第19話「静寂」
後半になるにつれ調子を取り戻したクレハは、格上のユウキを相手に同点のまま試合を運び、延長戦へと突入した。延長戦はデュースと同じ二点先取制だ。そこでクレハは、接近戦からの『ステラ・リンク』を使い、見事初戦を突破した。
初出場の選手が三條のナンバー2を破り、そして『ステラ・リンク』を使った。第一試合から見ごたえのある展開に、会場の盛り上がりもなかなかのものだ。
「俺も、そろそろアップ始めてきます」
そう言って席を立つと、アヤメさんは「なんだ、クレハに声をかけてやらないのか」といつも通りのにやにやとした笑顔で聞いてきた。
「もうそんな心配いらないでしょう。それに、次の相手はミナトさんだ。俺なら一人で集中させてほしい」
ため息交じりに応えると、アヤメさんも少し表情を曇らせた。
「まあ、それもそうだな」
クレハが来たら、「頑張れ」とだけ伝えてほしい。そうアヤメさんに頼み、客席から選手控室へと続く階段を降りる。
スポーツドリンクで軽く舌を湿らせ、フィールド外でアップをこなしてゆく。近くにいた選手に頼み、軽く体を押してもらった。
Bブロックはすでに二回戦の中盤に入っている。試合後の調整にフィールドの点検なんかも含めると、この調子で試合が消化されていけば、クレハの二回戦――ミナトさんとの試合は途中から見ることになるかもしれない。もちろん、コールド負けしなければ、だが。
ギリギリとは言えユウキに勝ったのだから、そこまで一方的なことにはならないと思うが。けど、それでもミナトさんは底の知れない恐ろしさがある。第一試合、なるべくさっさと終わらせよう。
念入りに体を温めて三〇分ほどが経つと、大会運営委員が俺を呼びに来た。なんでも前の試合がコールドになったとかで、もう俺の出番らしい。あわただしい運営委員にせかされるようにして、俺もフィールドへと向かってゆく。
二〇〇メートルトラックを突っ切り、フィールドの内側へと足を踏み入れる。向かい側では相手選手が表情を硬くして待ち構えていた。こちらを睨むようなその視線から目を逸らし、隣のフィールドを見る。試合はすでに終わっており、今は点検を行っていた。Aブロック二回戦、第一試合の準備だ。
もういっそのこと、隣で試合しながら観戦するか?
そんなふざけた考えが頭をよぎるが、それはあまりにも失礼だろう。クレハにもミナトさんにも、何より対戦相手に。SCもひとつのスポーツ。相手への礼儀と尊敬は必要だ。やはり、さっさとケリをつけるしかなさそうだ。
「よお、シン。待ってたぜ、お前と戦えるのを」
考え事をしていると、試合相手の選手が話しかけてきた。試合開始前におしゃべりとは、悠長な奴だ。
「そうか。良かったな、組み合わせに恵まれて」
……さっさと始めてほしいな。こいつの話に興味ないし、何よりこうしている間にも隣のフィールドで二回戦の準備が完了していく。もしかして俺を焦らせようという盤外戦術のつもりか? 盤外戦術は相手に実力を発揮させず、自分の優位を保つという点で立派な技術だが、これでは雑に過ぎる。盤外戦術に求められるのは相手の冷静さを奪うことだ。この程度では、俺は揺るがない。
「すかしてられんのも今の内だ。俺はもう、去年までの俺とは違う。今年こそ、お前をぼっこぼこにしてやるよこのチビ野郎おおおぉ!」
……あぁ?
二分で試合を終わらせた俺は、アヤメさんのいる客席へ向かって階段を駆け上がっていた。うむ、我ながら相手に反撃の隙を与えない、見事に冷静な試合だったと言えるだろう。というか相手が弱すぎたな。本当にクレハとミナトさんの試合見ながらでもよかったかもしれない。
……礼儀? 尊敬? 知らない単語だなぁ。
なんて、馬鹿のことを考えて気を紛らわせる。そうでもしないと、どうしてもさっきの目を思い出してしまう。
フィールドを出るとき、ミナトさんとすれ違った。すれ違いざま目が合った時は、いつも通りさわやかに笑っていたが、その瞳の奥には隠し切れない感情があった。
楽しみで楽しみで仕方がない。
今までの俺との試合でも、ミナトさんはあんな顔をしていただろうか。いや、もっとつまらなそうな顔をしていたはずだ。考えると、クレハへの黒い感情がまたも鎌首を持ち上げてくるが、今はそれを必死になって抑え込む。考えないよう、別のことを必死になって思い浮かべる。
そうだ。もう試合が始まって五分は過ぎている。そんなこと考えている暇があったら、もっと速く足を動かせ。クレハの応援もそうだが、ミナトさんのプレーを見逃すわけにはいかない。あの人に最初に勝つのは、俺なんだから。クレハに向けたようなあの顔を、今度はちゃんと俺に向けてもらう。全力を出し切ったミナトさんに、俺の全力をもって勝つんだ。
「はあっ、はあっ」
階段を上りきる。視界いっぱいに広がる光に目がくらむが、そんなことはお構いなしに客席とフィールドを隔てるフェンスに走り寄った。
試合は、まだ続いている。間に合った。得点は――!
「――なんだ、これ」
フェンスの手すりから、力を失った手が滑り落ちる。
「シン、来たか」
後ろからアヤメさんが声をかけてきたようだが、そんなことはどうでもいい。今は、この状況を誰かに説明してほしかった。
得点は、八対五。絶対王者を相手にしていると思えば、よく食い下がっている。この数字を見た時はそう思った。でもそうではなかった。
八対五で、クレハが勝ち越している。
「――なんなんだよ、これは」
クレハがフィールドを縦横無尽に動き回る。ミナトさんもそれに対応するが、どう見ても後手に回っている。試合前、あれほど楽しそうに笑っていたその表情も、今は険しく、ゆがんでいた。あんな顔、俺との試合でも見せたことないのに。
追い詰めている? ミナトさんを、クレハが?
俺がどうしても勝てない相手に、どうしても勝ちたい相手に。ずっと俺のSCを見てきて、ずっと俺の後ろをついてきていたクレハが――、
「勝つって、言うのか……?」
初出場選手を相手に、絶対王者が苦戦する。静まり返った観客席の中で、自分のそのつぶやきだけが耳に届く。
頭の中で響くその言葉が――何度も、何度も。
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