第26話 創立祭4
思えばユーグリフトと会えばいつも互いに憎まれ口を叩き合っていた。
仕掛けてくるのは大抵ユーグリフトで、私は応戦して完全に公爵令嬢の皮を剥がして、張り合うように勉強でも剣術でも口喧嘩をしていた。
だからだろうか、ユーグリフトから素の感謝の言葉を、微笑みを聞いたこともなければ見たことなんてなかった。
『ありがと』
「……っ!」
普段見る意地悪な表情ではなくて目を細めて微笑むユーグリフトを思い出して首を振る。なんで、なんで動揺してるんだ私は。
涼しい秋の夜風が吹いて私の体を少し冷やすも、相変わらず胸の鼓動はうるさくて落ち着いてくれない。
いつもと違うユーグリフトに調子が狂って戸惑ってしまう。
「……本当、調子狂う」
「何が狂うんだ?」
「知らない!」
ふん、と顔を背ける。誰が教えるものか。絶対教えてやらない。
顔を背けると呆れた声で何か言ってくる。
「そういうところ、あいつにそっくりだな……」
「何?」
「別に」
振り返り尋ねるもしれっとする。なんだろう、聞き取れなったので気になってしまう。
「なんて言ったのよ」
「別に」
「悪口?」
「悪口じゃない、事実だ」
「何言ったのよ!」
噛みつくも相手はどこ吹く風のように無視を決め込む。その態度にカチーンと来る。解せぬ。
ユーグリフトというと、また頬杖をしながらこちらを見て問いかける。
「でもいいのか?」
「はぁ? 何がよ」
「分かってるだろうけど、騎士になるのなら殿下と婚約は難しいんじゃないの?」
突然の問いかけに一瞬、黙ってしまう。なんだ、それか。
確かにロイスと婚約するのなら騎士は難しいだろう。私は筆頭婚約者候補だけど、正式に婚約者ではないのでまだ王妃教育は受けていないから。
王妃教育を受けながら騎士として働くのは難しいというか、不可能だろうなと思う。
「いいわよ。周りが勝手に筆頭婚約者候補と思ってるだけだもの。私と殿下はただの幼馴染でそこに友情はあっても恋愛感情はないの。それは、あっちも同じよ」
くるりとテラスに凭れながらユーグリフトに告げる。だって、事実なのだから。
ロイスはオーレリアが好きで、私とロイスの間には親愛という友情しかない。王妃になる気はないと言ってるのに周囲が勝手に勘違いしているだけだ。
「へぇ、そうなんだ」
「殿下も私の夢を知ってるし、応援してくれてるわ。だからそのことは問題ないの」
「殿下が応援してくれるのなら心強いな」
「ええ」
動揺していたけど、時間が経つにつれ少しずついつもどおりの調子に戻っていく。
そのことに内心安堵する。少しずつ落ち着いてくる。
「…………」
ちらりと隣にいるユーグリフトの横顔を見る。
今まで、ユーグリフトは意地悪で人を
嫌なところはあるけど、良いところもあると思う。……多方面でライバルで勝たないといけない壁だけど。
それでも良いところはあるのはちゃんと認識して評価しないと。視野が狭いだとダメだと思う。
「少しだけ、あんたを見直したわ」
「どこが?」
「人の夢を頭ごなしで否定しないところ」
「だって実際カーロインなら騎士になりそうだし」
「なっ……!」
頬杖しながらニコッと勝気な笑みで断言する。その言い方にまた少し動揺する。
「ま、猪のような突撃性は直した方がいいけど。何でもかんでも首突っ込むのは危険だから」
「……は?」
と、動揺したのも束の間、いきなり人を猪呼ばわりする。私は猪じゃない、人間だ。それに突撃性とはなんだ。
「ちょっと、猪って何よ。何のこと言ってるのよ」
「……はぁ、分からないのならいいや」
呆れたように溜め息を吐くユーグリフト。その様子にイラっと来る。
「何よ。言いたいことがあるのならはっきりと言いなさいよ」
「そういう、人に噛みつくところも追加で直した方がいい」
「噛みつくのは今のところあんた限定よ!」
そしていつもどおり言い合っていると突然ユーグリフトが黙って他のテラスへ目を向ける。
「? 何よ、どうかした?」
「しっ」
尋ねると人差し指を立てて静かにするように指示する。なので黙る。
すると、少し離れた別のテラスからある声が耳に入ってきた。
「なぁ、カーロイン嬢を知らないか?」
「カーロイン公爵令嬢? 知らないなぁ。どうかしたか?」
「ダンスを申し込みたくて。ほら、もうすぐでダンスが終わるだろう? だからな」
そこ言葉と言っている人物の声にげっとなる。まさか、探している人がいるなんて。もう私の中では今日のダンスは終了なのに。
若干顔を歪ませると隣にいたユーグリフトが揶揄ってくる。
「人気者だな、非の打ちどころのないご令嬢は」
「煽った言い方やめてくれる?」
「事実だろう?」
うるさい。
しかし、さすがに今日はたくさんダンスをしてもうしたくない。
それにあの声、同級生の伯爵家の嫡男でここ最近、何かと積極的にアプローチしてくる子息だ。
捕まれば厄介なことになるのは目に見えているので、避難しようと頭を巡らせる。
「探されてるな」
「そうね」
「ホールに戻ってダンス応じれば?」
「その時はあんたを引きずってあんた目当てのファンの中に放り込むわよ」
「おいやめろよな。まじでやめろよな」
顔を引きつってユーグリフトがやめろと言ってくる。なら余計なことを言わないでほしい。
しかしどうしよう。ホールは人目がつく。歩いていたら声をかけられるだろう。
だからといってテラスにいてもきっとここまで探してくる。どこか隠れる場所はないだろうか。
テラス周辺を見渡すも隠れる場所はない。もし、逃げるとしたら下に降りることだけど、このヒールだ。やや不安は残る。
でも、逃げるならこれくらいしかない。なので下を見下ろして高さを確認する。うん、これならいけるかも。
「何してるんだ?」
「隠れる場所がないから考えてるのよ。ここ二階でしょう? 降りたらどうかなって」
「は?」
「平気よ。私、ここよりもっと高い木から落ちても無傷だったし」
ユーグリフトが驚いたような声をあげるため、安心させるために伝える。
だけどユーグリフトは変わらず唖然としていている。どうしたんだろう。大丈夫だと言っているのに。
「カーロイン嬢、どこにおられますか?」
そうこうしているうちに例の伯爵子息の声が近付いてくる。やばい、こっちに来た。
別にダンス自体は断っても構わない。ただ、ユーグリフトと一緒にいるのを目撃されたら面倒なことになるからどうするべきか。
なので降りようと手すりに手を置いた瞬間、ユーグリフトに手首を掴まれる。
一瞬、驚くもすぐにユーグリフトの妨害に睨みつける。急いでいるのに何するんだ。
「何? 手、放してくれる?」
「…………」
「ちょっと、話聞いてる? 私、急いでるんだけど」
無言のユーグリフトに若干の苛立ちを見せながら早口で告げる。早く手を放してほしい。
しかし、ユーグリフトは放す気がないのか、力を緩めず悩んだようにもう片方の手で顔を半分覆う。
「お前って……。……はぁ、仕方ないな」
すると手首を掴んだままユーグリフトが溜め息を吐いてそう呟く。
そして次の瞬間、いきなり自分の方へ引き寄せ、くるりとユーグリフトと位置が入れ替わる。……えっ?
「文句はあとで聞くから今は黙れよ」
「は? ちょ、何して、」
「静かに」
突然のことで混乱している私を無視して後頭部を掴んで自身の胸に軽く押し付けると、視界が白いシャツと藍色のアスコットタイに染まる。
何するんだ、そう言おうとしたらユーグリフトが耳元に囁いてきた。
「ここは二階でいくらお前が
「…………」
混乱している私の耳元に一方的にそう囁くユーグリフト。どうやら助けてくれるらしい。
しかし、普通を強調しなくていい。まるで私が普通じゃないみたいじゃないか。私は剣が好きな普通の令嬢だ。
「助けてくれるのはありがたいけど、私、普通の令嬢よ」
「普通の令嬢は剣を振り回さないし、体術も取得していない」
「なんです──って……」
納得出来ずに抗議しようと顔を上げると、美しい紅玉の瞳と予想以上に近い距離でぶつかり、息を呑んでしまった。
月の光に照らされた白銀の髪は神秘的で、長い睫毛の中にある紅玉の瞳は混じり気がなく、白銀の髪と対照的で、場違いにも美しいと思ってしまった。
そして思う。今まで、口喧嘩をしていたけどこんな距離で話したこともなければ密着したこともなかったな、と。
「っ……!!」
意識すると急に恥ずかしくなり、反射的に顔を下げる。
頬に熱が集まっているのが感じ取れて心臓がうるさい。静まれ、静まれと、念じ続ける。
しかし、念じ続けても心臓は相変わらずうるさくてコントロールが出来ない。自分の体なのにどうしてなんだ。
顔の熱が引かず、うるさく鳴る心臓に嘆いていると、伯爵子息の声が間近で耳に入った。
「カーロイン嬢?」
「……!」
「……少しだけ黙っておけよ」
「え、んむぐっ」
小さく呟くとユーグリフトが再び私の後頭部を掴んで自分の胸へ軽く押し付ける。
それと同時に、例の伯爵子息の声がやって来たのか声をかけてきた。
「すみませ──……! ゆ、ユーグリフト様……!」
「……何? 何か用?」
体は私の方に向いているので首だけ後ろに向けているのだろう。ユーグリフトの声が聞こえる。
けれど、その声がいつも私に話しかけてくる声色と違い、低く、冷たさが纏った声で僅かに動揺する。
「も、申し訳ございません……! こ、ここに誰か来ませんでしたか……?」
「来てないけど?」
緊張しながら尋ねてくる伯爵子息に平然と、さらりと冷たい声で即座に嘘を吐いていく。
その、有無を言わせないような物言いは、まるで普段、私を揶揄ってくるユーグリフトと別人のように感じる。
「そ、そうですか。……あの、そちらの令嬢は……?」
返事した伯爵子息が、再び緊張を含んでなおユーグリフトに質問する。ギクっと身を固くする。
ここで私とバレたら十中八九、面倒なことになる。どうにかバレずにやり過ごしたい。
身を固くなった私に気付いたのか、ユーグリフトが僅かに抱き寄せる力を強めた。
「……君はセドリック・セパードだよね」
「! は、はい……」
「このことは他言無用にしてもらいたいんだ。分かるかな」
「……!」
簡潔に、穏やかな物言いで頼み込んでいるけど、この言い方、本当に頼んでいるわけではない。
「セパード伯爵家は今後とも良好な関係でいたいと思ってる。だから俺の願い、頼めるかな」
抱き寄せられているため、ユーグリフトの表情も分からなければ、例の伯爵子息──セドリック様の表情も分からないが……冷気を感じるのは気のせいだろうか。
そしてユーグリフトの声。優しく、穏やかな物言いだけど、その言葉には高位貴族特有の圧が含まれている。
形としては頼んでいるが、これは、事実上の命令だ。
「……! し、承知致しました……! 誰にも言いません……!」
「ありがとう。なら、もう去ってくれる?」
「は、はっ……!」
去れと命じると、セドリック様が従ったのか、立ち去る足音が聞こえた。
その足音をしばらく聞いたあと、ユーグリフトが後頭部を掴んでいた手を放し、一歩下がって距離を置く。
「行ったみたいだな。外は薄暗いし、顔隠したから大丈夫だと思うけど」
「……そうね」
何でもないように淡々と話すユーグリフトに頷く。
離れたことで秋の夜風が当たり、熱が引いていくのが感じる。……多分、薄暗いからバレてないはず。
「あ、ありがとう」
「別に。目の前で落ちて怪我された方が困るから助けただけだし」
お礼を言うとそう返された。失敬な。怪我しないように気を付ける。
だけど、そういつものように言い返すことが出来なくて。
「もうすぐ終わるし、先にホールに戻るけどカーロインもそのうち戻れよ」
「……分かったわ」
「じゃあな」
そして手をひらひらと振ってユーグリフトがホールへと戻っていった。
直後に女子生徒たちの声がたくさん聞こえてきたのできっと囲まれているのだろう。
だけど、あまり考えることが出来ない。
「…………」
未だ熱が少し残る頬に手を当てる。
そしてぼんやりとした思考が消えぬまま、創立祭は終わりを迎えた。
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