第24話「憎しみ、迷い、想う」
準決勝は滞りなく終了した。二回戦のような番狂わせもなく、心躍るような白熱した試合もなく、当たり前に強いほうが勝った。何度対戦しても、この結果は変わらない。そんな退屈な試合だった。インターハイの舞台にふさわしい晴天の下で、汗ひとつかかずに勝利できたというのはやはり試合時間の短さゆえだろう。
準決勝は両試合ともにコールドの完封。いくらSCの強豪がそろう地区だと言っても、所詮は地区大会。それに、有望な選手は大会初日に多くがぶつかり、その数を減らしている。
それでも、準決勝が両方ともコールドゲームなんて珍しいと思う者もいるかもしれない。だが結局、そんなもの関係ない。準決勝だろうが決勝だろうが、あるいは地区予選だろうが全国の舞台だろうが、何も変わらない。負ければそこで終わりなら、そこに勝つ以外の選択肢はなく、勝利以外に価値は無い。
俺以上に勝利への執着があって、俺以上の才能と努力があれば、俺はそいつに負けるだろう。だからこそ、俺はもう勝利に執着するしかない。自分以上の才能を知ってしまったから。
そいつが、決勝戦の相手だ。
今までと同じ競技で、同じ会場で、何度も繰り返した試合なのに、目の前にいる相手があいつだというだけで、それは全く別のものに見える。それが、長年の付き合いによる感慨深さなんてロマンチックなものであったなら、どれだけよかっただろう。
「シン」
対戦相手が声をかけてくる。が、俺はそれに答えない。答える意味も、その必要もない。戦って、結果を出すのみだ。そのためだけに俺は今ここにいる。
勝ってやる。
相手に背を向け、開始位置につく。振り向くと、相手も同じくこちらを向くところだった。その表情は暗くどこか悲しげで、とてもこれから試合をする人間の顔ではない。でも、そんなことは関係なかった。
結果だけがすべてだ。
お前がどれだけの才能を持っていようと、ミナトさんに勝る実力を持っていようと。俺はお前にだけは勝つ。お前は俺からすべてを奪った。生きる価値も、生きてきた意味も。それはもう、お前に勝つことでしか取り戻せない。
何よりも。俺は、俺からSCを奪ったお前が――。
どうしようもなく、許せない。
開始のホイッスルが鳴り響く。
相手に動く気配はない。こちらから動き出すのを待っているのだ。その余裕めいた態度に知らず、唇をかんだ。
どれだけ、俺を嗤えば気が済む。
「おおおおおおおおっ!」
堪えきれない怒りを吐き出すように、まっすぐ相手へと突き進む。強化した脚力は、離れていた距離を瞬く間にゼロにし、至近距離から最も慣れ親しんだ魔法、『ブレイド』で薄紅色の刃をふるった。
だがそんな単純な攻撃、当たるわけがない。
すらりと躱した相手に対し、ただがむしゃらに攻撃を続ける。『ブレイド』を維持できる限りふるい続け、それが切れれば今度は身体強化をまた限界まで使い続ける。効率も技の組み立ても何も考えない、ただの暴力。
頭ではわかっている。こんな攻撃、いくら繰り出したところで無駄なのだと。でも止められない。止められるわけがない。相手にこの感情をぶつけ、ただ叩き潰したい。それだけのために攻撃し続ける。そこに理性が入り込む余地はない。それはもうSCなどではなく、ただの子供の喧嘩。
心のどこかにいる冷めた自分が、この行動を嘲笑う。自分のおもちゃを取られた子供が、返してほしいとわめき続ける。そんな幼稚なお遊びだと。
わかっていても、それを上回る何かが無謀な攻撃へと俺を駆り立てる。あれほどこだわっていた勝負だって、もうどうでもいいのかもしれない。ただ目の前の相手を倒し、跪かせたい。これは闘争心ですらない。ただの怒り、ただの憎しみ。試合を口実にしただけの復讐で、SCですらないのだろう。
「ああああああっ!!」
がむしゃらな攻撃にも限界がくる。休みなく発動した魔法の反動で訪れる、刺すような頭痛。安定しない発動で明滅する薄紅色の刃。それでも、その痛みを叫びでごまかし、構わず腕を振るう。と、今までは避けるだけで攻勢に出ていなかった相手が、その右手に魔法を宿す。俺と同じ、いや、今の俺のものとは段違いの安定度を見せる『ブレイド』だ。
相殺狙いのタイミング。しかしここまで魔法の安定度に差がある今、同じ魔法を使われたら――。
ぶつかり合う光と光。響き渡る不快な音。
しかしその均衡は一瞬で崩れ、こちらの右腕に控えめなライトエフェクトが灯った。
ポイント、ワン。それも自分の攻撃によって引き起こされた、まぎれもない自滅点。わかっていたことだ。こんなプレーをしているのだから、当たり前にポイントは奪われる。むしろ今までポイントに変化がなかったほうがおかしいのだ。そう、回避の合間に攻撃を仕掛けることも、今のように相殺で攻めに転じることもできたはずだ……。頭の片隅でかすかに残った理性が疑問を抱く。あんな強引な、『アサルト』にもなっていない連続攻撃。ポイントを奪ってくれと言っているようなものだ。なのになぜ――。
俺は今、自滅のワンポイントしかとられていない?
「くっ」
苦し紛れに、身体強化で相手の『ブレイド』を発動している右手を蹴り上げる。考えている場合ではない。『ブレイド』を受け切れなかった反動で体勢が崩れている。このままでは追撃から相手の攻撃のラッシュが始まるだろう。長年の習慣で大量得点を防ごうと腕が勝手に前に出て胴体を守る。
しかし、いくら待っても追撃はやってこなかった。
疑問を抱きながらも、後退しつつ相手を見る。視界に入った相手の右手はこちらと同じように控えめな光をともしていた。
そしてそいつは、最初と何も変わらない悲しそうな顔のまま、ただこちらを見ていた。
出来の悪い攻撃の間どころか、この好機にすら何もしかけてこない。苦し紛れの反撃を避けようともしない。それはまるで、戦う意思が最初から無いかのようで。俺が必死になって求めているものを、どうでもいいと吐き捨てているように見えて。
そして悲しみの奥にあるもうひとつの感情に気付いたとき、俺は思わず目を見開いた。
驚いたわけではない。ただ許せなかった。俺にそんな感情を向けているあいつが。そしてそんな感情を向けられている自分自身が、ただただ情けなく、許せなく、腹立たしかった。
歯茎から血が出るんじゃないかと思うほどに食いしばって、爪が手のひらに食い込むほどに握りしめて。
「――っふざけるな!!」
叫ぶ。
静まり返る空間。停滞する時間。このひと声によって何もかもが終わってしまったかのような、そんな錯覚さえしてしまいそうなほどの痛々しい静けさ。
相手も、この声を全身に浴び、顔を上げる。
その表情は悲しみと――憐れみに満ちていた。
「お前が、お前が俺を憐れむのか……。俺からすべて奪っていった、お前が」
勝利も、努力も、生きる意味すらも奪っていった、ほかならないお前が――。
「お前が俺を憐れむなァッ!!」
怒りのままに打ち出した青白い光弾は、身動きひとつしない相手の髪を数本散らしただけで通り過ぎていく。
照りつける太陽と無謀な動きで上がった体温が汗となって地に落ちる。身体はこんなにもわかりやすいのに、俺はもう、自分の心が熱くなっているのか、それとも冷え切っているのか、わからなくなっていた。
「お前さえ……」
ひとりでに右腕が動く。刀の柄を握るように、小指から親指までが滑るように空をつかむ。だんだんと、身動きひとつしていない対戦相手の姿が近づいてくるのが分かった。足の裏に地を踏みしめる感触が生まれる。もしかしたら、近づいているのは俺だったのかもしれない。
手のひらから伸びる刀身は今までに見たこともないほどに強く、紅く、それはまるで――。
「っお前さえいなければ――!!」
その声は自分のものとは思えないほどに低く、低く、底なし沼のように濁って聞こえた。
一瞬の静寂の後、目の前ではじけた光が世界を覆う。思わず閉じた瞼の中で、すこし固く、けれど温かい感覚が身体を包み込んだ。
再び目を開けた時、そこに対戦相手の姿はなく。未だ明滅してぼやける視界の外、嗚咽のような音だけが耳元で聞こえた。肩に心地よい重さを感じる、息遣いを感じる、自分の右胸にも、わずかな鼓動を感じる。
自分のすぐそばに他人を感じる。そのあまりにも久しい感覚にようやく、自分の世界がぼやけている理由に気が付いた。
「っ、ごめんね」
嗚咽が言葉に変わる。
その言葉に、あれほど昂っていた怒りも、氷のような憎しみも感じなかった。
「わたし、わかってたのに。わたしのせいだって、わかってたのに……」
ああ、そうだ。お前のせいだ。何もかもお前が悪い。そう言ってやりたかった。なのに、視界はにじむばかりで、口を開けば聞かれたくない音が溢れてきそうで、ただずっと、歯を食いしばって耐えていた。
相手が、こちらの背に回した腕を緩める。濡れた頬が滑り、ぬくもりは少しずつ離れていく。待ってほしいと思った。もう少しだけ、そのぬくもりを感じていたいと。感情の適温を思い出させてくれるその温かさを、まだ手放したくないと。
けれどそれは離れていく。言葉にできない思いは伝わらず、言葉にしてしまった感情が二人の距離を開けてゆく。
改めて映ったその少女の頬は、涙と、少しの紅に濡れていた。自分の頬にも手をやると、指先は同じ色に染まる。
「シンと同じ場所に立ちたかった。……並んで歩きたかった。でも、それがっ、そんな自分勝手な気持ちが、……こんなにシンを苦しめるなら、わたしはもういらない」
憐れみなどなかった。哀しみではなかった。彼女はただ苦しみ、そしてただ悲しんでいただけだった。喜びを分かち合えないこと、願いを伝えられないこと、そして、一緒にいられないことを。ただそれだけのことで彼女は悲しみ、たったそれだけのことも、俺はわからなかった。
俺が一人で苦しんでいたように、彼女も一人で苦しんでいた。俺がちっぽけで、独りよがりな感情に飲み込まれていく中で、彼女はそのやさしさによって苦しんでいた。
「勝ちもいらない。SCも辞める。シンのそばにいることも……もうしない。だから、お願い。最後にひとつだけ、伝えさせて……?」
涙をにじませる彼女は、その口元に哀しげな微笑を浮かべ、その言葉の続きを口にしようとする。
でも、俺は。
今の俺のままでそれを聞いて、本当にいいのか?
「わたしは、ずっと」
言いながら、細い腕を持ち上げる。親指と人差し指を立て、それを銃口のように、自分のこめかみに押し当てた。
いいわけがない。だって、俺はあの時、確かに思ったじゃないか。俺は、目の前の少女のことだけは、もっとちゃんとしたいって。
「あなたのことが――」
暗い感情に飲み込まれる前、お前が何を感じていたのかを思い出せ。苦しみも怒りも、嫉妬も自分への落胆も、それは全部俺が自分で生み出したものだ。本当に、すべてが始まる前に彼女が俺に与えてくれた感情は、そんな一方的なものじゃない。
青白い光が指先に宿る。そう、その光が解放されれば、何もかもが終わる。この試合も、俺の抱いていた苦しみも、彼女の抱いた悲しみも、そしてふたつの間にあったものも、何もかもが切れて、終わる。
その前に。
――クレハのこと、わかりたいって思ったじゃないか。
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