第14話 気持ちは十分貰ったから




 陽咲の顔の上正面で首を振った俺に、彼女はハッと我に返ったらしい。


「陽咲ちゃん、ごめん。だけど、さっきから震えてるじゃん。俺も男だよ。そんなことされたら、自分を抑えられなくなる。無理しないって一緒に一歩ずつ今日まで越えて来られたじゃないか。大丈夫、俺は陽咲ちゃんしか見えてない。今日キスをくれた。俺だけのプレゼントだ。大満足だよ」


「剛さん、ごめんね……。バカでごめんね……。私、剛さんの気持ち考えないで、勝手に……」


 ようやくいつもの調子に戻った陽咲。


 この体勢では俺もきつい。一度体を起こし、横に寝転んで一緒に天井を見上げた。


「俺さ、もう陽咲ちゃんのことを一人の女性として見ている。でも、それで陽咲ちゃんが怖くなって……、それこそ別れるようなことになったら俺は一生後悔する」


「うん。さっきのちょっと怖かった。でも、私に出来ることって何かなぁって考えたら、どんどん情けなくなって。剛さんに甘えてばかりで……」


「無理はしないって、俺たちの約束だろ?」


「そうですよね。あの、ちょっと勇気出します。お付き合いしてもらっていいですか?」


 俺の頷きを確認すると、ブラウスのボタンを直してから、俺の右手を彼女の左胸に当てた。


「まだこんなにドキドキしてます」


 服の上からでも分かる。激しく規則正しい鼓動が伝わってくる。全力で走ったときのような感触だ。


「大丈夫なのか?」


「いつもです。剛さんと初めてのドキドキはいつもこんな感じです。私、これが嬉しいんです」


 そうだったのか。これなら顔が真っ赤になるのも頷ける。


「もう一度、キスをいいですか?」


「ああ」


 手はそのままで、再び柔らかい唇が俺を塞いだ。


「怖いか?」


 まだキスをするにも息をつくタイミングに慣れていない。


 俺も自分の気持ちのまま、いつのまにか彼女を抱きしめていた。


「うんん。平気です」


 俺の腕を掴んでいる手に力が入る。


「ごめんなさい……。ちょっと離れても大丈夫ですか? ちょっと頑張りすぎちゃったみたいです」


「だ、大丈夫か?」


 無理をさせたのは俺なのに。彼女は自分を責めていた。謝らなくちゃならないのはこちらなのに。


「ごめんな。怖かったよな。俺もちゃんと考えればよかった……。今日はもう帰るよ」


 それなのに……。


「あの、もう少しいてください。ちょっと落ち着きたいのでシャワー浴びてきます。あ、もちろん外は寒いので、部屋の中にいてくださいね」


 散らばった服を集め、陽咲は浴室に消えた。


 中からシャワーの音がきこえてくる。これといった仕切りドアもないワンルームの部屋だ。仕方ないことだけど、逆に彼女がきちんと普段どおりに事を進められている証拠でもある。


『剛さん聞こえますか? お風呂の前に来ていただけませんか?』


 バスルームから陽咲の声が聞こえてきた。


「どうした?」


 扉の前で声をかけるとシャワーの音は終わっていて、バスタブの中に移っているようだった。


 ドア越しで会話を進める。


「本当に、剛さんは私の事を特別に思ってくれていて……。わたしから何をお礼できるかずっと迷ってしまっていました。本当にさっきはごめんなさい」


「そうか。俺こそごめんな。そんな気持ちに気づいてやれなくて……」


 俺の言葉を遮るように、彼女の一生懸命な声が続く。


「これは、今まで誰にもお願いしたことがありません。これからは私を『陽咲ひなた』ではなく『ひな』って呼び捨ててくださいませんか? これが私からのプレゼントってことでいかがでしょう……?」


 つまり、「名前呼び」よりも進んだ、「あだ名呼び」だ。


「いいのかい?」


「はい、もうずっと前からいつそう呼んでもらおうか、どうお願いしようかってタイミングを考えていたんです。形があるものじゃないですけれど……」


 とんでもない話だ。その権利を俺に初めて渡してくれるなんて。


「ありがとう。今度からそう呼ばせてもらうよちゃん」


「はい。これでお互い特別な呼び方です」


 まだ言われた通りの完全な呼び捨てにするには及ばなくて、彼女が俺に「さん付け」しているように、後ろに余計なものはついたけれど、彼女も満足してくれたみたいだ。


「そうだな。あまり長湯してのぼせないようにな。俺は部屋の片づけしてるから」


「はい」


 バスタブを出る音がする。扉越しでは申し訳ないので急いで部屋の方に戻った。


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