第35話 パートナーとして歩いていこう
「剛さん、私は生きていていいんですか?」
夜になり、パジャマになった陽咲はアロマキャンドルをひとつ灯して、部屋の電気を消した。
「当たり前だ。どうしてそんなことを」
「私の身体には、剛さんと同じ血が流れています。剛さんがいなかったら、私はいま、こんな幸せな顔をしてここに帰ってくることは出来ませんでした」
キャンドルの灯りに照らされた陽咲の瞳は、以前と同じように大きくて、時間の流れを感じられなかった。
「私、一度だけ危ないときがあったそうです」
移植手術は順調に行われた。
直後の検査では、全てが問題なかったそうだ。
しばらくした夜、陽咲は突然大量の吐血に苦しめられた。
意識がなくなり、集中治療室に運ばれた。
出血が多いため血圧も下がり、恵にも連絡が飛んだ。
移植後の検査で、陽咲の体の中で新しく血が作られていることは確認できている。しかし、この出血量にはまだ対応できない。
誰もがまさかの事態に覚悟をしなければならなかったそうだ。
「その時に、私を助けてくれたものがありました。分かりますか?」
「分からないよ」
「私のために剛さんがくれた輸血です」
胃洗浄が行われ、原因は潰瘍だとわかった。
内視鏡を使って止血剤を打たれ、出血は止まった。
陽咲が再び目を開けたとき、自分の腕には輸血の管が刺さっていた。
「剛さんの名前が書いてありました。保存しておいていただいたものから、数日前に来たばかりのものまで、みんな私のために使ってくれました」
無駄になってもいいと、俺は毎月、採血できるギリギリの量を保存して、陽咲の病院に届けてもらっていた。
「それからは『必ず帰ってこい』って剛さんが私の中でいつも言ってくれました」
昨年の夏、初めて病棟から出ることを許された。その頃はまだ寝ている生活が主だったため、足の力が弱ってしまっていた。
毎日、何時間もかけて手すりをつかんで別の棟で行われるリハビリテーションに歩いて通った。
『剛さんとデートするんです!』
『剛さんに抱いてもらうんでしょ?! 車椅子なんか使わない!』
動かない体に、陽咲は鞭を打った。
エレベータは使わず、階段を転がり落ちても、何度も歯をくいしばって登り続けた。
挫けそうになったときは、お守りにと持ってきたあのネックレスを握りしめた。
「また、ひなはスパルタだなぁ」
「えへ。まだいくつかあざが残ってますけどね。言いましたよ。剛さんの前では普通の女の子でいたいって」
冬には初めての外出許可が出て、子供の頃以来に母親と一緒の布団で眠った。
リハビリと検査、外泊の訓練を繰り返し、薬も徐々に減らした。
そして、ついに退院の日を迎えた。
「なんで呼んでくれなかったんだよ」
俺にはそれだけが不満だった。退院なら仕事など放り出して迎えに行ったのに。
もちろん分かっている。退院したとはいえ、すぐに元の生活に戻れるわけではない。
「お母さんのところで、少しずつ体を慣らしながら、就職活動をしていたんです。あと、この先のことも話しました」
入院の前、陽咲の口から結婚したいと出たとき、母は娘に全てを任せると決めていた。
「お母さん、最近では早く孫が見たいって言ってるんですよ?」
苦笑するしかない。ずいぶん気の早い話じゃないか。こっちは、ちゃんと順番を守っているというのに?
「ひな、俺が言ったこと覚えてるか?」
「はい」
真っ直ぐに見上げてくる、大きくて清んだ瞳。
「ひなは帰ってくるって約束を守ってくれた。今度は俺の番だ」
「はい」
「星野
こんな台詞、一生に1回でいい。顔が熱い。きっと真っ赤になっているに違いない。
陽咲は震えながら目をつぶった。大粒の涙が頬を伝って膝に落ちる。
「はいっ。よろこんで!」
陽咲を力いっぱい抱きしめた。
「私、剛さんに命を分けてもらいました。この先の残りの時間、剛さんと一緒にいさせてください」
「これで婚約だな」
「はい。あの……」
「なんだ?」
「婚約したので、もう心配要らないです。思いきり抱いてください」
「気が早いな! 俺のパートナーは?」
笑った。二人で肩を抱き合って笑った。
もうやせ我慢とか、先を悲観してではない。
「今日は寝せないぞ?」
「どっちが寝ないか、我慢くらべです」
明日の日曜日、あのネックレスを選んだ店に指輪を見に行こう。
俺はアロマキャンドルを吹き消して、ベッドで待つ陽咲の横に滑り込んだ。
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