第9話 ゆっくり、友達から始めよう




「坂田さん、本当に今日はありがとうございました。何かお礼をしたいんですが、私、何も持ってなくて……」


 申し訳なさそうな陽咲。いや、こんなに充実した休日をくれただけで十分だ。


「あの……。実は昨日、ドキドキして眠れなくて。疲れちゃいました」


 片付けを終え、ベッドにもたれ掛かりながら床にぺたりと座っている。


「陽咲ちゃんはモテなかったんか?」


 昼の様子から、触れてはいけない部分とは思いながら、彼女が自分から話はじめたこともあって、もう一度聞いてみた。


「私も好きな人がいたことありますよ。でも、前に進めませんでした」


 寂しそうに呟く。


「恐いんです……」


 膝を抱えて、顔を埋めて鼻をすすり始めたと思ったら小さく嗚咽を漏らし始めた。


 正面から見ている俺からはミニスカートの中が丸見えになってしまっているが、陽咲は気にしていない。


「ごめんな陽咲ちゃん」


 横に回って背中を撫でてやる。この展開は完全に俺のミスだ。


 こんな思い出を持っていたなら、昨日の会場は俺以上に辛かったに違いない。


「あはは。濡れちゃいました。みっともないですね」


 涙の染みが出来たオーバーニーソックスを両足とも脱いでしまった。


「どうしたんだ、それ?」


 俺は慌てた。素足になったことではなく、彼女の足は絆創膏だらけだったからだ。


「慣れないことはしない方がいいですね。昨日の靴でマメだらけになっちゃいました」


 指や横のマメだけじゃない。アキレス腱のとこだってガーゼが貼ってあるし、血が滲んでるじゃないか。きっと酷い靴擦れになっているのだろう。


「今日、歩くの大変だったろう。ごめんな」


「ううん、大丈夫。今日の靴はお気に入りで履き慣れてるし、ヒールがないから痛くなかったですし。女の子は足のトラブルには強いんですよ」


 俺はここまで聞いたとき、ひとつの決心をしようとしていた。


「……恐いって、恋愛が恐いんか?」


 過去のトラウマが強すぎて、恋愛恐怖症になってしまうという話は聞いたことがある。


「何が恐いのか、私にもはっきり分かりません。いいなと思っても、前に進めないんです」


 俺は黙って聞いていた。こう言うときは溜まっているものを吐かせてしまった方がいい。


「でも……、不思議なんです。坂田さんにはそれがありませんでした。もしかしたら一目惚れなんでしょうか……。それでも片思いから進めるかもしれない……。でも恐い。それをずっと考えて、結局眠れなくて……」




 これまでの俺の直感なら、陽咲は避ける対象になっていただろう。普通の恋愛ステップではその内に破綻してしまう。


陽咲ひなちゃん。いや、陽咲ひなたさん」


「はい?」


「俺と友達になってくれませんか」


「えっ?」


 きっと、想像していたセリフと違っていたんだろう。


 きょとんとした顔が膝の上に上がった。


「お友達ですか?」


「あぁ。いきなり恋人って言っても、きっと無理をさせちゃう。陽咲ちゃんのペースで俺はいいと思う。もちろん嫌だったら遠慮なく断ってほしい」


 そう最初に逃げ道を作っておいたにも関わらず、陽咲は俺の目を見て許しを請うように続けた。


「お友達から……。それでも何年かかるか分からないですよ?」


「構わない。俺も一人なんだ。焦ることはないから」


 そんな小さなことは構わなかった。俺自身、大学卒業でそれまで交際していた子と別れてから、特定の相手もいないし、最近ではその候補の紹介すらない。こちらからねだることもしていない。


 時間はたっぷりある。


 彼女と何年かかろうと、ゼロよりはずっといい。何故か、この陽咲を見過しには出来なかった。


「……お友達から……。お願いします」


 小さく掠れるような声。涙でぐしゃぐしゃになった顔で陽咲は笑った。


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