第36話 いつか夢見ていた朝




 今年のクリスマスは雪化粧になるらしい。


 しかし、イブの朝は快晴だった。


「出来たか~?」


「え~? 剛さんは楽でいいなぁ~」


 控室を覗きに来た俺を、ヘアメイク中の彼女は頬を膨らませてむくれた。


「あらあら、本当にかわいらしい花嫁さんだこと」


 あのシスターだった。今日は陽咲の23才の誕生日、そして俺たちの結婚式だった。




 二人の約束を結んだ日から、ここまではあっという間に過ぎていった。


 結婚ともなれば、ハードルはひとつひとつ越えていかなければならない。


 最初に陽咲の母親に再び、そして俺の両親への報告から始めた。


 星野家では陽咲の母親だけでなく、親戚全員が揃っていたのには参った。


「親族の中で、一番の不良品の私ですよ? そんな私を貰ってくれるんです。みんな、どんな旦那さんなのか見てみたいと言ってました」


 陽咲が一時退院を許されたとき、みんなは無事な退院というより、療養が終わったら結婚する約束を交わしている男性がいるという話の方に驚いていたという。


 次に俺の両親。あれだけのことがあったにもかかわらず、大人になった二人のことだからと言われ、こちらも祝ってくれた。


「このバカ息子が命をかけたお嬢さんだ。陽咲さん、どうか息子を頼みます」


 あまりの呆気なさに陽咲の方が恐縮していた。俺の親父は上機嫌だった。もともと女の子も欲しかった我が家だから、陽咲の登場に家族の異存はなかったのだと。




 次に、俺たちの家を探した。


 入籍をしていなくても、一人暮らしアパート2軒では勿体ないし、新しい家財を買っても不便すぎる。


 不動産屋を何軒も歩き回り、市の外れの高台にあった、小さな平屋の戸建てを見つけた。元々は市営住宅の後を再開発した地域とのこと。


 そこを俺たちの新居に決めた。目の前に小さな公園があり、春には猫の額ほどの庭から桜も見える。


「子供たちと一緒に遊びに行けます。私、夢を見たんです。剛さんと赤ちゃんと三人、公園でお花見するって。初めてでした。夢でも嬉しかったです」



 先への不安よりも希望が見えてきてから、ようやく人並みの夢を見られるようになった。


「陽咲は小さいからなぁ。子供にあっという間に抜かれそうだ」


「牛乳飲んで、お魚いっぱい食べます」


 こんな会話がいつもできる家にしよう。それが二人で作った新しい決まりだ。


 それぞれの部屋を一緒に片付けて、先に俺の部屋、次に陽咲の部屋を閉める。


「思い出、たくさんありました」


 空っぽになった自分の部屋を懐かしそうに見回した。


「初めてのキスも、この部屋でしたね」


「そうだったなぁ。いきなり服を脱ごうとしたのには焦ったけどさ」


「それは私の黒歴史です……」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる。


「自分でも覚えてんのか?」


「当たり前ですよ。剛さんとの思い出、みんなここにしまってあります」


 2年の間に、少しだけ大きくなった胸を手で押さえる。先日、喜んで電話がかかってきた内容が、下着を買いに行ったら、1サイズ上がっていて感激したと。俺に揉まれたおかげだと笑っていた。


「このお部屋で最後です」


 陽咲はその膨らみに俺の手を引き寄せ、キスをせがんだ。


「んふぅ……」


 吐息を漏らす陽咲の頬に一筋流れるものがあった。


「ごめん。苦しかったか?」


「いいえ……。ここに引っ越して来た夜に、私はこのお部屋が最後の景色なんだって思ったことを思い出しました。お母さんが片づけを苦労しないように、ベッド以外は何も買わなかったんです。剛さんと一緒に買ったテレビが唯一でした」


 もちろん、あのテレビも新居に運んだ。


「私、絶対に幸せになります。ありがとう」


 表の名前を外して、鍵を閉めた。


「なんだか変ですね。同じ市内なのに」


 新しい家の前で表札を付けた。坂田と星野と二人分が書いてある仮のもの。会社で暇な時間にこっそり作ったもので、社内では部下という立場の陽咲も見て笑っていた。


「今日は花火大会ですよ。ここから見えますかね?」


 家を高台にしたおかげで、あの花火が庭から見える。


「ずっと、一緒に見られますね」


 片づけを中断し、Tシャツとハーフパンツ姿で陽咲が俺のためにアイスコーヒーを持ってきてくれた。


「高校の時の体操着ですよ。これならどんなに汚れても平気です」


 最初驚いた俺に、恥ずかしそうに笑っていた。

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