第2話 チェンジリング

わたしと杏子はそれから間もなく、三度目の怪異をみとどけ、今日にいたるまで五度の入れ替わりを体験した。

 最初こそ怖れていたわたしたちだったが、四度目ともなると恐怖心は薄れて、ともすれば教師の目を盗んで、ラインを介した入れ替わり怪異の実況中継を始めるまでに到っていた。

 杏子は殊にこの怪奇現象を気に入り、現国用のノートに怪異の条件を書きだした。


 一、授業中にしか現れないこと。

 二、移動教室や体育など、互いに顔が見える授業では現れないこと。

 三、女子生徒に限定すること。

 四、授業後はすぐに戻ること。

 五、入れ替わられた子に自覚はないこと。

 六、いまのところ私(杏子)とやっち(わたし)しか、気づいていないこと。


 この六箇条は、しかし奇しくも六回目の出現によって、二項の訂正が余儀なくされた。 ひとつは、三の『女子生徒に限定すること』。

 これは西日が射しこむ六時限目の最終授業で、教卓近くに座っている宍戸という陸上部の男子生徒に生じたことで、赤々としたマジックペンで力強く修正の太線が曳かれた。

 そして更なる赤い架線が曳かれたのは、その宍戸の入れ替えに気づいた生徒が、わたしたちのほかに二人現れた為であった。

 

「でさー、名前どうするよ?」

 加賀さんは長椅子の胡座をかきながら、ほかの三人の顔を見回した。昼休み、各々仲のよい友人達と昼食をとったあと、示し合わせたように、四人は教室から抜け出して、東校舎の隅に併設されたチャペルの、その二階の突き出した会衆席の一角で屯することが日課となっていた。

「名前って?」

 食べ足りなかったのか、菓子パンの袋をあけた杏子が、首を仰け反らせながら訊く。本校の会衆席は映画館のようになだらかな坂状で、杏子は加賀さんの斜め前の長椅子にちょこんと座っていた。

「入れ替わり妖怪の名前」

「妖怪って」

 杏子が噴き出す。

「じゃあ精霊じゃね?」

 蓮っ葉な口吻の加賀さんは、その物言いのだらしなさが服装にも現れたように、胸元のスカーフをだらしなく巻き、スカートの裾を二段も折り畳んでいる。眉も細く吊り目で、鼻にかけた声が婀娜っぽく、わたしたちのようなオタク趣味の陰キャとは一線を画すような生徒だった。いうまでもなく、わたしが誘った訳ではなく、交友関係のひろい杏子が、何かの折りに加賀さんが『宍戸の入れ替わり』のことを口にしたため、やや強引に、そしてわたしに何の承諾も取らずに引き入れたのだった。

「精霊か。たしかにヨーロッパのほうに子どもを入れ替える精霊がいたよね?」

 こちらの気も知らない杏子は、はたと手を合わせて、新たな仲間の思いつきを讃え、もうひとりのほうに目をやった。

「チェ、チェンジリングですよね」

 わたしの更に下の長椅子に座って、首だけを差し向けている女生徒がにわかに色めき立って、やや甲高い声で怪異を教授しだした。

「精霊と云うより妖精です。――ゲルマン系の神話に頻出する伝承で、ひろくヨーロッパに伝わっている古い怪奇譚でもあります。フェアリーやエルフ、ドワーフなどが、人の子を羨んで、自分の子どもと取り替えるんです。お、恐ろしいですよね」

 三谷の名乗った彼女は、みるからにクラスのカースト下位で、教室の湿潤とした片隅で、ひとり隠れるようにして本をよみ、限りある青春を空費するタイプにみえた。

 外見も老けたコケシを彷彿とさせる見てくれで枝毛のある髪を無造作に二つ結びにしている。容姿にコンプレックスを抱いていることが透かし見える陰気さで、それにも拘わらず美容に関する一切合切を投げ出しているのは、放棄することで何れ化粧を施したとき誰よりも輝かしくなれるという卑屈な現実逃避が為せる技で、雀の湯飲みのようなその小さな希望だけが、焼け石の如き自尊心を僅かに冷ますのだろう。

 そんなわたしでさえ不憫に思いつつも見て過ぎるクラスメイトが、しかしながらこの集まりにいるのは、村八分にされた人間特有の盗み聞きの悪癖ゆえだ。

 ――わ、わたしも同じこと、思ってたの。

 彼女はなけなしの勇気を奮って、わたしと杏子の会話に参加してきた。わたしも杏子も教室に座っている彫像のような子が話し掛けてくるとも思わず茫然としていたが、目敏い杏子が三谷が大事そうに抱えている世界妖怪図鑑という表題をみとめてしまったために、彼女までも勧誘してしまったのである。

「は? それの何処が恐いの」

 加賀さんは突き放すような口調で言う。が、これが彼女の恒常的な口吻である。

「エルフとかフェアリーとか。漫画とかでよく見るアレでしょ? むしろアリじゃん」

 たしかにエルフといえば、森の賢者と謳われる種族で、みな眉目秀麗で穏やか且つ、弓術に長けている。フェアリーなども所謂妖精と同義で、美麗な蝶羽の生えた美しいミニチュアのような精霊として描かれている。――みな創作物では、物語上の紆余曲折あれど、最終的には殆ど人に友好的で、恋愛関係や信頼関係をむすぶパートナーたり得る存在であって、膚を震わせるような怪物ではない。

 しかし、三谷は無知を諭すような厳かさで首を振る。

「そ、それはほんの数十年の間にフィクショナイズされた外見で、本来は体系化されていない雑多な怪物、たとえるなら日本の妖怪に近しいものなんです。フェアリーやエルフ、ドワーフの外見も一定したものはなくて、魔女や妖犬、ケットシーなどもときにフェアリーとされます。エルフとドワーフも明確な区別はなくて、ときに同じ怪物として物語られることも多々あります。――私も以前洋書童話の挿絵で、牙と髭をはやした竹槍をもったコビトのようなエルフを見ました」

「げえ、最悪じゃん」

 汚物にふれたように、加賀は手を払うような仕草をしてみせる。

「そうなんです。――で、その感覚はなにも人だけじゃない。彼らだってそう思った」

「だから入れ替えた?」

 と、すかさず杏子が合いの手をいれる。話題の合間にこうやって、するりと潤滑油のような相槌を射しこめるのは、傍から聞いても小気味よい。

「流石、ご明察です。その見た目が極めて醜悪な妖精が、柔い肌と愛くるしい顔艶の人間の子どもを羨むのは当然とされ、自分の子どもと妖精の子どもを取り替えるといわれた。それがチェンジリングの伝承です。ですが、もう皆さんは正しき唯物論的思考を身につけている科学の子なので、これが所謂、未熟児や心神に障がいのある子どもにまつわる創作伝承であることは――」

「ちょちょい、待ったストーーップ」

 長椅子に立った杏子が両手を突き出し、コミカルに手首を振る。

「どうどう、みたにん落ち着くのじゃ。貴殿がとおく海外の怪奇伝承まで網羅している博覧強記なる才女であることは我々至極痛感したうえで、少々、話しがズレてきておるぞよ。なにせ『入れ替わり』した人物は、授業のあとには元通りになっているんだから」

「令和の妖精はそこまで頭が働くかもしれないぜ?」と加賀がいう。

「或いは『ゼイリブ』かも」

「あ? 『ゼイリブ』?」

「アメリカ映画のタイトル。ひいては宇宙人説だよ、加賀っち。だけどアタシは本来の憑き物説を推したい」

「憑き物ですか?」

 三谷は俄然興味を覚えて身をのりだす。

「だとすれば、クラスの人たちに取り憑いたんのは何でしょう? 憑き物としては狐憑きが有名ですけど、犬憑き、蝦蟇憑き、なかには蛤憑きなんてあって――」

「これは違うよ」

 堤を破って流れ出ようとする雑学の披瀝を、杏子の一言がピタリとおさえた。つねに会話の糸口を探しあぐねている三谷にとって、みずからの知識をもって会話の主導権を得たいという欲求は並々ならぬものだろうが、あつい欲求に冷水を被せて口をふさぐような断言的な物言いが、杏子の短い台詞にこもっていた。

「これは憑依なんだ」

 憑き物が動物や悪霊など、ひとに憑く原因主をひろく包括する単語だとするならば、憑依とは謂わば人間の死霊に限定した憑き物といえるだろう。無風の礼拝堂に冷たい冷気が走った。誰ともなく目交ぜする。目をみひらいた杏子の面影は、どことなく別人のようだった。

「憑いたのは幽霊ってことですか?」

 怪奇譚の聞き手は、おのずと三谷に集約した。彼女はその任に適していた。彼女だけがさきの言にひそんだ幽きものの正体を察していた。

「もしそうであるなら、この学校に、非業の死をとげた人がいると?」

 杏子は、人形の頭を手で上下させたようなぎこちない首肯をみせた。

「居るんだよ。この学校には」

 杏子は仄かに微笑んだ。

 ぎこちなく吊り上がった口角は、杏子の意思ではなく、背中に隠れる黒子がひいたピアノ線に繫がっているようで、神聖なチャペルの片隅で、くろい影が彼女を操っている妄想が浮かんでは消える。――その誰かが告げる。

「雪に埋まった学生達が、二十九人」

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