せた体に流し込んで、過去に浸る。


これは大学に入ってから今まで全く変わっていない僕の日常。


僕はこういう、どうしようもない人間だった。


そんな僕がなぜこうも人に溢れ、いかにも自分は幸福ですという顔たちに紛れて、


様々な出店が立ち並ぶ道を歩いているのか。


僕は過去の記憶に導かれるように、地元でおよそ五年ぶりに行われている夏祭りに来ていた。


僕はあの日と同じように、気のよさそうなおじさんがせわしなく働いている屋台に並んだ。


「りんご飴を一つ」


どこかそっけなく言った僕の言葉に気を悪くするような素振りもなく、


おじさんは愛想で作った笑顔と共にりんご飴を僕の手に渡す。


僕はあの頃と比べて少し老けたおじさんを見て、


確かに流れている世界の時間の流れを感じていた。


お礼をいって、人の群れに戻る。


りんご飴を少しかじり、その破片を口の中で転がしながら、 

 

流れに身を任せゆっくりと歩く。


周りの人間はどこか自分とは違う世界で生きて動いているように見える。


僕にとって、辺りの屋台や、草刈りから逃れ少し残った草たち、


空中で羽音を立てて飛んでいる虫のような背景らと彼らは同じで、


それら全てが溶け込んで、まるで自分はここに取り残されたたった一人の人間に思えた。


やっぱりここにくるんじゃなかった。


僕は後悔と共に、目的であった小さな鳥居がある場所に向かった。


少し入り組んだ獣道を通らなければいけなくて、わざわざここに


来るような人は少ない、いやいない。


僕は獣道を歩きながら、十年前のあの日、ここを一緒に歩いた少女を思い出していた。


「二人だけの世界みたいだね」


はみかみながらそう言った彼女の言葉が頭に響く。


僕は無性に煙草が吸いたくなり、その形が見えてきた鳥居にたどり着く前に、ライターを取り出し火を付けようとした。


その時だった。


鳥居のすぐ下に、こちらに背を向けて佇んでいる人影が見えた。


自分の喉が普段しない動きで息を呑んだのが分かった。


こちらの足音が向こうの人影に聞こえたのだろう。


その人物はゆっくりと僕の方に振り向く。


僕の心臓が、激しく、今にも壊れてしまいそうなほど暴れている。


淡い紺色の浴衣に肩に届かない辺りで切りそろえられた、漆が塗ったようにきれいな髪。


そして、その顔が確認できる距離にまで近づいた時、僕の時間は止まった。


透き通るような白い肌、大きく見開いた形のいい瞳が僕の姿を捉えていた。


「ーー」


僕が言葉を発しようとする前に彼女は後ろを振り向き、走り出した。


僕は火を付けようと取り出したライターを地面に落とし、彼女を追いかける。


「まって、君はーー」


久方ぶりに使った足の筋肉が悲鳴を上げるが、無我夢中に彼女の後姿を追って走る。


僕の頭に様々な考えが溢れ出しては、今確かにある現実に引き戻され、ただ走った。


舗装されていないあぜ道から、次第に人が歩きやすいような道に変わってきている。


そのまま夏祭りの喧騒の中心である屋台が立ち並ぶ道に合流し、


僕はその勢いを殺せないまま、


祭りを楽しむ人たちの前に躍り出るような形で飛び出してしまう。


息を切らしながらあぜ道から出てきた僕に、周囲は不審げな目線を向けるが、


そこに都合よく花火が上がる大きな爆発音が聞こえて、


その美しい火々を見ようと僕に気を取られていた人々は空を見上げ、


僕が息を整える頃にはすでに自分たちの祭りごとに興味を戻したようだった。


見失った。


僕は彼女の姿を探し辺りを見渡すが、そこにはどれも同じような風景があるだけだった。


少し肺に新しい空気を入れて、僕は今自分に起こったことを整理しようと頭を動かす。


記憶の中、僕を過去の住人にした彼女は、10年という時を経て少し大人びていた。


僕は思う。


今、何が自分に起こったのかと。


あまりにも不可解で、不自然。


それでもどうしようもなく僕は幸福を感じていた。


記憶の中で想いつづけた彼女との再会。


だが、どうしても信じられなかった。












だって、彼女は、十年前の今日、確かに死んでいるのだから。















「びっくりしちゃいました」


後ろから突然、声が聞こえる。


周りの喧騒を置き去りにして、声の主はそのまま続ける。


「おかげで、せっかくの着物が台無しです。どうしてくれるんですか」


僕はわざと、ゆっくり振りかえって、声の主を見た。


あまりにも自然に彼女は僕を見抜いていて、目が合うと少し吹き出して笑った。


「それじゃまるで死人を見るような顔ですよ。ちょっと心外です」


彼女の言葉に、僕は安堵の気持ちが、胸に広がるのを感じる。


でも、それは長く続かなかった。


「ああ、そうだった。私、死んじゃってるんですね」


そのまま、事実なのに心外なんて言ってすみませんでした、と彼女は続ける。


「なんで君は僕に見えるんだ?」


僕はしたくなかった納得を胸に押し込んで、やっと声を出した。


少しかすれている声は、出したはずの自分の耳に強く残った。


「私、死んでいるけど生きているんです。実はみんな、私を見ることが出来ます」


すごいでしょ、と彼女は胸を張る。


これまで、積極的に動かすことをしてこなかった僕の口は、


これ以上はもう一言も発せないようだった。


「そしてもう一つ、実は、があります」


少し悪戯っぽく笑った彼女はいう。


「私はあなたに、大事なお願いがあります」







大きな音と共に打ちあがった花火と、どこからか運ばれてきた微かな香水が混ざった匂い。


そして彼女の鈴を鳴らしたような声は、この世界に溶け込むことなく、


ゆっくりと、でも確実に僕へと染み込んでいく。







「私を殺してください」









初夏、僕は美しくて、残酷な過去と出会った。

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