第20話 平和な夕飯のお誘い




 この夏は、例年に無いほどの暑さだった。


「剛さん、お帰りなさい」


「ただいまー」


 学校も夏休みになり、陽咲のアルバイトが無い日は、俺の携帯に特別なメールが届く。


 アルバイト先は例の教会で、事務仕事や行事などの受付をしているらしい。何度か通っているうちに、シスターに顔を覚えられて「アルバイトうちでやりますか?」となったようだ。


 だから、逆に日曜日の朝はミサがあることを頭に入れておく必要がある。自分も現場の繁忙期と閑散期があるから土日が必ずしも休みというわけではない。



 今日も帰る1時間前ほどだろうか。


『晩ごはん作りますね。寄ってください』


 このメールは独り暮らしの身には本当にありがたい。夏場のエアコンを止めてある部屋では作り置きが出来ないので、毎食作らなくてはならない。どうしても外食や簡単な物で済ませてしまいがちだ。


 そんな話をしてから、陽咲は時間があれば、俺の食事も作ってくれるようになった。手をかけた煮物なども美味しいし、何よりも仕事帰りにエアコンが効いた部屋で、食事を用意してくれる陽咲の顔を見れることだ。


「シャワー浴びていいですよぉ」


「ごめん、頭洗ってくるわ」


 春の旅行のあと、俺たちはお互いの部屋に着替えを少し置いておくことにした。


 あの日と、それに続いて陽咲の部屋に泊まってから、俺たちの約束から『必ず帰ること』をお互い合意の上で消した。


 お互いに翌朝の予定が無いなど、条件が許せば、どちらかの部屋で一晩を過ごすことも増えた。


 俺が休みで陽咲が学校の課題やテストで負担がかかるときは逆に俺の部屋になる。


 泊まらなくても、歩いていける距離だ。一緒に食事を食べることを陽咲も楽しみにしていた。


「明日のおにぎり作っておきました。帰ったら冷蔵庫に入れておいてくださいね」


 明日はまだ平日。そんなときはごはんやおかずの残りなどで翌朝の分を持たせてくれる。


「なんか、同棲しているみたいですね」


「ほんとだ。いっそのこと、本当に一緒に住むか?」


 すでに俺と交際していることは実家には話しているそうで、彼女側さえ許せば、そちらの方が部屋の維持費やそれぞれの生活費なども節約できる。


「ありがたいお誘いなんですけど。それは、ちゃんと正式に剛さんのご両親にもお許しをもらってからにしましょうよ……」


 笑顔で返す陽咲だった……。


 やはり同棲となれば当然その先の話も出てくる。お互いに成人にはなっている。一方で彼女の言うことも正論なのだから反対する理由がない。


 その時は、いつも慎重派の陽咲のことだから、これまでどおりに一つ一つを乗り越えていくための時間が必要なんだろうと思って深く追求することはしなかった。


 しかし、この笑顔の裏で彼女がどんな辛く寂しい思いを抱えていたのか。俺は……、すぐ後に痛いほど思い知らされることになるなんて、まだ知る由もなかった……。


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