第18話「実力」


「二回戦で当たる、か」


 これなら、俺がクレハと戦うことは無いだろう。そう考えると、何故か全身の力が少し抜けた気がした。


「ふ、気が早いな、シン。クレハの初戦の相手を見てみろ」


 おっと、ミナトさんのインパクトが強すぎて、初戦の相手を見逃していた。ミナトさんとクレハの間にある名前は……ユウキ?


「誰だ?」

「お前、本気で言ってるのか?」

「三條の副部長さんだよ……」


 言われて記憶を探ってみる。合同練習にもいたはずだ。……副部長というと、


「ああ、あの関西弁の」

「本当にミナトしか眼中にないんだな。世話になった相手の名前くらい覚えておけ」


 思い出しはしたが、あまり練習試合での記憶はないな。あの時はクレハとミナトさんの試合が気になって仕方がなかったし……。ああ、でもたしか、ミナトさん以外で唯一コールド勝ちできなかったのが、あの関西弁だったはずだ。


「実力的にも、三條のナンバーツーか」


 公式戦が初めてのクレハにとって、楽な相手というのは存在しない。けれどその中でもハードルの高い相手に当たってしまったようだ。


「確かに格上の相手ではあるが、クレハがしっかりと実力を出せれば、決して勝負にならないわけじゃない。せっかく初戦から手ごわい相手と戦えるんだ。どうせなら、ミナトとだってやりたいだろう?」


 やや挑発するようにアヤメさんがクレハに問いかける。不安げな表情は変わらない。けれど、クレハはその口元に笑みを描いた。


「はい。私もミナトさんと、戦ってみたいです」


 その口調はどこか、戦うこと以上の意味を見出しているような、そんな決意の強さがにじんでいるようだった。


「そろそろアップを始めないとな」


 対戦相手ばかり気にしていたが、クレハの試合は大会の第一試合。開会式前にはアップを終わらせておかないといけない。


「あ、そうですね。ちょっと、場外で空いてるところ探してきます」


 どこか調子が悪そうに見えたクレハだったが、この様子だと心配はいらなそうだ。むしろ心配するべきなのは対戦相手の副部長さんかもしれない。ユウキ、だったか。合同練習でクレハの成長の速さは知っているだろうが、それを直接ぶつけられる怖さはまだ知らないだろう。正直、俺も別のブロックでほっとした。さっきの、身体から力が抜けた感じ、あれはきっと安堵だったのだろう。


「シン」


 こちらの表情がいくらか緩んだのに気付いたのか、クレハが改めて声をかけてくる。


「なんか私、別ブロックでほっとしちゃった。お互い、頑張ろうね」


 それだけ言うと、クレハはアップに向かった。


 確かに、俺は安心した。でも、それはクレハが感じていたものとは全く違う安心だ。クレハはきっと、身内で戦わずに済んだ、という意味で「ほっとした」のだろう。そしてきっと、俺もそうなのだと思ったに違いない。


 クレハと戦わずに済んで安心した。言葉だけ見れば何も違わない。でも、それ以外のすべてが違う。


 俺がお前と戦いたくないのは、お前の成長を、その才能を、真正面からぶつけられたくないからだ。目を逸らしていたいからだ。これ以上、追いすがってくるお前を、見たくないからだ。


 幸いにして、俺の感情はクレハに伝わらなかった。


「よかったな」


 クレハの進んでいった先をじっと見つめていると、アヤメさんがそんなことをつぶやいた。


 それは間違いなく、俺に向けられた言葉だ。でも、「よかったな」? それは一体何に対して言っているんだ。試合前にクレハとちゃんと話せて、悪い雰囲気がなくなって、クレハの緊張も程よくほどけて、その「よかったな」か? そんな素直な性格、していないだろう、俺も、アヤメさんも。


 ――よかったな、本心がばれなくて。


 そう、言いたかったんだ。


「試合前の弟子に喧嘩売る師匠なんて、聞いたことないですね」

「そう突っかかってくるな。試合に響くぞ」

「そうさせたのは誰だよッ!」


 白々しくも話をごまかそうとするアヤメさんに、思わず声を荒げる。なぜこの人は、こうも俺の神経を逆なですることばかりするのだろう。本心がばれなくてよかったな? ああそうさ、よかったよ。この気持ちがばれずに済んで。本心ではクレハにおびえている。そんなこと絶対に知られたくない。今までずっと一緒にいたんだ。俺ひとりで先に進んで、クレハはそれをずっと見てきた。それなのに、それだけの年月を、クレハはたったの数か月で飛び越えてきた。それを怖いと感じなきゃ、それこそ嘘だろう!


「お前にだって、本心ではもうわかってるはずだ。どうしてこんなことになったのか」


 諭すような声だった。


 ああ、わかっている。すべて俺の弱さが原因だって。SCの弱さも、心の弱さもだ。でもだからって、どうしてわざわざそれを、突きつけるような真似をするんだ。


 掴みかかりたいほどの怒りの衝動は、すぐさま己への失望へとしぼんでいった。


「さあ、もうすぐ第一試合だ。クレハの応援に行ってやろう」


 言われるがまま、俺はアヤメさんのあとに続いて客席へと向かった。




 今回の大会はふたつのフィールドを使い、AB両ブロックの試合を同時に進める。俺の初戦はBブロックの最後。クレハの試合を観戦してからでも余裕で間に合う。


 正直言って、あまり見たい試合ではない。どうせここでも、クレハの規格外さを思い知ることになるのだ。クレハのSCは俺のSCとは違う。勝てなきゃ負けの俺とは違い、クレハには敗北の先に勝利がある。


 俺はどれだけ沈痛な顔をしていたのだろう、アヤメさんは盛大な溜息をついて

「あれを見ろ」と試合の準備をするクレハを指さした。

「――クレハ?」


 その姿を視界に収めた瞬間、俺はそれまでの陰鬱とした考えもクレハへの思いもすべて忘れ、ただただ不安という思いだけを胸に抱いた。自分自身への不安ではない。これから試合に臨むクレハへの不安、つまり――心配だ。


 だって、フィールドの横でストレッチをするその姿は、はたから見ててもわかるくらいに、あまりにも固く、こわばっていたから。


 表情も硬い。去り際に見せたあの笑みはどこへ消えたのか、今浮かんでいる表情は、口を真一文字に引き結び、瞬きすらも意識してやっているような不自然さがある。これから死刑になる人間だってあれほど固い顔はしていないだろう。


 体もそうだ。ポーズこそストレッチのような姿勢を取っているが、あれじゃあ何も伸びないしどこもほぐれない。ロボットダンスの練習だと言われたほうがよほど納得できる、そんな動きだ。


「何やってんだ、あいつ」


 これではひと月前の練習試合と何も変わらない。何もできずに、ただ棒立ちで終わるだけだ。


「くそっ」


 思わず客席から立ち上がる。このままにしてはおけない。どうにかしてクレハの緊張をほぐさないと――。


「待て」


 しかし、アヤメさんがそれを止める。


「なんで止めるんですか。あのままクレハを放っておけって言うんですか?」

「そうだ」


 迷いのないその返事に、絶句する。


「どうして!? このままじゃ、何もできないまま終わりますよ!」

「そうなったらそうなったで、仕方がない。それがクレハの実力だったんだ」


 アヤメさんが何を考えているのか、まるで理解できなかった。このままじゃ実力が出せないからどうにかしにいこうというんじゃないか。


 アヤメさんと話しているうちにフィールドから試合開始のホイッスルが鳴り響く。


「っ、始まっちまった」

「シン、よく見ておけ」


 慌てふためいている俺とは対照的に、普段よりもいっそう冷静なアヤメさんが試合全体を俯瞰して言った。


「あれが普通だ」

「普通?」


 言っている意味がよく分からなかった。あれは、あんな動きは普通のクレハじゃない。


 試合が始まったことで少しは切り替えができたのか、クレハはちゃんと魔法も発動し、フィールド内を動き回っている。でも、あれではひと月前のクレハにも劣る。あまりにも、公式戦という場に飲まれすぎているのだ。


 ぎこちないクレハを翻弄するように、ユウキが素早い動きでかく乱する。それを何とかとらえようとクレハも動くが、……だめだ、明らかに誘われている。


「くっ!」


 円形の派手なライトエフェクトとともに、会場に設置された得点版の数字が増える。


 ポイントを取られた。


「いいか、シン。クレハはこれが初めての公式戦だ」


 そんなことはわかっている。何を今さらとアヤメさんを見るが、そんな俺と目を合わせて、アヤメさんはまたため息をついた。


「はあ、まだわからないか? 初めての公式戦っていうのはな、あれくらい緊張するのが普通なんだよ」

「っ」


 言われてハッとする。


 試合、本番、それは誰でも緊張するものだ。もちろん俺だって経験がある。でも、思い返してみれば、俺の初めての公式戦はどんなだったろう。


「ちなみにお前の初めての公式戦は、十歳の時のジュニア大会。そこでお前は、全日本で優勝した」


 ああ、そう言えばそうだ。出場規則で十歳になるまで出場できなくてようやく本物の試合に出られるのがうれしくて、張り切って試合に臨んだ記憶がある。


 ……そこに緊張なんてものは、一切入り込んでいなかった。


「わかったか、お前の異常さが」


 アヤメさんはあきれたようにつぶやいた。


「お前は強い。ちゃんと、それを認めろ」


 たったそれだけの言葉で、体中に突き刺さっていた棘が抜ける思いだった。

 それを伝えるために、俺をここにとどめ、クレハの試合を見せたのか。


「緊張している奴に、外野が何を言ったって意味はないさ。本番という舞台で、日々の努力をどこまで出せるか。それが実力。それが強さだ。お前も、しっかり見ておけ。クレハの努力の証を」


 お前に一番見てほしいはずだ、そう言って、アヤメさんは再びクレハの試合に集中し始める。俺は、クレハのことをちゃんと見ていただろうか。クレハだけじゃない。ミナトさんのことも。


 昨日の夕焼けを思い出す。自分よりもずっと強いと思っていたミナトさんだって、試合の前日はああやって心を落ち着かせようと夕日を見に来た。自分の強さに絶対の自信があって、不安なんて何もないなら、そんなことはしないはずだ。


 クレハの成長を見て、その才能を見せつけられて、俺は勝手に劣等感を抱いた。自分勝手な理由で、クレハを遠ざけていた。不安だったはずだ。初めての試合、初めてのSC。そんなクレハを一人にしてしまったのは、ほかでもない俺じゃないか。


 クレハはポイントを重ねられていく。そこに、ミナトさんの本気を引き出した化け物の影はどこにも見えない。どこか心細い顔をしながら、それでも必死に目の前の相手に食らいつこうとする、そんな一生懸命な少女の姿があるだけだ。


「――クレハっ!!」


 届くとは思わない。けれど、叫ばずにもいられなかった。


 防戦一方となる試合の中で一瞬だけ、視線が束ねられた気がした。


 クレハの動きにキレが増していく。でも、まだだ。まだこんなもんじゃないはずだ。俺をおびえさせて、ミナトさんに面白いと言われたお前は、もっと速かった。


 ユウキがクレハの動きを警戒し距離を取る。だがクレハは迷うことなくそれを追った。距離を詰めるクレハの右手には『ブレイド』の輝き。だが今それをふるっても、ユウキの防御魔法に阻まれる。そうなれば反撃を喰らうのはクレハのほうだ。


 今までのクレハの動きから、ポイントを確信したユウキは不敵に笑う。だが、もうクレハはさっきまでのクレハではない。


 防御魔法に止められるクレハの右腕。だがその右手はもう輝いていない。ユウキの目が見開かれる。「なんやてっ!?」と口が動いたのがここからでも見て取れた。


 防御魔法に触れる寸前、クレハは『ブレイド』を解除。本命は右手に注意を引き付けておいて死角に入った、身体強化による胴体への膝蹴り――。


 先ほどよりも数段明るいライトエフェクトが立ち上がる。


 スリーポイント。同点だ。


 得点を入れたクレハはすぐさま距離を取り、試合を仕切り直す。ユウキのほうも、クレハの評価を変えざるをえない。



 ここからが、本当の勝負だ。


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