婚約破棄記念日

木村直輝

婚約破棄記念日

「ウープ! お前とは婚約破棄だ!」

 高貴な衣装と貧相な頭髪を身にまとった男性が、くたびれたネクタイを震わさんばかりに怒鳴り散らす。


 賑やかだった貴族たちのパーティ会場が一斉に静まりかえる。


「あら、リケット様。どういうことかしら?」

 きょとんとした顔で小首をかしげる女性もまた、高貴な衣装に身を包んだ貴族の一人だ。

 豊かな巻き髪と華やかなよそおいが目を引くが、何よりも魅力的なのはその気品に満ちた堂々たる立ち振舞いである。


「とぼけるのも大概にしろ! お前がしばらく前からこそこそと、男どもと密会しているのはわかっているんだ!」


「誤解ですわ。密会だなんてそんな」


「誤解? 嘘をつけ! お前がこそこそと獣人街じゅうじんがいを出入りしていることは調べがついてるんだ! 確かに奴らは遊び慣れしているだろうからな。貴族としての礼節だ学問だ軍略だと、勉強ばかりしてきた私なんかといるよりよっぽど楽しいだろうが、だからと言って……。だからと言って!」


「はぁー……。本当に誤解ですわ、リケット様。たしかにわたくし、このところ獣人街の方々のお世話にはなってはおりますが」


「それ、見たことか!」


「違うと言ってるではありませんか。最後まで聞いてくださいな。わたくしはただ、獣人の皆様と商談をしていただけですわ」


「商談?」


「ええ。知っていらっしゃる? 絹羊シルクシープ。とっても珍しい羊のモンスターなんですのよ。そのシルクシープかられる羊毛で作った生地は、本当にうっとりするくらい綺麗で触り心地がいいんですの」


「……そっ、それがどうした」


「シルクシープは東の大陸にしかおりませんでしょう? ですから、異国のモンスターを数多く扱っていらっしゃる、獣人街の方々と直接お話させていただいて、譲っていただこうと思いまして」


「フン。そんなもの、召使いに頼んで取り寄せさせればよいではないか。わざわざお前自ら出向く理由がどこにある」


「それは……、自分の足で手に入れたかったから……」

 ウープ嬢が不本意な表情かおで言い訳をする。


「フン、適当なことを。それだけではない。ウープ。お前、最近ドワーフの連中と町の工房でこそこそ会っているな」


「そっ、そんなことまで……」

 ウープ嬢の顔に焦りが滲む。


「フン。その顔、やはり後ろめたいことがあるのだな? はぁ……。確かに奴らは男らしいよい体つきをしている。タングステンなんか、男の私が見ても惚れ惚れするほどの筋肉だ。コバルトもニッケルも、近頃の若いドワーフは身なりにまで気を使っている。私では足元にも及ばんさ……。だが、だがなぁ。だからと言って!」


「リケット様。それも誤解ですわ! たしかにわたくしは最近、タングステン殿の工房でお世話になっております」


「それ見たことか! 一体なんのお世話になっているのだか。ああ、けしからん、けしからん……」


「けしからんのはリケット様のお考えですわ。最後まで聞いてくださいまし。まったくもう。わたくしはただ、お仕事をお願いしていただけです。ドワーフの皆様は、手先がとっても器用だということは、リケット様もよくご存じのはずでしょう?」


 彼女の言う通り、ドワーフたちの技術は非常に優れている。

 このパーティ会場にあるシャンデリアやテーブルに椅子、食器から美術品に至るまで、多くの品物はドワーフたちがこしらえたものだ。

 リケット卿やウープ嬢たちが身に着けている衣装や装飾にも、ドワーフたちの器用な手先が活かされている箇所は少なくない。


「……それがどうした。何か入り用なら、召使いに頼んで用意させればよいではないか。お前自ら、あんなむさ苦しい工房に出向く理由がどこにある」


「だからそれは……その……」

 ウープ嬢が苦しそうに言いよどむ。


「まだあるぞ、ウープ。最近はついにエルフとまで密会をしているな?」


「っ!」


「フッ。私は忙しく、お前の相手をろくにしてやれん。おまけに教養ばかりのつまらない男だ。決して若くもない。少しくらいの浮気は多めに見てやろうと思っていたよ。だが、だがなぁ……」


「……」


「エルフ……。エルフとな? ああ、エルフは美しいさ。顔も体型も、美男美女が揃っているよ。特に髪! 綺麗でふさふさした美しい金髪! 私の禿げ頭とは太陽と火蜥蜴ファイアサラマンダーの差さ。どうせ私はエルフの髪よりつややかな頭のお月様だよ!」


「はぁー……、リケット様」


 熱を帯びヒートアップしていくリケット卿とは対照的に、ウープ嬢は冷めた溜め息をついて続ける。


「――少し落ち着いてくださいまし。わたくしがエルフの方たちとお会いしているのも事実ですわ、でも! それは元素エレメント染めのためです」


「エレメント染め……」


 “エレメント染め”とは、エルフ族に伝わる魔法技術を使った美しい染物のことである。

 布や紙はもちろん、陶器や金属に至るまで、あらゆる物をまるで宝石のように美しく染め上げることのできるたくみの技は、形無き国宝とまでうたわれる伝統工芸だ。


「ええ、エレメント染め。まあ、あなたはどうせまた、そんなもの召使いに頼んでうんたらかんたらくどくどくどと言うんでしょうけれど」


「だっ、だって……、その通りではないか」


「……」


 しばし、沈黙が流れる。


「――もう、うんざりですわ」


「……」


「わたくし、リケット様のそういう疑り深いところ、大っ嫌いなんですの」


「っ!」


「ちょうどいい機会ですわ。パーティ中に婚約破棄とおっしゃってくださったこと、感謝申し上げます」


「っ。なっ、何を……」


「皆様には証人、立会い人になっていただきましょう。――ブリーズ、あれを」


「……」

 召使いのブリーズは無言の浅い一礼を返事に代えると、その場に暇をたまわった。会場に張りつめた空気と凛とした主人が残る。

 間もなく、ブリーズは会場の空気などどこ吹く風、主人だけを満足させるゆったりとした速度でもって戻って来た。


「ありがとう。――はい、これ」


「っ!? これは……」


 それは――。


「わたくし、あなたの疑い深くて気弱で自信がなくて、そのくせプライドが高くて、私がいると時々後先考えずに爆発するところが大っ嫌いだわ」


「っ……」


「他にもあなたの嫌いなところ、夜空に星を見つけるくらい、いくつも簡単に見つけられるの」


「っ~……」


「でもね、そんな好きになれないところも許せないところもたくさんあるあなたのことは、わたくし、とっても好きなのよ? 心から愛しているわ、リケット様」


「なっ!」


「ほら。さっさと受け取ってくださいな」


 そう言って差し出されているそれは――。


「――新しいネクタイよ。リケット様、いつまでそのくたびれたネクタイを着けているつもり?」


「……それは」

 戸惑うリケット卿に、ウープ嬢は涼しい顔で言う。


「貴族ともあろうものが、身だしなみに気を使わなくてどうするの? リケット様、ここぞという時はいつもそのネクタイでしょう?」


「それはっ! これは……」


「でもこれは、わたくしが自分の足で方々ほうぼうを回ってこしらえて貰ったネクタイよ。獣人たちのシルクシープで、ドワーフたちの技術で、エルフたちのエレメント染めで作られた最高の一本。わたくしが初めてリケット様に贈った、そのネクタイと交換するにはおあつらえ向きでなくって?」


「……うっ、うむ」


「まったく、馬鹿なんだから……」


「……」


 しばしの沈黙の後、ウープ嬢が口を開く。


「ねえ、リケット様」


「……?」


「わたくしたち、そろそろ婚約は終わりにしませんこと?」


「――!」


 絶句するリケット卿に、ウープ嬢が微笑んで言う。


「結婚しましょう、リケット様」


「なっ……、は?」


「ふふ。いい加減わたくしたち、結婚してしまいましょうと申し上げているのです。その方がリケット様も安心できるでしょう?」


「いやっ、それは……そうだが……しかしなぁ。それには色々と、その、互いの家の問題も、その、色々とだなぁ……」


「そんなもの、わたくしが言いくるめて差し上げますわ。わたくしを誰だとお思いかしら?」


「いや……、だが……、しかし……」


「もしやリケット様、わたくしとの結婚がお嫌でして?」


「そっ! そんなわけあるか! だが、しかし……、体面だとか、立場だとか、タイミングだとか、私たちには色々と……」


「ふっ。リケット様、今さら体面? 立場? タイミング? をお気になさるおつもりかしら」


 そう言ってウープ嬢がパーティ会場を見回して見せると、リケット卿はバツが悪そうに顔をしかめた。


「――皆様ぁ! わたくしとリケット様の結婚に賛同してくださる方は、拍手をしてくださいませー!」


「なっ! おまっ! 何をっ!」


 ……しばしの沈黙の後。

 会場にパラリパラパラ拍手が起こり、あっという間に大喝采が巻き起こった。


「もう一度、申し上げます。リケット様」


 会場中の拍手がピタリと止む。


「わたくしと結婚していただけませんか」


「……もっ、もちろんだ」


「ふっ、ふふ……」


「なっ、何がおかしいのだ!」


「全部、かしら」


「……」

 リケット卿はしばし沈黙した後、意を決したように口を開いて、ウープ嬢の名前を呼んだ。


「何かしら?」


「その、先ほどはすまなかった。私はつまらないし、若くもないし、禿げている。だから、どうしても自信がないのだ。ウープに、愛してもらえている自信が……。それで、その、このパーティで私よりも魅力的な男たちに挨拶をするウープの笑顔を見ていたら、どうにも我慢が効かなくなってしまって……」


「はぁー。馬鹿な人。リケット様は出会った時から話がつまらないし、禿げていたし、気弱だったじゃない。そんなことで他の男に目移りするくらいならわたくし、初めからリケット様に愛してるだなんて言わなかったわ。そういうところも含めて、わたくしはリケット様というお人が好きなんですから。リケット様はこのわたくしにとって、最愛の人なのですよ? もう少し胸をお張りなさいな」


「う……、うむ。それと、それとだな……。このネクタイなのだが、ありがとう。永遠に大切にする。今度はくたびれてしまわないように、もっと大切に、大事に付ける」


「ふふっ。どういたしまして」


 ウープ嬢の言葉を最後に、穏やかな沈黙が流れると、それを待っていたかのように再びの拍手が二人を包み込んだ。

 その喝采にまぎれて、ウープ嬢は小さく呟く。


「まったく、馬鹿なんだから……」


 ――どうせリケット様はそのネクタイも、大事にくたびれるまで使い古してくれるのでしょう。

 ですからわたくし、これからは毎年ネクタイを贈りますわ。わたくしの足で方々を回って、こだわりを凝らした特注品の、リケット様だけのために仕立てられた世界で一本しかないネクタイを。

 そうね。今日はそういう記念日にしましょう。


 あなたが「婚約破棄だ!」と言ってくれたから、今日は婚約破棄記念日。





着想      二〇二二年 七月 七日

脱稿      二〇二二年 七月一二日

終加筆修正   二〇二二年 七月一三日

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