第51話 最強の味方が来てくれたの




 その声を私が聞いてはいけない。でも、足が動かない。


 それをただ立ち止まっていると思っているのか、彼はそのまま話を続けてくる。


「あの時はごめん。みんなとの勢いで」


「勢いで……、あんなこと出来ちゃうの?」


 自分でも声が震えているのが分かる。


「星野さんのこと、みんなが狙ってたし……」


「嘘だよ! もうすぐ死んじゃうって笑ってたじゃない! 覚えてるんだからね!」


「ごめん……」


「謝るくらいなら……いやっ、離してっ!」


 彼の手が肩に触れられたのを振り払う。


 こんなところ、早く立ち去ってしまいたい。でも、足が震えて動けない。蛇に睨まれた蛙のよう。また何かをされるの? 動いたら、押さえられちゃう……。


「中学の同窓会なんだけど、星野さんが元気だってこと、知らせた方がいいかな」


「そんなの知らない。あの日の私なんかとっくに死んじゃってる。また会うくらいだったら、死んだ方がずっとよかった!」


 体力と精神力の消耗が激しすぎてもうダメ……。もうすぐ泣き崩れちゃう。あの時の記憶が体の中から徐々に涌き出てきて、脂汗が流れ落ち、吐き気までしてきた。


「女の子嫌がってるじゃないか。いい大人が高校生相手に?」


 その時、私の後ろから割って入る声がした。


 振り返ると、そこには神さまが送ってくれた援軍が立っていてくれた。


「剛さん!」


 掠れて声がでない。でも、振り返った私の顔を見て、剛さんは目を丸くした。


「ひなっ!?」


 仕方ないと思う。高校生が大人に言い寄られているところを仲裁に入ったと思ったら、他ならぬ私だったんだから。


 動かない足を必死に引きずって、手を剛さんに伸ばす。


 剛さんは私のことをぎゅっと支えてくれた。


「こ、この人……、あの……時の……」


 声が枯れて出ない。それでも剛さんは瞬時に全てを分かってくれた。


「陽咲、何があっても動くなよ。もう大丈夫だからな」


「うん」


 私にそう言って落ち着かせると、私との立ち位置を交代した。


「突然なんですか?」


「なんですかだと?」


 いきなりの剛さんの登場に、彼は不快感をあらわにしたけれど、もう手遅れだ。


 私が見ても分かる。剛さんの全身からこれまでに感じたことのない怒りのオーラが吹き出している。


「てめぇか。陽咲を……許せねぇ」


 大人になっても、迫力で言えば5歳の差は大きい。それに大柄だし仕事帰りの作業着姿はただでさえ強そうに見えてしまう。


「昔のクラスメイトに声かけてはいけないですか? それに誰ですか? 突然現れては人を悪者扱いするなんて」


「ほぅ?」


 剛さんはそんな彼の抵抗をものともしなかった。鋭い目付きのままニヤリと口元を緩ませる。


「そんなに知りたきゃ教えてやろうか。この服を着ている理由は知らねぇけどな。俺は陽咲の旦那だよ。自分の嫁さんがピンチだって時に助けに入っちゃいけないんか? えぇ?!」


 この一瞬で形勢が逆転した。状況的にも一番不利な相手に食って掛かってしまった。周囲の野次馬もその一言で安堵した顔でいる。


「お前らがやったことはなぁ、何年経ったって帳消しにはならねぇんだよ。他人ひとの人生踏みにじりやがったこと、覚えてねぇとは言わせねぇぞ。しかも、親の力を借りて情報操作まで。その証拠を俺が知らねぇとでも思ってるのか?」


 剛さんすごい。そうか、業界のネットワークを駆使すれば、彼の父親の噂なんていくらでも手に入れることができる。


「す、すみません」


「ほほぉ、俺に謝るか? 今でもうなされて夜通し泣いてる本人に比べりゃぁ何でも言えるよな」


「あ、あの……」


 返す言葉がない彼。当然だよ。剛さんは私の身体と心にある傷を全て知っている。その傷を今でも一つずつ、少しずつだけど一緒に治し続けてくれている。


 女性として、いや人として生きる希望を失っていた私が再び立ち上がることができたのは、剛さんの必死の努力と愛情があったから。


「いいか、二度と陽咲に近寄るんじゃねぇぞ。残りの二人にも言っておけ。今度こそお前らが二度と外を歩けないようにしてやるからな」


 彼はこくこくと頷いて、その場から逃げるように立ち去った。


「大丈夫か?」


「うん。ありがとう」


 剛さんは買い物袋を持ったまま座り込んでしまっていた私を立たせてくれた。


「陽咲、まずは一緒に家に帰ろう。話はそれからだ」


「うん」


 いろいろ聞きたいことがあったと思うけれど、剛さんはその場では何も聞かず、私の手から荷物を持ってくれた。


「ねぇ剛さん?」


「どした?」


「早く帰ってきてくれて、ありがとう」


 本当に、あの場に偶然居合わせてくれなかったらと思うと、きっとまた私は壊れてしまったかもしれない。



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