《5》

「今帰らないと怒られるのはこの子です」

「後で俺たちが行って、説明してやればいいだろ」

「その場しのぎですよ。余計問題が拗れる可能性があります。なるべく事を荒立てない方が良いです」

「それは大人の問題だろ。この子が今辛い思いをしているのを見過ごすのか!」

「……っ」

つい大声を出してしまうと、女の子がびくりと震えた。少し落ち着こうと、二人に謝る。しかしいつの間にか、サトウが女の子の手を掴んでいた。

「お前! なにして……っ」

「すみません。でも君も、無断で家を抜け出しちゃいけないよ。とりあえず連絡してあげるから、今日のところは帰っ……」

パンッ――! 甲高い音が響いた。気がつくとサトウから女の子を引き離し、その頬を叩いていた。

呆然としたように頬を押さえるサトウと、ぎゅっと人形を握りしめている女の子を見ていたら、サイレンの音が響いた。

あっという間に人が集まり、そのまま連れて行かれた。サトウが何か叫んでいたが、その声は聞こえなかった。


「あるんじゃねえか、こんなところ……」

この世界には無いと思っていた灰色の檻に入れられた。掴んだ鉄から冷たい感触が伝わる。

俺はこの後どうなるんだろう……。

無音の中で天井を見つめる。

サトウはどうしてあんな態度をとったのだろう。普段は温厚で、誰に対しても親切な奴だ。あの子のことも親身になって考えてあげてると思ったのに、女の子の手を引っ張ったサトウは、別人のように冷たい口調だった。

しばらく横になっていると、足音が響いた。

「明日、貴方の裁判を行います。それまでここにいてもらいます」

「裁判?」

それだけ伝えると、去っていってしまった。

「……っ」

そういえば祭りはどうなったのだろう。あれから中止になんてされていないといいが……。

横になって目を閉じる。あれこれ考えている内に、眠ってしまっていたようだ。暗闇の中でぼんやりと影が見えた。

「誰だ……」

影はゆらりと動いた。ズッと一瞬鼻を啜る音が聞こえて、体を起こす。

「サトウか?」

何も答えないまま、影はいなくなってしまった。気がつくと端っこの方に、軽食と飲み物が置いてある。

それを食べている内に頭が冴えてきた。

裁判ってなんだ? サトウの頬を叩いたことに関してか? そんなことでとは思うが、この世界では暴力が厳禁だから仕方ない。

どういう処罰を受けるのかは分からないが、このままサトウに会えなくなるというのは嫌だった。謝らないと。それから、あの子のこともなんとかしてやらないと。

「……あれ」

なんで俺は、こんなに他人のことばかり考えているんだろう。前だったら全部くだらないと吐き捨てて、今もなんとか脱獄できないかと足掻いていただろう。

けれど、不思議とそんな気は全く無かった。ここの人たちとは、真っ正面に向き合いたい。どんなことをされようと、愛おしい存在なんだ。

「……変わったな、俺」

久しぶりに仮面を外して、胸に抱いた。


まだ薄暗い中で目が覚めた。誰かに触れられている気がする。眠かったので無視しようと思ったが、やはり揺さぶられている。勘違いではないようだ。

仕方なく目を開ける。そうだろうと根拠はないが、絶対にあいつだと思った。

「ケイゾウさん、少し話せますか」

「……俺はいいけど、ここから出たらまずいんじゃないか」

「大丈夫です。話はつけてあります」

「そうか……」

屋上へ行く間会話は無かったが、互いの気持ちは分かりあっている気がした。

サトウは柵に背をつける。それと同じようにして横に並んだ。もうすぐ陽が上がりそうだ。

「少し寒いですね」

「ああ、そうだな……」

「……あの」

俺の目の前からサトウが消えたのは一瞬だった……正確にはきっちりと九十度に腰を曲げていた。

「すみませんでしたっ!」

びっくりしてワンテンポ遅れてしまったが、慌てて体を起こさせる。

「待て待て、悪いのは俺の方だろ。どんな理由があるにせよ、お前のこと叩いちまったんだから……」

「いえ、僕が……それに、僕は嬉しかったですから」

「はっ?」

「あ、そういう意味じゃないですよ。ただ怒られたのは久しぶりだったので……」

「えっ……」

サトウがそっと、自分の顔から仮面を外した。ずっと隣にいたけど素顔を見るのは初めてで、サトウであってサトウでないみたいな……不思議な気分だった。

「仮面越しとはいえちょっと痛かったんですけど、それよりも驚きの方が勝ってしまいました。人が怒るときはこんな顔をするのか、引っ叩くときはこんなに辛そうなのかって。あと殴られた痛みは、殴られたことのある人にしか分からないですからね。それを知っていないと防ぎようもない。痛みは時に勉強になるのだと、目から鱗でした」

「なに言ってんだよお前」

あっけらかんと楽しそうに言うので、力が抜けてしまった。

「ちょっと寝っ転がってみましょうか」

「はぁ?」

芝生にダイブするように飛び込むと、すぐに起き上がって服を叩いた。

「昨日雨降りましたっけ! うわぁ濡れてる……」

「ははは、まぁいいだろ」

隣に座って、サトウを見下ろした。

「なぁ祭りはどうなった?」

「ああ、あのまま続きましたよ。何人かはケイゾウさんのことを追いかけてここに詰め寄ってきましたが……それ以外は順調に。それからあの女の子ですが、父親と隔離させました。この父親については貴方の後に裁判が行われる予定です。恐らくは母親との二人暮らしという事でまとまると思います」

「……昨日は随分お前らしくないと思ったが、それは聞いてもいいか?」

サトウは空を見つめていた。何かを考えているようにも、いないようにも見える。

「僕もあの子と同じで父親が怖かったんです。だからなるべく関わらないように、家では透明人間になるつもりで大人しくしていました。あんな人が親だとは思いたくありませんでしたし……でもある日突然母がいなくなってしまったんです。僕は世界に見放された気がしました。ああ、誰も助けてくれないんだって。願いも祈りもそんなもの現実逃避でしかない。そんな父の陰に怯えている内に、知らない人が家に居たんです。それから僕はその人に連れられてここに来ました。みんな初めからこの場所に居たわけじゃないんですよ」

そういえば初めは変な法律ばっかりだから、大変だったなぁと笑った。

「お前の父親って……」

「どうしようもない人には変わりないんですけどね。よくあるギャンブルに溺れて酒、タバコ三昧というよりは、真面目でしつけも厳しい人でした。けれど会社でなにかあったんでしょうね。突然家に居るようになると、外に出ることはなくなりました。家の中でただ死ぬのをひたすら待っているように過ごして……そんな父と過ごすのは嫌で怖くて逃げたかった。たまにストレスで僕に当たるのはまだ耐えられましたが、その後に泣きながら自分を傷つけている姿は見たくありませんでした。本当は僕よりもあの人をここに連れて来てあげるべきだった。それが叶わないままここで過ごす中で、父が亡くなったのを聞きました。初めはああそうかとそれだけでしたが、この年になって少しだけ後悔しているんです。あの人も可哀想だったなって……」

「だったら、尚更俺のことは……」

「僕は貴方と会った時から、理想の父親像に重ねていたんです。誰にでも誇れるような立派な人間じゃなくてもいいから、僕と話してほしかった。あ、貴方がそうだって言ってる訳じゃないですよ。ここまでみんなをまとめられたのも貴方のおかげですし、仕事だって助けられています。でも親との関係は我慢することだって無意識の内に刻み込まれていたから、あの子にもそれを強要してしまった……僕は、僕こそ裁判にかけられるべきだ」

「……痛かったか?」

すぐ側にあった頭に触れると、目を丸くしてから笑った。その瞳に涙が滲んでいる。

「僕は貴方の温もりが消えることが……っ、貴方と話せなくなる方が辛くて怖いです……! 僕が無実を証明しますから絶対に、絶対に……っ」

「俺なら大丈夫だ。なあ、下の名前は?」

「……コウヘイ」

「ごめんなコウヘイ……それから、ありがとうな」

コウヘイは昔を取り戻すかのように、次から次へと溢れる涙を拭っていた。

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