第11話「シンの思い」

 ◇シン


 怖い。


 自分の練習の最中ですら、俺は背筋を震わせていた。


 慣れない魔法の連続で、もう疲労困憊だろう。まともに考えることすらままならないはずだ。だというのに、俺は常にクレハの視線を感じていた。身体強化なんてもちろん使っていない、いつもの、いつも通りのクレハの視線だ。


 そう、何も変わらないんだ。


 魔法の限界使用、それによる肉体と脳の酷使、頭も体も人生で一番疲れていると言っても過言じゃない、その状態で、クレハはひと時も俺の動きから目を逸らさなかった。俺の動き、アヤメさんの攻撃、俺の対処、魔法の発動、その全てをクレハは見逃さなかっただろう。


 それだけじゃない。


 クレハ自身は何故か落ち込んでいたようだが、あいつがこなした練習メニュー。あれは、俺がSCを始めて二年目にようやくできるようになった練習だ。


 身体強化をしたままでの短距離走と上体起こしを、クレハは難なくやって見せた。体を動かしながら魔法を発動する、というのは「車を運転しながら頭でドローンを操作するようなものだ」と魔法の研究チームが言っていた。それを、魔法に目覚めて一週間の人間がやりやがったんだ。


 魔法と連動した体の動かし方は、少なくとも半年は訓練しないと身につかない。反復横跳びなんてその最たるものだ。身体強化中の反復横跳びは、SCの試合に出るための最低条件と言われている。三條との合同練習で面倒を見たチトセもかなり呑み込みが早い方だったが、それでも試合ができるようになるにはあと数か月は必要だろう。


 クレハはそれを、たった十秒とは言え形にした。プロのSC選手何人に聞いても、そんなことありえないと即答するだろう。


 正直に言うと、俺は魔法に慣れていない段階からSCの練習を始めることには反対だった。まずはゆっくりと魔法になれること、そんな悠長なことを考えていた。


 実際はどうだ。



 ――クレハ、お前はどこまで上がってくる?



 考えて再び、背筋が震えた。



 ◇



「いやあ、結構結構。この調子なら、来週からは攻守交代制の模擬戦を入れてもよさそうだな」


 練習終わり、アヤメさんがそんなことを抜かし始めて俺はあやうくずっこけそうになった。


「模擬戦!? もしかしなくても本気で言ってますよねアヤメさん。今日の練習だってオーバーワーク気味なのに、少しは手加減してください!」

「そう言うな、お前だって、早く実戦形式の練習がしたいだろう?」

「……っ!」


 この化け物と。


 そう口が動いたのを、俺は見逃さなかった。


 クレハとの模擬戦。自然、脳裏に浮かぶのは一週間前のあの光景だ。SCを見るだけだったクレハが、たったひと試合の間に俺のフェイントを見切って、カウンターまで仕掛けてきたあの模擬戦。


 魔法が使えるようになった今、同じように戦えばクレハはどれだけ強くなるだろう。


 ――りたい。


 考えるより先に結論が出る。この天才、いや、化け物と模擬戦とはいえ試合ができる。その魅力の前に、常識というちっぽけな理性は無意味だった。


 勝ち誇ったようなアヤメさんの顔が無性に苛ついた。


「このペースでいけば、地区予選にも間に合うだろう」

「は?」

「え?」


 今度こそ意味が分からなかった。隣でクレハも俺と似たような顔で放心しているし、さすがにこれは間違った反応ではないだろう。


「地区……予選?」


 いや、これ違うな。クレハのこの表情……これ嬉しいやつだ。いつの間にこんなSCバカになったんだろうな、一体誰の影響だ。


 インターハイ地区予選は六月。あとひと月半はある。たしかに可能かどうかだけを考えれば、可能かもしれない。だけど、試合は練習とはまた違った疲れが出てくるし、ある程度の経験がなければ勝負にすらならないことも多い。


「大会まであとふた月もない、か。いや、それだけあれば……でも」


 迷いどころだ。俺とアヤメさんがつきっきりで練習すればあるいは……身体強化と攻撃の紐づけまで習得できるか? それさえできてしまえば、クレハならちゃんと勝負になるところまで行くかもしれない。


「まあ、もう五日も前にエントリーは済ませてあるんだがな」

「は、はあああああっ!?」

「来月にはまた三條との練習試合も組んである。もちろんクレハも参加してもらうぞ」

「いやちょっと、ちょっっっっっとまって!」

「お、今日はいいリアクションするなぁ」

「ンなことはどうでもいいからっ! 五日前って、魔法使えるようになってたった二日? そこで何をどう判断したんだよアヤメさん!!」


 俺を見て面白おかしく笑うアヤメさんに本気で突っかかっていく。


 今日、この上達ぶりを見て出場を考えるならまだわかる。でも五日前なんて、魔法になれるのに精いっぱいでSCらしいことなんて何も……。


「なにも……」


 俺が記憶のどこかに引っかかっていると、アヤメさんがやれやれと肩をすくめ、芝居がかった調子で言いだした。


「まったく、何をそんなに驚くことがある。魔法が使えない状態であれだけ立派な模擬戦シミュレーションができるんだぞ? 出場しない手はないだろう」


 これには本当に固まった。


 俺だけではない、隣でクレハも固まっている。


 ……まさか、あの現場を見られていた? 「教え子の様子が可笑しかったからちょっと後を付けさせてもらった」なんて言ってけらけらとアヤメさんが笑う。が、そんな言葉は右から左に素通りしていく。というかちょっと待て。「おかしい」のニュアンスのほうがおかしいだろ。


 と、いうことは、だ。


 模擬戦を見られていたならそこに至る経緯も当然知っているはずだろう。つまり……。


「全部、見てたってことですか……?」


 地面を見つめるクレハが、わなわなと肩を震わせアヤメさんに問いかける。もうその顔は紅潮とか、そんな言葉で済ませてはいけないほどに真っ赤だった。


 クレハの右こぶしと両足がほのかに輝く。


「――あ」


 気づいたときには遅かった。


「アヤメさぁぁぁぁぁぁぁあんッ!」


 皮肉にもクレハはこの瞬間、身体強化と攻撃の紐づけができるようになったのだった。




 それから約一か月、アヤメさんのスパルタ指導の下、クレハは目に見えるほどの速度で実力をつけていき、一応の試合をこなせるまでに成長した。とはいえ、練習相手は俺とアヤメさんのみ。クレハの才能が桁違いだと言っても、対等な勝負というものは、まだ一度も経験したことがなかった。


 だが、それも今日までだ。


「シン、早く早く!」


 えらく上機嫌のクレハにせかされながら、荷物をアヤメさんの車に載せていく。


「はいはい、これでラストだから」


 練習用スーツにウォーターサーバー、湿布にサポーターにアイシング、忘れ物がないかを確認して、最後に自分が乗り込んでからドアを閉める。


「忘れ物は無いな? じゃ、行くぞ」


 今日は一か月ぶりとなる三條学園との合同練習、もとい練習試合だ。


 青江高校から三條学園までは、車で二〇分ほど。荷物さえなければ自転車でいけないこともないのだが、海側にある青江高校から山の上にある三條学園まで行くには距離以上に坂道がきつい。なので、たいてい行きはアヤメさんの車で、帰りは徒歩で家に帰る。重たい荷物はアヤメさんにお任せだ。そもそも俺たちのしているSCは、個人的にアヤメさんに習っているだけであって、青江高校の部活動ではない。SCの道具もスーツやジャージ以外はアヤメさん個人の持ち物だ。


「クレハ、緊張しているか?」


 運転するアヤメさんが、助手席のクレハに尋ねる。


「そりゃあ、もう。三條との試合は何度も見てますけど、実際に戦うのは初めてですから」


 口ではそう言っているが、その口調はどこか弾んでいる。緊張は確かにしているのだろうが、それを上回ってなお余りあるほどに、楽しみで仕方がないのだ。


 自然とこっちの口元もにやけてくる。


 初めての試合を思い返す。六歳、いや、五歳だったか。幼いころからSCを始めたにもかかわらず、年齢制限で十歳になるまでジュニアの大会に出場できなかった。待ちに待った瞬間は、そしてその試合での初めての勝利は、何にも代え難い胸の高鳴りになった。


 クレハは十年間、横で見ることしかできなかった試合を、今日初めて体験する。たとえそれが練習であっても、クレハにとって今日は忘れられない日になるだろう。




 と、思っていたのだが――。



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