第33話 必ず帰るから…。待ってる!




 陽咲が出発する日が来た。


 彼女だけでなく、俺にも重要な日。


 俺にも数日の安静が必要となるため、長めの休みを取った。病院からの書類も用意されており、特にトラブルは起きなかった。


 俺は自分の部屋を戸締まりし、陽咲の部屋に向かう。


「お待たせしました」


 玄関先で、陽咲は振り返る。


「みんな、行ってきます!」


 本当なら片付けられている予定だった部屋は、彼女がいつも暮らしているそのまま。


「剛さん、これをお願いします」


 彼女が自分で鍵を閉め、そのまま俺に渡した。


「確かに、預かるよ」


 小さな鈴が付いた鍵を俺のキーホルダーにはめた。


 高速道路を走らせ、海の見える温暖な土地に向かう。


「なんか、初めてのデートの時みたいです。なんか変ですけどちょっとドキドキしています」


 この先のことを考えれば、どうしたって緊張はあるだろう。


「俺もだなぁ。なんか横にこんなに可愛い娘乗せてれば、なんかいけないことしてるみたいだ」


「えへへ。それじゃデートじゃなくて、駆け落ちにしましょうか」


「駆け落ちなんかじゃない。俺はひなを迎えに行く」


「はい。待ってます」


 俺にとっても久しぶりの長距離ドライブ。途中のサービスエリアで休憩を取りながら、俺たちの旅が続いた。


「剛さん、先週ね、産婦人科にかかってきました」


「えっ? まさか?」


 これから長期の入院に入る陽咲の妊娠は、治療を根底からひっくり返してしまう。


 二人ともその重要性を分かっていたから、妊娠につながる行動は自制してきた。


「違うんです。私の赤ちゃんを生めるように、卵子を保存しました。帰ってきたら、それを使えるようにです」


 陽咲の治療には、どうしても強い薬なども使う。副作用で子供を諦めざるを得ないケースもあり得ると。


 俺たちは母親の恵も含めて、今回の治療を何度も確認してきた。


 ほぼ大丈夫だろう。しかし決して絶対ではない。そのリスクも説明を受け入れて、彼女自身がサインをした。


「先生方が奨めてくれたんです。だから日程も指定されました」


 陽咲は変わった。残りのカウントダウンではなく、帰ってきてからの日々を考えている。


「きっと、使う日が来る。よく頑張ったな」


「はい」


 夕方、車は病院の近くのホテルに着いた。


 今夜はここで一晩を過ごし、明日の朝からとなる。


「剛さん、最後のお願いがあります」


「最後じゃないだろ」


 食事を終えて二人だけの部屋。海岸線のホテルには潮騒が常に流れている。


「病気で弱虫な私からの、最後のお願いです。抱いて欲いただけますか……」


「そうか……」


 その意味も分かっている。今夜がもしかしたら最後の夜になってしまうかもしれない。


 俺はその先を聞かなかった。


 陽咲を抱えあげ、ベッドに降ろした。


 バスローブを取り、俺たちは生まれたままの姿に戻った。


「怖いか?」


「平気です」


 身長が150センチと、小柄を通り越して、小学生にも負けてしまう身長。 自分で貧弱だと言っていた微かな小学生のような膨らみも、陽咲の魅力だ。


 彼女は汚れた身体だと言っていたけれど、そんなことは決してない。


「失礼だとは分かっています。だけど、私が覚えておきたいんです。剛さんが私のことを愛してくれていること。2年間忘れないように、刻み込んでいたいんです」


 もう、ブレーキはいらない。


 「使うことあるのかな?」と二人でドラッグストアで購入してあった避妊具を彼女は持ち出していた。


「こんな時に使う物です。剛さんが嫌でなければ……」


「今さらそれを俺に言わせるか!?」


 二人で笑いあったあとは、お互いの体温を彼女の一番奥で感じあった。


「陽咲……」


「はい……」


「愛してる……。必ず戻ってきて……」


「私、今夜を忘れません」


 俺の胸の中、彼女は呟く。


「俺はずっと待ち続ける」


「はい。必ず帰ります」


 俺たちの夜はあっという間に過ぎていき、朝は二人で病院に向かった。



 入口で母親の恵が待っていてくれた。


「坂田さん、本当によろしいんですか?」


「自分にしか陽咲は救えないんです。元気になって帰ってこられるなら、何でもします」


 恵はそれ以上言葉が出なくなったようで、ハンカチで目頭を押さえた。


「剛さん、必ず帰ってきます」


 俺に抱きついて、キスをねだった陽咲。


「延命じゃない。治るんだ。いいね?」


「はい。あの……、帰ってきたら、いっぱい抱いてくれますか?」


 久しぶりのあの真っ赤な陽咲。


「気が済むまでな」


「約束です」


 結んだ小指をいつまでも放そうとしなかった。


「陽咲、行きますよ」


「はい。剛さん、お願いします」


「ああ、行ってこい」


 俺は二人しか進むことが許されない奥の病棟への姿を見送る。最後に振り返って手を振った陽咲は笑顔だった。


 俺はそれを見届けて自分の受付に進んだ。


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