第50話 まだ着れちゃうよ…この制服…




 一度荷物をお家に置いて、冷蔵庫を開ける。


 剛さん、お仕事とはいえ寒いところから帰ってくるから、あったかいシチューでも作ってあげよう。


 材料を頭の中にメモしていた時だった。


 先日、実家から持ってきた荷物の中身に目が行く。


 それはね……、私の高校の制服だった……。


 あんな事件があったから、私が松本市内の高校に行くのは気が引ける。


 だから、全日制ではなく、私立の通信制高校に進学したの。


 通信制といってもちゃんと毎日通える校舎もあって、私のような病気を持っていたり、家庭の事情がそれぞれある子、一度退学してしまってやり直しをしたいと通う年上の人。そんな生徒たちの受け皿になってくれるような、大きな宣伝もしていない学校。全校生徒も百人いなかったんじゃないかな。


 でも、そんなところだったから、双方の事は深く詮索しない。お互いに心を許せる間柄になって実情を聞いた子もいるけれど、それは他言無用が暗黙の了解。みんな一緒に高校卒業の資格を取ろうねという雰囲気だったから、中学とは全然違って居心地のいい学校だった。その当時の友達の中には、個人的な連絡先を知っている同級生との年賀状の交換が今でも続いている。


 その時代の制服……。お母さんが取っておいてくれたんだ。




 先月、私の実家を片付けて帰りの日。私は1着のワンピースを着た。


「陽咲、それ……」


 お母さんがすぐに気が付いた。


「直してクリーニングまでかけておいてくれたんだもんね。私着るよ? ……自分で買ったんだもん。それにサイズ変わってないからまだ着られるし」


「陽咲……。よく、乗り越えられたのね……」


 お母さんがポロポロ泣いていた。私が襲われてしまった事件当日のワンピース。だからお母さんはお直しをして、きれいな状態にはしてくれたけれど、私の目につかないところに仕舞ってあったんだ。


「うん。私には剛さんがいてくれる。本当にずっと心配かけてごめんなさい。もう、大丈夫だよ」


 そのワンピースも、今も現役で私の私服に加わっている。


 お買い物に行くのに、それでもいいのだけれど……。


 クリーニングの包装を解いて、懐かしい制服を取り出してみる。


 モスグリーンをベースにしたタータンチェックのスカート、白いブラウスに紺のブレザー、ネクタイも揃っている。


「着て……みよっかな……」


 ネクタイの結び方も全部手が覚えていた。確か足元は紺のハイソックスだったはず。今でも私が常用しているものの中にあったから、それを持ってくる。


「もぉ、なにやってるのかな。これじゃ本当に高校生だよ」


 背が変わっていないって、いいのか悪いのか……。本当に7年前の私だ。


 その時に、時計のチャイムが静かにポロンと鳴った。


「いけない! こんなことしている場合じゃなかった。お買い物行かなくちゃ!」


 剛さんが帰ってくる。それまでにあったかいごはんを作ってあげないと。


「これで……いっか……」


 どうせこの辺の学校の制服でもない。鏡を見たって知らない人から見れば、なにかの理由でこの街に来た現役女子高生だ。


 お買い物を頼まれた……雰囲気で行けば問題ないだろう。


 下駄箱から黒のローファーを取り出して、私は夕方の街に飛び出した。





 スーパーで買い物を済ませて商店街を歩く。


「こんにちは」


 駅に向けての道を少し外れた教会で、私は中に声をかけた。


「こんにちは。あら、陽咲さん?  えー? どうなさったんですか?」


 この教会のシスターには何度も助けてもらったし、お世話になった。


 私と剛さんの結婚式を執り行ってくれたのも彼女だった。


「ちょっと昔に戻ってみたくて……。イタズラしてみちゃいました」


「よくお似合いです。羨ましいですね。ご主人が放っておかないわけです」


「剛さんは私の制服姿は知らないと思いますけど、やっぱり男の人ってそうなんでしょうか?」


「私もそれを知りたいですよ」


 挨拶を済ませて再び駅の方に進む。家に帰るにはこの駅前の通りを抜けていかなくてはならない。


 買い物袋を持ちかえて、家路を急ごうと思った時だった。


「星野さん!」


 突然、私に声をかける人がいた。


「えっ?」


 この声、そして私の旧姓を知っている。


 私は金縛りにあってしまったかのようにその場から動けなくなった。


「あ、あの……」


「あぁ、やっぱり星野さんだ。どうしたの、そんな格好で?」


 それまでの夕食を楽しみながら作る気持ちなど一気に消え、足がすくんで動かなくなった。


「どうして……ここに……」


 やっとのことで、質問を絞り出す。


「地元じゃ仕事もないし。やっぱり都会の方がいいや」


「やだ……。もうやだよ……」


 せっかく、記憶の片隅に追いやった筈なのに。


 この声は容赦なく私の心の奥底を掻き乱した。


 安田やすだ和真かずま。私が中学3年の時、初めてお付き合いをした人。


 ……そして、私を地の底まで突き落とした人がそこに立っていた。

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