第6話 誰も見てはならぬ

可錆高校の悪霊はいた。

 それは授業中にだけ立ち現れる亡霊と思われていたが、その定説を覆すように、保健室で寝込んでいる三谷に降霊した。今にして思えば、憑かれた人物が授業を境に憑依して離魂するという考え事態がおかしかったのだ。

 つまり今も憑いている。

 しかし、なにかの訳があって、授業以外に正体を明かさない。明かさないだけで、非業な死をとげた可錆高校の亡霊たちは取り憑いたままその人物として振る舞っている。謂わば成り変わっている。『ゼイリブ』で観たような宇宙人のように。問題は、それがいつか、ということだろう。

 わたしは教室内をぐるりと見回した。

 三谷の騒動から、もう五日は経過している。わたしに気づかれたことを察してか、最近悪霊が出現することはなかったが、すでに三谷に取り憑いた悪霊は、彼女の本来のすがたを演ずるのに厭気がさしたのか、以前より快活に周囲に話して振る舞う。

 はたして、この教室には、あと何人、まともな人間がいるだろうか。

 わたしは必死になって除霊の方法をネットで検索したが、アテになりそうなものは百のうち一つで、そのひとつも試してみるには金銭的にハードルが高く、また直ぐさま見抜かれる心配もあった。

(八方手詰まりか)

 どんよりと諦観がのし掛かり、この数日、わたしは学校を休んで、こころを癒やすことに専念した。

 まずは自己防衛。決して憑かれないよう仏壇にあった数珠や最寄りの神社で買った健康安全の御守りを身にまとい、市内にある大型のプロテスタント系の教会に併設された売店で、キリストが磔刑されているロザリオも買って身につけた。いろいろな除霊法を探したのもこのときで、結局のところ、普通の女子高校生がクラスの大半に取り憑いた悪霊を除霊する術などあるはずもなく、専念できることは自分の身を守る、その一心だった。

 ジリジリと追い詰められていることは肌で感じていた。

 どうすればいいか、どうしなければいけないか――。

 なぜ周囲は理解してくれないのか、浅はかなのか――。

 こんなにも皆が頑迷で、ひとの想いなど一顧だにしないとは――。

 不満を述べれば枚挙に暇がなく、しかしながら、憤懣を香煙のようにくゆらすだけで、一向に打開策は浮かばず、悪霊たちはそれを見えないところからほくそ笑み、また最後の算段をつけていたのだった。


 その日は陰陰滅滅とした幽霊のしのびでる雨の日ではなく、猛暑日を記録した青天白日。そして、わたしがこの一連の怪奇現象を最後に記憶している日だ。

 授業は恙無く、日差しは苛烈で、弱風の空調は快適な学習にまったく寄与しない。平生なんの疑いももたらさない陽気にあって、わたしの神経は大いに昂ぶり、いつぞ来るともしない悪霊の出現に、シャツに手を当て、さげているロザリオの形を手の中で玩んでいた。

(くるならこい)

 そう虚勢に呼応したのか、どこからか、蜃気楼のような揺らぎが、教室の廊下側の席に立ちこめた瞬間、ずるりと滑り込んだように、悪霊が姿をあわらした。

(あ、ああ)

 心の底から悲嘆に呉れた。その席は、あろうことか杏子の席だった。彼女もまた、悪霊に憑かれていたのだ。――考えてみれば、三谷が振り向こうとしたとき、わたしを制止したのも彼女だった。おそらくあのとき、すでに彼女は可錆の悪霊に取り憑かれていたのかもしれない。

(もしそうなら――)

 周囲に悟られないように、そっと椅子を後ろに引いて、目を右にながした。

(ああ、やっぱり)

 横ならびの席のため気づかなかったが、加賀もまた、貌が別人に様変わりして憑かれていた。廊下に目をやり、横顔だけで定かではないが、変化はややもすれば気づかない些細な変化であり、首を傾げるほど微細な雰囲気の違いであったが、間違いなく、それは彼女ではなかった。

 三谷を追って保健室にむかったとき、あの監視するような目。あれは真相を掴もうとする私を警戒した悪霊の目配せだったのだ。

(もしかして狙われてる?)

 わたしの知り合いが二人。すでに取り憑かれていた三谷も加えれば、真相に迫っているグループはわたし以外、全滅ではないか。そしていま、これ見よがしに調査グループの杏子と加賀さんが悪霊に立ち替わったのであれば、これは明確な私に対する示威行為だ。

 だがそれだけではない。

 きづけば、それは他に伝染していた。どんどんと立ち上がる怪しげな蜃気楼と、それによって元の顔から別の人物のニュアンス――怨念というべき不気味な印象をひきついで、立ち現れる悪霊のかお、顔、貌。

(浅はかだった)

 そう、あまりにも考え違いを起こしていた。

 クラスメイトの誰が憑かれているか否か、など愚にもつかぬ発想じゃないか。

(全員だ。全員が、すでに雪山の死亡者だ)

 あまりにも簡単な引き算だったのだ。このクラスメイトは自分をいれて三十人。死亡者が二十九人。わたしを除けば、悪霊の数はピッタリあう。

「――磯谷」

 と、まるで最後の犠牲者であり、そして新たなる三十人目の犠牲者の名前が呼ばれた。

 咄嗟に顔を俯かせる。これは余りにも巧妙で恐ろしい罠だ。

 数学Aの授業は、指名された生徒は屹立して回答をいう古めかしい習慣が残っている。それゆえにわたしが立ってしまえば、おのずと周囲の貌はこちらに向く。

 教室に犇めくのは、雪山で見つかった無残な十一の貌ばかりではない。いまだ発見に到っていない十八人もいる。彼らは白骨化しておかしくなく、わたしを見つめる大半の眼窩は、くろく淀んで、虚ろな洞だろう。

 或いはそう、席を墓標代わりに、ブルーシートに付されている死体の山が、わたしを囲んでいるのかもしれない。そして、それを観た瞬間、わたしは筆舌に尽くしがたい破滅に向かうのだ。

「磯谷」

 もう一度、初老まじかの安堂教諭の、いぶかしむ声がした。

 わたしははたと、彼だけが、つまり教師だけが、唯一悪霊に取り憑かれていないのではないかと思い到った。悪霊は二十九人。クラスメイトが二十九で、のこりはわたしと安藤教諭ふたりじゃないか。

(彼に助けをもとめよう)

 凍り付いた身体に熱湯がそそがれたように、ぶるりと身震いしたあと、わずかに顔をあげかけたが、それを思いとどまらせたのは、はたして安藤教諭が自分の味方かどうか、確信が持てない事実だった。

 この怪異の実態を捉えようとしたわたしの憶測は、様々な推理の変転をおびている。当初は女学生のみだと思い込み、また自分と杏子以外見えないものだと決めつけていた。さらに三谷の豹変から、決して授業中にだけ出現する訳ではなく保健室であっても、その顔を見せることは実証されている。

 であれば、本当に悪霊は『二十九人』であろうか。

 もしや把握してない三十人目の悪霊が、突如として出現しても何ら奇怪じゃないではないか! そもそも論を語るなら、わたしはこの怪異が何故遭難死した雪山ではなく、この教室に出現し、なんの意図をもって自分を苦しめるのか。まったく見当の目鼻もつけられないのである。

(おまえは、だれだ。おまえは、だれだ)

 心で問いかける。念じて問い糾す。

 何の為に現れ、何の為に私を排除しようとするのか。

 なにか、わたしが見落としているルールがあるのではないか?

 それは実はあまりにも公然と張られている伏線であるのにも拘わらず、それがわたしの目には特筆したものとして映らず、思考の遡上に登らなかったが為に見逃してしまった、旧可錆高校の雪山遭難事件から端を発した、悪霊事件の因果究明の一欠片。

(おまえは、だれだ。おまえは、だれだ。おまえは、だれだ。おまえは、なんのために)

 苦悶はたえず、気管支が腫れたように細い息がつづく。

 かお、かお、かおが、わたしを苦しめる。

 安堂教諭が近づいてくる。なにか、わたしにいっている。

 肩に、手が辺り、それが揺さぶる。

 みろ、みろ、みろ。

 或いは、

 みせろ、みせろ、みせろ――――。

(嫌だ)

 三谷の二の舞になりたくない。それは嫌。曝け出すのは嫌。

 いや、いや、いや、いや、いや、いや。

「磯谷? おい磯谷、息をしているか!?」

 かおをみるなら、かおをみるな、ら。

 顔をみるな、みるな。みるな、みるな――。

 ああ、あああああ。

 弾かれたように立ち上がった。

 そして埋め尽くす貌を見てしまったわたしは、断末魔の悲鳴を――。

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