第13話「ミナト」


「ごめんね、このフィールド、僕たちに使わせてくれないか」


 部長、それも現役最強のプレイヤーに言われて、拒否できるものはいないだろう。声をかけられた三條のSC部員は「はいぃっ」と驚いたような返事をして振り返った。


「って、あれ? チトセさん?」


 見覚えのある顔に思わず声をかける。ひと月前の合同練習で私とシンが教えていた新入生、チトセさんだ。


「クレハさん!」


 向こうもこっちを覚えていてくれたようで、ぱあっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。


「おや、二人は知り合いかい?」

「はい、部長! 前の合同練習の時に、シンさんとクレハさんにSCの基礎を教えてもらいました」


 ミナトさんからの質問にきびきびと答えるチトセさん。こういうところを見ると、体育会系だなぁとしみじみと思ってしまう。私とシンはこういった空気とは縁がないから、余計に。


「そうか、チトセ君の上達ぶりはシン君の影響だったか。しかし……」


 変なところで言葉を切ったと思ったら、ミナトさんは顎に手をやり、何やら考えるそぶりを見せる。あまり考えていなかったけど、練習試合ならともかく他校の新入部員にSCの基礎を教えるのは、問題だっただろうか。


 少しそわそわしながらミナトさんの顔色を窺っていると、ぼそっとしたつぶやきが耳に入った。


「……羨ましいな」

「はい?」


 思わず声が漏れる。


 え? 羨ましい? 予想外すぎる言葉が出た。何かの聞き間違い?


「あぁ、ごめんごめん」


 いぶかしむ視線に気づいたのか、ミナトさんが照れ笑いを浮かべながら答える。


「いやほら、シン君はアヤメ選手の弟子だろう? その彼からSCを教わったのなら、チトセ君はアヤメさんの孫弟子みたいだなぁと思ってね」


 ミナトさんの言葉に、チトセさんは「そんな、私なんかが弟子だなんて……」と妙に嬉しそうにしている。……何がとは言わないが、なんとなく複雑だ。それにそれを言うなら私は兄妹弟子みたいなものだし……。


「僕は現役時代からアヤメ選手のファンだからね。そんな憧れの人にSCを教われるなんて、本当に――羨ましい」


 一瞬、こちらに向けられたミナトさんの視線が、恐ろしく冷たくなったような気がした。


「――っ」


 思わず身をすくませる、が、次の瞬間にはもう、ミナトさんの表情は普段通りのさわやかな笑顔に戻っていた。


「あれ、でもどうして部長とクレハさんが? あ、その……」


 純粋に気になっただけなのだろうが、チトセさんはそう口に出してすぐ、気まずそうに目を伏せた。そんな彼女に、私は大丈夫と笑いかける。


「いいの、チトセさん。だって――」


 ――魔法はもう使えるから。そう言いかけて、口を噤む。先ほどの試合が脳裏をよぎる。何もできず、ただ的になっていたあの試合を。


「……。クレハ君も魔法を使えるようになったのさ。だから、練習試合をしようと思ってね」


 口を閉じた私に代わり、ミナトさんが説明する。「そ、そうなんですか! おめでとうございます!!」と、チトセさんの裏表のない、素直な祝福が聞こえてくる。


 けどそれも、今の私には素直に受け取ることはできなかった。


「あの、私見学してていいですか!?」


 その申し出を私が断る前に、ミナトさんが「ああ、もちろん」と許可を出す。


「ええっ? でもチトセさん、私初心者だし、全然参考にならないと思うよ。……さっきの試合だって、まともに、魔法も……」

「だから、やるんだろう?」

「っ」


 ……まただ。また、背筋が冷えるほどの視線。


 あれよあれよという間に話は進み、気づけば私は二五メートルの正方形の中で、ミナトさんと向き合っていた。


「あ、あの、いいんですか」

「何がだい? ああ、ほかの部員のことを気にしているなら、あとで僕が直接指導するってことで話はついてるよ」

「いや、そうじゃなくて、私みたいな初心者が、ミナトさんと試合だなんて……」


 それに、今の私は初心者以前の問題として、魔法だってろくに……。


「ははっ、それなら心配には及ばないよ。試合と言っても、僕は魔法を使うつもりはないからね」


 にこやかに笑って、ミナトさんはさも当然のことのようにそう言った。


「……え?」

「聞こえなかったかい? 僕は魔法を使わない。ああ、君は使ってくれて構わないよ。そうしないと面白くないからね」


 吐かれたその言葉に、絶句する。


 私と言葉を交わしながらも、そのさわやかな笑顔は崩れない。この人は本気で、魔法を使う私に、自分は魔法なしで戦うと、そうでもしないと試合にならないと言っているんだ。


「怒ったかい? なめるのも大概にしろって。でもね、僕のほうこそ言いたいよ」


 言葉を区切り、ミナトさんは開始地点へと向かう。そして再びこちらに向き直ったとき、


「――っ!?」


 私は、どうして今の自分がろくに動くこともできないのか、その理由をはっきりと思い知った。



「あまり僕を――SCを甘く見ないほうがいい」



 正面に立つミナトさんを、その顔を、その姿を見て、身体が震える。


 笑顔は変わらない。けれど、その身にまとう空気が、背負っている名が、今までの人当たりの良い青年のそれとはまったく違う。


 これは、恐怖だ。


 ただの練習試合。それも、相手は魔法を使わないと宣言している、模擬戦に近いようなもの。それでも、この人に勝てる未来が全く見えない。


 蛇に睨まれた蛙。


 ぴったりな言葉があるものだ。私の体を支配する緊張と恐怖を、これ以上的確に表している言葉もない。


「さあ、始めよう」


 何を言われても、どうやっても動けない。まるで体の動かし方を忘れてしまったみたいだ。陸に上がった魚のように、ただパクパクと口を動かし、空気を求めている。


「動けないなら、僕から行こう。ただ、防がないと少し痛いよ」


 ミナトさんが一歩一歩近づいてくる。本当にただ歩いているだけだ。それなのに、もうあと数歩で手の届く距離だというのに、私の体は動いてくれない。


 そんな私を見て、ミナトさんは深く、深くため息をついた。


「あのシン君も認める期待の新人というから、楽しみにしていたのに」

「!!」


 恐怖でこわばり、何も考えられなくなった頭の中で、その名前だけが意味のある言葉として響く。


「残念だよ」


 右腕を振りかぶる。緩慢な動きだ。こちらの首筋めがけて振り下ろされるそのフォームは、きっと『ブレイド』を想定したもの。


 この一か月の間だけでも、何千、何万と見た基本の動き。


 シンが、最も得意としている魔法――。


「――っ!」

「……」


 ミナトさんの手は、私の体に触れる寸前で止まっていた。


 狙っていた首筋の寸前ではない。私がその間に滑り込ませた、左腕の前で、不自然な形で止まっている。


「やればできるじゃないか」


 その声音から、私が先ほどまで感じていた恐ろしさは綺麗さっぱり消えていた。


「ミナトさん、あなたは……」

「すまなかったね、クレハ君。でも誤解しないでほしい。期待外れだと思ったのは本当だ」


 淡々と告げる。しかしそこに先ほどのような険は無い。純粋な気持ち、思ったことを口にしているだけ。そんな声だった。


「だから、見せてほしいな。僕の唯一のライバルが認める、君の力を」


 さわやかでも、恐ろしくもない、挑戦的な笑み。そうだ、この顔を私は何度も見たことがある。これは、あなたがシンと戦うときにしている。そして、シンがあなたと戦うときにも見せている顔。


 いつか私が向けてほしいと思っている、対等な相手への顔そのものだ。この人は今、私を通してシンを見ている。


 私という存在は、シンと対等な相手からは歯牙にもかけられない、そんな小さなもの。それを改めて認識させられる。シンが私を見てくれているのは、運が良かったからだ。今までの、この十年間という積み重ねがあったから、なんとかその視界に収まっているだけ。


 それじゃあだめなんだ。


 私は、私の力でシンに振り向いてほしい。そうでもしなきゃ、対等だなんて口が裂けても言えない。隣に立つなんてもってのほかだ。


 ミナトさんが私を通してシンを見るように、私もまた、ミナトさんを通してトッププレイヤーのシンを見る。



 怖がっている暇なんてあるものか。


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