第34話 …長い夢は終わったんだ




「おはよう……?」


「おはようございます。相当お疲れだったんですね。もうおやつの時間ですから」


 目を覚ますと、陽咲のベッドの上だった。


「そっか、俺こんなところで居眠りしちまったんだ……」


「ひな……だよな……?」


「はい?」


 部屋のキッチンに立っている陽咲。懐かしい姿だ。


 でもこれは夢なのかもしれない……。もの凄く長い夢を見ていただけなのか……。


 俺はふらふらと立ち上がり、彼女の後ろから抱き締めた。


 その姿が消えてしまわないか確かめるように。


 予想とは違って、俺の腕の中から、小柄で柔らかくて暖かい。懐かしい感触がいつまでも消えることはなかった。


「剛さん……」


「俺、夢をみているんじゃないんだよな……」


 フレンチトーストを作る手を止めて、俺の手を陽咲は両手で包んだ。


「ただいま……。約束どおり、帰ってきました。先日から剛さんの部下にしていただいた星野陽咲です」


「本当に……、おかえり……。よかった……」


 俺の目から、あの真冬のビルの上で流してからは一度もなかった涙が止まらなくなった。


「剛さん、私も寂しかった。本当に、待っていてくれたんですね」


「あ、当たり前だ。陽咲が帰ってくるってずっと……待ってたんだぞ……」


「はい。この部屋に戻ったとき、そのお気持ちは十分にいただきました」


 先月末、一度荷物の確認のため、久しぶりに玄関を開けた陽咲は、部屋の中で座り込んみ、しばらく嬉し泣きで動けなかったと言う。




 陽咲が入院した後も、彼女の部屋は約束どおりに維持し続けた。


 家賃はもちろん、水道と電気もそのままにした。掃除をしたり洗濯をするには必要だから。


 どのみち一人暮らしの俺だ。時節柄、不幸中の幸いといえば良いのか、飲み会などの出費も減ったから、贅沢をしない限り維持はできる。


 ただしガスは必要もないし危ないので止めて、代わりにカセットコンロを用意しておいた。掃除中のコーヒーや、母親の恵が訪れたときに備えておいた。彼女も部屋代を俺が持つということで、水道と電気代は負担してくれることになった。




 俺は陽咲への移植手術の療養から明けた後、がむしゃらに働いた。


 休出、残業もガンガンこなした。一方で、それ以外の付き合いは抑えた。


 同僚もまさかテレビで見る骨髄移植の提供者ドナーになるのが社内にいたなんて事例はなかったから、病院からいつ呼び出されるか分からない俺に対して無理な誘いはしなくなった。


 なにより俺が身体を壊したり怪我をしたら……。


 独り病気と闘う陽咲に心配はかけまいと必死だった。



 誰もいない部屋でもホコリはたまる。


 週に一度、休憩を兼ねた陽咲との空想デートとして、この部屋の掃除をした。


 必ずまた二人で見に来ようと誓った夏の花火には一人で出かけ、クリスマスもきちんと飾った。用意する料理は必ず二人分。その様子は都度スマホで写真を撮って送った。


『帰りたいですよ……。昨日も検査採血されました』


「そうか。痛かっただろう……」


『でも、先生方の顔は少しずつ明るくなっていると感じるんです。私、負けません』


「強いな。俺一人だったら諦めてたよ」


『私だって同じです。待っていてくれる人がいるから……、だから帰りたいんです。ちゃんと自分でただいまって言いたいんです』


 時々、夜中に掛かってくる陽咲からの電話が俺のたった一つの支えだったのだから。


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