第19話 最後の人になっていいですか?




 時計を見ると確かに夕食の時間が近い。


 陽咲に続き、慌てて浴衣に着替えた直後に部屋のチャイムが鳴る。


 食事と寝床の準備を仲居さんが用意してくれる。


「わー、凄いよぉ。お刺身が豪華だよぉ。お肉もお魚の煮付けも美味しそうだよぉ」


 浴衣への変身は手慣れていて素早かったけれど、洗濯物を片づけていて少し出遅れた陽咲は、テーブルに並んだ料理を見て大はしゃぎだ。


「ごゆっくりどうぞ。終わりましたら、外に出していただければ結構ですので」


 二人でお腹いっぱいの食事のあと、陽咲の煎れてくれたお茶をすすりながら、のんびりと外を眺める。


 すでに日も落ちて、海には沢山の漁火が浮かんでいた。


「剛さん、ありがとうございます」


 並んで座る陽咲は、落とした部屋の薄明かりでも判るほど潤んでいる。


「私、男の人を誤解して覚えていたんですね。怖いばっかりで。剛さんに会えなかったら、ずっとそのままでした」


「そっか……」


「私には、お父さんがいません」


「えっ?」


「私が小さい頃、仕事中の事故で亡くなったそうです。お父さんの記憶もほとんどありません」


「それじゃ、仕方ないか……」


 初耳だった。それだけでも男性恐怖症になるには十分な理由じゃないか。


「いろいろ苛められました。もっと酷いこともされましたよ。でも、お母さんはお父さんを亡くして、もっと辛いはずでした」


 かける言葉が出ない。


「剛さんに認めてもらえて、私は幸せです。でも、この身体は剛さんに合格点を貰えるようなものじゃないと思います」


 さっき完全な無防備の姿を風呂で見たときには、大きな傷などはなかったと思うが。


「剛さん、やっぱり男の人は、初めての女性じゃなきゃ嫌ですか?」


「えっ? それは……処女だってことか?」


「はい。私、色々あって……失ってしまいました。汚れた体です。剛さんには申し訳なくて。もし、それが嫌なら、遠慮なく言って下さい」


 うつむいている陽咲を思い切り抱き寄せた。


「もし仮にそうだったとしたら、逆にひなちゃんを初めて傷付ける事で悩んでいたかもしれない。それよりも、今の俺はそれ以上に最後に俺を選んでくれる人の方を求めている気がする。陽咲ちゃんはどうだ?」


「剛さん、許して貰えるなら……、私がその最後の女の子になってもいいですか?」


「その言葉で十分だよ」


 そう。クリスマスの時には「結婚式を挙げたい」と言ってくれた。俺にとっての「最後の女の子」になってくれているとの発言も、結果はひとつだ。


 それならば、今日の旅行に来ることも、さっきの温泉での姿も、本当に頑張ったのだと思う。


 ここまで頑張った陽咲の望みをかなえてやらないわけにはいかない。


「ひなちゃん、今回は本当にありがとう」


「剛さんは楽しい時間を過ごせたでしょうか。私一人が突っ走ってしまったようにも思います……」


「とんでもない! これからも一緒に少しずつやってこうぜ」


「はい。いつもどおり、お部屋で待ってます」


 窓を開け放して夜風を取り入れる。そして、きちんと浴衣を整えてから布団に入った。


「剛さん。私、今日のこと絶対に忘れません」


「オーバーだな」


「生まれて初めて、男の人とのお泊まりです。それがこんなに幸せな気持ちで過ごせたなんて。今度、もっといろいろ遠くまでお出かけしたいです。あ、お母さんには今日の事もちゃんと話してありますから心配は不要です」


「気を使ってくれてありがとう。泊まり掛けでいろいろ行こうな」


「私のこと、もう少し話せるように気持ちが落ち着いたらお知らせしますね」


「無理はしなくていいぞ。ひなちゃんが話したくなったら、その時でいい」


 過去の話を責めるつもりはない。それに彼女は被害者だと言った。そんな心の傷をわざと広げる必要はないのだから。


「はい。あと……、私のお部屋でもお泊まりしてもらえませんか?」


「それはまた、どうした?」


「私のお布団にも剛さんの匂いが欲しいです。抱かれているみたいに」


「じゃぁ、来週な」


「はい。待ってます」


 昼の彼女の望み通り、俺の布団に入ってきた陽咲を抱き締め、いつまでも他愛ない話をしながら夜は更けていった。

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