第3話 可錆高校の受難
七月九日 午後九時四十二分 《憑き物怪会》グループライン より
杏子 【灰色猫の香箱座りスタンプ『ただいま』】
【茶虎猫の寝そべりスタンプ『おつかれ』】弥生
加賀 【足の生えた鰈のスタンプ『おつカレイ』】
杏子 【喜ぶ三毛猫のスタンプ】
【サムズアップするキジトラ猫のスタンプ】弥生
三谷 塾、お疲れ様です
杏子 【タオルで労働の汗をふく工務服猫のスタンプ】
加賀 つか、あれマジなやつ?
杏子 【首をかしげる白猫スタンプ】
あれって?
加賀 生き埋めの話し
杏子 【首をかしげる白猫スタンプ】
三谷 これのことですよね。調べました。二十一年前、共学になる前にあった事故のようです。
【https,//www.kaidann-yowagatari.com/?t=4jyakuda8w7list&index=44】
【私立可錆高校雪山遭難事故について】
「可錆高校・・・・・・」
ベッドに寝転びながら、仰向けに携帯の画面を眺めていたわたしは、ふと、その名前に不思議な既視感をおぼえた。
可錆高校という名前は、何の気なしに学生手帳をめくっていたとき、学校の来歴が書き示してある一覧に、この学校名を目にしたのだ。しかしながら、わたしが覚えた既視感はその可錆という文字面ではなく、あらためて口にしたその音が、いぜん伯母の口から後ろ暗そうな語調となって発されていたことを、いまになって思い出したからなのだ。
伯母は母の二つ違いの妹で、同市で歯科衛生士として働いている。五年前に夫と離婚し、いまはシングルマザーとして小学六年生の娘と年子の五年生の息子の三人暮らしで、ときおり、その従姉弟たちをつれて、家に遊びに来ることがある。
その日は、五年生の従兄弟が熱をだしたので、伯母が母のもとに預けており、夜になって伯母が迎えに来た。従兄弟もそこの頃には熱も冷め、もりもりと母が用意した鍋焼きうどんを平らげているところだった。
「弥生ちゃんは、どこの高校にいくの?」
リビングにおかれた細い枝木のようなコートハンガーに、薄手のベージュのコートをかけながら、伯母は和やかに訊いた。ひとが看護師や衛生士にいだく穏和で理知的なイメージそのままの人で、髪を短く後ろにつめて、やや太い眉に上気した頬が膨らんでいる。母から熱が引いた連絡は受けていたが、親心に心配だったのだろう、玄関で忌々しくパンプスを脱いだその様子から、彼女が勤め先から息子が待つ家まで、その走るのには不向きな靴に何度となく苛立たしい感情を覚えつつ、競歩じみた速度で足を動かしていたのかが、それとなく窺い知れるようだった。
息子がうどんを頬張るすがたに人心地ついた伯母が何気なく訊いた質問に、わたしは合格した私立高校の名前をおしえた。
「へー。そうなの」
と、いいつつ、彼女の反応は芳しくなかった。わたしですら察せるのだから、姉である母など、伯母が校名について全く知らないことが手に取るように分かったのだろう。かけつけてきた妹にお茶を出すため、冷蔵庫をのぞきながら後ろ背に、
「可錆よ。むかし男子校だった」
「可錆・・・・・・」
そのときだ。
優しげな伯母の顔に、すっと不穏な影がせまり、口にしたその名前が古い忌名だと思い出したかのように、唇をひきむすんだのだ。――そのあとの伯母の態度は、別段普通と変わりないものだったが、そのあと高校の話題を出すことはなかった。
伯母が可錆という旧学校名から想起した暗雲、その暗い曇影の下に蹲っていたのは、杏子が持ち出した二十一年前の遭難事件だったのだろう。青く浮かび上がるネットページのリンクを、わたしは躊躇いがちにタップした。
インターネットブラウザのsurfaceがたちあがり、黒背景におどろおどろしい字体で、『怪談夜話がたり』というホームページが出た。有志が更新する怪談や心霊体験のアーカイブが、あいうえお順に左のメニュー欄にならび、そのなかの遭難のジャンルが青地に光っていた。
【私立可錆高校雪山遭難事故】
視認性のわるい赤字のタイトルに、黒背景の白抜きの文字が画面にびっしり詰まっている。細かい文字をひとつひとつ味読していくのは、さすがに目にコリを感ずるほどで、途中から斜め読みをしながら、ところどころ、その内容を熟読する。
二十一年前の秋頃、私立可錆高校は修学旅行の一環で、長野県の某スキー場にむかっていた。当時、朝は清々しい秋晴れで、雲一つないスキー日和に思えたが、午前十一時頃から空模様が険しくなる。当時気象庁の予報では中国大陸から流れ込んだ発達した低気圧の影響で、日本アプルスの積雪量が百センチを越えると報じられており、各局の予想天気図も総じて長野県一体は豪雪マークで埋め尽くされていた。
しかし当時の学年主任はこれを強行。
午前十一時三十分。学年主任のA教諭、受け持ちのクラスを引き連れ、スキー場併設の宿泊施設から出発。一行は徒歩にて雪山に。――のちにその装備の脆弱さも相俟って、緊急保護者会の中でも、この無謀さについて遺族から涙にくれながら糾弾されるが、強行した理由について、学年主任からは謝罪以外、なんの弁明もなく、唯一、そののち週刊誌にリークした教諭の言説によれば、無謀な精神論以外になんら理由も理屈もなかったということだった。
午後零時三十分、その年観測史上の瞬間降雪量を記録。
以降、視界を塞ぐ吹雪がつづく。
午後一時四十分頃、スキー場から北東に二キロ離れたキャンプ小屋から、スキー場の施設に無線連絡が入る。――曰く、遭難の恐れ有り。消防庁に通報されたし。学童二十九人。行方知れず、と。
その後の顛末については悲惨極まるもので、教諭に連れられた二十九人のうち、今現在も十八名の学生の遺体が発見されていない。発見された十一名の学生は各々無残な死に様をなしていた。――そのなかでも、一部週刊誌によって報道された写真が、いまでもその当時の酸鼻極まる光景を映し出していた。
事件発生から六ヶ月を経た三月の中旬。残雪から数本の焦げ色の枝木が飛び出しているのを地元住民が発見。それは、紫外線を反射する雪原に灼かれ黒ずみ、なおかつ凍土によって腐敗を免れた三人の学生の四肢であった。ふたりはうつ伏せになり、わずかに襟足の毛をみせていたが、ひとり仰向けの状態で、怨めしそうにレンズのほうに顔を向けている。
(う・・・・・・)
直ぐさま、携帯を足元になげ、気色のわるいものを遠ざけるかの如く、足でさらに追いやった。
あれを顔と呼ぶべきか。
週刊誌に掲載するためにモザイクが掛けられた顔面は、その粗い解像度にもかかわらず、かおの起伏をうしなって激しく、それらが野生生物によって啄まれ、囓り取られていることが知れる惨憺たる面貌だった。
「貌がね、ないの」
チャペルで聞いた、杏子の声が甦る。
そのとき、ぶ、ぶ、と押しのけた携帯が振動した。わたしはグループラインの途中だったことを思い出して、おずおず画面をひらいた。――たちあげた画面に、あの蚕食された屍骸の顔面が映りこんでくる気がして画面のロックをあけるのに十秒の深呼吸を要したが、画面に映ったのはいくつかのメッセージと、杏子の短い一文だった。
杏子 ねえ、もし次あらわれたら、貌、見てみない?
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