第22話「師匠」

 ◇シン



 勝った? って、いうのか。クレハが、ミナトさんに……?


「おい、シン。どうした、聞いているのか? シン!」


 中学から、俺が一度も勝てなかったミナトさんを相手に、クレハが? SCを見ているだけだった、ずっと俺を見ているだけだったクレハが、


 ――勝った?


「シン、ショックを受けるのはわかるだが、あれはミナトの本気じゃない。あのプレーにしたって――」


 結果だけじゃない。俺は、あんなミナトさん、一度だって見たことがない。インハイの試合だってそうだ。いつだってミナトさんは余裕があって、俺と戦うときも笑顔ひとつ見せないで、冷静に勝負を進めて、そして勝ってきた。


 あんな風に雄叫び上げて、すべてをかなぐり捨てたような荒々しいプレーをするミナトさんなんて、俺は見たことも――引き出せたことも無い。


「ミナトの強さはあんな力任せのプレーじゃない。あれは経験の少ないクレハにだからこそ通用したプレーだ。これまでの試合を思い出せばわかるだろう」


 ただ俺を見ていただけのクレハが、ミナトさんの本気を引き出して、それを倒した。なら俺の過ごしてきた十年はなんなんだ? ただ見ている十年と、苦しみながら努力してきた十年が同じだっていうのか?


 まさか、そんなわけはない。そんなはずはない。


 見ているだけで強くなれるなら、だれだってSCで一番になれる。俺がしてきた努力なんて、必要ない。そうさ、そうじゃないから俺は強いんだ、ミナトさん以外に負けたことなんてないし、中学までは全勝だった。俺は強い。これからもそうだ、どんな奴にだって負けない。負けたくない。


 でも、クレハには負けた。


 なんで。


 なんでだ。


 才能? そんなつまらない一言で俺の今までは、今まで生きてきたすべての時間は覆されるのか、奪われるのか。SCに全てをかけてきた。それ以外の何もかもを捨てて、SCのためだけに生きてきたんだ。


 それを、そんなありきたりな言葉で――。


「シンっ!!」

「っぁ! はっ、あ。アヤメ、さん?」


 体を揺り動かされるほどの強い力で肩を掴まれ、振り向かされる。振り向いた先には、どこか切羽詰まった様子のアヤメさんが立っていた。


「シン、お前……」


 その一言で正気に戻る。そうだ、第二回戦までもう時間がない。そろそろ控室に向かう時間だ。いつまでもこんなところで油を売っているわけにはいかない。


「はい、そうでした。もう行かないとまた運営に迷惑かけちゃいますね」


 フィールドに背を向け、暗く続く階段へと足を踏み入れる。けれど、なぜかアヤメさんは俺の肩から手を離さなかった。


「シン!」

「うるさいですよ」


 意味もなく大声を出すその手のひらを振り払い、選手控室へと向かう。


 ひとりベンチに座り込み、ただただ、戦うことだけを考えた。


 勝つんだ。勝ち進むんだ。そうしなきゃ、俺の今まで生きてきた意味がなくなる。対戦相手なんて関係ない。最後まで勝てばそれでいい。そうすることでしかもう、俺は今までの自分を認められない。最後まで勝てば、人生に意味が生まれる。今までやってきたことが認められる。


 誰かに呼ばれたような気がして、ベンチから腰を上げ、歩き出す。たどり着いた先はうるさいほどに光が降り注いでいて、鬱陶しくて目を細めた。


 証明する、自分の強さを。


 俺は弱くなんかない。だって、俺にはこれしか、SCしかないんだ。それ以外は何もない。負けるわけがない、負けるわけにはいかない。


 どこか遠くで、笛の鳴る音がした。


 バシッという音とともに、右手が何かの衝撃にしびれる。目の前にかざしてみると、円形の、淡い光が浮かんでいた。


 なんだろう、これは。


 そう思うと同時に、風に木々がすれるようなざわめきが頭を覆う。


 呼吸が浅くなる。けれど激しい。息を吸いたいのに吸えない。どれだけ吸おうとしてもどこからか洩れていくようだ。溢れていく空気を止めたくて、両腕で首を抑えた。その時、


 頭が揺れた。


 遅れて聞こえる、ばしっという、さっきも聞いた音。


 目がちかちかする。さっきよりもずっと強く、明るい光が瞳を焼く。


 ざわめきがより一層大きくなった。


 ――うるさい。


 たたらを踏む。また何かが飛んでくるのが見えて、煩わしくて手で払った。


 俺は、弱くない。


 俺は、強い。


 ――どうして?


 だって、俺は、今までSCしかやってこなかった。


 ――だから強いの?


 当たり前だ。人生の半分、いや、三分の二以上もやってきた。SC以外、全部捨てて。これだけに全てをかけてきたんだ。


 ――だから勝てるの?


 だから勝つ。誰にも負けない。負けたくない。目の前に自分の弱さを突き付けられる、もうあんな惨めな思いはたくさんだ。誰よりも努力して、誰よりも強くなって、そして誰にも負けない。そんな風に生きるって、俺はSCを始めたあの日、決めたんだ。


 ――でも。


 でも――?



 クレハには負けたのに。



「あああああぁぁぁぁぁあああああっ!!」


 黙れ。


 ――もう負けたんだよ、お前は。自分を見てきただけの、自分の後ろをついてくるだけだと思っていた、そんな女の子に負けたんだ。


 黙れ!


 自分と戦ってくれていたライバルも認めた。ほかでもない、そのプレーで。お前が最も信頼するSCで。だれにも見せたことのない技を使い、誰にも見せたことのない顔をして、そして負けた。


「もう、黙ってくれぇええッ!!」


 目の前の試合? 対戦相手? 知らない。何も知らない。ただ向かってくるものを弾き、立ちふさがる物を壊す。一切の躊躇もいらない。全力で叩き潰す。


 またどこか、遠くで笛が鳴った。



 結果よりも過程が大事。



 そんなきれいごとを、俺はずっと笑っていた。結果につながらない今までの時間。形にならない努力。負けた自分を慰めるための言い訳。負けただけでなく、その結果すら認められない。


 SCにかけた人生? 誰よりも努力してきた十年間?


 まったく、お笑い草だ。


 努力のほかに何を誇れる。ミナトさんほどの勝利もなく、クレハほどの才能もない。経験という、誰にでも重ねられるものでしか、俺は俺を語れない、慰められない。



 本当の弱者は、俺だった。




 ◇クレハ



 大会初日は三回戦までで終了し、ベスト4が出そろった。私は二回戦の勢いをそのままに勝ち上がり、明日の準決勝に出場する。


 会場の陸上競技場入り口で一人佇んでいると、試合を終えた選手たちと観客が次々と私を追い越していく。明日は、もっとたくさんの人が来るのだろう。その中で、あとひとつ勝てば、決勝でシンと戦える。そう思うと胸の高鳴りが止まらない、そのはずなのに。


「シン……」


 シンの二、三回戦の試合を見て、興奮よりも不安による鼓動を強く感じてしまった。


 あんなシンは見たことがなかった。試合が始まっても棒立ちで、何度も相手の攻撃を受けて。そして最後には、最初のポイントなんて問題にならないほどの猛攻、圧倒的な強さでコールドゲーム。


 結果だけを見れば、それはいつも通りのシンだ。何者も寄せ付けない圧倒的な勝利。あのミナトさんを本気にさせる唯一の存在。けれど、結果以外の何もかもが違う。


 動き出してからのシンはすさまじかった。相手に何もさせず、ただ己の力を見せつけるような、試合にすらならないほどの勝利。それはもう、暴力と言ってもいいほどだった。


「会いたい」


 シンに会いたい。会って、今日のことをたくさん話したい。ミナトさんとの試合も、シンの試合のことも、今までみたいに話して、もっと楽しいSCをしたい。でも、それ以上に今のシンに会うのが怖い。だから私は今、積極的に探すでもなく、こうしてシンを待っているふりをしているのだろう。


 もう、きっとシンは会場を出ている。それが分かっているのに、どうしてか私は、ここで待つことをやめられなかった。


「シンならもう帰ったぞ」


 うつむけていた視線を上げる。そこにはいつも……より少し元気のなさげなアヤメさんの姿があった。


「そう、ですか」


 それだけ言って、私は会場の壁に再び背中を預けた。


「あいつを、待っていたんだろう?」


 そうだけど、そうじゃない。この気持ちを何と口にしていいか、私自身わからなかった。そんな私の態度を見て、アヤメさんはふっと笑った。


「まあ、放っておくしかないだろうなぁ」

「ッ――なんでそばにいてあげないんですか!?」


 気づけば、私は怒鳴っていた。その言葉と、何もかもをあきらめたように遠くを見る、アヤメさんの瞳に。


「今のシンは、一人にしちゃだめなんです。誰かがそばにいないと、だめなんですよ……。でも、――でも」


 それは私にはできないから。


「わたしのせい……だから」


 私がミナトさんに勝ったせいで、きっとシンはあんな風になったんだ。私が、今日、たまたま、偶然、一度きりの勝利を手にしてしまったせいで、二人は試合ができなくなった。二人の勝負に水を差してしまった。だからシンはあんな、怒りに任せるような戦い方をするんだ。


「アヤメさんはシンの師匠でしょう!? なら、あなたがそばにいてあげなきゃ、だめじゃないですか」


 まだ会場に残っていた数人が、何事かとこちらを見る。けれどすぐに興味を無くしたように、それぞれ散っていった。それもそうだ。試合会場ではこんな光景、日常茶飯事なんだから。


 弟子が師匠に怒鳴って、泣いて、抱きしめられている。


 こんな光景は、きっと毎年あるのだろう。


「シンは――」


 穏やかに、耳元でアヤメさんが話し出す。


「シンはきっと、私たちが思っているよりもずっと弱い。だから、クレハが言ったことも、一面では真実なんだろう」


 その言葉に、胸に痛みが走る。自分で心臓を握りつぶしたくなるような、そんな衝動。


 自分で思っていたことでも、アヤメさんから言われることでその痛みは鋭さを増していく。目をつむれば、我慢しようと思っていた涙が自分の意思とは関係なしに、次々と頬をつたう。


「でもな」


 それでも、アヤメさんの声はずっと穏やかで、優しかった。


「私たちが知らないだけで、それと同じくらいの強さを持っている。どんなに苦しくてもあいつは、SCを投げ出すようなことだけは、絶対にしない」


「なんで、そんなことわかるんです」


 弱さと同じように、そんな強さも私たちには知りようがない。そんな私の問いに、アヤメさんは「決まっているだろ」と自信満々に言い切った。



「私が、あいつの師匠だからだ」


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